第7章 空転する時間



 ??? 『啓区』


 ……。


 前後の記憶がプツリと途絶えて脈絡もない事をしているような気がする。

 そんな感じだった。


「……あれー?」


 気が付いたら遺跡の中で立っていた。

 ここは遺跡。遺跡。そう、確かに遺跡のはずだ。考えなくとも何となくわかった。

 周囲を見まわせば赤褐色の石で組まれた屋内の通路が見える。

 何で、こんな所にいるんだっけ。……と、勇気啓区は首を傾げた。


「ええっと……」


 必死に前に何があったのか思い出そうとするが上手くいかない。

 何故だか、頭がすっきりしないし、霞みがかったような感じがする。


 でも、まあ良いか。

 そんな風に取りあえずは落ち着いてみた。


「啓区? どうしたの?」

「ううん、なんでもないよー」


 こちらの様子に気が付いたらしい。赤い髪の少女の言葉にそう答える。

 彼女の名前は……うん、思い出せる。結締姫乃だ。良かった。


 周囲に他にいるのは、シュナイデル城の兵士達だ。イフィールやエアロもいる。

 なあや雪奈先生も。ウーガナやラルドはいないようだ。

 今はそれぞれ、辺りに腰を落ち着けて休憩している時間みたいだ。


 ああ、そうだ思い出した。


 確か自分達は、エンジェ・レイ遺跡を攻略するんだった。

 捕まった仲間を助け出すためには、まずこの遺跡の奥に行って紺碧の水晶という秘宝を手にしなければならない。

 そうしなければ、祭りの参加者達が救出の足かせになってしまうからだ。


 その為に貴重な時間を使って、数日の時間と共に色々と準備してきたわけだ。


 けれど。


 ……あ、れ……?


「何で」


 ない。

 何でないんだろう。

 どうしてだろう。これはどういう事だろう。


 服を漁ってみる。でもない。ポケットの中を覗いてみる。そこにもない。


 違う。


 準備なんてしてこなかったのだ。

 そうなってる。


 あの日。

 後夜祭が終わった後……姫乃達は、どうしてあんな事が起こるのか分からず混乱した。

 気を付けていれば何か違っていたかもしれないけど、生憎そんな予兆などは何もなくて、あんなトラブルが発生するとは思わなかったのだ。

 だから誰も警戒してなかったし、予想をつけるなんて事はできなかった。

 コヨミだけならまだ分からなくはない。彼女は一地方を収める領主なのだから。でもなぜ、そこに未利が加わるのか理解できなかった。

 だから彼らは去った後も姫乃達は混乱したままで、しばらくはイフィール達と合流できなかった……はずだ。


 それから話し合いをして、対応を考えたのだが、限界回廊の様子がおかしくて使えるようになるまで数日の時間がかかった。

 無理に遺跡を最初から突破する方法も考えなかったわけではないが、それだと体力が持たない事や、会場に残された人々の事をどうするかの対処が決まっていない事もあった。


 そうだ。魔法陣で魔法がかけられたその後夜祭に参加した人達は、ずっとそのまま会場に留めておくのができなくて、町の中に住所がある人は一人一人記録をとって帰らせたって話だ。他所から来た人はそうはいかないからまだ会場に留まってもらっているらしいが、そちらの方にも関わったイフィールさんは大変だと言っていた。


