宿る命


 記憶を失ったアルトリアは、自身の故郷であり過ごした土地であるガルミッシュ帝国のローゼン公爵家が統治する領地へ戻った。


 ローゼン公爵領地の中心都市は、帝都に見間違える程の建築物と文明を築いている。

 都市の大地はしっかりとした作りに整地されながら、地下水道を始めとして魔道具を用いた都市施設ライフラインが整えられており、本国であるルクソード皇国に勝るとも劣らない都市機能と景観を持つ。

 それ等の都市を覆う外壁は勿論、内壁や重要施設に至るまで魔道具を用いた結界が敷かれ、外敵においては揺るがぬ強固で堅強な要塞であり、また内部においても極めて高い防衛設備と警備体制が敷かれていた。


 そこで暮らす人々の様子には活気があり、また様々な物流が行き交い多くの産業が盛んに行われている。

 馬車や大型の荷車を運搬する専用道路と人が通る道路は分かられている為に交通の便が優れ、一部区画では魔道具の製作工場から始まり、幼年期の子供達を育む為に学校施設が設けられ、多くの商人達が店舗を築く大型商店ショッピングモールや遊具を用いた娯楽施設など、広大な都市に見合う数多の施設が存在していた。


 がセル子爵家の一団に含まれる領兵達にも、初めてローゼン公爵領地の都市に訪れた者は居る。

 そうした者達は自身の故郷やガゼル子爵家の都市と比較してしまい、驚愕を露にしながら周囲を見渡す様子さえ見せた。


 しかし記憶を失いそうした情景を馬車の中から見ているアルトリアは、それほど驚いた様子を見せない。

 向かい合う形でそれを見ていた老執事バリスは、微笑みながら尋ねた。


「――……どうですかな? 久方振りの故郷へ帰って来た感想は」


「……別に? 特に何も」


「懐かしい感覚などは、ありませんか?」


「無いわね」


「そうですか。しかし、この都市は立派でございますな。皇国の皇都ですら、この光景と比べられれば霞むやもしれません」


「そうなの? 今までが田舎過ぎる感じだっただけで、これくらいの街は普通でしょ」


「!」


「むしろ街をもっと良く見せるなら、外と中を遮らせてる壁が邪魔だわ。崩して取っ払えば、もっと効率が良い街になるのにね」


「……なるほど」


 故郷の都市を眺めながらも呆れた様子で呟くアルトリアに、バリスは僅かな違和感を覚える。


 今まで訪れた皇国と帝国の港都市にしても、現在の人間大陸では指折りの建築技術で成された都市だった。

 それこそ田舎と呼ばれる村や町から訪れる人々であれば、その情景に感慨深い思いを抱いてしまうだろう。


 しかし今のアルトリアは、あの港都市を含めて今まで見ていた場所まちを『田舎』と称した。

 自身バリスとアルトリアの基準に大きな誤差がある事を察したバリスは、他にも外敵に対する防衛まもりを考慮していない言葉を聞き、危うさを僅かに感じる。


 記憶を失って目覚めたアルトリアは、口調こそ以前に似た様子ながら、素直にもダニアスやバリスが述べる事を聞き入れている。

 ユグナリスに対しては嫌悪を示し邪見にしている様子こそあるが、基本的に初めて会う者達に対して疑いを向ける事が無い。

 以前アリアならば、見覚えの無い人物に対して幾らかの警戒心や猜疑心を持ちながら、正否を抜きにしても自身が決断した事柄を信じて行動しているだろう。

 

