天の楽園


 『きん』の七大聖人セブンスワンミネルヴァの死後、彼女が放った魂と意思の閃光は様々な形で各国の人物達に伝わる。

 その閃光はエリク達が見た未来を切り開き、新たな未来の道標みちしるべとなった。


 ミネルヴァの魂は、自身が施した秘術の代価として消失する。

 消失する魂の行方は死者が赴く輪廻ではなく、何も見えない漆黒の暗闇だった。


『――……私は……』


 その暗闇を漂うように、肉体を失ったミネルヴァの魂は彷徨っている。


 始めは人の姿を保っていた魂だったが、次第にその形は崩壊していく。

 それを自身で視ているミネルヴァの魂は、寂しげな微笑みを浮かべていた。


『……私は、天の楽園ヘイスエイデンにはけない……』


 そう呟くミネルヴァの魂は、形成していた人格や記憶すらも削られていく。

 既に魂の半分以上が崩れ落ち、顔の半分と左半身が崩れ落ちて行く光景を自分自身で感じ取っていた。


 このまま魂が消滅すれば、輪廻の循環システムに入り記憶の浄化や新たな生命となって転生する事が出来たない。

 文字通り、世界から存在そのものが消滅するという事態を既に覚悟して秘術を施していたミネルヴァだったが、残る右の瞳から魂の涙を流していた。


『――……!』


 その時、漆黒の暗闇に一筋の光が差し込んで来る。

 ミネルヴァは暖かな光が自分自身の目の前に差し込んだ事を察し、崩壊する顔で正面を視た。


『……え?』


 ミネルヴァが視たのは、不可思議な光景。


 その眩く暖かい光は徐々に大きく広がりながら、ミネルヴァの魂に浴びせるように包み込んでいく。

 すると魂の崩壊を止め、逆に崩れ落ちていたはずの魂が再び肉体の姿を取り戻し始めた。


『これは、いったい……?』


 魂が修復されていく感覚を得ながら、ミネルヴァは困惑にも似た感情を吐露させる。

 そうした様子のミネルヴァに対して、光の先からとある声が届いた。


『――……七大聖人セブンスワンに選ばれし魂よ』


『!?』


『ある者から、貴殿の救いを頼まれた』


『……貴方は、いったい……?』

 