 そんなわけで、あれから数日後の今、回廊を使って遺跡へとやってきた自分達なのだが。


「準備なんてしてたっけ」


 思い出せない。

 必要な事をしたという実感はあるはずなのに。その記憶がまるでない。

 そっくりそのまま記憶が別の物と差し替えられでもしたかのような違和感だ。


 してない。

 してないと思う。

 でも……。


 答えの出ない問いはまるで堂々巡りだった。


 でも、今更戻る事なんてできない。

 何かをする事なんてできない。

 時計は進み始めてしまったのだから。


 そうこうしている内に休憩が終わって姫乃達は再び進みだす。

 全部で五層ある地下遺跡の中の三層目に転移したので、進むのは現在地を含めて三層分だ。


 途中、どこから入り込んだのか分からない魔物と戦ったりしながらも進んでいく。

 まっすぐに。


 絶対に敵うはずのない戦いに向かって。


 ……。

 だけどそれには勝たなくてはいけなくて……。


 そうだ。やっぱりおかしい。


「ねー、姫ちゃん。なあちゃん」

「啓区?」

「ふぇ、啓区ちゃま?」

「変じゃないかなー」

「えっと、変って何がかな」

「ふぇ、変なの? なあにはよく分からないの」


 二人共首を傾げるのみで特に違和感を感じているようには見えない。

 おかしいのは自分だけなのだろうか。


「ちょっとのんびりしすぎちゃったって事かな。私達、一刻も早く遺跡を攻略して二人を助けなきゃいけないんだから、もうちょっと急がなきゃいけないよね」

「そうなの。なあっ、未利ちゃまとコヨミちゃまを助けるために頑張るの! えいいえいおーなの」

「そういう意味では、今回の回廊では一度目に見たみたいに、クレーディアさんって言う人の幻を見たりしないで時間を使わなかったから良かったけど。あれは、結局どういう事だったんだろうね。見たのは私だけだったみたいだけど……」


