螺旋編 閑話:舞台裏の変化

世界の異変 (閑話その三十四)


 砂漠の大陸に形成された『螺旋の迷宮スパイラルラビリンス』に因って三十年後の世界で戦ったエリク達が、再び三十年前に帰還した頃。

 崩壊し人命も絶えようとしていた人間大陸も三十年前の姿を取り戻し、多くの人々が平穏に暮らす日常風景を見せていた。


 しかしエリク達が帰還し朝を迎えた人々の中で、いつもと違う様子を僅かに見せる者達が多く居る。

 復興作業は今でも続くルクソード皇国の市民街で仮設された居住区に暮らしているとある夫婦も、いつもと違う朝を迎えていた。


「――……カーラ、お前もか?」


「ええ。まったく、目覚めが悪いったらなかったわ。あっ、そのジャガイモとニンジン、洗って剥いてちょうだい」


「おいおい、準男爵の旦那にやらせるのかぁ?」


「なら準男爵様には、庶民の朝食は無しでいいわね?」


「分かった、分かりました。剥きますよ! ……それにしても、奇妙な夢だったぜ」


「ええ。……しかも、みんなも見てるみたいだしねぇ」


 広場の仮設住宅地の傍に設けられた水場で、朝食の準備を行う者達が多く見える。

 その中に準男爵の爵位を受けた元傭兵グラドとカーラの夫婦も、朝食の準備をしていた。


 襲撃後に催された遅めの新年祭が終わったルクソード皇国は、祭りの騒がしさを終えて落ち着きを取り戻している。

 そうした中で、人々の表情は明るさを取り戻していたが、その日だけはとある話題で多くの人々から口々に語られた。


 曰く、『悪夢』を見た。

 苦しいはずなのに目覚める事の出来ない悪夢で、その悪夢で何を見たか詳細を覚えている人々はいない。

 ただその悪夢が非常に苦しく恐ろしいモノだったという事だけは人々の記憶に残り、その日の朝に悪夢に関する話題を口にする者が多かった。


 グラドとカーラの夫婦もまた同じく悪夢を見て苦しいという感覚だけが残っており、寝汗を拭いてから朝食の準備をしている。

 そんな二人の後ろから歩み寄って来たのは、幼い娘ヴィータと息子ヒューイだった。


「――……お父さん……」


「お母さん……」


「ん? なんだ、起きたか。おはようさん」


「おはよう。どうしたの? いつもより早起きね」


「……ッ」


「お?」


 起きた子供達に声を掛けられたグラドとカーラは、手を止めて振り向きながら朝の挨拶を向ける。

 しかしヒューイもヴィータも小さな身体を強張らせながら不安な表情を見せ、二人の顔を見るとそれぞれに駆け始めた。


 母カーラに娘ヴィータが巻いている長いスカートへ掴み抱き、父グラドに息子ヒューイが太い足に抱き着く。

 急に甘えるような行動をする子供達に両親は驚きながら、頭を撫でてグラドが子供達に優しく話し掛けた。


「どうした、怖い夢でも見たか?」


「……うん」


「お前等もか……。……こりゃあ一度、上に報告した方が良さそうだな」


 多くの人々が同時に悪夢を見たという状況に異変を感じたグラドは、この事を報告すべきだと考える。

 そして足に抱き着いていた息子ヒューイは顔を上げ、グラドに向けて願うように伝えた。


「……お父さん」


「ん、どうした?」


「ぼく、強くなりたい」


「え?」


「お母さんを、お父さんを。何があっても守れるくらい、強くなりたい……」


 ヒューイが涙を浮かべながらそう伝えると、グラドは驚きながらも口元を微笑ませる。

 そしてヒューイの頭を大きな手で撫でた後に肩を掴むと、大きな体を屈ませながら優しくも力強い言葉で伝えた。


「……俺みたいに鍛えれば、お前も強くなれるさ。ヒューイ」


「うん……!」


 そう告げるグラドの力強い微笑みを受け、幼いヒューイは涙を流しながらも頷く。

 人々が見た悪夢は何らかの形で人々の感情や思いに何かを宿らせ、僅かながらも小さな変化を見せていた。


 昼に近い時刻になると、皇都の中心地に建てられている皇城内に設けられた宰相室に二人の人物が集まる。


