3-20

 明かされたショッキングな真実が雪枝の心に大粒の雨を降らせる。


「私は夏木さんにそこまでのことは……」

「だからあんたは世間知らずで甘いんだよ。復讐したいならそこまでやればいい。そこのお嬢様の身体と心が壊れようがどうでもいいじゃん? 私は壊してやりたかった。金持ちのお嬢様達が怯える顔を見たいから私は計画に参加したのよ」


 滝本達のやり場のない夏木十蔵に対する怒りや雪枝の復讐心にも賛同はできずとも理解は示せる。水穂の言葉には雪枝への同情と罪悪感が滲んでいた。


しかし宮島知佳の殺気は滝本達や雪枝、水穂とは全く別次元だと感じた。知佳には良心や躊躇いの感情は欠片もない。

誰かが苦しむ姿を見て面白がる。何がこの女をすさませている?


 知佳の視線が雪枝に向いている隙に美夜は腋の下のホルスターから銃を引き抜いた。本部からの発砲許可はまだ降りないが、知佳が構える銃器の口がいつ、誰かに向けられるかわからない。


「雪枝も結局は恵まれてる側よ。私に言わせれば毒親でも父親がちゃんとした会社の役員なだけマシ。あんただって顔は可愛い部類に入るし、この国では金持ちで見た目がそこそこ良ければそれだけで勝ち組になれる。父親が借金残していなくなった家族がどうなるか、ここにいるお嬢様達は想像もつかないでしょうね」


 他人の容姿への評価に疎い美夜から見た知佳は、突出して不器量ぶきりょうではなく、かといって器量よしとも言い難い。

視界に捕らえ続けなければ、四十人の女が押し込められた教室内で知佳の姿は紛れて消えてしまう。とにかく印象の薄い容貌だった。


「友達だよって……言ってくれたよね?」

「ごめんねぇ。私、あんた嫌いなの。金持ちで可愛いくせに不幸背負った顔してムカつく。本当の不幸がどんなものかも知らないのにさ。ついでに水穂も嫌い。二人揃って好きな男のことでウジウジして鬱陶しい。チャットであんた達のいいお母さん代わりをやってる未季みきさんも嫌い。滝本さんも正義感の塊のヒーローぶってて嫌い、他の奴らは論外。あんたを友達だとか仲間だとか、思ったことは一度もないよ」


ここまでの犯罪を共に行った仲間達を知佳は平然と酷評する。

性格は顔に表れるとはよく言ったものだ。突出して不器量ではないはずの知佳の薄顔は醜悪しゅうあくに歪んでいた。


 聞こえてきたのは裏切りに傷付いた少女のすすり泣き。十代の脆い心は信じていた人間に嫌いと一言言われただけで簡単に砕け散った。


「……九条さんごめんなさい……、私、もう無理。もう嫌だ……」

『雪枝ちゃん、待つんだ。それを手離してこっちにおいで』


雪枝は銃をかたくなに離さない。

感受性が強くて傷付きやすい雪枝の心の最後のシールドがあの銃だ。あんな価値のない代物が御守りになってしまう雪枝も、他人への妬みを連呼する知佳も、心を病んでいる。


「夏木さんや九条さん達が言った言葉……その通りだよね。私も悪いことしてる。夏木さんにされた以上のことを私はしてしまった。友達だと思ってた人には嫌われていた。もう、死にたいの……こんな生きにくい世界で生きていたくない。きっとお父さんとお母さんも私のこと嫌いになった。九条さんはイイコじゃなくてもいいって言ってくれたけど、お父さんもお母さんもイイコじゃない本当の私を知って幻滅してる……。だってあの人達はワガママを言わない“イイコの雪枝”が好きなんだもん……」


 押しても引いても変化のないこの状況に美夜はいい加減飽き飽きしている。いじける雪枝の涙の独白に真面目に耳を傾けているのは九条のみ。


雪枝の親子関係も美夜にはどうでもいい。親にとってイイコだろうがイイコじゃなかろうが、親に幻滅される覚悟の立てこもりではなかったのか?

