6  焼かれた花

 朝の光がさしこむ白い鏡台の前に、空色の寝間着姿のまま腰をおろしたティアの、朝はひときわふわふわな髪を、侍女が手ぎわよく梳かしていく。

 鏡台の三面鏡には、白いレースのカーテンごしに、緑の庭が映りこんでいた。それでふと思い出して、ティアは鏡を向いたまま尋ねた。


「ねえベネト、ケルティ様がくださったあのお花はどうしたの?」


 たしかベネトが生けていたはずだ。けれど今、部屋にそれらしき花瓶はなかった。


「焼却いたしました」


 一瞬、ティアは聞きちがえたかと思った。ゆっくりと頭の中で反芻してから、髪を梳かす侍女を制し、振り返った。

 ベネトは、今日も今日とて隙のないたたずまいで、壁ぎわに控えていた。ティアの視線を受けても、なんら気おくれした様子はない。


「……理由は」


 短く聞いたティアに対して、ベネトは眉ひとつ動かさずに答えた。


「砂塵の国の王弟殿下と交流を深められることは、悲劇の台本からはずれます」


 ティアは唇を噛みしめた。


 ルベルを植えたいというわがままが通ったものだから、すっかり忘れていたけれど、本来、お目付役とはこういうものだ。そして、いつか来る悲劇的な死の直前に、このお目付役の目を盗んで逃げ出すためには、今はまだ波風を立てるわけにはいかない。

 だからティアは、細く深く、胸から息を吐き出した。


「……次からは、わたしに一言ことわってからにしてちょうだい」


 ベネトが無言で頭を下げる。ティアも黙って、鏡台に向きなおった。

 侍女が、髪の手入れを再開する。


 居心地の悪い空気が流れていた。




 ケルティはその日の昼すぎに、またひょっこりと庭から現れた。


「ティア姫、こんにちは」


 人なつこい笑みを向けてくるケルティに、ティアも笑顔を返したつもりだったが、罪悪感が出てしまっていたらしい。目の前までやってきたケルティが首をかしげた。


「どうしたの?」

「……ごめんなさい。昨日のお花、活けていなくて」


 庭に面した掃き出し窓からは、白いレースのカーテンに隔てられ、部屋の中は窺えない。だけど、中でお茶をしたらわかることだ。そう思ってティアは先に謝ったのだが、さすがに、燃やされたとは言えなかった。

 気落ちするか不満げにするか、どうして、と尋ねられるか。そんなティアの予想に反して、ケルティはふっと部屋のほうへ目をやると、肩をすくめた。


「気にしないで。――怖いお目付役だね」


 ティアは目を見開いた。


「どうして」


 ケルティがにこりと笑顔を作った。


「ティア姫は腹芸が苦手だよね。顔に出てるよ」

「えっ」


 顔を押さえたティアに声を立てて笑い、ケルティは庭を見まわした。


「あいかわらず緑しかないねぇ。ティア姫はさ、毎日ここでなにしてるの?」

「ルベルを育ててるわ」

「そうだね。それだけ?」


 うーん、とティアも、ケルティの視線を追って庭を眺めた。

 点々とならんだルベルの双葉が、風に小さく揺れている。今日の水やりは朝方に終えてしまったので、今はもうとくにすることがない。

 緑野の国にいたころは、勉強もお稽古事もたくさんあったし、第三王女といってもそれなりに、王家の姫として出席すべき行事などもあったのだけれど。この砂塵の国に嫁いできてから一月、本当に、なにもすることがない。その気になればひたすら寝ているだけでも、一日が終わる。

 この状態が悲劇の台本のとおりなのか否か、ティアには判断がつかなかったが、台本進行の監視役であるベネトがなにもいわないということは、さほどはずれてもいないのだろう。


「……それだけね」


 ティアが答えると、ケルティは首をかしげた。


「王宮に来ればいいのに。この離宮で一日中いるのって、退屈でしょう?」

「……でも、それは」


 はっきり、ここから出るなといわれたことはない。だけどティアは、離宮でおとなしくしていろという無言の圧力を、砂塵の王宮からもベネトからも感じ取っていた。

 口ごもったティアに、ケルティが笑顔を向けた。


「勝手に出歩いて、って、怒られないか心配? だったら、僕といっしょに行こうよ」

「えっ?」

「僕といっしょなら、だれも怒れないよ。もしだれかになにか言われても、僕がティア姫をつれまわしてる、ってことにするし。兄様に会っちゃうとちょっとあれだけど……でも兄様はお忙しいから、執務室や謁見の間のあたりを避けたらそうそう出くわさない」


 ねっ、とケルティがティアの手を取る。純粋にティアを思って言ってくれている様子のその手を振りはらうこともできず、ティアは困って、無意識のうちに、部屋の中で控えるベネトを見ていた。