 今のアルトリアは、良くも悪くも『純粋』過ぎている。


 それを良しと考えるか、あるいは不安と考えるか。

 バリスは内心で迷いながらも、敢えてそれを本人アルトリアに伝えて要らぬ考え方を持たせないようにした。


 それからローゼン公爵領地の都市に到着後、護衛を務めていたガゼル子爵家の一団に変化が生じる。

 領兵の大部分は都市の守備兵に誘われ、兵士達が待機する為の施設へと案内された。


 ガゼル子爵の周囲は数名の領兵を残し、アルトリアとユグナリスを乗せた馬車を含めた皇国の一団を先導する形で道路を通過していく。

 そして仕切られた内壁を幾度か潜り抜けると、都市の中心に設けられた巨大な敷地へと足を踏み入れた。


 そこは森を始めとした緑の景色を残す場所であり、まるでそこだけ都市を繰り抜いて置いたような自然が残っている。

 しかし人や馬車が歩くべき道路は作られ、その部分を通過する一行は真っ直ぐに自然の中心部に向かっていた。


 そうした広い自然と土地の中で、一つの大きな屋敷が構えられている光景が見える。

 更にそこを中心に多くの屋敷が周囲に点在し、その中心となる大きな屋敷に一行を乗せた馬車は辿り着いた。


 屋敷の前には多くの百人を超えるだろう侍女や執事が立ち並び、一行を出迎える。

 それ等の全員が精練された面持ちと無駄の無い動作を見せ、全員が一流と呼ぶに相応しい実力を身に付けている者達である事が窺えた。


 アルトリアは停止した馬車の扉を御者が開けると共に、バリスに続く形で降りる。

 そして盛大な出迎えに対しては興味を示さず、屋敷を見上げるように視線を動かしながら僅かに眉を顰めて呟いた。


「……ここが……」


「ここが、アルトリア様の御実家であるローゼン公爵家の本邸ですな」


「……」


「何か、思い出せましたかな?」


「……ううん。でも、初めて来た場所のような気はしないわね」


「それは良い傾向かもしれませんな」


「……でも、微妙に嫌な感じがする」


「!」


「多分、ここで良い思いをあんまりしなかったのね。前の私は」


 アルトリアは屋敷と出迎える者達を見ながら、自身の青い瞳を通して見る実家の光景から過去の自分が抱いていた気持ちを察する。

 それを聞いていたバリスは、自身が抱く感情によって過去の自分アリアの抱いていた思考を察知するアルトリアに驚いていた。


 そんな話をしている二人に、ガゼル子爵も馬車から降りて近付く。

 そして出迎える者達の中央から家令と思しき老執事が一行の傍に歩み寄り、アルトリアに対して丁寧に礼をしながら言葉を発した。


「――……おかえりなさいませ。アルトリア御嬢様」


「おかえりなさいませ。アルトリア御嬢様」


 ローゼン公爵家の執事を務める家令の言葉は、出迎えた百名程の従者達にも伝播する。

 一同が綺麗に整えられた礼を行いながらアルトリアを出迎える光景は、まさしく圧巻と呼ぶに相応しかった。


 しかしアルトリアは、その光景を見て驚く様子は無い。

 逆に眉を顰めながら不機嫌な様子を示し、頭を下げている家令に言葉を向けた。


「……私、別に帰って来たわけじゃないわよ。第一、アンタ達の事は何も覚えてないし」


「御話は伺っております。それでも、こうして御嬢様が御戻りになられた事は、我々にとって喜ばしい事にございますれば」


「だから、戻って来たわけじゃないわよ。ここに居るっていう、皇子の婚約者とやらの治療をする為に来ただけ。それが終わったら、さっさと皇国に戻るわ」


「そのような御寂しい事を仰らず……」


「とにかく、さっさと用事を終わらせたいのよね。私は」


「ここに訪れるまで、長旅だったでしょう。一度、御休みになられてからでも……」


「別にいいわよ。それに、この屋敷で休むつもりも無いわ。さっさと治療して出て行くから」


 アルトリアは実家に戻った事で得た自身の感覚を察し、あまり長居をしたくない様子が窺える。

 逆に帰郷した御嬢様アルトリアを出来るだけ引き留めようと努める家令の様子を確認したバリスは、二人が話す横から口を挟む形で加勢した。


「――……アルトリア様。ここは一度、御屋敷にて御休憩された方がよろしいかと」


「はぁ? なんでよ」


「確かに揺れの少ない馬車にて辿り着けましたが、肉体的な疲労よりも精神的な疲労が溜まっているでしょう。そして殿下の婚約者は、目が見えず足が動かせない身体だと聞きます。その治療に挑まれるにしても、アルトリア様が万全の状態である事が必要だと考えます」