 そう言いながら、前に進んで行く姫乃の言葉に啓区はいつもの口調も忘れて、呼び止めた。


「ちょっと待って。やっぱりおかしい」

「え?」


 見たのは「私だけ」と姫乃は言った。けれど、そんなはずない。

 啓区が回廊でクレーディアそっくりの人間を見た事や、星詠台で過去の幻を見た事は知ってるはずなのに。


 僕達、今どこにいるんだろう。


 急に自分が今どこに立っているのか分からなくなり混乱してくる。


 だけど、姫乃達は啓区の言葉が聞こえなかったかのように前へ前へと進んでいく。


 皆、一緒に進んで行く。

 先へ。先へ。それと知らずにこの先の運命を決めてしまう戦いへと。


「あ……」


 意識が切り離された。


 体が勝手に動いて進んで行く。

 啓区は自分の背後を、まるでテレビの画面を見ているかのような感覚で見つめる。


 内心の焦りや意思に反して。進んで進んで、奥へ向かう。

 奇妙なほど静かだった。

 皆、ただ歩くだけの機械になってしまったように感じられる。


 おかしい。おかしい。


 そう思っていても、全てに抗う事が出来なかった。何一つ変える事が出来なかった。


 やがて、その場所にたどり着いてしまう。

 遺跡の奥。おそらく四宝が眠る部屋の前に。

 この先の運命を決める場所に。


 三百秒。

 遺跡を攻略する時にはお決まりの存在であるガーディアンを決められた時間内に倒さなければならない。

 たった五分。


 それだけの時間で、この先の未来が決まってしまう。


 この世界には到底に存在すると思えない機械のガーディアンの猛攻を受けて、姫乃達は苦戦する。


 じりじり。じりじりと時間を減らしながら。

 手が足りない。時間が足りない。力が足りない。


 蹴散らされる兵士達、攻撃はまるで通らない。


 はっきり言って相手のレベルが違い過ぎた。

 今の自分達に敵うはずのない相手。


 この時期、この自分達では、敗北する事が運命づけられているような……そんな相手だった。


「こんな、どうして……」


 当然、時間内に倒しきるどころか、姫乃達は勝てるはずもなく命からがらと言った様子で撤退しなければならなくなった。

 その走る自分の横でいつか見た幻の光景で聞いたような言葉を、姫乃がこぼしていた。


 勝てなかった。

 終わってしまった。


「でも、次は何とか勝てるようにしないと……」


 駄目なんだ。

 次なんてないんだ。

 機会なんて待っていちゃ駄目なんだ。


 これはたぶん、本来の物語の通りだから。

 その通りに進んでしまっては……。


 そんな事したら……、助けられなくなる。


 でも、自分達は走るしかない。逃げるしかない。

 だけどその先に待っているのは、望んだ未来じゃない。

 分かってる。分かってても進まなきゃいけない。

 まだ、生きてるから。

 生きてなんかいるから、辛い思いをすると分かっていても、人間は進まなきゃいけない。

 失敗の過去を抱えて、今を通り過ぎ、明るくない未来へと。





 歯車が空転する。

 回すために必要な歯車が欠けてしまったから。

 時間が空転する。


「どうして……」


 そうして僕達は、ベッドの上で目を閉じたまま動かない仲間を見る事になるんだ。


 それにきっと一番心を痛めてるのは僕以外の皆だろう。


「こんなの嫌だよっ。どうしてこうなっちゃうの。どうして、こんな……こんな、私の力が足りなかったからなのかな。私がもっと頑張らなかったからなのかな。私……」


 姫乃が、弱々しく呟いていた言葉を止めて、強い口調で再び紡ぎ出した。


「私、強くならなきゃ。何をしてでも、どんな事をしてでも、もう誰かをこんな目に合わせたりしないように。皆で元の世界に帰れるように。強く……」


 ああ、きっとそうなんだ。

 この物語で、これはとても必要なイベントだったから。

 起こるべくして起きたんだ。


 そうして、主人公にこの世界で戦い抜くための強い覚悟を持ってもらうために……。


 その為に。

 その為に……。


「……ハルカちゃま、お願いなの。なあの言葉を届けたいの」


「啓区ちゃま、なあはね、思うの。これで良いのって」


「ほんとうに良いのって」


「だってってなあ思うの、啓区ちゃますごく辛そうなの」


「笑顔だけど、辛いよって思ってるお顔なの」


「未利ちゃまもそうだったの、寂しいよ、辛いよって思ってても顔に出さないの」


「なあは嫌なの」


「啓区ちゃま、明日も未利ちゃまは起きないの?」


「明日も皆、暗いお顔さんしてるの?」


 …。

 ……。


 きっと、大丈夫だよー。


 時間はかかるかもしれないけどー、皆物語の登場人物だから、すぐに立ち直れるはずだよー。


 むしろ今まで以上に奮起したりしてー、すっごく力とかつけちゃうかもねー。


 そうなったきっとムキムキだよー。


 あ、姫ちゃんにはムキムキは似合わないよねー。


 大丈夫。

 うん。きっと大丈夫。


 姫ちゃんが主人公なんだから、物語はからなずエンディングまで辿り着けるし、きっと、元の世界にも帰れるはず……だよ。


「なら、ってなあ思うの。また、未利ちゃまと啓区ちゃまと一緒に遊べるの?」


 …………。


 調子の良い事いって足元すくわれてる姿とか、余計な一言を付け足して気まずくなってる姿とか、笑えるくらい不器用な気遣いをたまに見せたりする姿とか、そういう姿を見せたりするのは、たぶん、もう……こない。


 明日も起きないし。

 明後日も明々後日も、ずっと一緒にいられる明日何てこない。


 ごめんね。

 それは、もう……。







「……く、……啓区」

「ふぁ?」


 肩をゆすられて目をさました表示に変な言葉が口から出てしまった。

 まるでなあちゃみたいで、ちょっと格好悪いかも知れない。


 聞こえてきたのは姫乃の声だ。 

 口元をぬぐう。涎とかは出てなかったようだ。良かった。


「すぴー。すぴぴー」


 何故か体の右側が温かい様な気がして視線を向ければそこにはなあちゃんがちょこんと座って、一緒になって眠っていた様だ。頭がこちらの肩にもたれている。とても健やかそうな寝顔だった。良い夢見てそう。


