第26章 再生の象徴



 エルケ 白桜浴場 『姫乃』


 朝早く。

 姫乃達は、風呂を楽しんだ後の人々が捌けていった頃合いを見計らい、脱衣所の扉に清掃中と看板を立てかける(無論男性の方の脱衣所は、見張りの男の人に手伝ってもらった)。

 がらんとした浴場の片隅……白桜の木の前では、大男から取り上げた紙切れを片手にセルスティーさんが考え込んでいた。


 その様子を横に見つつ、姫乃達がしているのは清掃だ。

 浴場の底にある堆積物をえっちらおっちらと網ですくい取る。


「うわ、何コレ。怖っ。誰さ、人形と風呂敷忘れたやつ」

「ひぇぇなの、髪の毛の間からこっち見てるの。よくも置いていったなーって聞こえそうなの。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいなのっ」

「ヒメちゃん見て見てー、こっちには下着が沈んでたわ。女の人のね。すっごく豊満なのねこの人」

「下着!? えっ! ルミナ、そんなのどこに……沈んでたの? ってもちろんこの温泉の中なんだよね……」


 水気を帯びた堆積物は結構重たくて、網を上げるだけでも重労働だ。

 お湯の中には実にいろいろな物が沈んでいるみたい。

 風に運ばれてきた土や石、葉っぱなどはともかくハンカチサイズの小さめの手ぬぐい、何をどう間違ってここにきたのか分からない珍品の数々など、形も大きさも違うものが混じっている。それらを全て仕分けしなければいけなくて、予想より手間がかかり、全部終わるのかと心配になるほどの量だった。


「セルスティーさん、そっちはどんな感じですかー?」


 向こうで何かあったのか片手でこめかみを押さえて微動だにしなくなったセルスティーに、ルミナリアが声をかけながら近づいていく。

 姫乃達もそれにつられて、網を置くなりしてセルスティーさんの周囲に集まる。


「駄目だわ。奪われた魔力は戻したけれど、もう手のつけられる所がないのよ」


 破られた紙切れを持つのとは別の手で、白桜を労わる様にセルスティーさんは撫でる。白桜の表面はところどころが剥がれかけたり欠けたりしてボロボロだった。


「元々枯れかけていたせいもあるのだけれど、短期間で大量の魔力を吸い取られてしまったから……回復も遅滞もさせようの無い傷を受けてしまったみたい」

「そんな……」


 ずっとこの町にいて、慣れ親しんできたルミナリアにとってもその事実はショックだったのだろう。

 痛ましそうな表情で、この数日で一気に元気の無くなった木を見上げている。

 この町に来てすぐの日に大男から逃走しながら見た木の姿を、いつも夜に浴場に浸かりながら見上げた木の姿を覚えている姫乃にしても、それは一回りほど小さくなってしまったように感じられて悲しかった。


「ごめんなさい……」


 呟きが零れる。セルスティーさんのだ。


「私がもっと早く気づいていれば、今よりは良い状態だったかもしれないのに……」


 答えの返る事の無い呟きに、しかし答えが返ってきた。


『ありがとう……。きっと、その気持ちだけで十分だから……』

「え……?」


 その場にいる誰もが同じような顔をして、同じように間の抜けた声を発していただろう。

 互いに顔を見合わせてから、声の主を探し出す。

 女性の声だった。

 優しそうな、慈しむ様な、暖かく包み込むような声だ。


「あ……」


 姫乃は思わず声をもらした。


 誰かいる。

 元気の無い枝葉に、一人の女性が腰掛けてこちらを見ている。


 体が透けていて、注意深く見てないと青空の色に溶けてしまいそうだ。

 時間にして一秒にも満たない、ほんの一瞬の出来事だ。

 女性の姿はすぐに見えなくなってしまう。


「今の……」

「何、今の声。何か聞こえたけど」

「未利ちゃまも聞こえたの? 女の人の声だったの。なあ、ちゃんと聞いたの。上からだったの」

「誰かいるとか……、っているわけないわよね。何だったのかしら? 桜の木の心の声……とかかしら」


 女の人の姿が見えたかどうか聞こうとしたが、皆の様子からして見えてないようだった。一瞬の出来事だったから、気づいたのが姫乃だけだったのかも知れない。


 あの時の、聞き覚えのある声だった。

 この世界に来る時に聞いた声。

 もしかして、見えなくなっただけで私達の近くにいるのだろうか……?


