第33話:魔女と手紙
「っ……何も知らない癖に! 唯当てずっぽうで言っているだけでしょ!?」
「えぇ、賭けが好きなので。当たりでしたか」
パン、と肌を打つ音が響いた。ヒナシアの顔は右斜めを向き、左頬が薄らと赤く染まっていた。ワナワナと身体を震わせるハニィは、勢い良く開いた引き戸を見やった。音を聞いていたらしいシーミィが血相を変えて飛び込もうとしたが――。
「シーミィ・ロンドリオン! 《薄明の夢》の厳律その第一項を忘れましたか!」
シーミィの表情が強張り、同時に両足も地面に据え付けられたように止まった。
「…………『汝、他者を助けてはならぬ』」
汝、他者を助けてはならぬ。
規律の絶対遵守を強制される《薄明の夢》の門を潜った時、最初に教えられるのが《厳律》と呼ばれる、規律のより上に立つ……いわば「破れば即破門」の掟である。
本宗より出でし魔女たるもの、他人が困っていても手出しをしてはならない――余りに冷淡な掟に聞こえるが……。
それは唯、額面通りに捉えた時の話である。この掟の真意を学ぶ事で、始めて修練生の身分から脱却出来た。
「ですがヒナシアさん、その言葉の真意は、本当は――」
「知っています。お願いですから今一度……二人にしてくれませんか。ほら、貴女は暇な身ではありません。さぁ……」
納得がいかぬと言いたげなシーミィは、しかしヒナシアの願いを断る事はせず、興奮で顔を赤らめるハニィを眇めながら……静かに休憩所を出て行った。
「全く、シーミィさんも困った人です。まぁ、魔女は決まり事に弱いですからね」
「……もう、貴女と話す事はありません。帰って下さい」
「まだ帰れませんよ。ハニィさんとお話が終わっていませんから」
座ったままのヒナシアの右頬を睨み、ハニィはゆっくりと開手を上げた。
「ま、また叩きますよ……! 私、怖いものなんかもうありませんから」
「怖いものが無い、ですか。そう言った魔女友達がいましたなぁ。けど、真夜中に墓地へ連れて行ったらギャアギャア泣いて――」
ハニィが一度、地面を踏み付けた。
「そうやって話を逸らさないで下さい! 本当に叩きますよ、思いっ切り叩きますよ!? 叩かれたいんですか!?」
「いやぁ……そういう趣味は無いんですけどね。まぁそんなにハニィさんが叩きたいなら、しゃあねぇなって感じです」
教えて下さい、ハニィさん――ヒナシアは宥めるように言った。
「あのジャレイル人に買われたのは、家族の事が原因ですね?」
「出て行って下さい」
「出来ません」
「たっ、叩きますよ……!」
「ハニィさん、どうか教えて――」
パシン……と渇いた音が鳴った。疼くように痛む右頬にも構わず、ヒナシアはジッとハニィを見据えていた。他人を傷付けた少女の身体は怯えるように震え、両目は少し潤んでいた。
「すれば良いでしょう…………反撃すれば良いでしょう! 魔女だったら私ぐらい、簡単に倒せますよね!? 何で反撃しないんですか、やっぱり魔女ってのは嘘なんでしょう!? 魔術なりなんなりを使って…………」
刹那――ヒナシアはハニィを強く、抱き締めた。突然の出来事にハニィは硬直し、荒い息で壁を見つめるだけだった。身体を震わせるハニィを我が子のように撫でながら、ヒナシアは謳うように言った。
「魔女は黙して、打たれて死すべし。馬鹿みたいな約束事ですが、でも、本当にあるんですよ。魔女宗によって言い方は違いますがね。昔々……いたらしいですよ、本当に実践して、滅茶苦茶に殴られて死んだ魔女が……」
ハニィは口を閉じ、唯、瞬きを繰り返した。
「馬鹿な魔女ですよね、飛んで逃げれば良いものを。でも、彼女は逃げなかった。伝承によると、濡れ衣だったそうです。一言も反論せず、両手を合わせて祈るように。一時間も殴られていたとか」
「…………」
「ぶっちゃけ、魔女が本気を出したら一般人は死にます。一国の王に何の咎も無しに子供を殺された魔女が、二日で国民兵士王族全てを殺害した……という話もあるくらいです。そりゃあ、魔女を人間ではなく『生物兵器』と呼ぶ国もありますよね」
でも――ハニィの頭を撫で続け、ヒナシアは続けた。
「私は殴られて死んだ魔女の方が好きかな。いや、死ぬまで殴られたい訳じゃないけど。単純に尊敬します、人として、魔女として。『いつか理解してくれて、殴る手を止めるだろう』と信じていた訳です。誰かをそこまで信じられる、私には到底出来ません。けれど、多少はその生き方を真似たい……だから、誰かに殴られても、事情が理解出来るのなら反撃はしません」
ポロポロと……ヒナシアの肩に、ハニィの涙が落ちた。
後悔の為か、或いは恐怖のせいか――ハニィは泣いていた。すぐにヒナシアはハンカチで彼女の顔を拭おうとしたが、その手は素早く払われてしまった。
「いだっ! 良い話をしたのに!? 頭の引き出し開けまくったのに!?」
ハニィは腕で顔を拭い、深々とヒナシアに一礼すると、急いて休憩所を出て行ってしまった。
「……えぇー……足速ぇ……」
案内館の入口付近でイライラと腕を組んでいたのは、小さくとも頼れる警備隊長、シーミィその人であった。
「おや、どうしたんです。胸が小さくて腕組みも楽そうですね」
「うっせぇ! そんな事よりです! あの従者は何処ですか、しっかりと罰を与えないと――」
その事ですが、とヒナシアが困り顔で笑った。
「お散歩でしょう。若さとは、時にお散歩がしたくなるもの。……私への行為は大目に見てあげて下さい。元はと言えば私の出過ぎた真似、優しいシーミィさんなら赦してあげられるでしょう」
「出来ません!」
フンッ、と鼻息荒くシーミィが答えた。
「規律法律絶対遵守! それが私の――いいえ、《薄明の夢》のやり方ですから!」
「めんどくせー魔女宗だなぁ……こう、気を利かせたりってのが出来ないんですかねぇ……あ、そうだそうだ。こんなのどうでも良い事なんですよ」
周囲を見渡すヒナシア。東側の階段近くを見つめ、「ちょいとこっちへ」とシーミィの手を引いた。
「ここなら人気も無いですね……」
「そりゃあそうです、こっちは事務室への連絡階段ですからね。何ですかいきなり」
人差し指を顔の横で突き立てた。ヒナシアは若干声と眉をひそめ……。
「お願いしたい事があります。『ハニィさんの故郷』を調べて欲しいのです」
「彼女の故郷? まぁ人事の知り合いに訊けば良いだけですが……」
「頼みますよ、なるべく早くです。そうですね、明日が良いな」
はぁ……シーミィが困ったように首を傾げた。
「あぁ、それとです。区内に郵便局はありますか?」
「あそこにありますよ、それが?」
よっしゃ! ヒナシアはガッツポーズを決めた後、シーミィに訳も話さず飛び出した。
「ちょ、ちょっと! 魔女なら郵便局なんて要らないでしょうに!」
「私、今は杖取られているからー! 不思議ですねー!」
情け無い理由が遠くから聞こえた……。
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