赤の覚醒


 同盟都市内部での戦況は暗雲とした状況へ至り、それぞれの若者達は苦戦を強いられている。


 死霊術で甦り合成魔人キメラになっていたバンデラスは、悪魔化した事によって首を切断されても停止せず、不死身となってマギルスを仕留めようとしていた。

 更に悪魔騎士デーモンナイトザルツヘルムと対峙する狼獣族エアハルトは、重傷の身体にも関わらず苦痛に堪えながら対峙する状況に陥る。


 一方で、そうした二人の近くで瓦礫に埋もれるユグナリスは動く気配が無い。

 ザルツヘルムの察したように首の骨を折った事で呼吸が完全に停止しており、身体の脈や心臓の鼓動も既に止まりかけていた。


 そうして死の淵に立つユグナリスもまた、自分のなかに存在するある場所へと精神いしきが辿り着く。

 過酷な訓練を施されながらも実際に死に瀕した事が無いユグナリスにとって、そこは奇妙な夢にも思える空間だった。


『――……俺は……。……ここは、いったい……?』


 意識だけで魂の中に存在するユグナリスは、何も見えず暗いだけの空間を彷徨い歩く。

 そしてそうなる直前の記憶すらも抜け落ち、死の淵を歩きながらユグナリスは、まるで導かれるかのように暗闇の中を進み続けていた。


 何の景色も見えず、ただ空虚にすら思える暗闇の中で、ユグナリスの思考や記憶は徐々に失われていく。

 それを自覚しながらも抗えないユグナリスは、苦々しい声でこう呟いた。


『……俺は、何をしているんだろう……。……確か……やらなきゃ……いけないことが……』


 薄れる意識と同時に味わう不快感に戸惑いながらも、ユグナリスはそれを思い出そうと必死に考える。

 しかし思い出そうとすればするほど遠ざかるような奇妙な感覚は、ユグナリスに不快さを感じさせながら荒々しい声を出させた。


『……思い出せない……。……止めてくれ……っ!! 俺の大切な……大切な存在ことを、思い出させてくれよ……っ!!』


 そうして苦しみながら意識が膝を着くように止まり、その場に踏み止まろうと必死に抗う。

 意識の瞳が瞼を閉じて、暗闇の中で更なる暗闇に包まれたユグナリスは、自分が大事な存在を忘れようとしている状況に抗い続けた。


 そんな折、暗闇の中から明るく光る一つの手がユグナリスの頬に触れる。

 何も感じなかったはずの空間に突如として感覚を得たユグナリスは驚き、瞼を開けながら朧気おぼろげに見えるその手の主に声を向けた。


『……君は……?』


『――……ユグナリス様』


『……!?』


 暗闇の中でそうした言葉を向ける相手の声に、ユグナリスは薄れる記憶が一気に戻り始める。

 その声の主と今まで過ごした三年余りの記憶が思い出され、朧気だった姿が鮮明になり始めた。


 自分の目の前に居るのは、瞼を閉じた黒髪の美しい女性。

 そんな女性に対して、ユグナリスは必死に名を呼ぼうとしたが、名前だけは思い出せずに表情を強張らせていた。


『き、君は……。……君の事は、覚えてる……。俺にとって、大事な……。……でも、なんで……名前が……!?』


『……貴方と過ごした日々を、私は忘れません』


『!』


『貴方が私に、初めて愛してると言ってくれた日の事を、私は忘れません』


『……っ!!』


『ずっと、貴方と一緒に居たかった。……その私が抱く思いが、貴方をこちら側に引き寄せてしまいそうになっている』


『え……?』


『ユグナリス様。貴方はまだ、こちらに来ないでください。……貴方は、そちらに居てください』


『……な、何を言って――……ッ!?』


 女性はそう言いながら、頬に触れる手を離す。

 そして跪いたままのユグナリスを見下ろしながら、微笑むように言葉を向けた。


『愛しています、ユグナリス様。――……シエスティナの為に、貴方は生きてください』


『……ぁ……あぁ……っ!!』


 そう言われた瞬間、ユグナリスは目を見開く。

 そして立ち上がろうとするユグナリスを待たず、その女性は振り向きながら背を見せて離れようとした。


 ユグナリスはその女性を引き留めようとしたが、初めて周囲に異質な存在があるのを視認する。

 それは門にも見える巨大で白く光を放つ扉であり、開かれているその石扉の前に自分と彼女が居た事をユグナリスは自覚した。


 しかしその女性は、石扉の中に入りながら歩みを止めない。

 その白い扉が何なのかを本能的に察したユグナリスは、その女性を引き留めようと走りながら手を伸ばした。


