9  豹変

 かけつけた衛兵たちによってベネトが運びこまれたのは、王宮の一室だった。

 明かり取りの窓があるのに薄暗い部屋の隅で、離宮からはせ参じた緑野の侍女たちに守られるようにして、ティアは診察を待っていた。

 急だったため敷布もかけられていない寝台の上で、ベネトの荒い息づかいだけが響く。


 ベネトを診察していた薬師が、手をぬぐい、ティアを振り返った。


「矢じりには毒が塗られておりました」


 ひくりと、ティアは息をのみこむ。薬師は抜き取った矢じりを見おろして、淡々と続けた。


「こちらの方は、毒の耐性をつけておられたようですな。ふつう、緑野の民がこれを受ければひとたまりもありません」

「毒の、耐性……?」

「とはいえ、本来ならば致死量の毒を受けたことに違いありません。生かしたいとお思いならば、しっかりと養生させられますよう」


 そう言って、薬師は一礼した。


 退室する薬師を、侍女たちが見送りに出ていく。ティアはそっと寝台に近づき、意識のないまま荒い呼吸をくりかえすベネトを見おろした。


 いつもひっつめられている焦茶の髪は解かれ、寝台の上に無造作に広がっている。怜悧な印象を与える眼鏡も、今ははずされて枕もとに置かれていた。そうしていると一気に若い娘に見えて、実際、このお目付役がまだ若い娘だったことを思い出して、ティアは内心激しく動揺した。さらに、その若い娘が先ほど、台本を守るという己の役目を果たすため、躊躇なく命を投げ出したことに考えいたると、体の底から震えが走った。


 わななく唇を引きむすんで、ティアはくるりときびすを返した。戸口の棚に置かれていた、水さしを取りあげる。薬師が治療に使ったため、中の水は空になっていた。


「汲んでくるわ」


 ティアが短くそう伝えると、ちょうど薬師の見送りから戻ってきた侍女たちが、あわてたようにかけよってきた。


「とんでもございません、王女殿下にそのような」

「いいの。あなたたちはベネトを見ていてあげて」


 そう告げて、ティアは足早に部屋を出る。うしろで侍女たちがまだなにか言っていたが、かまわず扉を閉めた。


 扉にもたれかかって、ティアは大きく息を吐いた。


 あのまま部屋にいたら、泣いてしまいそうだった。


 胸から息を吐ききると、ティアは両腕で水さしを抱きしめ、唇を引きむすんで、早足に歩きだした。




 祭りのために警備も大半は出払っているらしい。王城の中はしんとしていた。


 高い位置から落ちる、切り取り窓の黒い影だけが、白金色に照らされた床の上でゆらゆらと揺れている。まるで異空間に迷いこんでしまったかのように、寒々しく感じられる廊下に、声が響いた。


「ティア姫?」


 はっとして顔をあげて、ティアは小さく息をのんだ。

 だれもいない廊下の先に、ぽつんと、ケルティが立っていた。ちょうど逆光になっていて、その表情はわからない。


「ケルティ様」


 どうしてここに、と考えて、さあっと血の気が引いた。


「お祭りは? まさか、中止になったの?」

「違うよ、もう終盤だから抜け出してきただけ。兄様がいれば僕が抜けたってだれも気にしないし。お祭りはあのあとすぐに再開されたから、ティア姫が心配することはないよ」


 なだめるようにそう言いながら、ケルティが近づいてきた。全身が陰に入って、その表情が見えるようになる。ケルティは、眉を下げていた。


「ごめんね。僕が誘ったばっかりに、危ない目に遭わせちゃって」

「ケルティ様は悪くないわ」


 きっぱりと首を振って、ティアは、水さしを抱く腕に力をこめた。


「傘をさせって言われたのに、守らなかったわたしが悪いの。……傘の侍女はきっと、刺客に、わたしを狙わせないためだったんだわ。たくさんの傘と侍女たちに囲まれたわたしを見れば、暗殺者だって、あの場でわたしを狙うことはなかったかもしれない。わたし以外の者が倒れた時点で騒ぎになって、わたしを殺しにくくなるものね。わたしが狙われる可能性があるって、ベネトは前からわかっていたのよ、それなのに」


