紳士と老騎士 (閑話その四十七)


 交渉の席で正式にローゼン公爵家の賓客ゲストとして扱われ、屋敷内に宿泊する事となったパールは、それから驚きに包まれた日々を送った。


 振る舞われる食事は全て樹海では作れない白く薄い陶器に盛られた色鮮やかな料理ばかりで、フォークやナイフなどの食器を扱う事に慣れていないパールは食事の方法に苦労させられる。

 更に一人で貸し与えられるには大きく豪勢な装飾が施された部屋では、公爵家の侍女達に用意された着替えを強要され、パールは完全に虚を突かれた形で唖然としていた。


 樹海で暮らす中では、獲物の鞣した革や薄布を引いた地面で横になり寝るのが普通である。

 パールは樹海を出てから始めこそ野宿生活だったので、樹海の寝方と大きな変化も無く安眠できていた。


 しかし馬車という自分の足以外での移動方法を初めて経験し、更に樹海より緑が少ない外では自分達の村以上に大きな建物がある町や村が存在する光景を見て、パールは驚愕しながら絶句する羽目になる。

 更に町に泊まる時には宿の一室を与えられ、更に柔らかな羽毛の枕と綿布で固められたベットという異界の技術で作られた寝床で横になり、パールはあまりの心地良さに逆に警戒心を抱き安眠できなくなってしまった。


『――……ほっほっほっ。こういう物を何十万という民に普及し利用できる暮らしを送っているのが、ガルミッシュ帝国という国なのじゃよ』


『こ……こんな物が、もっと作られているのか……!?』


『そうじゃよ?』


『……樹海もりでは、この椅子いすという物を作るだけでも、日を十数回は越す程に掛かったぞ……!? それに、この薄い木皿はなんだ? 私達が作らされたのは、もっとボコボコで分厚いのに、こんな同じ形の作り方なんて出来ない……。そんなモノが、もっと多くあるのか……?』


『ほっほっほっ。これはこれは、帝都を見れば、仰天してひっくり返ってしまいそうじゃのぉ』


 パールの驚き方にログウェルが笑い、近くに居た黒獣傭兵団の何名かも含み笑いを浮かべる。

 樹海だけで暮らして来たパールにとって帝国の村々や町に見える景色が全て未知の物ばかりで、似通った物をクラウスに作らされていた自分達の技術が帝国にとっては足元にさえ及ばない技術ものなのだと驚愕しながら一時期は気落ちすらしていた。


『……今から私は、こんな国の……その上に立つ者と、交渉するのか……』


 改めて帝国宰相セルジアスとの交渉が困難な難易度である事を悟ったパールはローゼン公爵領にも訪れ、改めて驚愕させられる。


 今までの村や町では木製の建物や品々が多かったにも関わらず、ローゼン領地内の土地は石畳で舗装され、更に建物も木製ではなく石と同等の硬さを持つ重いもので作られ、にも関わらず少し叩いても揺れず崩れずビクともしないことに唖然とした。

 更にそうした建物に設けられた窓部分には透明になっている薄い壁も存在し、更にそれ等が食器などにも用いられている事を知ると、パールは目に見える物に驚き考える事を止めようという思考に辿り着いた。


