第21章 明け方の移動者達



 ヘブンフィート 高層住宅街 『姫乃』


 明け方近く、もたらされた情報の場所へと向かっている姫乃達はヘブンフィートの一画、崖にへばりつくように建築されている、高層住宅街を歩いていた。


 ちょうど、休憩をとった後で、井戸のあった場所を後にしてきたばかりなのだが、


「あの井戸ってちょっと、変わってたよね。目立ってたって言えばいいのかな」


 妙に印象に残っていた井戸の事を思い出す。普通の井戸より大きめで屋根があり、傍に看板が立っていたそれを。


「あの井戸は、死んでも死にきれなかった怨霊が住んでるという噂があるんです」


 不思議に思っていると、エアロがそんな事を言ってきた。


「え、幽霊が……」


 姫乃はつい先程通り過ぎてきた方を気にしながら、歩いていた足を止めてしまった。


 どうしようさっき、なあちゃんと一緒にのど乾いたねーとか言いながら近づいちゃったよ。

 じっとしてても置いて行かれるだけなので歩みは再開するが、背後から良くない気配を感じる気がして正直気が気ではない。


「あの場所は、昔このヘブンフィートに住んでいるお金持ちの少女と、イビルミナイの家無しの少年が逢引きするために使ったと言われている有名な場所なんです。たしか、フィセロットの悲哀というタイトルの本があって、史実を元にした物語があるんです。それで有名なんですよ」

「昔あそこで何かあったの?」


 聞きたくないと思いつつも、気になる思いでついつい聞いてしまう。

 幽霊という単語が出てくるのだから、それはもう結末など分かりきっているかもしれないが。それで聞かずにいても結局は気になってしまうだろう。


「ええ、お金持ちの少女が何者かに殺害されて、その遺体が見つかった場所です。それをきっかけに、ヘブンフィートの住民とイビルミナイの住人が互いに疑心暗鬼に陥って、大勢の人が犠牲になる別の悲劇が起きてしまうんですけど」

「そんな事が……」


 先程通り過ぎて来たあの井戸の近くで起こったとは……。

 何も考えずに休憩していた数分前の自分に知らせたいような、知らせたくないような。


「その時に出た犠牲者もここで大勢亡くなくなっているんですよ」

「そ、そうなん、だ……」


 身震いがした。

 鳥肌も立った。

 ちょっとくらっと来てしまったかもしれない。


「姫ちゃんって、やっぱりそういう話題弱いんだねー」

「ふぇ、エアロちゃまはゆーれーさんの話をしてるだけってなあ思うの。なあ、分からないの」

「あー、なあちゃんはどうなのかなー。理解してて怖がってないのか、理解してないから怖がってないのかー、こういう時見分けがつかないよねー」


 啓区達が横でそんな事を言い合っている、現実逃避したいのでぜひそちらに交ぜてほしかったが、交ざったところでジャンルは同じなので気は紛れない事に気が付いた。


 エアロは、得意げに説明した後で、その表情を青くする。そして、先ほどおそらく姫乃がしたのと同じように、背後を気にし始めて腕をさすり始めた。


「って、こんな説明させないでください。夢に見ちゃうじゃないですか」

「……ご、ごめん」


 どうやら彼女も、そういう話は駄目みたいだった。

 遺跡で、橋を渡った時にも分かっていた事だけど、あまりにも自然に解説してくれたものだから忘れてしまっていたのだ。


「夜眠れなくなったら、恨みますからね」


 ……でも話題を振ったのは私だけど、説明してきたのはエアロなんだけどな。


「あ」


 そんな風に異世界マギクスの心霊話に肝を冷やしていたら、啓区の携帯が鳴り響いた。

 前を歩いていた、イフィールが音に気が付いて足を止める。


 もしかして、未利からかな。

 だったら、作戦のこと伝えといた方が良いかもしれない。

 これから乗り込みに行くけど、いきなり騒ぎが起きたら驚くかもしれないし。それに、人質になっている未利達にも知らせておけば何かあった時に合流を早くできるはずだから。


 視線で、イフィールに頷きながら、啓区が取り出した携帯を操作して、音量を上げるのを見る。

 数秒、向こう側から声が聞こえてくるのを待つのだが……。


『聞こえてますか、啓区。私です』


 それは確かに未利の声だった。

 だけど、知らない人みたいな話し方だった。


 啓区は笑顔のまま困惑しているようだ。


「えっとー……?」

『アジスティアと言えば分かりますよね』

「あ、君は確かー、霧の時のー?」

『はい』


 一瞬息を呑んだ啓区だが得心が言ったように頷く。

 携帯の向こうにいるのは、姫乃は知らないが、啓区には知っている人みたいだった。

 いつの間にそんな人と会ってたんだろう。


 でも、どうして未利と同じ声で?


