憎悪の狼


テクラノスとアリアが対峙する一方。


人狼エアハルトに連れ去られたケイルは、

左腕を噛み付かれたまま血を流し、

地面に足を擦りつけながら引き摺られていた。



「この、糞野郎ッ!!」



速度を落とさず離さないエアハルトに、

ケイルは左腕の痛みを我慢し、

右腰に携えた小剣を右手で逆手にして引き抜き、

エアハルトの背中を狙い突き刺そうとした。


しかしエアハルトはそれを予期して移動方向を僅かに変え、

目の前の木にケイルの頭を激突させた。



「ッ!?」



ケイルは頭部の衝撃に耐え切れず右手の小剣を離す。

それでも左腕を離さないエアハルトは、

更に移動して他の木にケイルの身体を叩き付けた。


ケイルは頭部に受けた衝撃で意識を朦朧としながらも、

木に叩きつけられる衝撃を緩和する為に、

右手で頭部を守り、傷を増やしながら耐え抜いた。

そしてエアハルトが急停止すると同時に、

顎の力でケイルの身体を前方へ投げ捨てた。



「ッ」



ケイルは投げ捨てられ意識を朦朧とさせながらも、

膝と腰に力を入れて上半身を起こした。


しかし頭から赤髪と同じ血を夥しく流し、

頭を守った右手の指は人差し指と中指が折れ、

手の甲にヒビも入った為に腫れていた。

そして噛まれた左腕は顎の力で折れ、傷から血を流し続ける。


今のケイルは傷だらけの満身創痍となっている。

それでもケイルは意識を強く保ち、

エアハルトに対して睨みを利かせた。

そして指の折れた右手で左腰の長剣を引き抜き、

満足に力が入らない状態で長剣を掴んで構えた。


剣の矛を向けた先は、人狼エアハルト。


エアハルトは四足から二足へ切り替え立ち上がり、

人狼のままケイルを鋭く睨んだ。



「……エアハルト、テメェ……ッ」


「言ったはずだ。絶対に、貴様は許さんと」



口に付着したケイルの血液を拭い吐き捨て、

エアハルトはそう述べながら両手の爪に力を注ぎ、

形状を変化させて狂気の鉤爪に変貌させた。


殺意を込めた凄まじい速さで駆け出し、

右手の鉤爪を振り翳してケイルを襲う。

その鉤爪を長剣で防ごうとしたケイルだったが、

折れた指で掴む力では、呆気なく長剣を叩き落された。


そしてエアハルトはケイルの顔面へ左足で蹴りを放ち、

ケイルは防ぐ為に右腕を上げて顔面を守ったが、

蹴りの力と踏ん張りの効かない状態で吹き飛ばされた。


更に転がり倒れたケイルに、

エアハルトは憎しみの篭った表情と声で罵った。



「不様だな。ケイティル」


「……ッ」


「俺を嘲り罵った貴様が、不甲斐なく血に塗れて転がるしかない光景は、実に滑稽に見える」


「……るなら、さっさと、やれよ……」


「ただでは殺さん。貴様は嬲り、地べたを這い蹲らせ土を噛ませながら俺への侮辱を償わせてから、望み通り殺してやる」


「……ハッ。やっぱ、お前は二流だわ……」


「!!」



エアハルトは倒れながらも嘲笑い罵るケイルに怒り、

容赦なく胴体を蹴り上げて更に吹き飛ばして転がした。


憎々しい表情のままケイルの顔面を踏み付け、

頭を地面へ押し付けるエアハルトが、憎々しい声で怒鳴った。



「人間風情が、俺を見下すなッ!!」


「……それが、お前の本音か……」


「そうだ! 俺は狼獣族として誇りを持っている。それを貴様等のような劣った人間種族が、俺を見下すのは、絶対に許さんッ!!」


「……ハッ、何が誇りだ。格下にしか粋がれない小物が……」


「!!」



罵りを止めないケイルに、

エアハルトは怒りの表情を強めると、

踏み付けた足をもう一度ケイルの頭に叩き付けた。