「どうしたんですかセルスティーさん? 」


 ルミナリアの声に考えを止めると、何やら木の根元近くの地面に手を当てているセルスティーさんの姿が目に映った。


「この下から、光の魔力を感じるわ。いえ……、感じるようになった……が正しいかしら。何かあるみたい。シャベルか何かないかしら」

「あ、私借りてきますよー」

「私も」


 見張り小屋にかけていくルミナリアに姫乃も続く、みんなでやるなら複数いるし、重くてかさばるシャベルを一人では持ちきれないだろう。




 

 乾かした浴場の堆積物を再び運搬するために使うつもりだったのだろう。人数分あったシャベルを使って地面を掘り進める。木の根を傷つけないように、慎重に。

 やがて、何か白い物が土の中から顔をのぞかせた。シャベルを脇に置いて、今度は手で土をかき出す。


 それは小さくて、丸い物のようだ。 


「卵?」


 姫乃は誰にともなく言う。

 地面の中から出てきたのは卵だ。手のひらに乗るくらいの小さなサイズだった。


「何の卵かしらね、これ」

「なあは……、鶏さんの卵に……似てるように見えるの」

「まあ、サイズ的にはそうだけど……世界は広いし」


 ルミナリアの問いに、なあは顔を近づけて考えながらいう。

 その言葉を受けて喋る未利は、そもそも世界が違うわけだし……と小声で付け足している。


「じゃあ、この木の生まれ変わりとかかしら……」

「それは違うような……。この木、まだ生きてるよね」

「そうよねぇ」


 ルミナも、分かってて言っただけだったのだろう。

 再び一同は黙り込む。

 じゃあ何だろう。


 わけも分からず卵を観察していると、その卵に淡い桜色の光が降り注ぎ始めた。

 光。桜の花びらの形をした光だ。

 頭上から、そびえる枯れかけの白桜の木から、表面から、木の枝から、とめどなく降り注ぐ。

 青い空に良く似合う、淡い桜色の光のシャワー。


「きれい……」


 なぜ……とか、どうして……とかとか、考えるよりも前にその幻想的な景色に、感嘆の声をもらしていた。


「とってもとっても綺麗なの」

「すご……」

「素敵ね」


 なあ、未利、ルミナの見つめる中、光はやがて少なくなり最後の一片が卵に染み入っていった。


「温かい……。それに、かすかだけど動いてるわ。これは……? ああ、そういう事なのね」


 卵を手に、答えを求めるように白桜に視線を向けたセルスティーは、悲しげな表情になった。


 木は、そこに立っている。


 けれど、何か大切な物が欠けてしまったように見えた。

 今までは枯れながらもそこに生命の息吹を感じる事ができていたのだが……。


 それが、まるで感じられなかった。

 枝が、枝に残っていた葉っぱが、体表が……ぽろぽろと崩れ去り、灰になって風に流れる。


「一ヶ月か、二ヶ月か……それでこの木とお別れになってしまうわね」

「白桜さん死んじゃったの……?」

「……そうね」


 涙で瞳を潤ませるなあちゃんに、セルスティーさんは嘘をつくことなく正直に伝えた。

 そう、目の前の白桜の木は死んでいた。

 大事な何かが消えてしまって、とても生きているようには見えなかった。


「魔力が全て流れ出してしまったから……。けれど、悲しい事ばかりではないわ。白桜の木は再生の象徴。この木は私たちに次の命を託してくれたんだもの。」

「その卵さん、なの……?」

「ええ、ひょっとしたら本当に生まれ変わりなのかもしれないわね」


 うるうる加速中のなあちゃんに、セルスティーは卵を差し出した。

 おっかなびっくり受け取ると、なあちゃんにはそれが分かったようだ。


「本当なの、卵さん生きてるの」


 嬉しげに表情をほころばせ、涙が止まる。

 卵を手で包み込み、耳に当てる。


「トクトクおしゃべりしてるの」

「いや、それ心臓の……。まあ、いいか。それもおしゃべりだと思えばそうかもだし。で、それ本当に暖かいの? 触ってもいい?」


 未利が何か言いかけたがやめて、変わりになあちゃんの手の中の卵へと興味をうつす。


「あ、私も。セルスティーさんいいですよね」

「わ、私もいいかな……?」


 セルスティーはもちろん、それらを承諾した。


「この流れだと、私が育てるって事になるのかしら。でも、それでもいいかしらね。この卵はあなたの生まれ変わり? それとも子供かしら」


 セルスティーは、子供の手の温もりにつつまれている卵を見て、その周囲に集まる子供達を見て。

 命がそこにある意味を考えて……、


 ――ありがとう。信じてくれて。


 そう呟いたのが姫乃に聞こえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る