 ティア自身も、日がな緑の鳥篭に閉じこもって過ごす今の生活に、退屈していないと言えば嘘になる。だけどティアの目的はあくまでも、将来、台本どおりもたらされる悲劇的な死から逃れることで、そのために、今ここでベネトに問題児認識されるわけにはいかないのだ。

 そんなことをぐるぐる考えながら見つめていると、ベネトがため息をついて、口を開いた。


「……王宮へ行かれるのであれば、わたくしもお供いたします」


 えっ、とティアは目をまたたかせたが、ケルティは頬をふくらませた。


「えーっ。あなたがいたんじゃ、ティア姫は息が抜けないじゃない」


 その言いようにティアはぎょっとしたが、ベネトは淡々と答えた。


「それが務めでございますので」

「……まあ、しかたないか」


 しぶしぶ、といった様子だったが、ケルティはそうつぶやくと、再び明るい笑顔に戻って、ティアの手を握った。


「お目付役のお許しも出たみたいだしさ、行こう? 王宮探検!」


 その満面の笑みにつられて、ティアも笑顔になっていた。


「ええ」




 緑の鳥篭から一歩外に出ると、乾いた土の上に四角い敷石をならべた道が、ずっと王宮まで続いている。

 足どり軽いケルティの先導で、背後にベネトを従えて、ティアはその小径を進んでいた。

 外を歩くのは、じつに一ヶ月ぶりだ。一歩一歩離宮から遠ざかるたびに、なんとなく心もとないような、それでいてわくわくするような不思議な気持ちが、ティアの中でふくらんでいた。


 王宮へ近づくにつれ、衛兵や、小ぶりの水瓶を抱えて行きかう侍女たちの姿も増えてくる。いつ制止されるかとティアは内心どきどきしていたのだが、衛兵も侍女も、前を行くケルティがにこりと笑いかけるとただ頭を垂れて、追及してくることはなかった。


 そしてとうとう、ティアは王宮の庭に足を踏み入れた。


 母国緑野の王宮の、花壇が整然と区画され、地面は白い石できっちりと固められていた庭園と違い、ここの庭は、自然のままの風情だった。あちらこちらにすらりと背の高い木々が立ち、さわさわと揺れるまばらな枝葉が、乾いた土の地面に影を作っている。


「あ、噴水」


 思わずティアがつぶやくと、前を行くケルティが足を止めた。ティアの視線を追って、ああ、とうなずく。


「今は止まってるけどね」


 ケルティの言葉どおり、庭の真ん中にぽつんとある噴水は、水を噴き出してはいなかった。さんさんと照る太陽と乾いた空気の中で、ただじっと黙しているだけの噴水装置は、よけいに渇きを覚えさせた。


「外国からお客が来るときは動かして、水を噴かせるんだけど。平時にまで贅沢の誇示は必要ないって、兄様が止めさせてるんだ」

「……そうなの」


 淡い色の空の下、いつだってきらきらと水を噴きあげて庭園に虹をかけていた緑野の噴水を思い出しながら、ティアはあいづちを打った。


 噴水のわきを過ぎると、王宮の屋根の下に入った。砂色の太い円柱が、壁のかわりに屋根を支えている。

 日ざしが屋根に遮られると、とたんに空気がひんやりとした。それに、明るい庭から陰った屋根の下に入ったせいで、一時的に目の前が暗くなる。


 そこでふいに、勢いよく手を引かれた。


「今だ、こっちっ」


 引かれたほうへ倒れこみそうになり、ティアはあわてて、引っぱられるまま走り出す。


「ケルティ様、どこへ行くのっ?」

「なにあの人、あんな動きにくそうなドレスのくせに足速いっ」


 その言葉でティアにも、ケルティがベネトを撒こうとしているらしいと見当がついた。ベネトがついてくることをあっさり承諾したのは、地の利で撒けるという勝算があったからか。


 ケルティと二人、走って走って、ティアの息があがりきったころには、背後にベネトの姿はなくなっていた。


 円柱が、いつのまにか壁に変わっている。壁の高い位置に切り取られた細長い窓から、光がさしこみ床に影を落としている。一月ぶりの王宮は、最初来たときと変わらず、静かで荘厳な空気を漂わせていた。

 ひんやりとした空気の中、ティアはあたりを見まわした。ここは王宮のどのあたりなのだろう、彫像のような衛兵も、通りがかる侍女もいない。


「だれもいないわ」


 ティアのつぶやきは、静寂に、やけに大きく響いた。

 ケルティがティアの手を放して、ゆっくりと振り返る。なぜかその、なんということもないはずの動きに、視線が吸いよせられた。


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