本気の姿


 怪物に追われながらも奴隷の契約書を確保する事に成功した妖狐族クビアだったが、会場に戻る途中に思わぬ事態へと陥る。

 それは泥の巨体から人の大きさまで戻ったベイガイルだったが、その身は異形のまま憎悪の意思だけでクビアと対峙した。


「――……ァアアアアアッ!!」


「ッ!!」


 憎悪の表情を浮かべ黒い瘴気オーラを放つベイガイルにより、周囲にあるモノが腐食するように腐り始める。

 それを確認し驚愕したクビアだったが、その現象を考える余地すら無く床を破壊しながら飛び掛かるベイガイルに対応せざるを得なかった。


 クビアは左手に持つ紙札を前方に投げ出し、紙札それを媒介にしながら周囲に結界を作り出す。

 更に右手に持つ扇子を広げながら自身の魔力を通して赤い文字を浮かべると、展開した結界が分厚く強化され、襲い掛かるベイガイルの強襲を阻んだ。


「ガァアアッ!!」


「ちょっと! なんなのよ、コイツ……ッ!?」


 ベイガイルが放った右拳の殴打は、強化されたクビアの結界に阻まれる。

 その殴打が凄まじい威力である事を証明するように結界には亀裂が走り、余裕を失ったクビアは突如として現れ襲い掛かる異形ベイガイルに苦言を向けた。


 しかし結界を挟みながら異形ベイガイルの顔を見たクビアは、目の前の相手が怪物の依り代になっていた人間ベイガイルの面影がある事を悟る。

 そして思考が全てを結び付け、黒い泥の塊だった怪物が異形ベイガイルへ変化した事を察した。


「さっき怪物どろが、姿を変えた……!? ……いや、このちからは……さっきよりも……ッ!?」


「死ねぇええええッ!!」


「!」


 押し当てられる黒い拳が結界の亀裂を広げる様子を確認したクビアは、変貌したベイガイルが先程の怪物を遥かに凌ぐ怪力がある事を察する。

 そして憎悪の咆哮を再び叫ぶベイガイルは、阻む結界を拳で突き破って見せた。


「クッ!!」


 割れ砕けた結界の隙間から手を差し込んだベイガイルは、その亀裂を更に広げようと腕を暴れさせる。

 このまま結界が破られる事を察したクビアは、胸元に差し挟む紙札を左手で取り出し、怪物に攻撃した時と同じように結界を通して青い炎を浴びせ掛けた。


「グァッ!!」


「……やっぱり、魔力を吸収しない……! それに――……」


 結界越しに青い炎を浴びて苦しみの声を漏らすベイガイルの様子に、クビアは確信めいた事を口にする。


 ベイガイルは黒い泥に覆われた怪物の時、クビアの張った結界や魔術の炎を通じて魔力を喰らい、取り込む様子を見せた。

 しかし今現在の異形すがたで襲い掛かるベイガイルには、魔力で形成している結界を取り込まずに突き破ろうとしている。


 その状況から推察し魔術での攻撃が効く可能性があると判断したクビアは、試すように青い炎を生み出し浴びせる。

 そして予想通りに炎を取り込まずに苦しむ声を見せるベイガイルの様子を確認し、それと同時に別の事実も判明した事を察した。


「もう、コイツは人間じゃないって事ねっ!!」


「ガッ、ガァアッ!!」


 奴隷の制約により先程まで攻撃できなかった本体ベイガイルに攻撃できるようになっている事を知ったクビアは、更に放出する青い炎を強める。

 そして右手に持つ扇子を薙ぎ、ベイガイルに対して幾度も斬り付けるように魔力斬撃カマイタチを放った。


 すると予想通り、ベイガイルは青い炎を纏いながら魔力斬撃を受け、結界に喰い込ませていた腕と共に身体を吹き飛ばされる。

 そして床に倒れながら転がると、クビアは結界を修復させながら注意深く行動し、ベイガイルの様子を観察した。


「……!」


 青い炎に包まれたまま倒れているベイガイルだったが、身体を動かし立ち上がる様子を見せる。

 そして炎に包まれながらも黒い眼球から見える赤い瞳を輝かせ、憎悪の表情を宿らせたままのベイガイルは、再び身体から黒い瘴気オーラを放った。


 すると身体全体を包んでいた青い炎が散り、溢れ出る黒い瘴気に飲まれる。

