第8話:魔女と魔女
下品にも大声を上げたヒナシアを見やり、革張りのソファーで休息を取っていた婦人達がヒソヒソと耳打ちし合った。「足を出して……恥が無いのかしら」「酔っているのよ、きっと」と彼女らは予測したが、正解である。
礼節を何処かに忘れて来たヒナシアに、今更感じる恥じらいは無い。あったら服を着替えるはずだ。
「あのですね、私は、今日、ここの広告を、ガッツリ、読んで、あぁこれは行きたいなって、思った、訳、です!」
興奮の余り、文節が途切れ途切れとなったヒナシア。しかし低い位置から見上げてくるシーミィは顔色一つ変えず、淡々と睨め付けていた。
「さぁどいて下さい、この街は私を待っているのです! 同時に、私もこういう場所を待って――」
「お帰り下さい」
「あああああぁああぁあ! 腹立つなぁこのチビ! 帰れ以外喋れないんですか!?」
「喋れません」
「喋ってんじゃねぇかオイ!」
賭博場内はともかく、休憩所はギャアギャアと喚き散らす場所では無い。当然ながら警備兵が急いて登場し、「どうされたのですか」とシーミィに耳打ちした。
「ちょっと兵隊さん、どうしたのかと訊ねるのは此方でしょう! さっきからこのチビが、帰れ帰れ帰れの繰り返しで五月蠅いんですよ!」
無礼な! 警備兵が持っていた槍の石突で床を叩き、顔を真っ赤にして叫んだ。
「何ですか急に。叫ぶ男は嫌いです」
「この方は、唯の案内員ではありません! 区内警備隊を統括される、シーミィ・ロンドリオン隊長なのです!」
フンッ、と鼻息を吹いて胸を反るシーミィ。彼女なりに威張っているらしかったが、ヒナシアは自身と比べて標高の低い胸を見つめ、嗤った。
「はっ。それはそれはお偉方という訳ですね。ま、そんなこたぁどうでも良いとして――兵隊さん、この隊長様はですよ、理由も言わずに帰れ帰れの一点張り。余りにも失礼じゃありませんか?」
やれやれ……と言いたげに溜息を吐いたシーミィは、「では言いますが」と冷たい目で言った。
「貴女、魔女でしょう」
彼女の言葉を耳にした婦人達が、一斉に眉をひそめ……ザワザワと囁き合った。
魔女は賭博を嗜まない――これは何もカンダレアだけのものでは無い。
国外、否、全世界共通の「一般中の一般常識」であった。
そして今――常識の外で生きる魔女がいた! 婦人達は軽蔑より、むしろ好奇の目でヒナシアを観察した。
「ま。魔女なのですか……この方も? 有り得ない、有り得てはいけない……」
「失礼な男ですね。まぁ事情あって今は杖がありませんけども。えぇそうです、私が美人の魔女さんです。で? それが何か?」
「……杖が無い?」
シーミィは一瞬だけ驚愕の表情を浮かべたが、すぐに冷静沈着な顔に戻り、「とにかく」と返した。
「魔女は賭博をしてはいけない。どの魔女宗でも教えている鉄則でしょう。それとも……魔女宗に属していないのですか」
「いいえ? 《春暁の夢》ですけど。第一、鉄則とか何とか言っていますけど、どうして守らなくちゃいけないのか、誰も説明出来ないじゃありませんか。シーミィさんなら、きちーんと説明出来るとでも?」
勿論――小さな警備隊長は頷いた。
「昔からそうだから。以上」
「ワァーオ。これが革新や時勢に逆らいがちな、頭が鉄鉱石で作られているカチカチ人間ですか。眼福眼福っと」
問答が長引きそうだと感じたのか、警備兵は「とにかくお帰り下さい」と鋭い眼光で言い切った。しかしながらヒナシアは一歩も退かず、「あぁぁ?」と魔女とは思えない声と表情で威嚇した。
「貴女は魔女なのでしょう? 賭博場に出入りをしてはいけません! さぁ、お引き取り願います!」
「魔女ですけどぉ? でもぉ、今は魔術使えないんで魔女じゃありませぇぇん。唯の美人さんでぇーす」
「くっ! 何と苛立たしくて自己評価の高い魔女だ……!」
その時……苦戦する警備兵を手で制止し、シーミィがズイと進み出た。
「私が対処します。この女とは悲しくも同属の身――任せて下さい」
「たっ、隊長!」
頭上に大きな疑問符を浮かべたヒナシア。「同属」という言葉が妙に気になった。
「同属? そりゃあそうでしょう、私と貴女は同じ女性ですから――」
シーミィが面倒そうに右手を横に振ると――ジャキン、と軽やかな音が鳴った。手の内に仕込んでいた警棒のようなものが伸長した音だったが……。
「…………嘘でしょう?」
先端が次第に発光を始め、その周りに粉雪のような――魔力の粒子が浮かんでいたのである。
「あっれー……色々と矛盾している気が……」
ヒナシアは冷や汗を掻きつつ、一歩、また一歩と後退した。彼女を追うように、シーミィは《魔杖》の先端を向けてゆっくりと歩いた。
「言ったでしょう。悲しくも私達は同属だ、と」
バクティーヌ特別区警備隊長、シーミィ・ロンドリオン。彼女はヒナシアと同じく……。
「最後通告です。お帰り下さい」
強力な魔術を扱う、正真正銘の魔女であった。
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