第23章 夜明けの別れ



 辺りに満ちていた黒い霧があるはずなのに、それすら照らして視界を塞ぐ意味がなくなる……、そんな鮮烈な光が二人の目を焼いた。


「きゃ……」

「今度は何なの!?」


 目を閉じたくなるほどの眩しさだった。

 時間的にまだ朝日が昇る時間でもないし、朝日だったらこんな急に明るくはならないはずだ。


 目を細めつつも光源を探してみる……。

 あった。


 建物ごしで、全体は把握できない。けれど逆に言えば、その建物より大きかったから正体が分かったのだ。


 魔大陸の上空に、巨大な光の剣が現れていた。


 細部の形までは分からない、あまりの眩しさに形を認識するのでやっとだった。

 何で、と思う暇もなかった。


 まばゆい光を放つ剣は、真下の魔大陸のグラウンドに向けてまっすぐに落ちてきた。


「……まずい」


 離れた所で戦っていた少年が、平坦な声でそう呟くのが聞こえた。


 ―――ズンッッッ!!


 すさまじい音と。

 衝撃が来た。


 姫乃達は揺れに足元をすくわれそうになる。

 それだけなら、まだよかった。


 魔大陸に刺さった光の剣からは無数の光が解き放たれるようにして、空気を追いだすようにして暴風を周囲にまき散らす。

 すさまじい突風だ。


 憑魔達が薙ぎ払われる。しかし、その体は数メートルもしないうちに黒い光の粒となって、消えていく

 姫乃の達は中庭にいたから校舎の陰になっていて直接食らわずに済んだが、そんなものは気休めだった。


「っ……、ぁ……!」

「ヒメちゃ……きゃあっ!」


 二人は、魔大陸の上から、遥か上空の夜空へと投げだされた。


 一瞬の浮遊感、ルミナリアの声。


 石ころの様にあっけなく吹き飛ばされる自分を感じた。

 抵抗しようとか逆らおうとか、そういう事がまるで無理だと思えてしまう様な、そんな出鱈目な威力の空気の波にさらわれてしまった。


 そして、気が付いたら姫乃は落下していたのだ。

 落ちたのだ。空の上でも立つところがあった、あの場所から。


 ……う、そ……。


 何も考えられなかった。

 吹き飛ばされた時、衝撃はすごかったが一瞬だった。

 一瞬で、ちっぽけな人はこんな事になってしまう。


 何も対策なんて取れなかったし、思いつきもできないくらいの短い時間に。

 ただ成すすべもなく、姫乃は夜闇の中を落下していくだけ。


 息が苦しいほどの風圧を感じる。

 風のうなりが、耳元で暴れるように叫んでいた。

 髪が、服が激しい怒りを受けているかのように、勢いよくはためいている、

 明かりの乏しい周囲が、不安をこれでもかとかきたてていた。

 弾丸にでもなったみたいに、速度がどんどん上がっている。


 頭が、真っ白だ。


 何せこんな目にあうのは、人生史上初めてのことなのだから。

 それでも、数秒でで地面に激突してしまわないだけの高度があったおかげか、恐怖を抱きつつも、思考はなんとかまとまりつつあった。

 

 ……何とか、しないと……。

 ……ルミナはどうなったの?


 確かめようにも、体勢の変えようがない。

 今自分は、頭を下にして落下している。

 無理に動かして、錐揉み状態にでもなったらと思うと動かせなかった。

 何せ結締姫乃ゆいしめひめの史上初の空中落下なのだから。


 知識がまるで無い……!

 ほんと当然だけど……。


 少し余裕がもどったようだ。

 下でも、皆戦ってるんだよね……。

 眼下に、暗闇の中にクロフトの町が見える。

 どうしてるんだろう……?


 姫乃がそこまで、思考を組み立てた時。

 空気を引き裂いて近づいてくる、彼女に気付いた。


 ―――ルミナっ!?

 

 ルミナリアが、そこにいた。

 彼女は姫乃に近づくと、その体をしっかりと抱きしめた。

 やっぱり、ルミナも落ちたんだ!

