苛烈な交流
同盟都市の建設予定地まで辿り着いた狼獣族エアハルトは、アルトリアとリエスティアの命を狙うフォウル国の襲撃を待ちながら休息に入る。
そして意識を警戒させながらも見る夢では、自身の幼い頃からの記憶と共にマシラ共和国での出会った赤髪の女官レミディアとの出来事が思い出されていた。
苛めに対して逆撃を与えた
しかし二週間ほど経った後、闘士部隊の任務でゴズヴァールと共に当時のマシラ王とその息子である王子ウルクルスの護衛を務めることになる。
その際に、
『――……あの女は……』
以前に見かけた
それに気付いたレミディアは僅かに目を見開きながら驚き、気まずそうな顔をして視線を逸らした。
互いに顔を覚えている事を察したエアハルトだったが、その時には特に関わろうとする意思は無い。
しかし闘士部隊の次長として幾度かそうした機会が作られていくと、
『――……ウルクルス様は、またあの女官を伴だっているぞ』
『奴隷を買い取って解放し、傍仕えに
『王子を誘惑して取り入ったのだろう。立場も弁えぬ小娘が……』
『あのレミディアとかいう元奴隷に、王子は執着なされている。この間など、元老院の推した娘との見合いを断ったらしい』
『どうにかしてマシラ王から説得して頂き、あの娘を王子から引き離さねば……』
マシラ一族に付随する権威に取り入る事を画策する元老院や文官達の間や、嫉妬に近い他の女官達の悪口には、レミディアという女官について嫌悪する話題が秘かに呟かれる。
それが自分の知る赤髪の女官だと察したエアハルトだったが、そうした話に関わるつもりも無ければ、加わるつもりも無い。
他にも人間の醜悪な声が王宮内には多く、エアハルトは狼獣族特有の高い聴覚と人間臭い場所から逃れる為に、部屋以外で一人になれる場所を探すようになっていた。
『……ここは……』
そうしてエアハルトが行き着いた場所は、王宮内の一画に設けられている庭園。
背の高い生垣と整えられた歩道が設けられた庭園には大勢の人間はおらず、居たとしても庭師として雇われている人間が二人程だけ。
人間臭さの無い草花の匂いと、醜い人間の声が届かない庭園は、エアハルトにとって王宮内で安らげる唯一の場所だと思えた。
それからエアハルトは、闘士部隊の仕事が無ければ庭園に訪れる事が多くなる。
花の香りが心の中にある苛立ちを
そんな時間を過ごすようになった頃、エアハルトは訪れた庭園の中で今まで見かけた事の無い
そして
そして定位置とも言える木陰へ向かうと、エアハルトの顔は更なる嫌悪に塗れる。
自分の居場所とも言うべき場所に寝転がっている人間がいる事に気付き、自分でも考える異常の苛立ちを抱きながら近付いた。
『――……おいっ』
『……』
『チッ。――……コイツは……』
苛立ちの籠る声で呼び掛けたエアハルトだったが、草の生い茂る地面で寝転がっている人間は反応しない。
舌打ちを漏らしながら顔を踏み付けて起こしてやろうかと考えて頭側に回り込んだエアハルトだったが、そこで初めて寝ている相手が
『……お父さん……お母さん……。……リディア……』
顔を見下ろしていたエアハルトは、寝ているレミディアがそうした言葉と名前を呟いている事に気付く。
その閉じられた瞼からは僅かに涙が零れている様子は、顔を踏み付けようかという憤りを抱いていたエアハルトの興を削ぐのに十分な理由となった。
『……チッ』
舌打ちを漏らしながらも、エアハルトはその場を去ろうと足を動かす。
しかし人の視線や喧騒を避けながら安らげる場所を他に知らないエアハルトは、苛立ちの籠る小声でこう呟いた。
『……何故この俺が、人間の為に場所を譲らなければならん……』
人間に対する嫌悪と妥協を嫌うエアハルトは、そうした理不尽に屈することを良しと考えない。
それ故にエアハルトが選んだ行動は、敢えて寝ているレミディアの傍に堂々と座りながら場所を譲らないという選択だった。
『起きたら、二度と来るなと言ってやる……』
妥協を許さず、また
それから三十分以上の時間が経過したが、レミディアは目覚める様子が無い。
熟睡しながら時折に呟く寝言を聞いていたエアハルトは、腕を組みながら右手の人差し指を二の腕に叩くように動かし続ける。
更にニ十分が経過してから、ようやくレミディアが瞼を開けて目覚める様子が見えた。
『――……ぅ、う……ん……っ』
『……やっと起きたか』
『……ぁ、ぇ……?』
目覚めたレミディアは寝惚けた意識と眼のまま、横に座っているエアハルトを見る。
それに対して苛立ちが強く乗った声を向けるエアハルトに対して、レミディアは両腕で上体を起こしながら寝惚けた意識と声を向けた。
『……あれ、ここ……?』
『王宮にある花園だ』
『……あれ、貴方は……あっ!!』
寝ていた場所さえ忘れる程に熟睡していたレミディアは、寝惚けた意識で周囲を見渡しながら問い掛ける。
それに対して苛立ちの声ながらも律儀に答えるエアハルトの言葉により、ようやくレミディアは呆けた意識を覚醒させた。
しかし起きたレミディアが意識的に向ける第一声の言葉は、エアハルトの予想を覆すモノだった。
