心臓の鼓動


アリアが大魔導師ガンダルフの下に留まる頃。


数日の眠りから目を覚ましたエリクが、

漆黒の暗闇の中で目を開けた。



「……ここは……?」



開けた瞳に何も映らない中、

エリクは無造作に腕と足を動かそうとする。

しかしそれは阻まれ、同時に鎖の音が鳴り響いた。



「……捕まったのか」



エリクは暗闇の中で、

自身の手足が鎖で拘束されている事を知り、

自分が捕まった事を悟った。


立っている感覚は無く、寝かされた状態。


エリクは腕や足に力を込めるも、

一瞬で虚脱して逃げる力が体の強張りを無くした。



「……アリアは……?」



暗闇の中で、エリクはアリアの身を案じた。


エリクの記憶に僅かに残っていたのは、

拘束されボロボロの姿になったアリアの姿と、

薄ら記憶に残るアリアとの最後の会話。



『――……ア、リア……?』


『おはよう、エリク』


『……おは、よう』


『目覚めはどう?』


『……まだ、眠い……』


『そう。じゃあ、ゆっくり休みなさい。これは雇用主としての命令よ。いい?』


『……そう、か。分かった……』



それがエリクが僅かに残した記憶と会話。

それを思い出しながら、

エリクは暗闇の中で再び目を閉じた。


自身に宿る空腹感を悟り、

無駄な体力を使う事を本能的に回避する。


何も見えず、自分の声以外に何も聞こえない中で、

エリクは機会を待つ事にした。

この空間を脱出する為の機会を。


それからどれほどの時間が経ったか、

エリク自身には分からない。

ただ暗闇の中で静かに、

エリクはアリアに教わった事をしていた。


自身の心を見つめ、魂を認識すること。

魔法を扱う上で初歩の初歩と言われる訓練を、

エリクは思い出しながら行い続けた。


何も見えず、何も聞こえず、

その中で集中し続けるエリクは初めて、

自分の声以外の音を聞いた。



「……俺の、心臓の音……」



この空間に閉じ込められた事で、

初めてエリクは自身の心臓の音を大きく認識した。


一定の間隔で鼓動し、

鳴り響く脈動が血液を動かし、

それを全身に送り続ける心臓。


アリアは心臓そこに魂が宿るとエリクに教えていた。



「……心臓に、俺の魂がある……」



エリクは呟きながら、

自分の心臓の鼓動だけを聞き続けた。


時間を忘れ、空腹さえ忘れ、

人体に必要な生理的現象さえ全て忘れ、

エリクは自身の心臓の鼓動を聞き続けた。


そうして何時間、あるいは何日間か続く中で、

エリクは自身の心臓の音が変化する事に気付いた。


呼吸を止めると心臓の音は静かになり、

呼吸を行うと心臓の音が高鳴り始める。


そうした心臓の変化を僅かに感じ、

手足を僅かに動かす事で、

更に心臓の鼓動が違いを見せる事に気付いた。



「……俺の体を通じて、心臓は動きを変えるのか……」



エリクはこの時に初めて、

自身の心臓がどういう造りをしているのかを、

頭の中で理解し始めた。


心臓とは肉体を動かす上での急所であり、

そこを突けば人間も動物も死ぬ事は理解していた。

しかし、心臓が身体に働きかける効能が、

どういうものかを思考でも本能でも理解していなかった。



「……心臓とは、魂とは、俺を動かす為に必要なものなのか……」



エリクはそう呟き、再び目を閉じた。

そうする事でエリクは何かが見えた気がした。


見えたのは、球体状の薄い光。


エリクは瞼を閉じながらその光を見つつ、

自身の呼吸と手足の動きと連動して、

薄い光が僅かに形状を変える事に気付いた。



「……これが、魂か」



エリクは心臓の鼓動と同じく、

形状を変える薄い光を、自分の魂だと理解した。


エリクは無意識に自分の右手の平を動かし、

肉体を動かさずに意識の中の自分の右腕を動かした。


実際の右腕は拘束され動けない。

しかし意識の中の右腕は動き、