 だけど、彼女の傍にいるとやっぱり安心する。

 でも、どうやってこんな風に近づいてきたのだろう。

 まるで魔法でも使ったみたいだった。


「……ル……ッ」


 喋ろうとして、空気抵抗の息苦しさに断念した。

 ルミナリアは、姫乃の肩に口元を近づけるようにして、空気の抵抗を減らして喋った。


 そんな方法があったのか、と驚いた。

 思いつきもしない事だ。


 さすがルミナリア。

 くやしいけど私は、まだ彼女がいないとダメな気がしてきた。


「だ、い、じょ、う、ぶ。……た、す、け、る、か、ら」


 ささやくような声、それでも彼女の言葉はちゃんと伝わった。

 姫乃はしっかりとルミナリアの体にしがみついた。


 顎を軽く引く動作をして頷く。

 瞬間。


 ……バサッ。


 大きなものが空気を強く打つ音がした。

 そして、上がる一方だった落下の速度はだんだんと落ちていく。


 魔法?


 でも、魔言の詠唱は聞こえなかったのに……。


 向かってくる風が緩やかになったのをきっかけに、視線をめぐらせて自分達の状況を確認しようとする。


 クロフトの町が、さっきよりも近い。

 けれど、向かっていくスピードは遅くなっていて。


「ルミナ……ありが」


 ようやく息苦しさを覚えず喋れるようになったので、お礼を言おうとした時。


「それ……」

 

 姫乃は肩越しにそれを見つけた。


 普通の人間にはあるはずのない物を。


 ルミナリアの背中にあるそれを。






 空を飛ぶための、黒いツバサを…………。






「あーあ、見られ……ちゃったか。目、つむっててって言っとけばよかった、かな……」


 ルミナリアの声は震えている。


「ルミナ……」

「お願い、今は何も言わないで。やっぱり、私……」


 泣きそうな声でそう言われて、姫乃は何も言えなくなってしまった。












 

 ゆっくりと降り立ったのは、クロフトの湖の近くだった。


 辺りに憑魔の姿はない。

 町全体がひっそりと静まり返っている。

 気が付くと夜が明け初めて、空が白んでいるのがわかった。

 もうしばらくすれば、日も登るだろう早朝の時刻だ。

 見上げると魔大陸はクロフトの上空から離れていって、東の方へ移動していくのが分かった。


 ルミナリアは姫乃に背を向けて、表情を見せない。

 なんて言えばいいんだろう。

 姫乃は分からないまま立ち尽くした。

 ……こういう時、私は友達になんて声をかけたらいいのか……。


「ルミナ…」


 口にするべき言葉が分からないまま、名前を呼んだ。

 ルミナリアの肩がびくりとはねた。


「っ……」


 そして、距離を開ける。

 ルミナリアは羽を使ったのだ。

 空へと逃げるように飛翔し、その場を離れていく。


「待ってっ……!」


 このまま何も言わずに分かれては駄目だ。

 けれど、ルミナリアは後ろを振り返らない。止まらない。


「私達っ……!」


 言うべき言葉なんて分からない。

 分からないけど、伝えたい思いならあった。


「私達は……っ、友達だよ!! だから行かないでよ!!」


 ただ、そのまま離れてほしくなくて、そう言ったのだけれど。

 なんだか、本当に遠い所に言っちゃいそうだと思えてきて怖かった。

 ひょっとしたら、もうこのまま……。


「私っ、ルミナの事、好きだよっ! ずっと大好きだから!!」


 ……何があっても、それは変わらないよ!

 ……私の気持ちは伝わっただろうか……。


 ルミナリアは最後まで振り返らなかった。

 後ろ姿が小さくなる。

 もう、ここまで距離が開いてしまったら声はとどかないだろう。

 姫乃に伝えたいことがあっても。


「……だから、一緒にいてって、伝えきれなかったな……」


 姫乃は思いと共にもう伝えられなくなった言葉を吐きだした。


 見えなくなってしまったルミナリアの姿を、そのままに空を見ていると。

 キラリ、と光の筋が目に映る。

 朝日だ。

 湖にキラキラと眩しいくらいに光が反射している。

 けれど、湖の周囲で綺麗に色づいていた木はほとんどが、折れたり倒れたりしていて、横に並んでいる家々も同様のありさまだ。

 綺麗だと思った景色が一晩でなくなってしまっていた。

 短い期間の間に培ってきた色々なものが、壊れてしまった朝だった。







 それから、無事だった皆の元へと合流して、敬区にうめ吉を返した。

 そういえば途中から、あんまり相槌打たなかったな。


 啓区にはすごく不思議そうな顔をされたけど、どうして私のとこにくっついて来ちゃったのか未だに分からない。

 私が連れ去られた後も色々大変だったという話を聞いて、話題はそのあとに映った。


「退避した後、あなた達が名付けた魔大陸という大地に巨大な剣が突き刺さったわ。……ものすごい光量が町に降り注いで、その光に当てられた憑魔達が一体も残らず全て消えてしまったの……」


