第25章 本当の名前
それからすぐ後だった セルスティーが羽ツバメにたどり着いたのは。
雨は土砂降りとなり、時々空では雷が光っている。
あともうちょっと長引いていたらどうなっていたか分からなかっただろう。
皆は必然的に建物の中に移動することになった。
「本当は、ネコウを見つけた時、不意打ちに協力させるつもりだったのよ。セルスティーさんのところから失敬した痺れ薬を爪に一匹ずつぬりながら、どうやって驚かそうか考えてたのに」
「ネコウさんの爪小さいの、ルミナちゃまとっても器用なの」
ルミナとなあちゃんは離れた所でそんな話しをしながら、縛り上げた大男のその顔面にコレでもかという程落書きをしまくっている。
「そう、それで先週棚の瓶の中身が少し減っていた理由が分かったわ。やってくれたわね」
セルスティーさんは、アルをかばった女性に怪我は無いか聞いたり、見物して驚いたり怖がったりして興奮していた子供たちに、気持ちを落ち着かせる効果のある香りの子袋を手渡していた。腰につけているポーチに入れていたらしい。
「塗ってたとか簡単に言ってくれるけど、あんな状況でよくそんな細かい作業出来たわ……」
未利は、早速眠りに落ちそうになっている子供を見つけ寝床に戻れと促しながら、大男の口周りにくるくるカールした髭を書き入れているルミナリアの方への呆れた視線を向けた。
セルスティーさんは今度は女性や職員達にも違う種類の薬草を合わせた香りの子袋を渡す。
調合士っていうのだから、やっぱりそっちが本業なのだろう。効能や取り扱いについて、詳しく教えている。
あんな危険な事態に関わるような日常を過ごしてるとは思えない……のだが、どうしてだろう。白桜の木の下での戦いでは、妙に馴れているというか、戸惑いとかがまったく感じられなかったのだが。
姫乃は少し離れた所で、その様子を見守っているアルのもとに近づいていく。
「何で……俺なんかをかばって……」
消えそうなくらい小さい声は、心から心配そうな色を含んでいた。
そんなアルに、大男の所から回収してきた首飾りを手渡す。
「誰かを信じるのって、難しいね……」
「あ、これ……俺の」
あんなに大切な物だって言ってたのに、今まで忘れていたみたいだ。
アルは壊れ物でも扱うそうに、ハンカチを出して包みそっとポケットにしまった。
「私、この町の人じゃないの」
「え……?」
アルの様子を見ていたら、自然と姫乃の口は開いていた。
言わなきゃ。伝えなきゃ、と思ったからだ。
「とても遠い所から、見知らぬ所に突然連れて来られてビックリしたなぁ。見る物、見る人がすべて私が知らないのばかりで」
「人……攫いとかか? 例の」
「そういうのとかは違うかな、多分」
でもどうだろう。誰かが意図して私たちをここに連れてきたのなら、それはある意味人攫いといってもいいのかもしれないが。
様子からしてアルは話を聞いてくれるようだ。
そんなの知るか、って突っぱねられるかもと思ったりしたけれど。
「でも私はその事をルミナリアにちゃんと言えてないの。聞いたらたぶん信じられないだろうなって、思えちゃうような事情があって……。たくさんたくさんお世話になってるのに、ルミナの性格は分かってるつもりなのに、それでも怖いんだ。私に向けられる目の色が変わってしまう事に……」
今まで親切にしてくれた、一緒に笑ってくれたルミナリアの態度が変わってしまうのが、とても恐ろしかった。
だから今までそれなりに時間があったにも関わらず、口を閉ざしていたのだ。
「そんなの当然だろ。他人なんかに……」
アルが吐き捨てるように言葉を続けようとして、しかし姫乃は遮る。
「でも! それでも、私は傷ついてもいいからルミナリアを信じたい」
「な、何でだよっ! 怖いんじゃなかったのかよ。お前の事、頭のおかしい奴だって見るかもしんねーのに」
「……アル君は信じてくれるんだ」
アルの言葉を聞いて、その部分に意外だと感じ思わず口にしていた。
「ち、ちげーよっ。何でそんな事になんだよ」
違っただろうか?
