冤罪の憤怒


 アリアが闘士メルクと戦い勝利していた頃。

 闘士エアハルトと交戦するエリクは、意外な苦戦の中にいた。


「ッ!!」


「!」


 大剣の振りを地面に這うようにエアハルトは屈み避け、その姿勢から飛び出した後に素手と蹴りをエリクに浴びせた。

 直撃しながらも自分で後ろへ跳び、打撃の威力を軽減したエリクは僅かに出血したが、反撃してエアハルトに倣うように右足の蹴りを浴びせた。

 脇腹に直撃する寸前に左腕を上げて防御したエアハルトだったが、それでも蹴り飛ばされて屋根の上から地面まで落下し、着地した。


「……この身体能力、本当に人間か……?」


 エアハルトが漏らす言葉は、屋根の上から見下ろすエリクに向けられていた。


 エリクとエアハルトの戦いの音が響き、静まるはずの夜の騒ぎに周辺の家々から人が気付き、何が起こっているのか家や部屋から出て確認し始める。

 それを見たエリクは厳つい顔を僅かに渋くさせ、下に降り立つエアハルトに視線を向けた。


「……」


「……!」


 互いに無言のまま向かい合う中で、先に動いたのはエリクだった。

 しかし動いた先は、エアハルトとは逆の方角。

 エリクは目の前の男との交戦より、追われるアリアと少年との合流を選んだ。


「逃がすか!」


 エアハルトは家の壁を利用しながら駆け上がり、再び屋根の上に立ちながらエリクを追った。

 しかしエアハルトの視界からはエリクが消え、夜の闇に閉ざされた下層の町だけが見える。

 その中でエアハルトは、大きく鼻で息を吸った。


「……こっちか」


 夜の闇に覆われた視界の中で、エアハルトは再び駆け出した。

 何度か屋根を跳びながら進み、途中で屋根から降りて路地裏を進むと、その先にある光景を見てエアハルトは停止した。


「……ッ、人に紛れたか」


 路地裏から出た先は、下層の人々が夜に賑わう街並み。

 夜の闇を火の光で晴らしながら、様々な人が行き交い視界を遮る街並みを見て、エアハルトは睨むように周囲を見ながら、鼻で息を吸った。


「……ダメか。匂いで追うのは、もう不可能だな」


 エアハルトは人ごみを避けるように路地裏の中に戻り、再び屋根に登って上からエリクの捜索を開始した。


 しかしその夜。

 エアハルトはエリクと再び遭遇できなかった。

 そして闘士達が集う場所に戻ったエアハルトは、他の闘士達が女と少年を確保した事を聞いた。

 捕えた女と共に居た男の事は報告しつつも、アレクサンデル王子を無事保護し、誘拐犯と思しき実行犯の一人を捕らえた事で、闘士達はエリクを執拗に追う必要を見出さなかった。


