皇子と姫君 (閑話その三十一)


 ベルグリンド王国ウォーリス王の妹リエスティア姫と、ガルミッシュ帝国皇子ユグナリスは、交流を名目としたローゼン公爵領での生活を送る事になった。


 そしてログウェルが黒獣傭兵団と共に南部へ旅立ち、ユグナリスの生活は以前よりも落ち着いたモノとなる。

 しかし言い渡された訓練法をユグナリスは忠実に守り、就寝以外の時間を修練に費やす事が多かった。

 そんなユグナリスを護衛し監視する騎士達は、報告としてユグナリスが自主的に行う訓練がどういうモノかを記録している。


 まだ日も昇らぬ朝に起床し、ユグナリスは屋敷周辺を走り込む。

 その速度と距離が尋常ではなく、始めは自然物の多い場所を走ろうとするユグナリスに同行した騎士達は、途中で付いて行けずに疲れ果てた為に監視に支障が出るからと、屋敷の外周のみを走るという妥協案を持ち掛けた程だ。


 そして朝食を終えた後、ユグナリスは筋力を鍛える修練を行う。

 腕立てを始めとした基礎筋力を向上させるトレーニングを数千回という回数で行い、それに付き合おうとした騎士達はユグナリスの十分の一にも満たない数しか行えなかった。


 そして昼食を終えたユグナリスは身綺麗にして礼服を着ると、交流を兼ねたお茶会でリエスティア姫との面会を行う。

 約一時間から二時間程の談話を行った後、ユグナリスは夕食まで修練に戻り、夕食後も月が真上に昇る頃合まで身体を動かし続け、泥のように疲れて就寝に入る。


 こうした訓練をユグナリスは根を上げずに続け、そしてリエスティア姫との交流も行いながらこなし続けた。


 監視する騎士達や屋敷で働く従者達は、過剰とも言える訓練を行い続けるユグナリスに奇異な目を向ける事も多かったが、次第にそれがある方向へと傾く。

 ログウェルが施すあの訓練から逃げず自己鍛錬を欠かさないユグナリスの行動は、屋敷の人間達を中心にユグナリスを認めさせるに十分な印象を与えた。

 そんな周囲の心境の変化に気付かないまま、ユグナリスは今日も訓練を行う。


 対してリエスティアの生活は、規則的ながらもユグナリスのように充実してはいない。

 目が見えず車椅子に乗り生活するリエスティアは分館で生活し、その世話役として王国から付いて来ていた侍女や従者達がいるからこそ成り立っていた。

 更に護衛を二名の王国騎士が担い、そして屋敷の周囲を帝国兵や帝国騎士団が監視する。


 リエスティアが外出する際にも、帝国騎士団の監視が付く。

 そして人の多い市町村などの外出は禁止され、基本的に屋敷内か屋敷周辺での生活が強いられた。

 その代わり、必要な物がある場合には屋敷の従者伝手に帝国側が用意している。

 それに対してリエスティアや従者達は不満を漏らさず、ローゼン公爵領内での生活を送っていた。


「――……今日も来ました。リエスティア姫」


「いらっしゃいませ。ユグナリス殿下」


 そしていつものように、午後の御茶会でリエスティアとユグナリスは分館内で談話を行う。


 ローゼン公爵領に来たばかりの頃には、互いに拙い自己紹介や会話で場が繋ぎ止められていた。

 しかし何度か交流を行う内に、互いに互いの人柄を理解し始め、今の二人は親しげに挨拶を交えられるようになっている。


 そうして談話を行う中で、ユグナリスはリエスティア姫とその兄ウォーリス王の事も知った。


 リエスティア姫とウォーリス王は幼い頃に両親を失い、別の国で孤児院暮らしをしていた。

 そしてウォーリスは十二歳の時にとある人物に引き取られ、七歳差の妹リエスティアもその後に別の里親に引き取られる。


 リエスティアはその里親から、酷い扱いを受けていたらしい。

 身体も弱く日常的に暴力を受けていたリエスティアは、その時に受けた怪我により視力が衰え、背中を強打された影響で足を動かせなくなった。


 それを聞いた時のユグナリスは、表情を強張らせ拳を握り締める。

 思わず歯を食い縛り、過酷な生活を強いられたリエスティアに対してかける言葉を失ってしまった。


 それを察したのか、瞼を閉じたままのリエスティアは微笑みながら話した。


『――……そんな生活も、私が九歳になる時に終わりました。兄が迎えに来てくれたんです』


『!』


『私はその人達から解放され、兄と共にこの大陸に来ました。そして驚いたのは、兄が王国の王子様になっていたと聞いた時です。……兄はずっと言っていました。いつか私と一緒に暮らせる生活をすると。本当にその約束を、兄は守ってくれました』