『頭のおかしい奴って見るかも』って事は、そうじゃないって思ってくれてると思ったのだが。首をひねる。
とりあえず今は話を戻そう。
慌てて反論しているアルから視線をそらしルミナリアの方を見る。いい笑顔してる。
なあちゃんがポケットに入れて持ち歩いていたらしい油性マジック(黒の次は今度は赤に変えたようだ)で、大男の額に第三の目を書き加えて笑っている。
こんな時でも、本当に……。
いつもの彼女だった。
「アル君をかばってくれたあの人だって、アル君の事きっと信じてると思うよ。ずっと信じて待っていてくれる。アル君がどんなに拒絶していても……。だって今までがそうだったから」
ルミナリアもきっと私を信じて待っていてくれる。
彼女は勘が良い。もうとっくに私が何か隠してるって気づいてるだろう。
それでも、私が……私の口からそれが語られるまではきっと待ち続けてくれるんじゃないかって、そう思える。
そうだとしたら、やっぱ言わなくちゃ駄目だよね。自分から。
怖いなんて、言ってられない。
彼女の信頼に答えたいから。
「だから、アル君も信じてあげて」
「僕は……」
アルは、俯いて首飾りの入ったポケットを服の上から握り締めた。
しばらく待ってみたが、反応は返ってこない。
私なりに言わなきゃいけない事、ちゃんと言えたと思うけど……今はまだそっとしておいた方がいいかな?
「行こっか。そろそろ眠っちゃわないとね」
姿勢を元に戻して、皆の方へと促す。
アルが来ないと眠らないと言って駄々をこねている子供たち、セルスティーや同僚に気遣われながらも時折り心配そうな表情をこちらの方に向ける女性の方へと。
きっと大丈夫だよね。こんなにも思ってくれる人達がいるんだから。
そう考えながら歩き出した姫乃を、走るアルが追い越した。
アルは皆の前までいって、立ち止まる。
「アル君?」
何だろうと注目が集まる。
アルはまっすぐな視線でそこにいる人達を見て、言った。
「アルル! アルル・ルーエンス! ……それが本当の俺の名前だからな。アルアル気安く呼ぶな」
自分の名前を。
『アルル』
今まで……。
遠い親戚なだけで、血が繋がっているだけでろくに名前も覚えてないような者達に引き取られ、アルはずっと偽物の名前で呼ばれ続けていた。
それでいいやと思っていた。
偽の名前を使い続ける事は、アルにとって分かりやすい区別でもあったのだ。
本当の名前を知っている人は、信じられる大切な人。
偽者の名前を知る人は、信じる事が出来ない奴。
羽ツバメに来たとき大人達は、前の保護者が言う名前を本当のものだと信じた。
アル本人にも、名前は何だと聞かれたけど答えてやらなかった。
……お前らなんかに、教えてやるもんか!
それでいいと思ったから。
そうじゃなきゃいけないと思ったから。
そうじゃなかったら、また傷ついてしまうから。
助けてくれると信じて、裏切られてしまうから。
ならもう信じたくなかったから。
でも、今は……。
「呼ぶなよ。アルじゃないからな! 絶対呼ぶなよ」
「アルアル知ってる」「よくアルー」「あーあーアルねー」「呼ぶなは呼べという意味だってルミナお姉ちゃんが言ってたー」
「普通の言葉にまぜて呼ぶな! それとあのあの金髪の姉ちゃんに何教えてんだよ!」
少しだけ、踏み出して進んでみようと、そう思った。
『+++』
離れた所で。
「偽者の名前か……窮屈だったろうな」
赤くなった顔を隠すように俯いて、乱暴な足取りで逃げるように建物に入っていくアルの背中を見つめて未利はポツリと呟いた。
「それで、ガキ達だけ……仲間達だけじゃなくて、大人も信じられるなんてアンタすごいよ」
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