舞を屈服させるためだけに滝本達に加担したのだとすれば、確かに雪枝は甘ったれたお嬢さんだ。


 爆破のタイムリミットまで時間がない。雪枝は爆弾を偽物だと思い込まされている。

だから悠長に悲劇のヒロインを気取っていられるのだ。


一刻も早く舞と人質の生徒達をここから救出して爆発の前に爆発物処理班が教室に入れる状態を作る……それが美夜に課された任務。そのためには雪枝には現実を知らせ、ただちに知佳を拘束しなければならない。


 美夜の苛立ちと同調するように、彼女の隣にいた愁が雪枝に向けて溜息混じりに呟いた。


『それがモデルガンだとわかってるのか?』

「モデルガン……?」

『撃っても死ねない偽物の銃だ。ちなみに爆弾は本物。お前は最初から仲間に騙されてるんだよ』


銃を扱う者は皆、一目見て雪枝の持つ銃が本物ではないと気付いていた。材質や塗装の具合を見てもおもちゃ同然のモデルガンだ。


 偽物の拳銃と本物の爆弾の真実を知って動揺する雪枝の腕を愁が掴む。彼は雪枝の持つ銃をまじまじと眺めて鼻でわらった。


『飾り程度についてるセイフティも外れてないな。銃の扱いも知らないガキが一人前に死にたいなんて言うんじゃねぇ』


奪い取った銃を愁は美夜めがけて放り投げた。宙を軽々と舞うモデルガンは愁と別れた雨の夜のデジャヴ。


 対策本部にいる真紀からインカムに入電が入る。美夜と九条のインカムに同時に伝えられた例の件が二人の刑事の頼みの綱だ。


『雪枝ちゃん、おいで。これからやり直そう。お父さんとお母さんと話し合って、君が思ってることを全部話せばいい。俺も力になるから。ね?』

「……ごめんなさい……」


 雪枝は今度こそ差し伸べられた九条の手を取った。甘ったれた少女には優しい綺麗事がお似合いだ。

それが許されるうちは生ぬるい綺麗事に浸かっていればいい。


 綺麗事のぬくもりに雪枝が暖められても、もうひとつの冷めた瞳は温まらない。

轟いた鋭い銃声は孤独な女の叫び声だ。二発連続で天井に撃ち込まれた銃弾が電球を粉々に破壊した。


割れた電球の破片が床に飛び散る。降り注ぐ破片から舞を庇う愁と雪枝を庇う九条、美夜も身を低くして落下する破片の粉雪から逃れた。


「雪枝の銃はモデルガンだけどこっちは本物。梶浦が調達してきた本物の銃は三丁だけだったの」


 硝煙の臭いの中心には宮島知佳がいる。突然の発砲にパニックに陥った教師と生徒達は机を盾にして教室後方の壁際に集まっていた。


「雪枝ちゃんにはモデルガンを本物と偽り、本物の爆弾は偽物と言って騙す。卑怯なやり方ね」

「雪枝は馬鹿なお嬢だもん。これだけのことしておいて夏木舞に謝ってもらえばそれでいいなんてワガママはまかり通らない。滝本さんですら夏木十蔵が謝罪会見しないことまで折り込み済みなのに、雪枝は夏木舞を謝らせたいだけなんて馬鹿だよねぇ。だから私達に利用されるのよ」


 河原水穂の忠告は正しかった。宮島知佳はヤクザ崩れの梶浦や吉井、盗撮マニアの巻田を除けば、犯人グループの誰よりも精神が歪んでいる。


 鬱屈とした殺人衝動を宿した水穂は殺人のトリガーともストッパーともなる恋を抱えていた。恋の相手は常人とは言い難い殺人者だが、あの秘めた恋が水穂の心の柔らかい部分を形作っていたように美夜は思う。


水穂が本当に殺人衝動をもて余し、殺す人間を選ばなければ、トイレに隠れていた中学生を発見した時点でとっくに少女を殺している。


 実際に水穂がここで殺した人間は巻田だけ。 いくらでも傷付ける機会があった中学生は無傷だった。

雪枝を可哀想と溢した水穂はまだ他者を気遣う心を忘れていない。雪枝のストッパーの役目は九条が引き受けている。


 しかし知佳はどうだろう。彼女には人の心が皆無だ。

トリガーやストッパーともなる恋も、ウィークポイントも見当たらない。情に訴えかける作戦も煽って逆上させる作戦も知佳には通用しないだろう。


残る手段は実力行使。その時まで残り、1分を切っていた。

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