楽しくない日


 遭遇したキマイラを殺したアリアは、躊躇せず新たな魔法を唱えた。


「――……『苦痛多き者を送るアルヴェ安らぎの火フィリア』」


 唱え終えた後、キマイラに張り付く氷が青い炎へ変化する。

 その炎が死体を覆い、血臭や死臭すら漂わせること無くキマイラの肉体を燃焼し浄化していく。

 アリアの近くに走り寄ったエリクが、青い炎が広がる光景を見ながら話し掛けた。


「アリア。いいのか?」


「ええ。これ以上、この子達を無意味に苦しめる必要は無いわ」


「?」


「この子達は実験で生み出せた人工の生命体。しかも幾度となく戦わされたんでしょうね」


「……戦わされていた?」


「あれを見て」


 アリアが見つめる先を見る。

 青い炎で燃えるキマイラの毛皮の下肌には、夥しい傷と痩せ細った肉質が見えた。


「あれは……」


「この子達が実験で何と戦わされたかは分からない。でも、この子達は怯えてただけ」


「……怯えていた?」


「周囲に生ける者達を怯えの対象として見ていた。だから山の奥に移動して隠れていたのよ。この山の動物や魔物達は、逃げただけみたいね」


「……」


「麓の村人達がこの子を目撃した時に襲わなかったのは、餌として興味が無かったからじゃないわ。人間が怖くて逃げたのよ」


「……なら、どうして今回は俺達を襲ったんだ?」


「エリクとマギルスが只者ではないと、感覚で察知したんでしょう。逃げられないと悟って私達を襲って来た。そんなところかしら」


「君は、魔獣の言葉も分かるのか?」


「言葉までは分からない。でもこの子達が向ける声が怯えたモノなのは伝わったわ。……苦しめてごめんなさいね。せめて向こうの世界では、安らかに」


 アリアは苦悩の表情を浮かべ、燃えるキマイラに謝罪して見送る。

 一方のエリクは、キマイラがそんな状態と心理で襲って来た事を把握出来なかった。

 蛇の鱗に短剣を突き立てた時、様々な傷があるのは見えたが、他の魔物や魔獣と戦った跡だと考えていた。


 そんな事を考える二人を他所に、後から近寄ってきたマギルスが不貞腐れながらアリアに非難を述べた。


「アリアお姉さん、ひどい!」


「……何が?」


「僕とおじさんに任せるって言ったのに、自分で終わらせちゃうんだもん! せっかく楽しい戦いだったのに!」


「……楽しい? さっきの戦いが?」


「そうだよ! こんなに手強い魔獣は初めてで楽しかったのにさ!」 

 

「……マギルス、前にも言ったわよね? 私は弱い者イジメは嫌いだって」


「え?」


「でもね。自分より弱い相手を追い詰めて痛めつけるのが楽しいなんて言う奴は、もっと嫌い」


 この時、アリアの声は今まで以上に低く冷たい声だった。

 その声と表情を見てマギルスは以前の出来事を思い出し、エリクは久し振りに聞くその声質に険しい表情を見せる。


 それは明確に、アリアがマギルスとの意識の差に隔たりを持ち、関係の亀裂を広げた瞬間だった。


「マギルス」


「……なに?」


「改めて言っておくわ。……私はアンタを仲間としても。ましてや同行者としても認められない」


「!?」


「皇国に戻ったら、アンタとはお別れよ」


 アリアが骨まで燃え尽きるキマイラの死骸を見ながら、マギルスの顔を見ずに伝えた。

 丁度その時、ケイルも傍まで戻って来る。

 どういう経緯か分からないまま、アリアとマギルスの関係が悪化したことを言葉と空気で察した。

 マギルスの子供然とした無邪気さが、アリアの逆鱗に触れた。


 その日。

 キマイラの生息していた山奥を調べ上げて山へ下りた一行は、夜に麓の村に戻った。

 そして村長に斑蛇の調査報告をした。


「――……魔物の蛇はいなかった?」 


「はい。山の奥まで探りましたが、蛇の魔物や魔獣の類はいませんでしたね」


「そ、そうですかぁ。でも昼頃に、山から獣の雄叫びのようなものが聞こえたんですが……」


「すいません、アレは山の奥にあった洞窟を探っている最中、後ろのエリクが大声を上げたです。彼、意外と怖がりで。ここまで絶叫が聞こえちゃったんですね」


「そ、そうなんですかぁ。確かに、大きな声を出しそうですもんねぇ」


「……す、すまん」


 昼間の戦闘の説明をエリクを生贄にして誤魔化しながら笑顔でアリアは乗り越える。

 それに納得してしまった村長は考えながら聞いた。


「それじゃあ、魔物が居たというのは村の者達の気のせいだったんですかねぇ?」


「いえ、何かが山の奥に棲み、暴れたような痕跡は見つけました。どうやら数日前には、あの山からは居なくなっていたようです」


「そうなんですかぁ。怖いですなぁ、何処に行ったんでしょうか?」


「山で餌になりそうな物を食べ尽くして、別の場所に移ったんだと思います。魔物や魔獣は魔力を持つ豊富な獲物を狙いますので、人里には滅多に下りる事は無いでしょう。御心配なら念の為に、皇国兵にそう傭兵が調査し伝えたとお知らせ下さい。私達は傭兵ギルドに報告し、対策をしてもらいます」


