影の魔法師


 元ガルミッシュ帝国貴族、ターナー男爵家の嫡男ヒルドルフ=フォン=ターナー。


 彼は両親の抱えた負債を肩代わりしたゲルガルド伯爵家に従い、ドルフという名で得意とする闇属性の『影』魔法を用いて傭兵ギルドの【特級】傭兵まで上り詰める。

 先頃までは現役を引退しギルドマスターに留まっていたが、現役時には『影』の魔法師という異名を残し、傭兵界隈で注目され対立する事を恐れられる程の実績に溢れていた。


 無論ドルフの積み上げた三十年間の戦歴は、ユグナリスの実戦経験に遥かに凌ぐ。

 特に対人戦においては、『聖人』に達し驚異的な身体能力を持つはずのユグナリスが、ドルフに近付く事すら叶わずに襲い来る影を避け続ける状況に陥っていた。


「――……クッ!!」


「どうした、逃げてばかりじゃつまらんぞ。皇子様よぉ」


 暗闇の中を通してドルフの操る『影』は、僅かな視界では捉え難い。

 ユグナリスが迫り襲う『影』を避けられている理由は、殺気に満ちた気配を辛うじて読み取れるからだった。


 しかし十数メートルの高さが在る建物の屋上に立っているドルフに、近付くのは容易ではない。

 ドルフ自身もユグナリスを相手に接戦は不利だと理解しているからこそ、凄まじい速度と殺傷能力を持つ『影』で確実にユグナリスの命を刈り取ろうとしていた。


 ユグナリスの避ける動きを把握しながら先を読み、先手を打つように『影』を攻めさせる。

 三十年にも渡る豊富な対人経験を活かすドルフの戦術に、ユグナリスは避ける事すら困難になり始めた。


 周囲や地面から刃や棘の形状となって迫る『影』が、徐々にユグナリスの腕や足、そして頬や胴体を僅かにかすめる。

 更に左手の甲を掠めた『影』の攻撃で持っていた松明たいまつが落ちると、明かりを失ったユグナリスは苦々しい表情を見せながら下から迫る『影』の刃を飛び避けた。


「ぐっ!!」


「これが昼間だったら、皇子そっちの方にがあったんだろうがなぁ」


「!?」


「日に照らされると、『影』の動きは大幅に制限される。俺の魔法は、自分や周囲の『影』を利用するんだ」


「……グッ!!」


「そして俺自身も、『影』に身を置く事で『影』を自由に操れる。それが俺の『制約ルール』なんだ」


「ッ!?」


「暗闇ばかりの夜は、俺の独壇場。――……例え王級魔獣キングだろうが、聖人や魔人だろうと。『夜』の俺を相手にするのは無謀だぜ」


 ドルフ自身はそう語りながらも、『影』の動きを止めずにユグナリスを襲い続ける。

 それを聞きながら身体の各所に僅かな出血を見せるユグナリスは、この『影』から抜け出す為に思考を巡らせた。


 その策として、最初にとある行動を起こす。

 それはドルフに近付こうとするのではなく、逆に思いっきり離れるという行動だった。


「『影』の動きが制限されるなら、術者むこう攻撃対象おれの距離が離れれば――……っ!!」


「……そっちのやりそうな行動ことなんぞ、お見通しだぜ」


 右手に剣を持ちながらドルフから離れるように走るユグナリスは、追って来る影を引き離そうとする。

 しかしそれを妨げるように、その先にある建物がドルフの『影』によって切断され、その瓦礫が崩れ落ちて道を塞いだ。


 それに続くように、上空そら以外の場所から凄まじい数の『影』が迫る。

 その全てに殺意が満ちており、ユグナリスはその瞬間に逃げ場を失った。


「ッ!?」


「今度はきっちり死んどけよ、皇子っ!!」


 逃げ場を失ったユグナリスに対して、ドルフは躊躇せずに包囲させた『影』の刃を放つ。

 一秒にも満たない時間の中で回避できない事を悟ったユグナリスは、咄嗟に急所となる箇所に切断される事を避けるように、自ら近付く『影』を見定めて飛び込んだ。