『な、なんで貴方がここにいるんですかっ!?』
『……は?』
『だ、だって。ここ、誰も来ないから私が見つけた場所なのに! なんで、貴方が隣に……!?』
明らかな動揺と驚愕で身体を引かせるレミディアの様子に、エアハルトは呆気を浮かべる。
しかしその言い分が自身の苛立ちとは相容れぬ言葉だと気付き、反撃するように言い返した。
『ここは、俺が先に見つけた場所だ』
『えっ!?』
『いつも俺が使っている場所に、貴様がイビキを
強く口調で言い返すエアハルトは、苛立ちの宿る表情を見せながら睨む。
しかし相反するように、レミディアは自分の主張を覆そうとはしなかった。
『ここは、私がずっと前に見つけた場所だったんです! だから私の場所です!』
『……なんだと?』
『それと、私はイビキなんて掻きません!』
噛み合うようで合わない二人の会話は、互いに自分が先に得た場所だと主張し合う。
今まで我慢を重ねて待っていたエアハルトは、強い苛立ちを抱きながら言い返した。
『俺が先に見つけたんだ!』
『私が先です!』
『……どうしても去らないなら、女とて容赦しないぞ』
『それはこちらの台詞です』
互いに一歩も譲る気が無い口論は、ついに互いを立ち上がらせる。
そして互いに距離を開けながら前に歩み出ると、構えぬエアハルトに対してレミディアは下裾を開きながら左半身を前に出す形で構えた。
その構えを見た瞬間、エアハルトは奇妙な違和感を抱く。
レミディアの見せる構えは素人染みた
それを見たエアハルトは、最初に見たレミディアが他の女官達を圧倒していた光景を思い出す。
更に納得を浮かべながらも、睨みながら声を向けた。
『貴様、やはりただの女ではないな』
『そう思うのなら、どうして貴方は構えないのです?』
『人間の、しかも女が。俺に勝てるわけがないだろう』
『……その思い上がり、ここで
そして深くも短い深呼吸を行いながら腰を僅かに下げた瞬間、右足で地面を蹴りながら一気に間合いを詰めたレミディアの左拳がエアハルトの鼻先を僅かに
『ッ!!』
突如として縮まる間合いと、鼻先を霞める左拳に驚愕したエアハルトは、辛うじて顔を引かせながら数十センチ程だけ跳び退く。
そして拳が届く間合いを外すと、レミディアは挑発的な微笑みを見せながら声を向けた。
『次は、深く当てます』
『……貴様』
敢えて顔面へ直撃させなかったと言わんばかりの言葉を向けるレミディアに、エアハルトの苛立ちが怒りに変わる。
そしてエアハルトは右半身と右腕を前に出しながら構える姿勢を見せると、二人は僅かに腰を落として構えた。
すると次の瞬間、二人が同時に飛び出しながら攻撃を放つ。
エアハルトは左足で飛び出しながら腰を深く落とし、右脚を前に放ちながら右足で突く姿勢を見せた。
そしてレミディアは先程と同じく左拳の高速
更に拳と足の突きでは、射程距離も大きく異なる。
そしてエアハルトは
『なっ!?』
『ハァアッ!!』
レミディアの突き出した右の掌底は、エアハルトの鼻った右足の蹴り先を迎撃する。
しかも右手の中で受け止めたエアハルトの右足をレミディアは掴むと、逆にエアハルトを右足ごと引き込みながら身体の
右足を引かれて身体を横にしながら草の生い茂る地面へ倒れたエアハルトは、そのまま顔を上げて右足を掴む手を振り払おうとする。
しかしそれよりも早く、レミディアの左拳が再びエアハルトの顔面の前で止まった。
『……ッ!!』
『――……これで、私の勝ちですね』
レミディアはそう言いながら掴んでいた右足を離し、左拳を引かせながら膝を上げて身体を起こす。
そしてエアハルトから離れながら木陰に戻ろうとすると、エアハルトは唖然とした様子から一気に怒りの表情を見せて怒鳴った。
『……貴様、施しでも与えたつもりかっ!!』
『いいえ。でも貴方が
『!?』
『ゴズヴァール様から伺っていました。貴方は人間を見下しながら侮ることが多いと。それがいつか油断に繋がって死ぬ時が来るんじゃないかと、そう御心配されていましたよ』
『……まさか貴様も、ゴズヴァールの教えを……っ!!』
『ゴズヴァール様から何も聞いていないのですね。私の事を』
『……貴様は、何者だっ!?』
エアハルトの態度から不可解な様子を見せるレミディアは、そうした疑問を口に出す。
それを聞いたエアハルトは感情を剥き出しにしながら怒鳴り聞くと、レミディアは改めるように自身の事を伝えた。
『申し遅れました。私も貴方と同じ闘士の一人、レミディアと申します』
『なにっ!?』
『今は
『……!!』
『でも最近は、ウルクルス様の御傍から離れる時間が無かったので。……私が居ない時になら、
レミディアはそう述べながら微笑みを浮かべて振り返り、後ろに纏めた赤い髪を揺らす。
それを見たエアハルトは目の前の
こうして互いに険悪な状況から交流が始まった二人の中で、エアハルトは初めてレミディアに関する素性の一端を知る。
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