 セルスティーさんが信じられないといった表情を顔ににじませて、そう説明してくれる。


 クロフトの町にうごめいていたすべての憑魔が、一体残らず……。姫乃達も数体で苦戦していたというのに、驚異的な威力だ。

 結構手を焼かされたのに、一瞬で無力化されてしまったのは衝撃を覚えたわね、とセルスティーさんは疲れた様子で付け足す。

 皆も見て分かるくらいにボロボロだ。


「助かったっちゃー、助かったんだけどさあ……」

「町長さん達の魔力もつきそうだったしー、良かったんけどねー」

「憑魔さん、消えちゃったの。なあ、びっくりなの。急にいなくなっちゃうと何だか嫌なの」


 なちゃんは別の事を考えてるにしても、未利や啓区は命が助かったにしても素直に喜べないようだった。


「で、その後なんか、大きい姿のよく分からん奴が空に浮かんでるのが見えたってわけ。はっきり言うけど、なんかアレ好きじゃない……」

「綺麗な女の人だったのっ、なあ、お目目ぱっちりして見たの。でもちょっと怖い感じがしたの」

「……そうなんだ」


 空に女の人……。

 姫乃達には見えなかった。

 それ所じゃない状況だったから、気付かなかったのかもしれない。


「町の人達は、ありがたやーって感じでおがんでたり、びっくり驚いてたねー。ディテシア様が救ってくださったってー」


 ディテシア様?


「え、それ……。本当に?」

「ほんとほんと、ディテシア像にそっくりだとか言ってた」


「象さんにそっくりなの!」と、なあちゃんが言って啓区に訂正されている。


 ディテシア像。ルミナリアの仕事場にはそんなに顔を出してないから、記憶になんてない。でも、有名な人らしいし……、町の人達が言いきるのだったらそうなのだろう。

 あまり、気のりはしなかったけど、姫乃は魔大陸でのルミナリアとの会話の事を話したほうがいいと思った。

 翼の事は、言えなかった。


 ……今は言わないほうがいいだろうな。


「ルミナリアが? どんだけ良いタイミングで駆けつけてんの。お姫様の危機に駆けつける王子様かっての」

「すごいねー。良かったねー。じゃあ、ピンチに駆けつけたうめ吉もヒーローだねー。カメ王子かなー?」

「うめちゃま、王子様だったの? すごいの。 ヒーローで王子なの!」


 なあちゃんが、うめ吉が入っているらしい啓区のポケットにめけて賞賛の拍手を送っている。


 にしても、と未利は剣呑な表情になる。


「何か、やな感じ。ルミナリアに魔法を教えたっていうその女も姫乃連れ去り犯も、何考えてるんだかさっぱり分かんないし。ウチ等がひいこら言って地面を走り回って何とかしてる状況を、かき混ぜてまぜっかえして簡単にひっくり返したりしちゃってさあ」

「しょうがないんじゃないー? 上には上がいるのが、世界だよー。だって僕たちただの子供だしねー」


 残念ながら、ただの子供ではないと思う。

「お前が言うな」と未利が啓区の頬をつねった。


「そうだね……。何だか、誰かの手のひらの中で踊らされてる様な気分になっちゃうかな……」


 こう状況が見えないと、不安になってくる。

 未利の気持ちも分からなくない。

 誰かに糸で行動を操られてるんじゃないかと思えてくる。

 これは私達だけじゃなくて……、もっと大きな流れごと、たくさんの人々ごとがそうじゃないかと思えてきてしまう程に。


 暗闇の中、目隠しして進む道の先には何があるか分からない。

 だから、目隠しのない世界がどうなっているか見る事ができたら……正しい世界の姿を知る事ができたらいいのにと思う。


「んーと、なあは……、分からないから皆怖い顔になっちゃうんだと思うの。考えてることが分からなかったら『何を考えてるの』って聞けばいいと思うの。それで解決なの!」


 なあちゃんが超理論を発言した。「答えてくれるか分からんでしょ」、「親切さんだったらいいよねー」と、突っ込みを入れられている。


 でも、少しはその通りかな。

 姫乃はなあの言葉について考える。


 分からないんだったら、もっと自分から情報を集めようとしなきゃ。

 思えば、姫乃はおびえるばかりであの少年とまともに話をしていない。

 今度会ったら(それも何かありそうで嫌だけど)……、もっと言葉を交わしてみるのもいいかもしれない。

 魔大陸から脱出する前にルミナリアがしたみたいに。


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