 更に魔力斬撃ブレードで受けた傷跡も薄く、身体を覆う黒い外殻に傷を付けたのみで留まり、その跡すらも塞がり始める様子にクビアは苦々しい表情を見せた。


「……魔力斬撃さっき以上の威力でぇ、しっかり殺さないといけないわけねぇ……」


 ベイガイルを殺す為には、強力な攻撃が必要になることをクビアは察する。

 しかし最も殺傷性の高い魔力斬撃ブレードが浅い傷しか付けられない以上、それ以上の威力を持つ攻撃でなければ通じない事を苦慮していた。


 そうした苦慮が解決される時間を待たず、ベイガイルは全ての傷を塞いで前屈みに上半身を倒す。

 更に次の瞬間、再び床や周囲を破壊する程の強い踏み込みを見せ、一つ覚えのように突進しクビアへ両拳を叩き付けた。


「ッ!!」


「ァアアアアッ!!」


「ちょっ!?」


 結界に叩き付けられたベイガイルの両拳は、近い場所に打撃を加える。

 すると結界には瞬く間に穿うがたれ、両拳と腕が通る程の穴が生じてしまった。


 その隙間に入れ込んだ両拳を逆向きに広げたベイガイルは、両手の黒い爪を噛ませながら結界を抉じ開けようとする。

 それと同時に結界全体に亀裂が広がるのを確認したクビアは、再び青い炎を放ちながら右手に持つ扇子の魔力斬撃カマイタチをベイガイルに浴びせた。


 しかし先程のように吹き飛ばされないベイガイルは、炎を瘴気オーラで散らしながら瞬く間に受けた傷を塞ぐ。

 その驚異的な身体能力と再生能力は魔人すらも遥かに超えており、結界を破るベイガイルに対抗できないクビアは驚愕の表情を見せながら身を引いた。


「ッ!!」


「死ねぇえええええええッ!!」


 そして次の瞬間、両腕を大きく広げたベイガイルは結界を砕き割る。

 それと同時に右拳を握るベイガイルはクビアの顔面を狙い、その拳を凄まじい速さで放った。


 放たれた拳は衝撃波すら生み出し、周囲に凄まじい暴風を巻き起こしながら穿うがたれる。

 しかし拳を伸ばし撃ち終えたベイガイルは目を見開き、捉えたはずのクビアが目の前から居なくなっている事を悟った。


「……何処だァアアアアアアアッ!!」


 ベイガイルは周囲を探り、憎悪のまま叫びを向ける。

 更に怒り任せで床に片足を叩き付けると、その部分を大きく破壊しながら周囲に衝撃を及ぼした。


 そして亀裂の入る床と壁から大量の瓦礫と埃が舞う中、一枚の紙札が中空に漂う。

 その紙札に僅かに流れる魔力を伝うと、別方向の廊下にある室内に身を屈めて潜むクビアの姿があった。


「――……さっき吹き飛ばした後、こっそり幻影みがわりにして結界から出てて正解だったわねぇ……」


 ベイガイルが及ぼす衝撃を振動で察しながら、クビアは焦りの表情で小声を漏らす。


 先程の攻防で万が一の事態が起きた時に備え、クビアは魔力斬撃カマイタチでベイガイルを吹き飛ばした後に結界内の床に紙札を貼り付け、自らの幻影を映し出していた。

 そして幻影と入れ替わるように結界をすり抜けた後、ベイガイルが起き上がる前に別の廊下に在る部屋へと逃げ込む。

 更に幻影を通じてベイガイルの状況を観察し、あたかも生身であるように振る舞っていた。


 しかし異形のベイガイルが見せる予想以上の力を確認したクビアは、その戦力差を否応なく自覚してしまう。

 そして憤怒の咆哮を叫びながら周囲を破壊して自身を探しているベイガイルの声を聞きながら、クビアは苦悩の様子で呟いた。


「……紙札これを全部使ってもぉ、勝てるか分からないわねぇ……。……転移で帝城ここの外に逃げたいけどぉ、外の方がもっと危ない感じがするのよねぇ……」


 クビアはベイガイルから出来るだけ離れて逃げる事を考えるが、自身の感覚を信じて帝城の外に逃げる事を躊躇う。

 そして帝都の外に出る為には制約となっている奴隷契約の破棄が必要である為に、どうしても会場に居る副主人サブマスターのセルジアスから奴隷契約の破棄を行ってもらう必要があった。