「……」


「それに、あと数刻も過ぎれば夕刻となります。婚約者の方や仕える者達も、余裕のある状態で治療の場を整える必要があるでしょう。そうした調整の時間を、先方に与えてはどうですかな?」


「……はぁ。分かったわよ」


「ありがとうございます。――……そういうわけなので。アルトリア様が御休みになられる部屋を、御用意して頂けますかな?」


「……は、はい。ありがとうございます」


 バリスは上手くアルトリアを納得させ、その場をおさめる。

 そうしたバリスの様子に感服した家令の老人は、アルトリアに礼をしながらもバリスに感謝を伝えた。


 ガゼル子爵を含むアルトリア達は、屋敷の中で宿泊できる部屋を貸し与えられ長旅の休息を行う。

 そして夕刻が訪れ、アルトリアが過ごす部屋に夕食が持ち込まれた。


 その際、先程の家令が食膳台を運ぶ侍女と共に訪れ、バリスが控えるアルトリアに述べる。


「――……御嬢様。実は、兄君であるセルジアス様の事ですが」


「?」


「セルジアス様は只今、共和王国の盟約と共に進む同盟都市開発の為に、この領地には御越しになられておりません」


「じゃあ、しばらくここには来れないってこと?」


「はい。代わりにわたくしめが、屋敷の留守を預からせて頂いております」


「そう。皇子の婚約者は居るのよね?」


「はい。今は別館にて御過ごしになれており、明日には御嬢様と御面会できるよう御伝えしています」


「じゃあ、問題は無いわ。明日、その婚約者を治療してさっさと出て行くわ」


「……実はその事で、セルジアス様から伝言がございます」


「伝言?」


「亡き父君であらせられる、クラウス様の墓前に訪れてほしいそうです。そして出来れば、手向けとなる花を添えてほしいと」


「……まぁ、それくらいならいいけど」


「それと、御嬢様の御部屋ですが。帝都の魔法学園や研究室から御嬢様の私物を回収し、御嬢様の御部屋に御届けさせています。もし気が向いたらで構いませんので、御嬢様の御部屋に御越しください。記憶を戻すきっかけになるやもしれません」


「……」


「それと、明日には御分かりになると思うので先に述べさせて頂くのですが……」


「まだ何かあるの?」


「ユグナリス殿下の婚約者候補であるリエスティア様の治療ですが、しばらく待ってほしいそうです」


「は? なんでよ」


「それが、実は――……」


「――……なんですって?」 


 家令はセルジアスの言葉を伝え、その表情を僅かに強張らせる。

 アルトリアやバリスもまた、その家令が伝えた言葉を聞き目を見開く程の驚愕を見せた。


 曰く、皇子ユグナリスの婚約者候補であるリエスティア姫が懐妊している可能性がある。

 その知らせはアルトリア達だけに留まらず、別館に訪れ数ヶ月振りにリエスティアと再会しようとしていたユグナリスにも驚愕を与えていた。


「――……リ、リエスティアが……妊娠って……!!」


「はい。三ヶ月程前から月ものを迎えず、幾度か悪阻つわりの様子を見せておられました。そこで御医者様に確認させたところ、そうだという話に……」


「……ま、まさか……あの時の……!」


「――……やはり、身に覚えがあるのね。ユグナリス」


「え? ……は、母上っ!?」


 別館に訪れたユグナリスは、リエスティアの傍仕えをしている侍女にその話を聞く。

 そして何かを思い出すユグナリスだったが、その背後から懐かしい人物の声が聞こえた。


 その人物の表情を見て、ユグナリスは怯えにも似た驚愕を見せる。

 そこにはいつも穏やかで優しい母親と同一人物とは思えぬ程に、激怒した皇后クレアが居た。

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