魂の残滓


 『聖人』としての身体能力を駆使し、更に自身が持つ属性魔法を巧みに扱ったエリクは、『神』の背後を取りその首筋に黒い大剣の刃を薙ぎ付けた。

 そのエリクの行動を正確に読み取った『神』だったが、静かに前を向き微笑みを浮かべる。


 その微笑む『神』の口元を見たエリクは、表情を強張らせ大剣の刃を更に近付けて述べた。


「――……お前が何かしようとすれば、首を落とす」


「そう。やれば?」


「!」


「早くしなさいよ」


「……ッ」


 『神』はそう告げ、無防備に後ろ姿を晒したまま抵抗しない。

 その姿と言葉を聞いたエリクは表情を更に強張らせ、大剣の刃を僅かに動かした。


 しかしその刃は『神』の首を落とす事は無く、再び止まる。

 それを横目で見ていた『神』は、鼻で溜息を吐き出しながら口から落胆を漏らした。


「……やっぱりね。随分と御優しいのね、英雄エリク」


「!」


「『青』が収集してたアンタ達の情報。アンタの行動パターンは、よく知ってるわ」 


「……」


「アンタは各国を旅する中で、やたら殺しを避けてたみたいね。それが前の私に命じられてた事なのかは知らないけど」


「……」


「自分の仲間が殺されなきゃ、怒り任せに殺しも出来ないみたいね」


「……ッ」


「私は世界を滅ぼす為に、既に何千万という人間を殺したのよ。……そんな私すら殺せないとか、どうなのよ?」


「……」


「それとも、前の私アルトリアを思い出して殺せない? ……虫唾が走る思考回路ね」


 そう述べる『神』の落胆にも似た言葉に、エリクは表情を更に厳しくさせる。

 『神』の言葉を否定できず、また目の前に居る『神』がアリアと同一の肉体である事が、エリクの刃を意識的に止めていた。


 そしてその時、エリクのなかから制約コピーのアリアが呼び掛ける。


『――……エリク、貴方は奴の身体に触れるだけでいい!』


「……」


『そうすれば、私が奴の精神に人格を移して、奴を道連れにして魂と精神を破壊する! そうすれば――……!』


「……ッ」


『エリク……!!』


 制約コピーのアリアが提案する事を、エリクは無言のまま僅かに首を横に振って拒否する。

 それをしてしまえば、『神』の人格と制約アリアに残された人格が衝突し合い、例え『神』の人格を破壊する事が出来たとしても廃人になってしまいかねない。


 そうなれば本当の意味で、アリアはこの世から消える。

 それが最も有効な手段である事をエリクは悟りながらも、『神』を殺す事も壊す事も出来ずに苦悩の表情を浮かべていた。


 そうした中で、『神』は再び口を開く。


「――……そういえば、言い忘れたわね。……アンタでは、私を殺せないわよ」


「……?」


「『到達者エンドレス』は『到達者エンドレス』でしか殺せないの。だから私の首を落としたとしても、私の身体は瞬く間に修復される」


「!」


「アンタが『到達者エンドレス』でない限り、私を殺す事は出来ない。……せっかく頑張ったのに、無駄だったわね」


 そう告げる『神』の余裕ある声に、エリクは僅かに眉を顰める。

 そして数秒ほど思考した後に、エリクは零れるように口から疑問を零した。


「……お前の、本当の目的はなんだ?」


「言ったでしょ。前の私を知る連中を殺して、私が神になって、世界を滅ぼして――……」


「それだけか?」


「……そうね。滅ぼした後には、新たな世界を作るつもりよ。私が神様になって、私が抱えてる人間達に新たな時代を築かせるの」


「それで、お前はどうする?」


「争いの無い平和な世界を作る。人間の夢なんでしょ? そういう世界が。それを眺めながら、静かにここで過ごすわ」


「……」


「なによ。文句でもある?」


「……お前は、そんな世界が本当に作れると思っているのか?」


「……」


「前の君は、俺に言った。この世の人間は、生まれながらに八つの罪を持っていると。それが、人間同士の争いを生む原因になると」


「……」


「お前はあれだけの本を読み、色々な物事を知ったはずだ。……そんなお前が、そんな人間が争いも無い平和な世界を築けると、本気で思っているのか?」


 大剣の刃を添えたままのエリクが、表情を強張らせながら『神』に尋ねる。

 それを静かに聞いていた『神』は、少ししてから口元を微笑ませて答えた。


「――……そうね。そんな世界、作るのは無理でしょうね」


「なら、どうして……?」


「別に。滅ぼすついでに、オマケ程度で考えた事よ」


「!」


「私は別に、こんな世界がどうなろうと知ったことじゃないわ。……さっさと滅びてくれれば、それでいいのよ」


「……何故、そんなに滅ぼしたがる?」


「そうしないと、私が静かに暮らせないから」


「!」


「記憶を失った私にたかってきた連中は、どいつもこいつも私が皇族だからとか、凄い知識と力を持ってるだとか、そんな事を言ってすり寄って来たわ。……そして私をアルトリアという人間に仕立てて、アイツ等の争いに巻き込んだ」