 そして、次の日の早朝。

 夜が明けて太陽の光が差し込み始める下層と中層の間にある路地で、エリクはアリアを待ち続けていた。


「……アリア……」


 集合場所に来る気配が無いアリアに、エリクの脳裏には確信に近い出来事が浮んでいた。


「……捕まったのか」


 アリアが捕まった事を察したエリクは、待っていた場所から離れ、外套を羽織ながら移動した。

 万が一の可能性も考えて借家に戻って来たエリクだったが、そこにはドアを蹴破られ部屋の荒らされた家しかなく、アリアと少年の姿は見えなかった。


「……!」


 その家の室内で深刻な表情を浮かべる最中、外から誰かが近付く気配をエリクは察した。

 リビングがある部屋の扉の横に隠れたエリクは、家の前で急に気配を殺すような動きを見せた者を警戒した。

 そして家の中に入った何者かがリビングまで入った瞬間、素手で拘束しようとした。


「うわッ!?」


「……ケイル、か」


「って、エリクかよ。……無事って感じじゃ、ないな」


 家の中に入って来たのがケイルだと知り、飛び掛かろうとした腕をエリクは引いた。

 急に襲って来たエリクに驚きつつも、部屋の惨状を見渡したケイルは、一息を吐き出して聞くように話し始めた。


「……エリク、何があったんだ?」


「昨日の夜、襲われた」


「アリアと、あのガキは?」


「途中で追っ手を撒く為に別れた。だが朝になっても、集合する場所にアリアが来ない」


「……捕まったってことかよ」


「ああ。……ケイル、お前は今までどうしていた?」


「情報屋のとこに行って、色々確認してた。……エリク、お前等を襲った相手の顔や姿は見たか?」


「ああ」


「何か、特徴とかなかったか?」


「特徴……。二人組で、黄色い布地の服を纏っていた奴等が追って来た」


「……やっぱりか」


「何か、知っているのか?」


 険しい顔をケイルに近づけたエリクは、静かに圧を加えて聞いた。

 ケイルはその圧を受けながら、知り得て来た情報をエリクに渡した。


「多分、そいつ等は闘士だ」


「闘士?」


「この国では有名な奴等だ。元傭兵だったり、他の国からスカウトされた腕の立つ奴等で組まれた、マシラ共和国の腕利きの部隊なんだ」


「どうして、そいつ等が俺達を狙った?」


「……これは情報屋から聞いたんだが、闘士達が何かを探すように動いてたらしい」


「探す? アリアのことか」


「いや。随分前から、傭兵ギルドの方や守備兵達に働きかけて、闘士達が何か捜索する事を伝達してたらしいんだ。その闘士達がつい先日、傭兵ギルドにとある人物を探すように依頼した。それが金髪碧眼の女。アリアってことだ」


「……」


「……アタシなりの考えだけど。アリアが助けたあのガキが、闘士達を動かしてる理由じゃないかと思ってる。そうでもなきゃ、アリアがこの国で狙われる理由がない」


「あの子供か」


「来て数日しか経ってないアリアが、国の命令で動く闘士達に目を付けられる理由が他に無いからな。仮に帝国のローゼン公爵家の娘だからアリアを捕まえようって話になったとしても、あまりにも急すぎるだろ?」


「……」


「だったら、アリアが助けたあのガキが闘士達を動かすほどの理由になってるんじゃねぇかな。例えば、あのガキが国の要人の子供で、誘拐されてたとこをアリアが助けた。そしてアリアが倒した誘拐犯達の口から、アリアの事が闘士達に伝わったとか……」


「……要人の子供……」


 ケイルの推理を聞いていたエリクが、いつか聞いた話を思い出した。


 つい先日、アリアと共に聞いたばかりの話。

 首都マシラに訪れたばかりの日に、傭兵ギルドマスターのグラシウスと大商人リックハルトが行っていた会話だった。


『で、マシラ側だが。その王国と帝国との戦争に関して落ち着いた対応に見せてはいるが、ちと問題が起きててな』


『問題とは?』


『……実は、マシラ王が急病で倒れたって噂だ』


『まだ若い、マシラ王が……!?』


『まだ噂程度なんだが、傭兵ギルドでは確証に近い情報が届いてる。それでちと、面倒臭い事態が起こっててな』


『面倒な事態?』


『……マシラ王の唯一の息子、アレクサンデル王子が行方不明らしい』


『!!』


『傭兵ギルドでもアレクサンデル王子の行方を捜してくれって極秘依頼が、マシラの王政府から届いてる状態だ。これは内密にしておいてくれ』


『……まだ若いマシラ王の急な病、そしてアレクサンデル王子の行方不明……。まさか……』


 グラシウスとリックハルトの会話を思い出したエリクは、今までの出来事の全てが思考で結び付いた。


 アリアが誘拐されていた所を助けた少年。

 若いマシラ王の息子である王子。

 その発想に思い至ったエリクが、気付きを浮ばせるように呟いた。


「あの子供が、この国の王子か」


「は?」


「傭兵ギルドのマスターが、王子が行方不明だと話していた。王子を探す依頼も受けているとも言っていた」


「……えっ、ちょっと待てよ。じゃあ、あのガキが……?」


「あれが多分、行方不明になっていた王子だ。アリアは、誘拐されていたこの国の王子を助けたんだ」


 エリクの口から告げられた言葉に、ケイルは表情も動きも硬直した。

 そして硬直した体を何とか動かし、口を開いたケイルが驚きながらも話し始めた。


「……じゃあ、闘士達は誘拐された王子を探す為に、アリアを探してたってことかよ!?」


「あの子供が王子なら、そうなる」


「……まずいぞ。もしそうだとして、アリアが闘士達に捕まったとしたら。多分、奴等は王宮にアリアを連れてったはずだ……」


「王宮に?」


「闘士達はマシラ王を守る護衛でもあるから、王宮に闘士達は住んでるし、根城にしている。……もしあのガキが本当に王子なら、アリアは王子を誘拐した犯人って事にされてるんじゃ……」