 その結果、ユグナリスは手足と胴体、更に顔は先程よりも深く酷い裂傷が刻まれる。

 しかし脳天や喉、そして心臓を含む重要器官に及ぶような傷だけは避けたユグナリスは、身体から血を溢れさせながらも『影』の包囲網を強引に抜けた。


「グ、ァアッ!!」


「……無理矢理かよ。サクッと死んどけばいいのによ」


 包囲網から抜けて身体中から血を流して走るユグナリスは、今度はドルフの居る建物を目指して走り始める。

 しかしドルフのもとから新たな『影』が放たれ、更に後方にある『影』もユグナリスの背中を追い始めた。


 前後から迫る『影』に挟まれたユグナリスは、痛みに堪えながらも走り続ける。

 しかしドルフが居る場所に届くよりも早く、ユグナリスの眼前と背中に『影』の刃が襲い掛かった。


「今度こそ、きっちり死にな」


「……俺は、死なないっ!!」 


「!」


 迫る『影』の殺気を察知しながらも、ユグナリスは唐突に右手に握る剣の矛先を上に向ける。

 それは影の刃を防ごうとする動きではなく、ユグナリスは瞼を閉じながら声を上げて魔法を唱えた。


「――……『光の祝福よブレス』ッ!!」


「!!」


 ユグナリスはそう叫ぶと同時に、刀身の先から突如として凄まじい極光が作り出される。

 放たれた光は、同時に暗闇によって保たれていたドルフの『影』が光に飲まれて掻き消した。


 それは、光属性の魔力を扱える魔法師が初歩で学ぶ魔法。

 魔力によって『光』を生み出し周囲を照らすだけという、単純明快な魔法だった。


 しかしユグナリスが極限まで注いだ魔力で輝きを強めた『光』は、その場の全てを飲み込む程の巨大な光を生み出す。

 その『光』が『影』すらも暗闇と共に、瞬く間に半径五十メートル以内を飲み込んだ。


 しかしその光が発せられる中でも、ユグナリスは目を閉じたまま走り続ける。

 そして覚えている建物の位置まで走り抜けると、両脚の生命力オーラを高めながらドルフの立つ建物屋上へと跳んだ。


 そして光を治めながら瞼を開くユグナリスは、剣を振り構えながら叫ぶ。


「これで――……なっ!?」


 ドルフが居た位置に跳んで剣を振ろうとしたユグナリスだったが、そこで思わぬ光景を目にする。

 そこは間違いなくドルフの立っていた建物だったが、既に本人の姿は無く、周囲を探ってもそれらしい気配や姿が何処にも見当たらなかったのだ。


「……何処だ、何処に……!?」


 ようやく近付けたと思ったユグナリスだったが、ドルフを見失った事で驚愕に包まれる。

 しかし次の瞬間、その隙を突くように足元に迫る影が刃となってユグナリスの背後を襲った。


「ッ!!」


 それに気付き咄嗟に避けたユグナリスだったが、上着と背中の薄皮を切られる。

 すると周囲に他の影が迫っている事を察知し、その場から別の建物へ移るように跳躍した。


 隣の建物に備わる屋上へと跳び移ったユグナリスは、息と血を漏らしながら膝を着く。

 そんなユグナリスに対して、更に離れた建築中の建物からドルフの声が響いた。


「――……良い方法だ、センスもある。――……だが、無意味だ」


「!?」


 声に気付いたユグナリスは、その建物に視線を向けて立ち上がる。

 すると建物の壁部分から身体を出現させたドルフの光景に驚きを見せ、それでようやくドルフの姿が消えた理由を察した。


「……ザルツヘルムも使っていた、影の移動……」


「影さえあれば、俺は影の中を移動できる。……アンタがどんだけ『光』で世界を覆ったとしても、必ずそこには『影』を生み出されるぜ」


「!」


きらびやかに見える世界。だがそこに生きる誰かは、必ず『光』で生み出された『影』を背負う。……皇子。アンタは結局、帝国このくにの『光』を浴びながら生きて来た人間だ」