『……』


『兄は私と再会した時、孤児院や引き取った人達に怒っていました。でも私は、兄と一緒に暮らせるだけで満足でした。私は兄と一緒に王国へ赴いて、城とは別の場所で暮らしました。兄を慕う人も沢山居て、妹の私にも親切にしてくれました』


『……ッ』


『ここに付いて来てくださった従者かた達も、こんな私の御世話を引き受けてくれました。私が不自由なく過ごせるのは、兄のおかげです』


『……しかし貴方は、その兄に命じられてこの帝国に……』


『兄はガルミッシュ帝国との和平をずっと考えていたそうです。そしてアルトリア様という方に、私の目と足を治す事を頼むつもりだったと聞いています』


『!!』


『その方は私と同い年で、優秀な治癒と回復魔法をお使えになると。兄はその為に、帝国と和平を築くと私に話してくれました』


 それを聞いたユグナリスは衝撃を受ける。

 ウォーリス王はアリアの治癒魔法と回復魔法が常軌を逸したモノである事を知り、妹リエスティアを癒す事を頼もうとしていたのだ。


 しかし、今のガルミッシュ帝国にアリアはいない。

 それはユグナリスが起こそうとした茶番劇をきっかけに、アリアが愛想を尽かせて国から出た事が原因だった。


 その原因となったユグナリス自身が話を聞き、表情を曇らせ目を逸らす。

 その様子に気付かないまま、リエスティアは話を続けた。


『私がこうして帝国に赴いた本当の理由は、そのアルトリア様と会い傷を癒してもらう為、兄が送り出したのです。ユグナリス殿下との婚姻の為という嘘を吐いてしまい、申し訳ありません』


『い、いえ。……その。アルトリアは、今は……』


『アルトリアが不在だという事は、既に伺っています。今は他国に留学され、そこで活躍をなさっているとか。多忙な方なので、それまで別の方で傷の治癒が出来ないかと、ローゼン公爵様が仰っていました』


『……いえ、違います』


『え?』


『アルトリアは、俺のせいで国を出たんです……。もう、この国に戻るのかも分からない……』


『それは、どういう……?』


 ユグナリスが漏らす言葉を聞き、リエスティアは首を傾げる。

 ウォーリス王が帝国との和平を望んだ理由を聞いてしまい、またリエスティアの幼少時の経験を知ってしまったユグナリスは、自責の念に駆られ思わず謝罪をした。


『……俺は幼い頃、両親の意向でアルトリアと婚約しました。でも互いに嫌い合い、俺は多くの才能を示すアルトリアに何も敵わず、劣等感と嫉妬を抱き続けていた』


『……』


『そんな俺は、学園の卒業式でアルトリアを驚かせ不様な姿を晒させて見たいと、酷い事を行おうとしました。しかしアルトリアはそれを察知して看破し、俺の所業に怒り国を出てしまった……』


『……』


『一度は、アルトリアを捕まえられそうな所まで俺自身が追い掛けました。しかし逃げられ、アルトリアは別の大陸へ……。……貴方の治療が出来ないのは、俺のせいです』


『……そうだったのですね』


『ウォーリス王が貴方の治療の為に帝国と和平を築いたのなら。私はその目的さえ邪魔してしまった事になる……。本当に、申し訳ありません』


 アルトリア不在の原因を作ったユグナリスは、対面して話すリエスティアへ謝罪を述べる。

 それを聞いたリエスティアは少しの間、考えるように沈黙して口を開いた。


『――……ユグナリス様は、正直な方なのですね』


『え……?』


『そういう事は、ローゼン公爵様のように隠したり誤魔化したりするのが普通だと思います。私に喋ってしまうと、兄にも伝わってしまうかもしれませんから』


『あ……』


『御安心ください。兄にその話を伝える気はありません。私には、諜報の真似事はできませんから』


『し、しかし。アルトリアがいなければ、貴方の怪我を治癒する事が……』


『私は、この目と足を治す気は無いのです』


『え……!? いや、でも……』


『私はこの目から光を失うまで、怖いものを見続けました。でも視力を失い、そんな怖いものを見る必要が無くなり、安心しているのです』


『……!』


『そして、この足も。……私は足が動かせず、何も出来ない姿に見えるでしょう。でも私は、この足が動かせた時から何も出来ませんでした。里親から逃げる事も、兄のように努力して自立する事も。だから足が動かせても動かなくても、私の世界は何も変わりません』


『そんな事は……』


『私は、私が弱い人間だと知っています。誰かの助けが無ければ、何も出来ない弱い人間。だから誰かに依存し、媚びるように生きていく術しか知りません。……子供の頃も、そして今も。仮に目や足が治っても、そういう生き方しか出来ない人間なのです』