 周囲を見回す。

 赤褐色の壁が見えた。現在地はエンジェ・レイ地下遺跡の三層目の中だ。


「休憩中に眠っちゃうなんて思わなかったよ。ひょっとして疲れてた? 昨日も夜遅くまで起きてたみたいだし」


 掛けられた姫乃の言葉。それで状況を把握する。

 どうやら現実も夢と同じように休憩中だったみたいだ。

 辺りにいるのはイフィールを含める兵士達やエアロ、雪奈先生だ。

 ウーガナとラルドはいない。


 なんだか夢と同じ事をしてるような気がして、不安になって来たので頬をつねってみた。痛い。良かった現実だ。


「ど、どうしたの?」

「何でもないよー。なーんだ、夢かぁー。あー、びっくりしたー」


 薄ぼんやりとした感覚だったけど、何と言うか別の意味でリアルな夢だった。

 あり得なくはない可能性……啓区が未来に起こりうる危機に対して何も対策をとらなかったもう一つの可能性を見たような。


 だってあの中では、後夜祭直後は混乱していたようだったが、置かれている状況は現実とほぼ変わっていないのだ。

 話し合いをする事や、方針を決める事、その内容、遺跡に来る目的やメンバーなどはそのままだ。

 他の事情も、回廊が不安定で使えなくなった事や、会場にいる参加者に対してやった事なども。


「夢なんて見てたんだ。もしかして眠いの我慢してたの?」

「いやー、そう言うわけじゃなかったんだけどー。気が付いてたら寝ちゃってたー」


 心配そうにこちらを窺う姫乃に大丈夫だと、いつもと変わらない表情だろうが笑いかける。

 隣でむにゃむにゃ言ってるなあちゃんの肩を揺らして起こしながら、今見てた夢の内容を改めて思い返すのだが。うん、ガラにもなくため息がでてきそうー。


「良くない夢だったの?」

「あ、うん、まあねー」


 むしろバッド一直線だった。

 何て言ったらこの少女はもっと心配してしまうだろうから、言葉にはしないけど。


「寝不足なんて気が抜けてるわねー。雪奈先生がすっきりお目覚めアドバイスを教えちゃうわよ」


 いつの間にかこちらに近づいていた様子の雪奈先生が、人差し指を立てながら、そのアドバイスとやらを教えてくれる。


 別に気が抜けてたわけでも油断していたわけでもないのだが、とりあえず大人しく聞いておく。


「起きなかったらこの世界が阿鼻叫喚の地獄と化す! みたいな予感を抱いちゃえば効果抜群よ!」


 わー、怖すぎる方法ー。


 というか、そんな物と似たようなものを夢で見た直後が今なのだが、その場合はどうすればいいんだろう。


「……と、いうのは冗談で、これからやるべき事を達成した後をの事を考えればいいわ。そうすればやる気が出て来て自然と頭がすっきりするから」


 雪奈先生の言葉を聞いて、姫乃は考えている様子だった。


「後の事……」

「達成した後かー」


 紺碧の水晶が手に入ったら、あとは場所を突き止めて救出に行かなくてはならない。

だが、たぶん先生が言っているのはもっと後の事だろう。

 全てが丸く収まった後の事。


「ふぁぁ、ねむねむだったの。なあ、ちょっと怖い夢見ちゃったの……でも良かったの。最後に、未利ちゃまと啓区ちゃまと姫ちゃまと皆で遊んでる夢も見てたの。だからとっても楽しかったの」


 起きたらしいなあは、寝起きだというのにしっかり雪奈の言葉を聞いていたらしく。隣でそんな事を発言した。


「それは、楽しそうだねー」


 うん雪奈先生が言ってた事、あながち間違いじゃないような気がするよー。


 全部が終わったら、またみんなで今まで見たいに騒がしい日々がやって来る。

 そんな明日が来ると思えば、少しだけ目も覚める気がするし、頑張れる気がする。


 すると同じような事を考えていた姫乃が、神妙な顔をして自分の意思を確認するかのように頷いているとこだった。


「そうだよ。頑張らなきゃ。また皆で一緒にいたいから……」


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