「……」


「俺達みたいに『影』で生きてる奴の事なんざ知りもしないし、知った事でもないんだろう? ……良い御身分だよなぁ。えぇ、皇子様よ?」


「……貴方は、何を言いたいんです?」


 小馬鹿にするような口調でそう述べるドルフの言葉に、ユグナリスは不可解さを感じる。

 その問い掛けに答えるように、ドルフは首を僅かに傾けながら声を向けた。


「別に。強いて言うなら、単なる時間稼ぎだぜ?」


「!」


「アンタの出血が酷ければ酷い程、こっちが有利になる。だから無駄話をして、時間を潰してるだけだ」


「……ッ」


「まぁ、それ以外にもあるとしたら――……俺の『影』とかなッ!!」


「クッ!!」


 そうドルフの言葉を全て待たず、ユグナリスの三方から再び『影』の刃が迫る。

 それを飛び退きながら回避するユグナリスは、『影』が来ていない後方側に跳躍して別の建物に乗り移ろうとした。


 しかし次の瞬間、建物と建物の間にある暗闇から凄まじい勢いで影の刃が飛び出す。

 それを剣の腹で防ぎながらも、左横腹に更なる裂傷を負ったユグナリスは苦悶の表情を浮かべて転がるように建物の屋上へ乗り移った。


「グ……ッ!!」


「どんな生き物だって、血を流し過ぎれば死ぬ。……アンタが動けなくなるまで戦うか、それとも向こうの連中が終わってこっちに駆け付けるか。どっちか賭けてみるかい?」


「……ハァ……ッ!!」


「おっ」


 傷付いたままのユグナリスは、改めて自己治癒能力を高める。

 すると切り裂かれた身体の傷口が塞がり、出血を抑える事に成功した。


 しかし流れ出た血液まで戻せるわけではなく、今まで走り続けながらも息を乱していなかったユグナリスが短時間の強襲と流血でついに息を乱し始める。

 帝都襲撃から休む間も無くここまで辿り着いたユグナリスだったが、それ以上にここまで追い詰めて来るドルフの実力と脅威を認めざる得なかった。


「……魔法師としての技量だけなら……あの人は、アルトリアよりも上かもしれない……」


 過去にアルトリアと模擬戦を行った事もあるユグナリスが、そう称する程にドルフに警戒の意識を強める。


 夜という有利を活かした状況ながらも、鉄すら容易く切断する『影』を縦横無尽に操り、更に暗闇の有利を活かす戦法。

 その練度は一般的な魔法師の技量と比較できぬ程であり、魔法を行使する回数と連動力が明らかに群を抜いている。


 しかも疲弊する様子すら見えないドルフは、再び壁に作り出した『影』に左半身を潜入させながら、こう告げた。


「傷は治せても、流れた血までは戻せない。それが治癒や回復魔法の弱点だ」


「!」


「アンタが立ち上がれなくなるまで、『』の中から攻めさせてもらうぜ」


「……そうは、させる――……かっ!?」


 ゆっくりと影に身体を埋めていくドルフに対して、ユグナリスはそれを防ぐ為に走り向かおうとする。

 しかし再び迫る影の刃がユグナリスに襲い掛かり、それを回避する為にユグナリスは避け跳ぶしかなかった。


 そして影に潜んだドルフは、その姿を景色から完全に無くす。

 しかし襲い来る影は先程と変わらず、凄まじい数と速度、そして追い込むような立ち回りでユグナリスに迫り続けた。


「クソッ!!」


『――……さぁ。そっちの限界が来るのが先か、俺の限界が先か。競争だ、皇子様よ』


 建物の屋上から追い詰められ地面へ跳ばされたユグナリスは、再び覆うように迫る影の刃に襲う。

 新たな裂傷を生みながらも致命傷を避けるユグナリスは、明確な殺意を向ける敵対者としてドルフの相手を否応なく対処する必要に迫られた。


 こうして敵対者となった『影』の魔法師ドルフを相手に、ユグナリスは苦戦を強いられる。

 戦闘経験豊富なドルフとの対峙は、戦闘経験の浅いユグナリスを徐々に『死』へと追い詰めていた。

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