「……なんとかアイツから隠れてぇ、こっそり会場まで向かってぇ……。……あぁ、もう。急に襲って来るからぁ、紙札ふだの替えを会場に置き忘れちゃったわよぉ……」


 クビアは苦心する表情を見せ、意味不明な敵と備えの少ない状況に小さな絶望感を抱く。


 一度目に怪物に襲われて取り込まれそうになった際、クビアは転移魔術を使用して脱出している。

 その際には、予め会場内の別位置に転移用の紙札を張り付けていた事もあり、転移する事は出来た。


 しかし今現在、会場内に転移用に仕掛けた紙札は一枚も残っていない。

 会場に戻る為にはどうしてもベイガイルを避けながら移動する必要がある為、クビアは他にも転移用の紙札を張り付けておかなかったことを後悔していた。


 そして後悔と絶望感で思考が満たされた時、とある可能性がクビアの脳裏に思い浮かんでしまう。

 その可能性を考えながら表情を強張らせるクビアは、胸元に入れている奴隷の契約書を確認しながら呟いた。


「……もしこのまま隠れてたらぁ、アイツも会場に向かうだろうしぃ……。そうなったらぁ、人間とエアハルトだけじゃ相手できないわよねぇ……。……もしそれで副主人セルジアスが死んだりしたら……契約の解除も出来なくなっちゃうわぁ……」


 この状況で最も悪い可能性が考え浮かんでしまったクビアは、やはりベイガイルに対処する為の方法を考えざるを得なくなる。

 ベイガイルを会場に向かわせずに長時間の足止めを行い、更に奴隷契約を破棄させて転移魔術を使い脱出する。


 その筋書きを叶える為にも、クビアにはベイガイルを足止めする為の手段を講じるしかなくなっていた。


「……こうなったら、本気でやるしかないわね」


 クビアは再び口調が鋭くなり、今まで見せていた弱気な表情が一変して厳しくなる。

 そして立ち上がりながら複数の紙札を左手で取り出すクビアは、大きく深呼吸をしてから覚悟を見せた。


「本気でやると、お姉ちゃんが気付きそうだけど……。……この状況じゃ、そうも言ってられないわね……」


 そうした事を呟いたクビアは、ベイガイルが鳴らす咆哮と振動に満たされた廊下へ自ら出て行く。

 すると廊下の中央に立つと、別方向の場所を破壊しながら探すベイガイルに向けて呼び掛けた。


「馬鹿ね、こっちよ!」


「――……アァアアアアアアッ!!」


 クビアが呼び掛ける大声を聞いた瞬間、ベイガイルはその方角に向けて突撃するように走る。

 その姿は異常であり、足が床を叩く度に衝撃と破壊を生み出しながら凄まじい加速を見せた。


 しかしクビアは動じる様子を見せず、身に着けている装束ドレスを突き破りながら九つの尻尾を出現させる。

 更に狐の耳と身体中に赤い紋様くまどりを浮かび上がらせた後、右手に持つ扇子を大きく振り翳しながらベイガイルに向けた。


「アア――……ッ!!」


 すると次の瞬間、クビアの向けた扇子から凄まじい勢いの風と共に炎が巻き起こる。

 強い突風と炎熱が共に混ざりながらベイガイルを襲うと、再びその身体を吹き飛ばしながら大きく離れさせた。


 それから広げている扇子を口元に動かすクビアは、鋭い表情のままベイガイルと相対する。


妖狐族わたしの本気、とく御覧ごらんなさい」


「――……殺す……殺すッ!!」


 クビアは余裕や悠長さを無くした姿を見せ、九つの尾に様々な色合いの光を灯す。

 そして吹き飛ばされたベイガイルもまた先程より深い傷を与えられながらも、瞬く間に肉体を修復させながらクビアへ向かい突撃を始めた。


 こうして悪魔いぎょうの姿と化したベイガイルに対して、クビアは本気の実力を見せる。

 それは今まで見せていた『クビア』という魔人ひとの姿ではなく、獣族の中で最も魔術が長けるという『妖狐族かのじょ』本来の姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る