「……」


「巻き込んだ挙句に私を最前線に立たせて、敵兵を殺すように頼むのよ? ……でも、そうしないと居場所も無かったし。私はそれに従ったわ」


「……!」


「私は特に恨みも無い数万人以上の敵国の軍を、文字通り殺し尽くした。私が持ってる知識と力があれば、容易だったわ。……そんな私を見て、頼んで集ってた連中がどんな顔をしたか分かる?」


「……」


「全員、同じ顔。私を化物でも見るような目で見て、全員が私を怖がったわ」


「……ッ」


「人にこんな事をやらせといて、やったらやったで途端に怖がって。挙句に、相手の国に攻め込んでる最中に私を殺そうとしたのよ?」


「!」


「だから私は、そいつ等も殺した。……おかげで私は、生き残った連中や騒動を聞きつけた七大聖人セブンスワンの連中からも、立派に化物扱いをされたわ」


「……君は……」


「私はね、別にアルトリアっていう女になりたかったわけでもないし、立派な人間にもなりたかったわけでもない。そして、こんな到達者バケモノなんかになりたかったわけでもない。……ただ、誰にも邪魔されない静かな暮らしが欲しかっただけよ」


「……」


 『神』が顔を緩やかに伏せながら、自身に起きた過去の出来事を述べる。

 それを聞きながら見ていたエリクは、目の前に居る『神』の後ろ姿が見知った少女アリアの後ろ姿と重なった。


「……それで、世界を滅ぼそうとしたのか?」


「そうよ。そうしなきゃ、自由に静かな生活も出来そうになかったんだもの」


「……」


「不眠不休で戦ったせいで疲れたところを七大聖人セブンスワンに捕まって、背中に奴隷紋も刻まれて。日の光も見えない何も無い地下の牢獄に枷と鎖を身体中に付けて閉じ込められて。……私はずっと、自分が自由になれる方法を考えたわ」


「……ッ」


「そんな私の気持ちを理解してくれる人なんて、周りに一人もいなかった。……だから私も、誰の事も理解なんてしようとは思わなかった」


「……」


「私は、私の為に世界を滅ぼす。そうしなければ、私は永遠に自由になれない。……それを阻もうとするなら、アンタも、そして世界を殺すだけよ」


「……そうか」


 何処か寂しそうに、けれど明確な決意を含んだ『神』の声に、エリクの表情に僅かな影が宿る。

 自分エリク達を守る為に代償として記憶を失い、そして記憶を失った後に周囲から様々な事を強要されながら従い、その挙句に裏切られ殺されそうになった今の『神』の心情が、過去の自分を重ね見るようにエリクには理解できた。