 それ以上言葉が続かなくなって、ティアはうつむく。


 ケルティが尋ねた。


「それで、ティア姫は今どこに行こうとしているの?」

「お水を汲みに」

「……あなたに向けて矢を放った曲者は、あのあとすぐに衛兵が見つけて、捕らえたけどさ。あんなことがあった直後にひとりで出歩くのは、どう考えても賢くないと思うよ」


 ティアはさらにうつむく。

 ケルティが息をこぼすように笑った。


「そんな顔しないでよ。だから僕がついていってあげる、って話なんだから。だいたいティア姫、お水を汲める場所も知らないでしょ。――こっちだよ」


 くるりとこちらに背を向けて、ケルティが歩きだす。ティアは、水さしを抱きしめたまま、そのあとに続いた。




 歩きだしてからは、しばらく二人とも無言だった。

 だれともすれ違わないまま、高い窓からの光が影を落とす、ひんやりとした廊下を進んで、三つめの曲がり角にさしかかったとき、ケルティが唐突に口を開いた。


「でも、あのお目付役もほんと融通がきかないね。どのみち近い将来殺す相手を、身を呈してかばうなんて」


 ティアはぽかんと、ケルティの背中を見つめた。ケルティが足を止めていたので、同様に、数歩分あけて立ちどまる。


 振り返らず、こちらに表情を見せないまま、ケルティが続けた。


「自分たちが書いた悲劇の台本どおりの殺し方しか認めないって、どこまで世界が自分たちの思いどおりになると思ってるんだろうね。わざわざさしいれてやったのに、あの花も使わないし。どうせ王女を殺すには変わりないんだから、さっさとあの花で殺せばよかったのにさ」

「花、って」


 ティアには、ケルティが突然なにを言いだしたのか、まったくわからなかった。かろうじて頭に入ってきたその言葉だけくりかえせば、くるり、ケルティが振り向いた。


「はじめましてのときに、あなたにあげたお花があったでしょう」


 ケルティは笑顔だった。――けれどその、細められた瞳の奥は、まったく笑っていなかった。


「あれは毒の花だよ」


 その言葉は、ひどくはっきりと、頭に響いた。ひゅっと、ティアは息を吸いこんだ。


 脳裏に、焼却いたしました、と。眉ひとつ動かさずに告げた、ベネトの姿がよみがえった。

 けれど今この場に、ベネトはいない。わなないた唇を一度噛みしめて抑えつけ、ティアは、ケルティを見すえた。


「どうして」


 ケルティはぱちりとまたたいて、首をかしげた。


「どうしてもなにも。あなたは緑野の王女様じゃないか。わざわざ他国に嫁いでから、殺されることを望む王女様。面倒くさくてはた迷惑なその望みを、さっさとかなえてやるべく毒の花を贈ったことが、そんなにおかしい?」

「あなたもわたしを、一般的な悲劇の華と同じだと思っていたの? 悲劇に死にたがる緑野の王女じゃなくて、ただのティアと、仲良くしてくれていたんじゃなかったの?」


 ティアがすがるようにそう言えば、ケルティはからからと笑った。


「ばっかだなあ」


 すうっと、兄王と同じ、紫水晶の瞳が鋭さを増す。


「――ただのティア? そんなものがこの国に妃として嫁いでこられて、離宮で何不自由なく過ごせるわけないじゃない」


 凍てつく水面のようなそのまなざしは、初対面のときに王がティアに向けたものと、とてもよく似ていた。


「あなたは悲劇の毒華だよ。緑野の国がその力を背景に、悲劇的な死を遂げさせるべく押しつけてきた厄介者。だからこそ兄様はあなたを受け入れざるをえなかったんだ。国と自身にとってとんでもない災厄だと知りつつも、かつて父様がそうだったように!」


 とん、とケルティの足が床を蹴った。一直線に向かってきたケルティを、ティアはとっさに、身をひねってかわす。


 振り返ったケルティの右手には、銀色の短剣が輝いていた。


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