『さぁ、この手を掴むがいい。選ばれし魂よ』


 声の主はそう述べ、眩い光の中から右手を伸ばす。

 それをミネルヴァは感じ取り、困惑した感情を抱きながらも自身の右手を伸ばした。


 互いの右手を握り合うと、ミネルヴァの感覚が一瞬にして光の中に引き込まれる。

 そしてミネルヴァの魂は、意識を途絶える状態に似た感覚を表した。


 それからどれ程の時間が経ったのか、ミネルヴァ自身には分からない。

 しかし次に目覚めたミネルヴァの精神は、広大で真っ白な空間を寝そべっていた。


「……ここは……?」


『――……起きたかね?』


「!?」


 意識を戻したミネルヴァの呟きに、まるで反応するような声が向けられる。

 ミネルヴァはその声を聞いて驚き、無いはずの身体を両腕を支えに起こした。


 その感覚にミネルヴァは驚き、自身の両腕と両手を見る。

 そこには実体にも見える自身の肉体が見え、更に身体の感覚さえも感じ取っていた。


「こ、これは……?」


『ここは、魂の世界。おぬしの精神世界じゃ』


「!」


 再び聞こえた声に、ミネルヴァは驚愕しながらも顔を上げる。

 すると目の前には、人の姿に似た真っ白な人物が立っていた。


 その人物の顔や年齢も分からず、年寄り染みた声をミネルヴァの肉体と精神を通して響き伝えている。

 自身に起きた状況が分からないミネルヴァは、立ち上がりながらその人物と向かい合いながら話し掛けた。


「……貴方が、私をここに……?」


『そうじゃな』


「いったい、どうして? そもそも私は、魂を代価として消滅の秘術を用いたはず……」


『先に言うた通り、ある者に頼まれてな。虚無うつろに入り込んでいたお主を拾った』


「うつろ……?」


虚無うつろとは、現世うつしよ幽世かくりよの狭間。輪廻に逝けず、かといって現世にも留まれぬ魂が彷徨う場所じゃな』


「そんな場所が、存在を……?」


『うむ。虚無うつろに魂がとどまっておると、魂が瘴気を生み出し、現世うつしよ幽世かくりよの世界にも溢れ出る。それを防ぐのも、幽世こちらを管理しておる儂の務めじゃな』


「こちらを……管理?」


『ああ。私は幽世こちらの管理人だ』


 白い人物はそう述べると、顔も無いにも関わらず微笑みを浮かべたような声と感情を伝える。 

 そうした話を聞いていたミネルヴァは、意識を整えながら改めて尋ねた。


「……貴方は、いったい誰なのですか?」


『ふむ。まぁ、お主の先達せんだつじゃな』


「先達……? まさか、貴方も七大聖人セブンスワンなのですか?」

 

『そうした事をやっていた時期もある。五百年ほど前までな』


「!」


『まぁ、儂の話はそれくらいでいいじゃろう。……さて、お主を案内するとしようか』


 白い人物はそう語りながら、後ろを振り向くような仕草を見せる。 

 するとミネルヴァが気付かぬ内に、白い人物の背後に巨大な白い門がそびっていた。


「なっ!? いつの間に、こんな扉が……!!」


『お主のなかにある扉だ。何処から現れても、不思議ではあるまい』


「私の中にある、扉……? ……まさか、これは私の……魂の門?」


『さぁ、開こうか』


「!」


 ミネルヴァは自身の目の前に出現した巨大な白い門が、自分自身の魂に通じる扉だと気付く。

 その扉は文字や意匠が彫られた白い陶器で作られているような美しい門であり、ミネルヴァはその扉を見上げた。


 白い人物は魂の門に歩み寄り、その両手を触れさせる。

 すると扉は緩やかに内側へ開き始め、ミネルヴァを驚きながらその光景を見ていた。


 その先は現在の白い空間とは異なり、黒く塗られたような空間が広がっている。

 しかし先程の虚無うつろとは違い、夜空に散らばる星空のように様々な色の光が輝いている光景が見えた。


 そして扉が開けられた後、白い人物は身を横にずらすように移動する。

 するとミネルヴァの視界にもう一人だけ、扉の先に立つ人物の姿が見えた。


「……貴方は……貴方様は……!!」


 そこに立っている人物を見ると、ミネルヴァは驚きながらも開けられた門の内側に歩いていく。

 そして感涙を瞳から見せながら、そこで立っていた人物に呼び掛けた。


「神よ……。我が神よ……!」


 そこに居たのは、ミネルヴァが崇め続けていた神。

 藍色の外套を着て帽子を被り、黒い髪と瞳を持っていた女性クロエが立っていた。


 そしてクロエは微笑みながら、目の前で歩みを止めたミネルヴァに話し掛ける。


『ありがとう。ミネルヴァ』


「!」


『君のおかげで、新たな未来の道が拓けた。……でも、君の命を失わせてしまった。ごめんね』


「……いいえ。貴方が謝る事など、何もありません」


『そうかな? だって私は、こうなる未来ことが視えていて、君を選んだのに』


「いいえ」


『!』


「私は、私自身の選択をしました。こうした形で命を落としたのも、全ては私自身の選択です。……貴方様が視ている未来もまた、その未来を生きている者達が選んだことでしょう」