『駄目だっ!! そっちは、そっちに行ったら――……あぐっ!?』


 ユグナリスは走りながら女性の手に触れようとした時、視えない何かによって手が弾かれる。

 それでも諦めずに追おうとするユグナリスは、自分と彼女を阻む障壁に抗いながら必死に呼び掛け続けた。


『行っちゃ駄目だッ!! そっちに行かないでくれっ!! ――……こっちに来てくれ、リエスティアッ!!』


 抗い続けるユグナリスの口から、ようやく最愛の女性リエスティアの名が飛び出る。

 それを聞いたリエスティアは口元を微笑ませながら振り返り、閉じている瞼を開き黒い瞳を見せながら声を向けた。


『――……ユグナリス様』


「リエスティアッ!! ……リエスティアッ!? そうだ、リエスティアッ!! ――……リエスティアッ!!」


『……はい』


「もう二度と、忘れたりなんかしないッ!! ――……俺も、君を愛してるッ!! これからずっと、ずっと……ッ!!」


『……私もです』


 視えない障壁に阻まれながらもそう叫ぶユグナリスに、リエスティアは心の底から安堵するような笑いと涙を零す。

 しかしそんな二人を隔てるように、開いていた白い扉が閉まり始めた。


 それを見たユグナリスはリエスティアを引き寄せようと必死に手足で障壁を殴るが、破れるような様子は無い。

 一方でリエスティアの身体は白い光に包まれながら、最後の微笑みと声をユグナリスに向けた。


『ユグナリス様。……私は、貴方と出会えて幸せでした』


『何を言ってるんだっ!? なんで、そんな――……頼む! 閉じるなッ!! 俺を向こうへ! それが駄目なら、彼女をこっちへ……ッ!!』


『……』


『リエスティア! リエスティアッ!! ――……リエスティアァアアアッ!!』


 無慈悲に閉じられる白い扉は、ユグナリスとリエスティアの間を妨げるように閉じられる。

 そして最後の咆哮で愛する者の名を呼ぶユグナリスは、自身の無力さと渇望から引き出す激昂によって、自身の精神力をある領域まで至らせた。


 それが大いなる光となってユグナリスを包み、暗闇だった空間を照らすように広がる。

 更に変質した光が赤く燃え上がるような炎へと変化すると、ユグナリスの精神が何かを破るように自身の魂を炎に包み込ませた。


 その瞬間、現実世界のユグナリスに異変が起こる。


 瀕死だったユグナリスの肉体が突如として膨大な生命力オーラに包まれ、まるで炎のように揺らめく生命力オーラが湧き出る。

 その光が闇夜を切り裂くように上空へ昇り、巨大な炎柱が同盟都市内部に出現した。


「うわっ、何あれっ!?」


「……これは……ユグナリスから……!?」


 突如として出現する炎柱に、同盟都市内部に居る者達は驚愕を浮かべる。

 そしてその傍に最も近いエアハルトは、炎の出どころがユグナリスである事を察した。


 当人であるユグナリスは埋もれいたはずの瓦礫が全て吹き飛び、周囲一帯に湧き上がる炎に包まれながら二メートル程の高さで中空に浮いている。

 しかも微かに指が動いた後、折れていたはずの首を動かしながら地面に足を着けて身体を立たせた。


 ユグナリスは炎に包まれながらも熱さを感じぬように平然とした様子を見せ、自らの両手を握り動かす。

 そして強く両拳を握り締めた後、周囲と上空に昇る生命力オーラの炎を自分の肉体に収めるように纏わせると、辺りから炎が消え去った。


 しかしそれが、マギルスとエアハルトを始めとした強者達にある事実を気付かせる。

 それはユグナリスから感じる生命力オーラが、先程までとは比較できぬ程の圧迫感を否応なく感じさせた。


「……これって、エリクおじさん……いや、それ以上の……!?」


「あの皇子おとこ、いったい何をした……っ!?」


「――……ウガァア……!!」


「……これが『赤』の……能力ちからの覚醒だというのか……?」


 異質な存在感を放つユグナリスに、マギルスとエアハルトは唖然とした様子を見せる。

 一方で悪魔であるバンデラスは目の前に居るマギルスよりも突如として現れた異質な存在ユグナリスに注目し、ザルツヘルムはユグナリスが覚醒させた『赤』の能力を間近で感じていた。


 こうして悪魔達の脅威に晒されるマギルスとエアハルトにとって、予想外の出来事が再び起こる。

 それは初代『赤』の血を引くルクソード血族の若者が、真の『聖人』へ至る姿でもあった。

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