5  訪問者

 ふかふかと耕され、たっぷり水を与えられて焦茶に染まった土の上、黄緑の双葉がやわらかく揺れる。

 昨日、庭師が入り、植えつけられたルベルの苗だ。ティアの希望どおりかなりの数が、庭の一角を占拠する勢いで植えられた。

 今、その端から端にまで、鈍い金色の如雨露で水やりを終えて、ティアは満足げな息を吐き出した。吹きよせたぬるい風に、若葉色のストールが揺れる。

 そのときふいに、がさがさと、離宮を囲む、緑の鳥篭が揺れた。


「何者です!」


 今は王宮へ出向いているベネトにかわり、一番年かさの侍女が叫んだ。若い侍女たちが、すばやくティアのまわりを固める。


 ベネトが戻ってくるには早い。ほかにこの離宮へやってきそうな者といえばシャウラくらいだが、彼女が来るのは朝に一度だけで、今日の訪問はもう終わっている。

 ベネトの忠告がよみがえった。まさか暗殺者かと、ティアは身を硬くする。

 庭の空気が張りつめる中、蔦やいばらや葉っぱの中から、それはひょこりと現れた。


 ティアは、ぱちりと目をまたたかせた。


 生い茂る植物の間から顔を出していたのは、ひとりの少年だった。まっすぐな黒髪を肩の上で切りそろえた、なめらかな褐色の肌の。その、大きく、意志の強そうな紫水晶の瞳を見た瞬間、ティアは強い既視感を覚えた。

 今その紫水晶が、ティアをまねるようにまたたいた。そうすると一気に、幼い印象が強くなる。

 そして少年は、口を開いた。


「――王女様って、あなた?」


 ティアは一瞬考えてから、持っていた如雨露を横にいた侍女に渡した。前に立ちはだかっていた侍女の肩を、そっと叩いて横に退かせる。そうして、謎の少年と向きあった。


「そうよ」


 正確にはこの国でのティアの立場は、王の妃であるはずだが。


「あなたは?」

「ケルティだよ」


 にこり、と笑って、少年は身軽に茂みから飛び出してきた。それで全身が見えるようになる。

 着ている服は簡素なものだったが、質のいい布を使っていることが見てとれた。履いている革のサンダルも、留め具に金具が使われていて、しっかりとした作りだ。高い身分の子どもだろうと、あたりがついた。

 少年は、侍女たちの視線を受けながらもまったく気負う様子なくティアに近づいてくると、まさに、それ以上近づくとまた侍女たちが警戒するという寸前の位置で止まった。そして、現れたときからずっとうしろに回していた手を、さしだした。


 甘い、濃厚な香りが漂った。


「王女様にこれ、あげる」


 まあ、とティアは目を瞠った。


 少年がティアにさしだしていたのは、色あざやかな花束だった。赤、黄、橙の大輪の花が、華やかさを競うように咲いている。


「すごい……!」


 緑野の王宮の、整然と区画され、多種多様の花が咲き誇っていた庭園でも、こんな花は見たことがなかった。上品で淡い色彩の多かった緑野の花に対して、こちらはひどくあざやかで、生き生きとして見える。

 感嘆するティアに、少年は得意げに笑って、庭を見やった。


「王女様が住むところなのに、こんな草ばかりじゃあんまりでしょ。兄様は立派な方だけど、こういうことに興味がおありでないから」


 ティアは、花束を受け取るべくさしのべていた手を止めた。


「……兄様?」


 少年がこてりと首をかしげた。


「そうだよ? 王女様は兄様に嫁いできたんでしょう?」

「わたしが嫁いできたのはこの国の王様のところよ。――あなたは、王様の弟君なの?」


 少年はあっさりとうなずいた。


「うん」


 ざざっと、衣ずれの音を立てて、ティアのまわりの侍女たちがひざまずいた。

 ティアもまた、ドレスの裾をつまんで礼をとった。


「失礼いたしました、王弟殿下」

「ケルティでいいよ、王女様」


 気軽な調子の声に顔をあげて、ティアはあらためて少年――ケルティを見つめた。兄弟と知ればなるほど、あの王様によく似ている。けれど、切れ長の目が鋭い印象だった兄王と違って、弟のケルティのほうはまあるい目で愛嬌があった。

