第11話:魔女と酒場

「おふぁ……結構大きいなぁ……儲かってんなぁ……」


 自転車を走らせて一五分。ヒナシア配達員は《ラーニャの酒場》へ到着した。入口の上に掲げられた巨大な看板には、やはり《ラーニャの酒場》と書かれており、横に「店長の魔女」の似顔絵なのか、犬耳を立たせた女の顔が描かれている。


「じゅんびちゅう」と書かれた看板を素通りし、ヒナシアは入口でゴツゴツと大きめなノックをした。


「すいませーん! ムルダン食堂の者ですけどぉ! 搬入口は何処でしょーか!」


 返事が無い。人の気配は感じられたが、物音一つしなかった。


 ヒナシアは待つ事が苦手だ。酒瓶を入口に並べて帰ろうかと苛立ち始めた頃、店内から「ふぁーあ」と気の抜けたような欠伸が聞こえてきた。声の主はもたつきながらドアを開け、ヒナシアの頭頂部から爪先までを見回した。


 つい数秒前まで眠っていたらしいは、塗り潰したような黒髪を四方に跳ねさせていた。


「あっ、どーもぉ……店長さんですか?」


 気怠そうに頷く店長。ムルダンから仕入れた情報が正しければ、彼女は「魔女」であり、酒場の店長のはずだった。


「……そうですけどぉ、どちらさん? ウチ、は貼らないと決めていますが……」


「いやぁ、そこんところ一枚でも――じゃないんですけど!? 失礼な店長ですね! 私はれっきとした魔女ですよ! ヒナシア・オーレンタリス、訳あってムルダン食堂で働く、普通の、貞淑な、美人の魔女です!」


 なおも店長はジロジロとヒナシアの服装を見回し、「ほんとかなぁ」と首を傾げた。「んもう!」と地団駄を踏むヒナシアだったが、身体の線がクッキリ浮き出るシャツにホットパンツを着用し、その上からエプロンを身に着けるといった「マニアック」な服装であった為……。


「見て! ここに書いてあるでしょう! 『ムルダン食堂』って! 動かぬ証拠なんですけど!」


「まさか、ムルダンさんのところでエプロンを盗んだ……?」


「盗んでねぇー! こんなショボいもの盗まねぇー!」


 結局、ヒナシアの話が正しいと店長が理解するまで、一〇分近く掛かったのである……。




「いやぁごめんなさい……まさかムルダンさんのに乗っているとは……」


「エプロンは信じないのに自転車は信じるんですね、貴女……」


 何とかの誤解を解いたヒナシアは、「お詫びに」と用意された薬草茶を飲んでいた。


「あら、美味しいですねこのお茶……流石は《秉燭へいしょくの夢》出身、というところでしょうか」


「うふっ、美味しいでしょお? その味が分かるって事は、やっぱりヒナシアさんは魔女なんですねぇ」


《ラーニャの酒場》店長、ラーニャ・ヴィニフェラは実に嬉しそうな笑みを浮かべて寝癖を直していた。


 魔女宗の一つ、《秉燭の夢》は、ある意味で「魔女らしからぬ魔女」を育てる集団であった。


 通常、魔女宗の多くは習い憶えた魔術、身に付けた礼儀作法や培った魔女観を大いに発揮するべきと教え、公共的な職業に就かせるケースが多かった。しかしながら《秉燭の夢》では、修練生に「魔女とは『母』である」と諭した。


 修練生は戦闘や防衛に役立つ魔術よりも、食べ物の鮮度を保つ魔術、料理の味をより良くする魔術、怪我や病気を癒す魔術、子供に悪夢を見せない魔術……などといった家庭生活に密着した魔術を憶えると同時に、調理技術や薬草の栽培、果ては家計簿の付け方まで習った。


 一部では「花嫁修業」として揶揄する魔女達もいたが、出身者は全く気にする事無く、働きに出る夫の弁当を拵えたり、子供と一緒に薬草畑へ水を撒いたりした。


《秉燭の夢》からやって来た魔女にとって、自らが定めた「家庭」こそが――唯一の安息地であり、時に……であった。


「ところでヒナシアさんは、お酒とか飲まれるんですかぁ?」


 えぇ勿論! グビグビいきますよ――この言葉が喉まで上ってきたヒナシア。微かに残った恥が抑え込み、「嗜みますね」と微笑ませた。六割の寝癖を直したラーニャは手をポンと叩き、「だったら」と続けた。


「今晩、お店に来られませんかぁ? 今日は団体さんの予約も無いし、ゆっくり出来ると思いますよぉ」


「うーん……でも、ちょっと懐が――」


「ご馳走してあげますよぉ! せめてもの御礼ですっ。あぁ、勿論、お酒も飲み放題! だいじょーぶ! ウチは魔女でも気軽に来られるお店ですから!」




 その日の夕間暮れ時。


 仕事を終えたヒナシアは手早くシャワーを浴び、のシャツとホットパンツに着替えると(この組み合わせが大好きであった)、鼻歌混じりに玄関を出て行った。


「今日は良い日だなぁーっと!」


 ここで……読者諸賢に一つ、驚愕して頂きたい事がある。


 この魔女(元)は、飛び出したのだ。


「無料で食べ飲み放題だぁーっと!」


 仮に、彼女に財布の不所持について質問しても、きっとこのような答えが返ってくるだろう。


「えっ? だってラーニャさんがご馳走するって言ったんですもの!」

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