 それはルクソード皇国宰相職に就いたダニアス=フォン=ハルバニカと、『赤』の七大聖人セブンスワンシルエスカ。

 皇国に就く聖人二人が顔を向け合いながら椅子に座り、表情を強張らせ皇国内に響き伝わる悪夢について早々に話し合っていた。


「――……確認しましたが、皇国内だけではありませんね。別の大陸……各国でも同じ話が上がっています。多くの者達が『覚えていない悪夢』を見たと」


「……我々が見た悪夢を、各国でもか……」


「はい。……シルエスカ。貴方は悪夢これを、どう思います?」


「悪夢などは珍しいモノではない。……だが世界規模で同時に悪夢を見るなど、何かしらの異常が起きたと考える方が自然だ」


「ホルツヴァーグ魔導国かフラムブルグ宗教国が、世界規模で何かしらの魔法を発動させたという可能性を考えますか?」


「可能性はあるかもしれないが……。だが今そんな事をすれば、フォウル国が黙っているはずがない。宣戦布告を取り下げて間もない現在、奴等が迂闊な事をするはずが無い……と、思いたいな」


 ダニアスとシルエスカは互いに悪夢の原因を推察し、話し合う。

 その原因がホルツヴァーグ魔導国かフラムブルグ宗教国が起こしたモノではないかと考える二人だったが、国全体で多くの人々が悪夢を見たという異常しか確認できない今現在では、それ以上の推察が行えない。

 二人も悪夢を見ていたが、その内容を覚えておらず、ただ苦しさと気持ち悪さを感情として覚えているだけだった。


「……しばらくは、様子を見る以外にはありません。ただ念の為、悪夢を見たという者達を医師や治癒術師に確認させましょう。その者達が悪夢が続いたり、また異常が見られた場合には、早々に対処できるように準備だけは整えたい。精神などに作用させる魔法だと、厄介ですからね」


「そうだな」


「市街の復旧作業も、まだ完全に終わっていません。私はそうした処置の手続きで、しばらく皇城を離れられないでしょう。その間、貴方や騎士団にも治安維持の現場に出てもらいますよ」


「分かっている。……ゾルフシスは?」


「父上は、ハルバニカ領に戻っています。あの方も連れてね」


「そうか。……我はそろそろ、復旧作業の指揮に行くとしよう」


「お願いします。――……えっ?」


「?」


 話を終えたシルエスカは席を立ち部屋から出て行こうとした時、ダニアスが何かに気付き怪訝な視線と声を向ける。

 それに気付き振り向いたシルエスカは、驚いた様子のダニアスに声を向けた。


「どうした?」


「……シルエスカ。貴方の右手……聖紋が、光っていませんか?」


「!」


 ダニアスの指摘でシルエスカは右手に付けた薄い手袋越しに、右手の甲に宿した七大聖人セブンスワンの聖紋が仄かな光を発している事に気付く。

 すぐに手袋を脱ぎ聖紋を確認したシルエスカは、驚愕した表情を見せながら声を漏らした。


「な、なんだ……。何が起こっている……!?」


「シルエスカ! 身体に異常は……!?」


「いや、無い。無いのだが……」


 聖紋は輝きながらも、それを身に宿すシルエスカに変化は無い。

 しかし聖紋が勝手に光り出すという異常事態は二人を驚かせると、仄かに光っていた聖紋が赤い光を強くさせた。


「シルエスカッ!!」


「!」


 その光が室内を僅かな瞬間だけ満たしたが、二人が瞼を閉じて開く時間で光が消失する。

 そして瞳を開けたダニアスは立ち上がりながらシルエスカに歩み寄り、二人が光った聖紋を確認した。


「――……な……っ!?」


「……これは……!?」


 二人が驚愕したのは、シルエスカの右手の甲にあった『赤』の聖紋サインが跡も無く消え失せていたこと。

 それは同時に、シルエスカが『赤』の七大聖人セブンスワンではなくなったことを意味していた。

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