「君ってそういう事ができたりするのかなー」

『はい、これくらいの事なら』

「正直君が一体誰なのか分からないけどー、それは今は置いておくよー」


 知っている風に話しているのに、知らないってどういう事だろう。

 気になったが啓区の言う通りまず、他に聞くべき事があった。


「どうして君が未利の代わりに電話をー?」

『後夜祭の船で貴方と遭った彼が、仕掛けています。状況が動いていて、もう一刻の猶予もありません』


 考え込むような素振りを見せた啓区は、一瞬後思い出したように相槌を打つ。


「彼って言うとー、あの人かー。正直君がどういう立場の人なのか僕はよく分からないんだけどー、味方だと思って聞くよー。何かあったんだよねー」

『はい。私は連絡のできない彼女の代わりを務める事にしました』

「「「連絡できない?」」」


 なあを除いて、姫乃達が顔を見合わせる。

 

「もしかしてずっと未利達の傍にいてくれたのー? それだったらお礼を言わなきゃいけないけどー」

『礼は無用です。私は貴方の望みの為に生まれた存在ですから。けれど、ごめんなさい』


 何やら非情に気になる言葉が聞こえてきたが、そんな事は後に続いた言葉でどこかにいってしまった。

 申し訳なさそうな声が向こう側から聞こえてくる。

 アジスティアと名乗った少女から、一瞬の躊躇いの後に、予想だにしなかった言葉が紡がれた。


『騙すような事をしました。前の連絡は貴方達に連絡していたのは私で、本人ではないんです』

「え……。それって、どういう事かなー。そうしてそんな事をしたのー?」


 遺跡攻略が終わった後に話したのが未利じゃない?

 そんなの信じられなかった。

 たしかに、普段よりは様子が違っていたかも知れないけど、本人にしか思えなかったのに。


『もちろん、出来るだけ彼女が思った内容を正確に話したつもりではありますけど、それでも彼女ではない事は事実です。彼女は今、外部と連絡できる状況ではないんです。やっかいなのは本人がそれを自覚していないという事。私が彼女と貴方達の間の記憶やりとりについて整合性を保つために力を使いましたので』

「自覚してないー?」

『そのままの意味です』


 そんな事言われても、よく分からない。

 もう少し詳しく説明して欲しいと思うのは我がままだろうか。


「一つ、聞くけどー、それって一応無事だって思っていいのかなー」

『分かりません。無事だと言えば無事ですけど、無事でないと言えばその通りです』

「……それに答えてくれない限り、僕達はたぶん君の言葉を信用できないと思う。だよねー?」


 啓区に話を投げ渡されて姫乃は返答に困る。

 信じてほしいって言われたら信じちゃうかもしれないな、私だったら。


 だけど、頭が混乱してきた。

 曖昧な情報ってこうも人を不安にさせるものなんだ。

 分からないのも不安だけど、中途半端な状態って言うのも苦しいよね。


 きっとこの世界の人も、浄化能力者が大丈夫だって、何とかできる方法は分かっているのにその人が見つからない、どこにいるのか分からないことですごく不安に思ってるんだ。


『ごめんなさい、でもまだ大丈夫なのは確か……』

『へぇ、まだこんな小細工ができたんだ』


 申し訳なさそうな声で続く言葉が途切れて、唐突に別の人の声が紛れ込む。

 少年の声だ。


『もうそろそろ黙りなよ。どうしようかな、ここで消してもいいかな。それとも利用する方向で一度検討してみるべきかな。君のその、記憶を改ざんする力は便利だしね。可能なら誰か実験台にしたいところだけど……』


 啓区がつぶやく。


「この声は、あの時の……」

「知ってるの?」


 心当たりがあるらしい彼に尋ねると、後夜祭の日にコヨミ姫達を攫うために更衣室に乗り込んでいった人間だと言う。


 と、すれば未利達を監禁している犯人の一人だ。


『あまり調子に乗るな。思い上がるなよ、駒風情が。僕達と……いいやそこにいる彼女達と同じ舞台に立とうだなんて考えが甘いにも程がある。せいぜい叶わない夢でも見てるといい』


 そこまで行って、通話は途切れてしまう。


「今のって……」


 どういう意味なのだろう。

 駒とか言ってたけど、分からない事ばかりだった。


 いや、それよりアジスティアって人は大丈夫なのだろうか。


「彼女なら、何となくだけど大丈夫だと思うよー。最後の捨て台詞はよく分からなかったけどー。それより今の、イフィールさんに知らせておかなくちゃねー。情報は共有しておかないと、何あかった時大変だしー」