 今、自分パールが訪れている場所は異界なのだ。

 自分の常識が一切通じず、自分達より豊富な知識と技術を持った異界の人間達が暮らす世界。

 そう割り切る事を選んだパールは覚悟を決めると、ログウェルの助言を受けて女性用の騎士服を代わりに購入してもらい、身嗜みを整えられてからセルジアスとの交渉に臨んだ。


 そして形なりにも相手に頭を下げさせ勝利できたと思った矢先に、異界の中でも更なる異界と言うべき生活を屋敷の中でパールは施される。

 パールは勝ち得たと思えた勝負で何故か深い敗北感を味わいながら、言われるがまま屋敷の中で賓客として扱われることになった。


 一方で頭を下げた側のセルジアスは余裕を持った笑顔を戻し、ログウェルと向かい合う形で屋敷の執務室に居る。

 そして珈琲コーヒーが注がれたカップを一口付けた後、椅子に座るセルジアスは改めてログウェルと会話を交えた。


「――……それで。どのような御考えなのです? ログウェル殿」


「ほっほっほっ。何のことですかのぉ?」


「彼女は素直が過ぎますよ。私でなくても、あれを聞いたら嘘だと分かります」


「そうですかな? あれでも随分と、練習をしていたのですがなぁ」


「まったく……。……それで、どうして彼女をわざわざここへ?」


「ある方からの依頼、と申しておきましょうか」


「なるほど。……それで、『ある方』というのはどのような御考えで、そのような依頼を貴方達に?」


「秘密、ということで手を打ちませんかね?」


「……ならば、私の推測を聞いて頂いても?」


「ほぉ、聞きましょう」


「樹海を捜索した貴方達は、『ある方』を見つけた。しかしそこで何かが起こり、彼女を連れ帰る必要が生まれた。そこまでは読めます」


「ほほぉ」


「難題は、そこで起こった問題ことです。……敢えて彼女に不慣れな嘘を吐かせてまで、父上の死を証言させた理由。それは父上の生死を確認する依頼を受けていた黒獣傭兵団側と『ある方』との間に、問題が生じたということでしょうか?」


「ほっほっほっ。流石ですのぉ」


「……やはり黒獣傭兵団かれらの中に、裏切り者がいたのですね」


 セルジアスは今も屋敷に訪れず姿を見せていない黒獣傭兵団達について推察し、起こった状況を推測する。

 それは的を得た推察であると同時に、元々からクラウスやセルジアスが抱いていた危惧が形となって表れた事を証明していた。


「もしや、裏切り者が『ある方』を暗殺しようとしましたか?」


「ほっほっほっ」


「そんな事を貴方の目が届く場所で行えば、自分や黒獣傭兵団かれらの立場を危うくさせかねないはずですが。……いや。そうすることで我々に黒獣傭兵団かれらを不審な存在であると誇張させようとした、ということでしょうか?」


「儂も、そう思いますわい」


「……王国内で起きた黒獣傭兵団の虐殺事件と、逃亡したアルトリアと共に行動している黒獣傭兵団団長の傭兵エリク。そしてアルトリアを暗殺しようとした者達。……それ等の変事に黒獣傭兵団かれらが何らかの形で関わり、必ず彼等が居た場所で行われています」


「ほほぉ……」


黒獣傭兵団かれらはたから見れば危うく怪しい集団です。それだけに、そう見せたいという何者かの思惑が見え透いている。……狙いは何なのでしょう。黒獣傭兵団かれらを追い詰めて、何をさせようとしているんでしょうか……?」


「ほぉ、追い詰めるですか?」


「……実は一ヶ月ほど前から、帝国の民衆にも黒獣傭兵団の虐殺事件の情報が意図的に広めようとする者が出て来ています」


「!」


「情報の出所を調べていますが、どうにも要領を得ない。情報元の人物に問い質しても、自分達は言っていないと述べています。精神魔法の使い手に依頼しましたが、嘘は言っていませんでした」


「なるほど。つまりその者達に擬態した何者かが帝国内で潜み、黒獣傭兵団の悪評を広めて追い詰めている。そう思うのですな?」


「はい。……現状はその話を各地に流出させないように情報を統制させていますが、人の口を完全に閉じるのは不可能でしょう。時期に、この領地にも情報が流れて来る。そうなると――……」