「そ、そうですかぁ。そうですね、そうしています。ありがとうございますねぇ、お嬢さん方」


「いえいえ。それと、今日は泊まれる場所を探しています。この村に宿のような場所はありますか?」

 

「それなら、村の奥の方で小さいですが宿がありますて。最近は旅人も居らんので、空いていると思いますなぁ。そこを使ってくださいな」


「分かりました。ありがとうございます」


 話を終えたアリア達は村長宅から出ると、宿があるという場所に向かう。

 そこは見窄らしい小さな宿だったが、誰も泊まっておらず人数分の部屋を確保することが出来た。


 キマイラ戦後から亀裂が生まれたアリアとマギルスは、一言として会話を行っていない。

 正確にはマギルスから何度か話し掛けたが、それを無視するアリアは他の二人としか会話を行わない。

 ケイルはエリクに詳しい話を聞き、今回の喧嘩が今までの比を超えた重さだと察する。

 仕方なく二人の仲裁役に入ろうとするが、アリアは一考さえせずマギルスとの和解を拒絶した。


 そんな空気の中で早々に宿の部屋に入り篭ったアリアを他所に、ケイルが居る部屋でエリクとマギルスを交えて話が行われた。

 遭遇したキマイラという生物の成り立ちと、キマイラが山奥に隠れ棲みついていた理由が、エリクとマギルスに共有された。


「――……つまり、今回のキマイラは何者かに人工的に作られた魔獣だった。そいつがかなり痛めつけられた状態で何処かから逃げ出して、怯えながら餓死寸前で山奥に隠れてた。そこに踏み込んだのが、アタシ等だった」


「……そうか」


「……」


「あの御嬢様アリアの思考を考えるなら、キマイラを自分勝手に生み出して痛めつけた奴等が許せないし、あそこまで暴走しちまってたキマイラを鎮める方法も生かす方法も無い自分達じゃ、それを殺すしかない。それが許せないってタイミングでマギルスの言った事を聞いて、完全に頭に血が上ったってとこだろうな」


 アリアの心理状態をケイルは読み取り、今の態度になった理由を伝える。

 不本意な殺生と後味の悪いキマイラの姿を見た直後に、何も知らず呑気な言葉を言い文句を垂れるマギルスが、アリアには我慢が出来なくなったのだろう。

 ケイルの説得に一度は応じ、今まで傍若無人なマギルスとの口論を控えていたせいもあり、一気に噴出したアリアの怒りは頂点と限界を超えた。

 

「……どうするべきだ?」


 ケイルの説明が終わり、数秒の沈黙が部屋の中を支配した時に口を開き、どうすべきか聞いたのはエリクだった。

 頭を掻くケイルは悩みながら、考えられる案を話す。


「アリアの頭に上ってる血が抜けるのを待つか。謝り倒して許してもらうかだな」


「僕、謝らないよ」


「マギルス……」


「僕、悪くないもん」


 ケイルが述べる提案に反発したのはマギルスは、一貫した意見として『自分は悪くない』と言い続けていた。


「だって。僕とおじさんが倒すはずだった合成魔獣アレをアリアお姉さんが横取りして、僕の楽しみを奪ったんだもん。絶対に謝らないよ!」


「だから、それはさっきも言ったろ。キマイラがもっと暴れて村の連中や他の連中に存在を気付かれてアタシ等が関わった事を知られない為に、速攻で倒して処理する為だって」


「だったら、僕に言えば本気を出して殺したよ。なのにアリアお姉さん、いきなり殺しちゃったんだもん。それに文句を言っただけじゃん。それの何が悪いの?」


 アリアに向けられる理不尽な怒りにマギルスは反発する。

 ケイルは渋い表情をしながら言葉を選ぶ中で、エリクがマギルスに話した。


「アリアは、俺達が魔獣との戦いを楽しんでいたのを、怒っている」


「!」


「あの魔獣と戦った時。俺は自分が強くなったと実感し、楽しんでいた。マギルス、お前も魔獣との戦いを楽しんでいたな?」


「それの何がいけないのさ?」


「アリアは、命を弄ぶことを嫌う」


「え?」


「俺とアリアが帝国兵から逃げ、樹海の中で先住民達と過ごしていた時。決闘で戦った男が獲物を痛め付けて狩猟する姿を見た。それを見たアリアが怒鳴ったことがある。命を弄ぶのを許さないと。強者が弱者をいたぶるのは、卑劣で卑怯な行いだと言っていたらしい」