「何故だ? アリアはあの子供を助けたんだぞ」


「仮にアリアが倒した誘拐犯達が闘士に捕まってたとして。アリアに関して吐かされた内容なんて、『金髪碧眼の女に襲われて、王子を連れ去った』くらいの話だろ。下手すると、アリアが王子を誘拐した真犯人だって嘘の供述さえしてるかもしれない。自分の罪状を少しでも軽くする為に」


「!?」


「そうなったら、アリアは王子を誘拐した大罪人だと闘士達が認識してることになる。……アリアが本当の事を言っても、それを闘士達が嘘だと判断したら。本当の事を吐くまで拷問されて、最悪の場合は大罪人として処刑も……」


 ケイルの口からそれが話された瞬間、エリクが一瞬だけ無表情になり、目を大きく見開いた。


 エリクの脳裏に浮んだのは、拷問され大罪人として処刑されるアリアの姿。

 かつて村人を虐殺したと冤罪を着せられ、獄中に囚われて幾らかの拷問を受けた経験のあるエリクが、自分と同じ目に遭うアリアを想像した。

 そして、エリクの表情と瞳に影が落ちた。


「……」


「――……おい。おい、エリク?」


「……ケイル。王宮というのは前に話していた、この町の中心部にある、あの城か」


「あ、ああ。……おい、まさか」


「……」


 険しい表情と内に秘めた怒りを宿すエリクが、そのまま家の外まで歩き続けた。

 それを追ったケイルは、エリクの腕を掴みながら引き止めた。


「待てよ、エリク!」


「離せ」


「お前、まさか王宮に一人で乗り込む気かよ!?」


「ああ」


「馬鹿ッ、無謀だ!」


「……」


「あそこは仮にも王宮だぞ!警備が厚すぎるし、仮に忍び込んでも広すぎてアリアが何処にいるか分からねぇよ!!」


「……」


「それにあそこには、各地から集められた凄腕の闘士達が居るんだぞ! 一対一ならともかく、闘士と複数でやりあったら、お前でもヤバいかもしれないんだ!!」


「……」


「何か他の手を考えるんだ! 例えば、傭兵ギルドに事情を話してマシラ政府に呼びかけて、アリアを引き渡してもらうとか――……」


「その間にアリアが拷問され、殺される。俺の時のように」


「!!」


「俺はアリアを守る為に、ここまで来た」


 そう告げたエリクがケイルを腕から引き剥がした。

 そして怒りとも悲しみとも言える表情を浮かべたエリクに、ケイルは引き止める言葉さえ飲みこまざるをえなかった。


「エリク。お前、そこまでアリアを……」


「……ケイル。傭兵ギルドへ行って、事情を話してくれ。俺は、王宮に行く」


「乗り込む気かよ、一人で!?」


「ああ」


「だったら、アタシも――……」


「頼む、ケイル」


 顔を向けずにそう頼んだエリクに、ケイルは様々な感情が入り乱れた表情を下げながら、吐き出しそうな言葉を噛み締め、飲み込んだ。

 そしてたった一言だけ、エリクに伝えた。


「……分かった。任せろよ」


「ああ、頼む」


 その場から立ち去るエリクの背中を、ケイルは見つめながら見送った。

 そしてエリクの背中が見えなくなると、ケイルは奥歯を噛み締めつつ顔を下げて、悔しそうな表情を浮かべた。


「……クソ。勝ち目なんて、無いじゃんかよ……」


 僅かに目の端に浮ぶ涙を腕で拭いつつ、ケイルも自身が行える事の為に動き出した。


 こうしてエリクは、アリアを取り戻す為に身の内に宿る怒りを原動力にして、マシラの王宮へ向かった。

 エリクはこの時、様々な覚悟を既に終えていた。

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