黒獣傭兵団かれらを領地内に留めるのは、難しくなる。そういうことですな?」


「はい。……今、黒獣傭兵団かれらはどのように?」


「宿で自粛していますのぉ。そして今回の依頼、彼等は報酬そのものを辞退しております」


「!」


「あの方を殺そうとしたのは、黒獣傭兵団かれらの中で最も信頼厚い者でしたからな。その衝撃は、儂等が思う以上の動揺を彼等に与えておりますよ」


「そうですか。……私が滞在中に、彼等とも話を交える必要はあるでしょうね」


「その方が宜しいでしょうな」


 黒獣傭兵団の状況が帝国内部でも時が進むごとに悪化している事を、ログウェルに語り教える。


 ベルグリンド王国とガルミッシュ帝国の両方に黒獣傭兵団の悪評を広め、居場所を失くす。

 そうして黒獣傭兵団を追い詰めることを何者かが画策している事をセルジアスは察しながらも、王国側と和平を結んだ以上はその出来事を否定し彼等を匿う事は難しい。

 下手をすれば虐殺事件を知っている王国民と帝国民が、黒獣傭兵団を匿う自分達に悪感情を向け、帝国の地盤と王国との和平に亀裂が生じかねない。


 今の状況で黒獣傭兵団を帝国内部に留めるのは、良い状態ではない。

 政治的判断から既にその結論を導き出しているセルジアスは一度その話を止めて、話を戻した。


「――……申し訳ありません。彼女、パールを証人として父の死を知らせる事で、彼等に対する要らぬ噂を立てないようにというあの方の気遣いは、無駄になってしまいました」


「それは良いのですがな。……して、彼女をどのようにしますかね?」


「彼女は私の賓客ゲストです。――……ただ今後のことは、彼女が求める条件と交渉次第ということで」


「ほっほっほっ」


 セルジアスは不敵な笑みを浮かべ、交渉の為に赴いたパールとの今後について語る。

 その笑みが企みを考える父親クラウスと同じ表情を浮かべた為に、ログウェルは笑顔を浮かべた。

 同時刻、着替えを用意する為に身体の寸法を侍女達に測られていたパールは僅かに悪寒を感じ取る。


 その後、ログウェルはセルジアスに別の話題を告げた。


「――……それと、もう一つ。伝言がありますのぉ」


「?」


「『ゲルガルド本人ではなく、その血縁の行方をよく調べよ』とのことです」


「……それに関しては、既に調べさせていますが。……それで少し、気になる話があります」


「ほぉ?」


「当代のゲルガルド伯爵家には、次期後継者の地位を争い競っていた長男と次男が居たそうです。しかし十五年ほど前にゲルガルド伯爵家が管理する領地の民衆達の一部で、長男が死んだという噂が囁かれました」


「!」


「その長男には二人の子供が居たそうですが、母親を含めてその行方は不明。そして正式な次期後継者には次男が成ったのだと、当時の領民達は思ったそうですが……。……ただ噂が流れた後から、付近の領民すらゲルガルド家の血縁者が屋敷の表に出る姿を見なくなり、代わりに当主の代理とされる執事が赴き領地内の経営に指示を出していたと聞いています」


「ほほぉ。その執事とは?」


「ヴェルフェゴールと名乗っていたそうです。……貴方が仰っていた、【悪魔】と同じ名前ですね」


「……なるほどのぉ」


「少なくとも【悪魔】の出所は、ゲルガルド家にあるのは間違いないでしょう。ただ屋敷の中にそれらしい資料は残されておらず、十数年以上は誰かが住んでいた形跡すら無かったと聞いています。勿論、ヴェルフェゴールという名の執事も今は行方が知れません。……それ以上の情報は、私達では得られませんでした」


「そうですか。……ちと、厄介な事になりそうですのぉ」


「……そうですね」


 行方不明のゲルガルド伯爵とその家に関する情報が共有され、ログウェルは口髭に触れながらそう呟く。

 それにセルジアスも同意するように頷き、珈琲コーヒーの入ったカップを口にした後に溜息を漏らした。


 パールは樹海の使者である事を形として認められ、セルジアスの手中に留まる事となる。

 しかし幾つかの謎は晴らされないまま、時の流れは確実に進んでいた。

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