『……』


「だから神は、何も悪くありません。……どうか、悲しまないでください」


 ミネルヴァは微笑みを浮かべ、自身が選んだ道に後悔が無い事を伝える。

 それを聞いたクロエは驚くように口をすぼめてから唇を噛みると、帽子で隠れた瞳から一筋の涙を流した。


 それからクロエは口元に微笑み、ミネルヴァの顔を見ながら再び感謝を伝える。


『……本当にありがとう、ミネルヴァ。最後まで、私の手伝いをしてくれて』


「私は貴方かみに仕える事を選んだ者です。そして、貴方との約束も果たせました」


『うん。だからそんな君に、御褒美を上げようと思ってね』


「御褒美?」


『さぁ、向こうを見て』


「え……」


 クロエはそう話すと、後ろを振り返りながら右手の人差し指をある場所へ向ける。

 それを聞いたミネルヴァは不可思議な表情を浮かべ、神が指し示す場所を見た。


 するとそこには、幾多の光が集まっている光景がミネルヴァの瞳に映る。

 それは始めこそ球体状の光が群がっているだけに見えたが、次第にミネルヴァの視界には別の光景が浮かび上がった。


「……まさか……」


『行ってあげて。ずっと君の事を思いながら、待っていたようだから』


「……神よ。本当に、感謝します」


『うん』


 ミネルヴァは光が集まる場所を見た後、その瞳から涙を零す。

 そしてクロエに感謝を伝えた後、ミネルヴァは走りながら光が集まる場所へ向かった。

 

 するとミネルヴァの姿だった精神は、次第に小さく変化していく。

 そして変化したミネルヴァの姿は、十歳頃の少女時代に戻っていた。


 そして幼くなったミネルヴァは、光が集まる場所へ駆けながら嬉しそうに叫ぶ。


『お父さん、お母さん! お爺ちゃん、お祖母ちゃん! お兄ちゃん、お姉ちゃん……!』


 少女ミネルヴァは笑顔を浮かべ、光が集まる場所へ飛び込む。

 するとミネルヴァの身体を光達は優しく抱き止め、それぞれが人の姿に変わりながら優し気な声を発した。


『――……ミネルヴァ。よく頑張ったな』


『うん! あのね、私ね! 神様の御手伝い、いっぱいしてたんだ!』


『そう、とっても良い子だったのね』


『うん! あのね、皆にいっぱい話したいことがあるの! 神様に会って、それから友達もいっぱい出来てね、それから――……』


『はいはい、ちゃんと聞いてあげるから。落ち着きなさい』


 ミネルヴァは嬉しそうな声で語り、家族に話し掛ける。

 そしてミネルヴァの手を優しく握った家族の光は、微笑んだ声で喋り掛けた。


『これからは、一緒にいよう。ミネルヴァ』


『うん!』


 ミネルヴァは嬉しそうに微笑みを浮かべ、家族に両手を引かれながら歩いて行く。

 そして『天の楽園ヘイスエイデン』へといざなわれ、家族と共に輪廻の循環へと戻っていった。


 クロエは微笑みを浮かべながら、家族と共に去っていくミネルヴァを見送る。

 すると閉められていく白い門から出て来た白い人物が、クロエに話し掛けながら隣に並んだ。


『……クロ、これで頼み事は全て終わったな?』


『そうだね。もう輪廻こちらでは、やれる事は無いよ』


『まったく。久方振りに輪廻こちらへ来たかと思えば、次から次へと頼み事を押し付けおってからに』


『それだけ、君を頼りにしてるのさ。……ありがとう。おかげで、現世むこうはどうにかなりそうだ』


『そうか。ならば、さっさと行くがいい。しばらく輪廻ここには来るなよ』


『君も、こちらの管理を引き続きよろしく。シロ


『ふんっ、お前に言われるまでもない。――……ではな』


 『しろ』と呼ばれた人物は、そう告げながら白い粒子となって姿を消す。

 それを見送る『クロエ』は微笑みを浮かべた後、新たな胎動が聞こえる場所へと歩み始めた。


 こうして『シロ』に救われたミネルヴァの魂は消失を免れ、彼女が望む天の楽園ヘイスエイデンへと導かれる。

 そして生命の胎動へ導かれる『クロエ』は、新たに切り拓かれた未来へ向かった。

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