『……』


『そんな私を、ユグナリス様は軽蔑なさいますか?』


『……いいえ』


『私も、ユグナリス様を軽蔑などしません。私は、私以上に誰かを嫌う事はありませんから』


 微笑みながら述べるリエスティアの言葉に、ユグナリスは僅かに戦慄する。


 目と足を病むリエスティアは、周囲の助けが無ければ生きていけない。

 故に助けてくれる者には笑顔を絶やさずに接し、そうした周囲の中で今まで生きて来た。


 それは孤児院に居た時も、里親に引き取られた時も、兄であるウォーリス王に助けられた時も。

 リエスティアは誰かの助け無しに生きられず、自分の力を伸ばし生きるという選択を一度も選ばなかった。

 そんな生き方をしている事を本人も自覚し、そんな生き方しか出来ない自分を嫌っている。

 例え目と足が治ったとしても誰かに助けを乞わなければ何も出来ないと、リエスティアは察していた。


 掛ける言葉を失ってしまったユグナリスに対して、リエスティアは微笑みながら話を続ける。


『……こんな話をしたのは、ユグナリス様が初めてです』


『えっ』


『私は自分が嫌いです。でも、私がそう思っている事を優しくしてくれる方達に話せば、私は見捨てられてしまうかもしれない。それが怖くて、兄にもこんな話をしたことがありませんでした』


『……』


『ユグナリス様は、アルトリア様に酷い事をしたと仰いました。そんな御自分の事を、お嫌いになりますか?』


『……分かりません。……俺が初めて嫌いになった相手は、アルトリアでした。アルトリアが俺を嫌った理由も、俺自身の落ち度があったかもしれないと考える時もありました。……けれど、今も昔もアルトリアの事が一番嫌いだという事は、絶対に変わりません』


『そうですか。……ちなみに、私とアルトリア様ではどちらがお嫌いですか?』


『断然、アルトリアですね。性格もまだリエスティア姫の方が何千倍もマシなくらいだ』


『そんなにですか?』


『あの性悪女は人前だと猫の毛皮を被りまくるのに、俺の前だけ態度も声色も変えていつも罵って来るんですよ。しかも俺とすれ違う時には、わざと俺にだけ聞こえるように舌打ちを鳴らしてくる。本当に、あの女は嫌いです!』


『今まで、それを誰かに話された事は無いんですか? 婚約を辞めたいとか……』


『言えるわけ無いじゃないですか! あんな性悪女でも、帝国の重鎮である叔父上の娘で、しかも両親が決めた婚約者ですよ。例え互いに嫌っていても、表面上は仲良くしていましたよ。裏では喧嘩だけしかしていませんがね』


『そうなんですね』


『しかも向こうの罵りが酷すぎる! 俺のアルトリアを超える為に努力し続けると、それを全否定するように上を行かれ、鼻で笑って来るんですよ!? あんな性悪女の身に過ぎた才能が付いていること自体、俺はずっと不満だったんです! 正直に言えば、アルトリアが視界からいなくなって清々してるくらいですよ!』


 ユグナリスは水を得た魚のように、アリアの悪口を言い続ける。

 そんな声を聞き続けたリエスティアは、笑いを含んだ口で喋り始めた。


『……ふふっ。ユグナリス様は、アルトリア様の悪口なら感情豊かな声を聞かせてくれるのですね』


『えっ、あ……。これは、失礼を……』


『いえ。ユグナリス様がとても正直な方だと分かり、少し安心しました。……私は王である兄の妹ですし、こういう姿でもあります。そんな私と接する方々は、何処か私に配慮するような声色に聞こえるので』


『それは……』


『仕方の無い事は、私も分かっています。けれど、ユグナリスやアルトリア様が少し羨ましいとも思います。……私も、私の本音を向けられる相手が欲しいです』


 寂しそうに微笑むリエスティアの表情と様子に、ユグナリスは少し考える。

 そして思い付いたままの言葉を、リエスティアに述べた。


『……なら、こうしましょう。私とリエスティア姫が二人で話す時には、こうして御互いに遠慮はせず本音で話し合うというのは?』


『え?』


『私はローゼン公達ように、腹芸というモノが得意ではなくて……。率直な言葉で伝えて貰う方が、楽なんです。……それで何かが解決するわけではないかもしれませんが、少なくとも自分の中に溜め込んでしまうよりは良いのではないかと……。……すいません、思い付いたまま口にしてしまって……』


『い、いえ。……ユグナリス殿下がよろしければ、そうしてみましょうか?』


 そんな話を行い、ユグナリスとリエスティアの二人は昼の談話でルール染みたモノを設ける。

 二人で談話する時には、互いに遠慮はせずに物事を話し合うこと。

 ただそれだけのルールが思った以上に二人の気を楽にさせ、徐々に二人は丁寧な言葉遣いから砕けた口調となり、相手の表情を窺う場は薄れていく。


 思った形とは違いながらも、ユグナリス皇子とリエスティア姫の交流は順調に進む事となった。

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