第40話:魔女と寸刻

「ふんっ!」


 岩石の砕ける音が響いた。体術を得意とするヒナシア渾身の殴打により、幼体の酸噛竜を包む表皮――瓦礫の一部が飛び散った。


「いっでぇー! 何でこんな痛いんですかねぇ!」


 涙ぐみ、右拳に息を吹き掛けるも、ノンビリ痛みに嘆く暇は無い。進軍を続ける三体の内、最も小柄で最もな幼体は、先程から大切な瓦礫を砕いてくる人間を噛み砕かんとし、顎をガチン、ガチンと滅茶苦茶に打ち鳴らした。


「くっそー! なかなか死なねぇなぁ竜は!」


 身軽に襲撃を躱し続けるヒナシアは、しかし体力が無限に湧き出る訳ではなかった。薄らと額に汗が滲み出し、シャツが地肌に吸い付いた。


「面倒だなぁ……! 何処まで砕けば皮膚が出るんですか!」


 後方へ跳び上がり、距離を取ったヒナシア。逃げるなと言わんばかりに頭を持ち上げ、甲高く吼えた酸噛竜を睨め付けた時……。


 妙に付着する瓦礫の量が少なく、柔らかそうに拍動する部位――が目に付いた。


 刹那、ヒナシアは修練生時代に出向いた市場にて、肉屋の男が生きた鶏の喉へ小刀を入れ、一瞬の内に捌く光景を眺めていたのを思い出す。


 本気になれば犬をも蹴り殺すという、獰猛な品種らしかった。男の手の内で声を上げて暴れ回る鶏も、喉に滑り込む刃には勝てなかった。喉元からダラダラと血が流れ落ち、一分後にはピクリとも動かなくなる。それからは部位毎に値が付けられ、客が我先にと部位を示す籠に金を入れていった。


 喉――猛獣同士が殺し合う時、牙を食い込ませれば必殺となる部位が喉であった。解剖学を習わない動物ですらが習得している知識、否、「常識」である。


 全身に瓦礫を纏い、まだ柔らかな表皮を保護する酸噛竜の幼体であっても……喉元だけは、呼吸をしやすくする為に付着量を少なくした。


 ヒナシアは「弱点」に気付いたが、しかし――迂闊に手を出せずにいた。


「どうしたものか……」


 今ここに魔杖があれば、或いは肉体の強度を向上させる魔術を用いて、分泌されるの影響を受けず、喉元に強烈な蹴りを見舞う事が可能であった。


「というか、杖があればこんなの秒殺なのになぁ」


 ギリリと歯を食い縛るヒナシア。無いものねだりをしても仕方が無かった。


 素手に代わる殺傷力を持ち、鋭利で頑丈な得物――その獲得が肝要である。


「何処かに槍でもあれば……!」


 襲い来る酸噛竜は執拗だった。細い路地に入ったヒナシアを追い回し、巨体を無理矢理に建物の間にねじ込んだ。流石に動き辛いらしく、石壁を壊しながら進む酸噛竜の歩速は大分に落ちた。