「!」


「アリアが珍しい怒り方をしていたから覚えている。その剣幕に負けて、その男とその一族は狩猟の際に獲物をいたぶるのは止めた。狩る時には急所を狙い、即死させるようになった」


「……」


「俺達は合成魔獣アレと戦っているつもりだった。だがアリアから見れば。俺達がアレを痛めつけ楽しんでいるようにしか見えなかったんだろう」


「……!?」


「アリアは強い。俺もアリアが本気になった姿を初めて見た。……俺達は本気で仕留めずに戦いを楽しんだ。アリアは動きを封じて即死させた。そこにアリアは怒っている。そんな気がする」


 アリアが本当に怒っている理由を、エリクなりに解釈する。


 二人がキマイラとの戦闘で殺す事より戦いを楽しむ光景を見たアリアは怒りを宿した。

 そして魔獣の特性で魔人である二人が行動不能になる事を予見し、行動不能になった二人が立ち直れない時間をわざと作り、自分だけでキマイラと相対した。


 あるいは二人が本気で苦戦し倒せない状況だったとしたら、二人に協力し華を持たせる事もしたかもしれない。

 しかし本気を出せば倒せるにも関わらず、倒さずに戦いを楽しみキマイラを痛め付けた後に発せられた一言は、アリアの憤怒を頂点へ導いた。

 エリクはそれを自分なりに考え、結論に辿り着いた。


「マギルス」


「……」


「お前は、戦いを楽しいものだと言った。俺も少しだけ、お前と戦ってそれが分かった。強くなる楽しさを知った」


「……」


「……だが。やはり俺は、戦いで楽しみを得るというのを理解することが出来ない」


「!!」


「訓練ならまだいい。だが命を奪い合う戦いは遊びではない。俺は今までも、そしてこれからも、そう思い続けるだろう」


「……」


「アリアがお前に何度も怒るのは、多分そこで相容れないからだと思う。俺もお前とは、その部分を相容れないと思っている」


「……」


「……俺は、アリアに謝ってくる」


 そう話すエリクは部屋から出ると、アリアの部屋に向かう。

 エリクの言葉を理解出来ないマギルスは、理不尽の怒りが冷めずにケイルに顔を向けた。


「……なんで? なんで戦いが遊びじゃないの? 戦いを楽しいって思っちゃいけないの? 強くなるのを楽しいって思っちゃいけないの!?」


「……」


「楽しいことをするのが遊びでしょ!? なんでアリアお姉さんもエリクおじさんも、遊んじゃいけないって言うの!?」


「……生きるってことは、楽しいことばっかりじゃないからだよ」


「……え?」


 マギルスの不満を聞いていたケイルが、無表情のまま静かに話し始めた。


「生きてる間で楽しい事なんて、僅かな時間しかない。他は辛い事や悲しい事、面倒臭い事ばっかりで、心の底から楽しいと思える時間は、ほんの一瞬なんだ」


「……なに言ってるのさ、ケイルお姉さん? 楽しいことばっかりすれば楽しい時間ばっかりになるでしょ?」


「……マギルス。お前、戦う事が本当に楽しいか?」


「え?」


「戦う以外に楽しいことは何も無いのか?」


「そんなの無いよ」


「……そうか」


「僕、アリアお姉さんは楽しい人だって思ったんだ」


「?」


「でも、全然楽しい人じゃなかった。いつも僕がすることを怒って、いつも僕のすることを邪魔して、いつも僕がやることを間違ってるって言う。……僕、アリアお姉さんと一緒に居れば楽しくなると思ったから、一緒に付いて来たのに」


「……」


「……なんでエリクおじさんやケイルお姉さんは、あんなアリアお姉さんと一緒に居るの? 何が楽しいの?」


 真剣な表情で聞くマギルスに、ケイルは少し考えた。

 しかしその答えは期待に沿えるものではなかった。


「アタシは別に、あいつと居て楽しいから付いて来たワケじゃない。……アタシの意思でも無いからな」


「?」


「エリクの理由は、あいつにしか分からない。……いや、もしかしたらあいつ自身、それに気付いてすらいないのかもな」


「……変だよ。ケイルお姉さんも、エリクおじさんも。僕、全然分からない」


 そう吐き捨てた言葉と共に、マギルスは部屋を出て行った。

 自分の部屋に残されたケイルは疲れたように溜息を吐き出し、ベットに背を預ける。


「……ほんと。楽しくねぇよな」


 ケイルはそう呟き、ランプの火を消して就寝する。

 合成魔獣の遭遇を原因として、複雑な事情が絡み合い倒錯した夜が終わった。


 次の日。

 マギルスが青馬と共に姿を消していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る