鈍い音を立てて顔を更に地面に沈めるケイルに、

エアハルトは憎々しく荒げた息を整えながら、

吊り上げた口元から煽るように話した。



「貴様、あの女官の妹だったらしいな」


「……」


「俺は興味すら無かったからな。なるほど、貴様は姉と密会する為に王宮で働いていたワケだ」


「……」


「……貴様が居ない時、あの女官が他の者達に虐げられていた姿を、時折だが見ていた」


「!」


「浅ましい人間が、下の存在を見つけて罵り虐げる意味を当時は理解出来なかったが。なるほど、コレはコレで爽快だ。奴等がお前の姉を虐げていた理由も頷ける。姉同様、身の程を弁えもしない妹は踏みつけ甲斐があるようだ」


「……ッ」


「……あの女官が王子を出産した後、給仕の女達が用意して女官に渡した食膳に毒の匂いが混じってことに、俺は気付いていた」


「!?」


「だが放置していた。興味が無かったからな。浅ましい人間共の行いに関わる気も無い。……だが、死んで当然だっただろう。自分が毒を食している事にすら気付かず死ぬなど、身の程にも気付かなかった女の末路に相応しい最後だ」


「……テメェ……ッ」



ケイルはこの時に初めて、

エアハルトに怒りと憎しみが篭る声を向けた。

それに気付いたエアハルトは憎しみの笑みを浮かべ、

更にケイルの頭を踏み付ける足に力を入れた。



「そうだ、貴様も俺を憎め。そして、その憎しみを晴らす事も無く死ぬがいい。それが貴様に最も相応しい死に方だ」


「……ッ」


「狼獣族の誇りを傷つけた貴様自身の愚かさと身の程を、姉と共にあの世で後悔して、死ねッ!!」



エアハルトは憎々しい笑顔のまま足を退け、

右腕の鉤爪を振ってケイルに止めを刺そうとする。

そしてケイルは起き上がれない身体で、

血と共に瞳から涙を薄ら浮かべて流した。


その涙は、自身の無力を恥じての涙ではない。


王族の愛人となっていた姉と、

仮面を被って向き合わなかった過去の日々。

それが最もケイルを後悔させていた。


あの世で死んだ家族や姉に会えるのならば、

それも良いかと思い、ケイルは瞳を閉じた。

殺されるのが相手がエアハルトという時点で不満はあるが、

幾つかの後悔を差し引いても、それで良いかと思えた。


しかしケイルの残した後悔が、ケイルを救った。



「!?」



エアハルトは身構えた状態から鼻で何かを嗅ぎ取り、

すぐに横へ飛び退いて回避した。

エアハルトが居た空間にケイルが落とした小剣が投げ放たれ、

木に突き刺さって停止した。

更に投げ放たれたナイフを回避しエアハルトは後退する。

小剣とナイフが投げ放たれた方角を見ると、

朝霧の中から黒衣を纏った大男が姿を見せた。


その大男は凄まじい形相でエアハルトを睨みながら、

倒れるケイルの傍まで歩み寄り、声を掛けた。



「ケイル」


「……遅ぇよ。死ぬとこ、だっただろ……」


「すまん」


「……あと、任せて……、いいか?」


「ああ」


「そうか……。頼む、エリク……」



ケイルは保っていた意識を手放し、エリクに後の事を託した。

その時にケイルの目に浮かぶ涙をエリクは見る。

エリクは背負う大剣を引き抜き、人狼エアハルトと対峙した。



「……貴様……」


「俺の仲間を、傷つけたな」


「!」


「お前は、殺す」



エリクの怒気が表情に影を落とす。

それはアリアを連れ去られ、

王宮へ乗り込んだ時と同等の憤怒を見せていた。


こうして三度目となるエリクとエアハルトの戦いが、

朝霧の中で開始された。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る