「この隙にですね…………後で賠償金を取られなきゃ良いけど……」


 緊急事態であっても金の心配をする彼女の精神力は、恐らく合金で出来ている。屋根から屋根へ、部屋から部屋へと走り回るヒナシアはやがて……。


「こ、これぇ…………?」


 木製の物干し竿、包丁、紐の三点を見付けた。全て、名も知らぬ家庭から拝借したものだったが、自ら集め並べてみると……改めて、を予想すると溜息が漏れた。


「どうぉわ!」


 建物が大きく揺れる。三軒先に酸噛竜が迫っていた。迷っている時間も、他に作戦も無く――。


「…………しゃあない」


 賭けてみましょうか――果たしてヒナシアは槍の作成に取り掛かった。




 同時刻。


 三分隊に別れて都市部を目指す魔女の抗戦隊は、という驚愕的事実のみならず、更なる続報に耳を疑う事となる。


 レブラ区の土中より亜成体が出現。現在、と交戦中――。


 別種の竜か、それとも敵の魔女による策略か? 隊員へ指揮を下す立場にあるヒルベリアは、正確な情報を求めて即座に本部へ問い合わせた。


「此方はヒルベリア、亜成体と交戦する巨獣とは何か!?」


 頬を打つ向かい風に目を細める魔女達は、更に飛行速度を上げていく。箒の穂先から排出される魔力の粒子は一層濃くなり、大気中に軌跡のように残った。


 本部からの連絡は、それから間も無く、通達役の口を通して伝わった。


 巨獣の正体、不明なり。姿は黒く、犬や狼に酷似せり――。


「黒い…………狼…………」


「戦隊長――」


 俄にヒルベリアは高度を上げ、各分隊長へ手信号を送った。「第一分隊は都市防衛結界陣の起動、第二分隊は幼体の捜索及び処理」の意であった。指示を受けた第一第二分隊は方向を変え、各自に与えられた任務の遂行に当たった。


「我々、第三分隊はどうします!」


 通達役が叫んだ。すぐにヒルベリアが答えた。


「我々第三分隊は、亜成体と交戦中の巨獣をします」


 嘘でしょう? 隊員達はそう言いたげに戦隊長の方を振り返った。


「お言葉ですが戦隊長! 単なるの可能性もあります! 敵魔女による陽動作戦とも考えられ、安易に片方を援護するのは――」


「あくまで予想ですが、その巨獣……黒い狼はです」


「っ! まさか……」


「上官から聞きましたが、以前、カンダレアに移住して来た魔女を王国軍に勧誘したそうです。その魔女はアッサリと断り、現在は一般国民として生活しているようですわ」


 王国軍からの直接勧誘――幾重もの規則に縛られた軍部にとっては、あまりに柔軟な徴兵活動であった。それが有り得ぬ事と知っている通達役は眉をひそめ、ヒルベリアの言葉を待った。


「何故、軍部はそこまでして欲したか――答えは簡単、彼女が《秉燭の夢》で修練したからですわ。そして、現在その魔女はレブラ区に住んでいる……もう、お分かりになるでしょう。やはり、何度でも勧誘すべきですわね――」


 通達役は目を見開き、「でも」と反論した。


「鍛錬を重ねる我々に……幾ら《黒狼の魔女》といえども、匹敵するとは思えません!」


「……もし、そう信じているのならば、今日でその妄想とは縁をお切りなさい。驚く事に、悔しい事に――。魔女の闘争史を学びなさい。当千を誇る魔女は、どうにも組織を好かないのです」


 目標、捕捉! 一人が叫んだ。前方で土煙を立て、二体の巨大生物が縺れ合っていたが……。


「いけない!」


 ヒルベリアの飛行速度が上がった。酸噛竜がの喉元に噛み付き、頭を左右に振っていたからだ。


 現場へ近付くにつれ……ゲヘッ、ゲヘッと苦しそうな声が聞こえた。黒狼が発する悲鳴であった。漆黒の体毛は血に染まり、いつ喉笛を噛み千切られるかも分からなかった。


「戦隊長! 地上に民間人を二名発見! 逃げ遅れたかと思われます!」


「一人外れて避難を誘導、残る隊員は黒狼の――いいえ、我等がを援護します!」


「状況開始!」ヒルベリアが叫ぶ。同時に隊員達の杖が光り出す、続いて煌びやかな光弾が射出された。高速で飛んで行くそれらは、数秒後に酸噛竜へ着弾し――。


「全弾着弾、礫装に損傷あり!」


 濛々と爆煙が上がった。突然の激痛に低い呪詛のような声で竜が吼え……。


 黒狼――魔女ラーニャ・ヴィニフェラの喉元から牙が離れた。

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