薄い光に対して手を伸ばし、

右手を大きく広げて掴んだ。


それに触れた瞬間、エリクは意識が途絶えた。


そして次に目を開けた時、

エリクはまだ漆黒の闇の中だった。



「……夢、だったのか……?」



魂と思しき薄い光を掴んだ事を、

エリクは夢だったのだと思った。


心臓の鼓動は以前より遥かに小さく聞こえ、

手足を動かしても心臓の鼓動の変化に気付けない。

先ほどまで感じて見ていたのが、

全て夢だったのだと、エリクは考え至った。



「……!」



その時、エリクは自分の心臓と声以外の音を聞いた。


何かが開き、閉じる鉄扉の音。

それと同時に密閉された空間に空気が流れ、

薄かった空気に濃厚な空気が混ざり、空間に広がる音。


そしてエリクの目の端に、

赤い光が灯るのが見えた。

その光が広がり、エリクの前を照らし始める。

エリクが居た場所の天井が僅かに照らされ、

岩肌の見える天井を初めてエリクが視界に捉えた。


そこで、エリクが知る声が聞こえた。



「――……エリク!!」


「……ケイル、か?」


「エリク、まだ生きてるな!?」


「ああ……」



ケイルの声を聞いたエリクは、

自身の声が初めて掠れてる事に気付いた。


空腹感が満たされず、

食べ物や水分も摂取せずにいた数日間で、

思った以上に身体の衰弱をエリクは認識した。


掠れた声から搾り出すように、

エリクはケイルの方へ声を向けた。



「……ケイル」


「エリク、聞こえてるのか!?」


「ああ……」


「おい、まさか食事どころか、水すら与えてないのかよ!?」



エリクの掠れ薄い声はケイルに届いていなかった。

そのケイル自身もエリクとは別の人物と話をしていた。


その相手の声を、エリクは聞いていた。



「ゴズヴァールとエアハルトに重傷を負わせた魔人です。迂闊に守衛が近づけさせては危険だ。指一本で殺されかねない」


「交渉中にエリクが死んでみろ。どうなるか分かってんだろうな」


「魔人は十数日、水と食事を口にしなくても生きていますよ。人間より遥かに頑強な生き物だ」


「例えそうだとしても、エリクが無事じゃなきゃ交渉には応じねぇ。今まさに、声すらまともに出せねぇアイツが、無事に見えるってのか?」


「……仕方ない。では、水だけ与えましょう。しかし、拘束は交渉が終わるまで絶対に解かない。いいですね」


「ああ」



歳を経た男の声とケイルの会話が終わった後、

ケイルは再びエリクが居る場所に声を向けた。



「エリク、返事はしなくていい。聞いてくれ」


「……」


「アリアの奴は無事だ。今は違う場所で拘束されてるが、手荒な真似は一切させてない。安心しろ」


「!」


「お前とアリアは、マシラ共和国の政府連中の主導で拘束されて、監禁されてる。アリアの方は何とかなりそうだ。けど、お前の場合はマシラ王が居る王宮に乗り込んで闘士連中を叩きのめしたのが、罪状を重くして厄介な事になってる」


「……」


「安心しろ。絶対に、アタシがお前をここから出してやるから。今回は脱獄しようとするな。アタシ等に全部任せとけ。いいな、いいなら何か合図を返してくれ!」



ケイルが話す内容をある程度まで理解したエリクは、

合図となるように腕に力を込めて動かした。

そして右手に繋がれた鎖の音を鳴らし、ケイルに合図を送った。

それを受け取ったケイルは、最後にこう述べて出て行った。



「エリク、次に会う時は、外でだ」


「……ああ」



ケイルの遠退く声と、

エリクの掠れた声が静かに響き混ざると、

鉄扉が閉まっていく音が聞こえ、それが閉じた衝撃音が響く。


再び訪れた暗闇と無音の静寂の中で、

エリクは今までとは違う心境で待った。


ケイルを信じたエリクは、再び自分の心臓の鼓動を聞き始めた。




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