 そうだ、とりあえず考えるのは後で、今聞いた事を知らせないと。

 姫乃達には分からなくとも、イフィールさんには分かる事もあるかもしれないし、一人で考えていたって分かる事の方が少ないのだから。


 はやる気持ちを抑えて、イフィールの方へと向かう。

 早く二人を助ける為にも。

 




 イビルミナイ 『ウーガナ』


 とうとつな連絡を受けた姫乃達が、強い焦燥感を抱いている頃。

 別の場所にいた者は朝方にもかかわらず、激しい労働を強いられていた。


「だあああっ、うぜえ、テメェ等! ついてくんなっつってんだろ!!」

「あ、お兄ちゃん! 見つけたよ」

「でかした、チィーア捕まえろ」

「テメェいい加減にしやがれ!」


 まだ通りに人が少ない時間帯、起きている者よりも眠っている者の方が多い時間に、叫び声を上げながら町中を走る大柄な体格の男。


 それは、つい先日に城の牢屋から解放され、無罪放免になったウーガナだった。


 そんなウーガナは現在、十にも満たない年の小さな兄弟に町中を追い掛け回されていた。


「待てー、こらー待ちなさいっ。そこのおっきな人」

「待てって言ってるだろ、そこの狂暴な顔ー」

「好き勝手言いながら追いかけてくんじゃねぇ、迷惑だろうが」


 迷惑なのは他の人間の、ではなくウーガナのという意味だったが。


 こんな風に大声で叫び、叫び返しながら走っていては、無用な注目を集める事になるし、最悪の場合また牢屋に逆戻りになりかねない。


 入り組んだ道を見つけて撒こうとか、脅して撒こうとか色々考えたが、そもそも土地勘がないし、脅しても本気にとられないのだから頭が痛かった。


「お城の知り合いの人なんでしょー。案内してよっ」

「言い逃れできないんだぞっ、ちゃんと聞いたんだからな」

「くそガキがぁ……」


 ぶっころしてやろうかと思った。

 思って実行しようとしたのが数分前だったのだが、断念したのも数分前だ。すばしっこく飛び跳ねて回避する兄弟を捕まえるのは中々骨がいる作業で、そうこうしている内に周囲から大人達が集まってきて面倒な事になりそうになったから、移動してきたのだ。


 酒場で飲んだくれて、その後当然金がないから逃げたのだが、城のイフィールについて文句を言って歩いていたりしなければうっとおしい兄弟に捕捉されず、こんな目に遭わなかったものを。


 くそ、あの女。

 いてもいなくても、迷惑な奴だなおい!


 つか、ガキ共も酒場の近くなんざ歩いてんじゃねぇよ。

 危機感仕事しろ。


「いい加減教えてよっ」

「待てー」

「またあんな場所に戻ってたまるか、テメェらしつけぇんだよ!」


 せっかく牢から出てこられたというのに、またあんな場所にのこのこ顔を出したら、イフィールにどんな顔をされるか。想像したくもない。


 そういえば、統治領主が攫われたとか、魔法陣がどうとか言っていたがそれはどうなったのか。

 さすがにもう解決している頃合いだろうと思うが……。


「って、どっちだろーが、どうだっていいだろうが」


 何関係ない事に頭使ってんだ。

 無駄な労力使わせんじゃねぇ。

 大真面目でくそ真面目な面並べて馬鹿真面目な話しやがって。


 俺様はそんな場所にいるような人間じゃねぇんだよ。

 生きてる世界が違うんだ。

 おかしな事に巻き込んでんじゃねぇ。

 

 だが、そんな事を考えてしまうのはきっと、ウーガナがたまたま思い出したせいではなく、町のあちこちで聞くあの話のせいだろう。


『統治領主がちゃんと役目をこなしてくれないから、問題が起きるのよ』

『城にいるのは、領主にふさわしくないただの子供だ』

『祭りの会場で問題が起こったって聞いたけど、何も詳しい事は話してくれないし、怠慢だな』


「はっ、テメェの目と耳で見た事も聞いた事もねぇくせに、偉そうな事喋ってんじゃねぇよ」


 別に擁護するつもりなどない。

 ただウーガナは気にくわないと思った。


 勉強なんかまともにした事はないし、そこらを歩いている連中よりも頭が悪い事は自覚している。だが……。

 真に頭の悪い残念な人間を知っている身としては、そういう知ったような分かったような言葉を吐く人間が心底気に入らないのだ。


「テメェ等の耳と目は自分に都合のいいもんを届ける為のただの飾りもんかよ」

「こらー待ってよー」

「まーてー」

「だああっ、クソウゼェなテメェ等、いい加減にしやがれっ!」


 そんな感情も、騒がしい子供の追手の声にかき消されて、すぐに頭の隅に消えていった。

 

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