 そしてその理解が、『神』の首に添えさせたエリクの大剣の刃を退かせてしまう。

 大剣を引き右手を下げて剣先を地面へ向けたエリクは、強張る苦悩の表情で『神』を見て話し掛けた。


「――……俺に、君は殺せない」


「そう言ってるでしょ? 『到達者エンドレス』は『到達者エンドレス』にしか――……」


「違う。……俺に、君を殺す事は出来ない」


「……?」


 そう告げるエリクに、『神』は訝し気な表情を浮かべて振り返る。

 そして後ろに立つエリクから涙が流れている姿を見て、『神』は僅かに目を見開いて驚いた。


「なに、泣いてるのよ?」


「……分からない。……だが、君にもう刃を向ける気は無い」


「……」


「……君が記憶を失ったのは、俺のせいだ」


「アンタの……?」


「前の君が、俺を守る為に自分に課していた幾つもの誓約を破った。その反動のせいで、君は俺達との旅をした記憶や、君自身の記憶を失った」


「……」


「俺は、前の君を守ると約束していた。……だが俺は守られるばかりで、最後に前の君を犠牲にしてしまった」


「……」


「俺は、前の君アリアが残した君を、殺す事は出来ない……。……傷付ける事も、出来ない」


 そう話すエリクは、静かに首を横に振って交戦の意思を諦める。

 それを聞きエリクの寂しげな声と悲しみの表情を見た『神』は、少し沈黙して瞳を閉じた後に、再び瞳を開いて鋭い視線を見せた。


「――……アンタがそうでも、私はアンタを殺すわよ」


「そうか」


「まさか本当に、大人しく死んでくれるって言うつもり?」


「……」


「……本当に、馬鹿な男なのね。……でも、前の私がそうまでして貴方を守ったのも、少し分かる気がするわ」


「……」


「……貴方が私を守ってくれたら。こうはならなかったのかもね……」


 そう話しながら寂しそうに微笑む『神』は、右手に持つ杖の持ち手側に嵌められた魔石をエリクに向ける。

 そして魔石が黒く輝き、同時に『神』は小さな声で詠唱を始めた。


 それに反応し身に着けている白い神官服に刻まれた紋様が輝き、白模様と白い服が黒く染まり始める。

 そして『神』の背後に魔法陣が展開すると、そこから六つの白い翼が広がった。


「――……『魂で成す六天使の翼アリアンデルス』」


「……」


「せめて傷み少なく、殺してあげる。――……『堕天使の矛ディヴァイス』」


「――……ッ!!」


 そう唱え終わった瞬間、六枚の白い翼が黒く染まると同時に、黒い魔石の先端から黒く光る矛が生み出される。 

 それが上半身裸のエリクの胸部と心臓を易々と貫き、僅かに曇った声を吐き出させた。


 貫かれた胸からは血の一滴も出ないまま口から僅かな血を吐いたエリクは、そのまま足に力を失くして意識を霞ませながら沈み込む。

 そのエリクが最後に見たのは、自分エリクを貫き殺した『神』が両目から涙を流す姿だった。


「……!」


「……変ね。なんで、涙なんて出るのかしら……」


 そう不思議そうに呟く『神』の姿に、エリクは薄れる意識の中で僅かに驚く。

 そして大剣を持たない左腕を動かし、『神』の方へ左手を伸ばした。


 エリクのその行動に僅かに驚きながらも、『神』は拒絶できずに不可解な表情を見せる。

 そして死に逝くエリクは微笑みながら、『神』の右頬に触れて静かに呟いた。


「君に、言いたかった事がある……」


「……?」


「……俺は、君が好きだった……」


「!」


「……君の、笑った顔が、ずっと好きだった……」


「なにを……」


 そう呟きながら、エリクは瞳を閉じて左腕を下げる。

 そして足に力が入らなくなり、胸に突き刺さる『神』の黒い光剣に支えられて息を絶えた。


 その言葉を聞いて自分が流す涙に動揺しながら、『神』は困惑した表情を深める。

 そして胸の鼓動が早くなり、更に奥から伝わる自分ではない感情が一気に押し寄せて来る感覚を味わった。


「……なによ、これ……。なんなのよ……」


「……」


「違う! 私は、こんな男の事なんて……!!」


「……」


「私は、何万人……何千万人も、もう殺したのよ! なのに、なんで……!!」


「……」


「なんで、こんな馬鹿な男を殺しただけで……こんな……ッ!!」


 動揺しながらその声を漏らし、『神』は表情を強張らせて首を横に振り続ける。

 そして胸の奥から来る苦しさと似た吐き気を嫌悪を感じながら、『神』はエリクから視線を逸らして顔を上げた。


 そして涙を流しながら表情を笑顔に変え、『神』は空を見ながら呟く。


「……もういい。全部、終わらせなきゃ……。……そうすれば、この苦しみは無くなる……。もう誰も、私の邪魔をさせない……!!」


 そう呟きながら『神』は右手に持つ杖を強く握り、新たな術式を起動させる。

 すると天井と周囲の光景が瞬く間に白い金属世界へ戻り、白い天井が開け放たれ始めた。


 上空には月が見える夜空が広がり、そこへ『神』は黒い翼を羽ばたかせて飛ぶ。

 そして魔鋼マナメタルの塔から飛び出すと、下を見下ろした。


「――……殺すのよ。私を苦しめる奴等は、みんな殺してやる……!!」


 そう憎々しい笑顔を浮かべ、『神』は杖を握り上空に新たな魔法陣を出現させる。

 すると都市全体に存在する魔鋼マナメタルが突如として流動し始め、その形状を徐々に変化させた。


 そのせいで各都市部の外壁や内部が大きく揺れ始め、崩れるように落下していく。

 それと同時に都市中央部に広がり立つ複数の黒い塔と、『神』が居た最も高い黒い塔が突如として赤く発光を始めた。


 その光景を、都市内部に居た者達は目にする。

 そして新たに出現した巨大な黒い翼を持つ存在と、赤く光る黒い塔の存在に注目した。


「――……『箱庭の守護者達よ。目覚めよ!』」


 そう『神』が唱えた瞬間、赤く光る黒い塔の輝きが更に強まる。

 そして小さな塔の一部が流動し、大きく揺れながら形を変化させていった。


 その塔から分離されるように、直径二メートル弱の丸く黒い魔鋼マナメタルが切り離される。

 それが数秒後に更に流動し形を変化させ、なんと人型へ変貌した。

 黒い人形達が出来上がった事を確認する『神』は、動揺しながらもそれ等に命じる。


「――……さぁ、殺しなさい! 私を苦しめる者達を!」


 そう告げた瞬間、魔鋼マナメタルで出来た数百体以上の黒い人形達、都市に居る生命を目指して駆け巡る。

 それを命じて見下ろす『神』は、涙が溢れる瞳を黒い服の袖口で拭い動揺する心を必死に抑え込んだ。


 こうしてクロエの予言通り、エリクは『神』に殺される。

 しかしそれが『神』を狂乱させ、都市に居る者達に狂気として襲い掛かった。

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