「落下」

次に景色が変わると女性は中年へと変わり、

布団の中には母親と思しき老婆が収まっていた。


仏壇には父親の遺影が収まり、

女性の目には生気が宿っていない。


その時、布団の中の老婆が咳をした。


「大丈夫、母さ…」


しかし、背中をさすろうとした娘の手をはねのけ、

老婆はキッとその顔を見る。


「私はこれから死ぬ。

 でも、あんたが死ぬことは許さない。」


「母さん、何を…」


ゲホッゲホッっと咳をする母親。


「私たちは無理やり生かされているんだ。

 苦しんで、悲しんで、幸せになれず、

 辛いことしかない人生をこれからあんたも送る。

 でも、抜け駆けは許さない、死ぬことも許さない。」


そう言って、娘の髪を引っ張る母親。


「母さん、母さん、やめて…!」


必死に抵抗する娘。


すると、母親が「けくっ」と

奇妙な声を出したかと思うと、

そのまま布団に突っ伏した。


「母さん…母さん…!」


指にからまった髪を解こうともせずに、

娘は必死に母親を起こそうと体を揺する。


しかし、母親は起きない。

娘に恨みつらみを全てぶちまけ、

彼女はすでに息絶えていた。


なおも起こそうと、

娘は泣きながら声をあげる。


最小限の家具しかない狭い部屋。


タンスの上、未だ光ることのない青いキューブが

ガラスケースの中でその光景を眺めていた。


…一瞬の砂嵐。


同じガラスケース。


その中からしわくちゃの手が、

キューブをつかみ出す。


それを手に取るのは先ほどの母親…

いや、違う。それは娘が年をとった姿。


キューブは劣化していたのか、

細かな破片がポロポロと落ち、

老婆はそれを胸に抱いて布団の中にもぐりこむ。


ぜえ、ぜえ、というあえぎ声。


そして、老婆は長い呼吸を始める。


止まっては吸い、

吸っては長く止まる。


それは、老婆の寿命がもう長くないことを表していた。


ドンドンッ


戸を叩く音。


「おばあさん、いる?

 中に入るよ大丈夫かい?」


数人のどやどやと入り込む音。


「救急車!」という声や、

「いますぐ親族に連絡を入れて!」という声が続く。


サイレンの音とともに救急隊員が中に乗り込み、

老婆を担架に乗せていく。


担架の隙間から覗く手は力なくダラリとぶら下がり、

その手にはキューブが握られていた。


そして、救急隊員によって表に出される時、

担架が揺れたはずみでそれは手元から離れ、

コロコロと電柱の影へと転がっていく。


救急車の去っていく店舗、道端に落ちたキューブ、

集まっていた人たちは自分の家へと散っていく。


蒸し暑い陽炎の立つ道路。


しばらくすると、

その向こうから誰かが来た。


…それは、一人のヒッピー風の男。


黒い丸メガネに伸ばしきったあごひげと髪。


背中にはギターをぶら下げ、

疲れ切った顔でぼんやりと道を歩いていく。


その時、キューブに光が灯り、

ふわりと浮いたかと思うと、

男の目の前に行き…こうたずねた。


『あなたに願いはありますか?』


そして、男が何か言ったかと思うと、

キューブは青く光り輝き、

周囲は何も見えなくなった。

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