 ティアは進み出て、ケルティの手から花束を受け取った。


「わたしはリールティアラ。ティアでいいわ。お花をありがとう、すごく嬉しい」


 そのまま花の香りを楽しもうとしたティアを、牽制するように声が飛んだ。


「ただいま戻りました、王女殿下」


 はっと、ティアは振り返る。離宮を囲む植物要塞の、ケルティが現れたのとはべつのところ、ふだんシャウラが行き来するため道ができている部分に、ベネトが立っていた。


「あらベネト……もう戻ったの? 思ってたよりずいぶん早かったのね」


 べつに悪いことをしていたわけではないが、なんとなく気まずい思いでティアがそういうと、心なしか足早に歩みよってきたベネトが、ティアの手からすっと花束を抜き取った。


「生けてまいります」

「あ、ええ。お願い」


 一礼して、花束を持ったベネトがさがる。ほっとしたのと拍子ぬけしたのがまざったような心境でしばしその背中を見送ってから、ティアは再びケルティに向きなおった。


 ケルティは腰を折って、さっきティアが水をやった場所、風に揺れる双葉を見ていた。ティアの視線に気づくと、姿勢を戻して、にこりと笑った。


「シャウラが言ってたとおりだね。ほんとにルベルを育ててるんだ」


 あら、とティアは首をかしげた。


「なんて言われてるの?」

「なんて、ってこともないよ。じいやたちは困惑してたけど」

「あらまあ」

「でも大丈夫だよ。離宮にいるかぎりは好きにさせておけって、兄様が言ってたから」

「王様が?」


 ティアは軽く目を瞠った。――ではティアのもくろみどおり、王の耳にも入ったのだ。ティアがルベルを所望したと。

 口もとに笑みが浮かんだのを隠さずに、ティアはケルティに誘いかけた。


「ねえ、お花のお礼に、お菓子でもいかが? ちょうどお茶にしようと思っていたの」


 ケルティもまた笑顔で答えた。


「うん、ぜひ」




 砂塵の国では基本的に、食事は朝と夕の二回だそうだが、ティアは緑野にいたころのなごりで、昼前に軽いお茶をしている。そもそも砂塵の国の食事は、王族といえど、緑野の食事にくらべると圧倒的に質素なのだ。たいていは、穀物の粉と水と塩をこねて焼いただけのパンに、豆と少しの干し肉と香辛料を煮こんだスープだけである。


 部屋の中の白い円卓に、ティアとケルティは向かいあわせに座った。

 円卓の上、白い皿にのせられた焼菓子を興味津々の様子で見つめていたケルティは、給仕の侍女がお茶をそそいで壁ぎわにさがると、口を開いた。


「変わったお菓子だね。はじめて見る」

「わたしの母国、緑野の国のお菓子なのよ」


 果物や木の実、花の蜜をふんだんに練りこんで焼きあげた、しっとりとして染みいるような甘さのこの菓子は、離宮に隔離されたティアをおいたわしいと言って、国からつれてきた侍女たちが作ってくれたものだ。砂塵の国にはないような材料も使われているらしいが、毎朝のご用伺いを利用して取りよせていた。茶葉は、輿入れのときに持参したものがまだ残っている。

 ティアが小さく切って口に運んだのをじっと見届けてから、ケルティは、ごく小さく一口を含む。しばらく神妙な顔でもぐもぐとしてから、破顔した。


「おいしい」

「よかった」


 ティアが微笑むと、ケルティはくすぐったそうに首をすくめた。


「小さい子を見るような目で見るなぁ。僕とティア姫、たぶんあんまり変わらないよ?」

「あらごめんなさい。……わたしにも弟がいるのよ。だから、大きくなったらこんなふうだったのかしら、と思ってしまって」


 もしかして第二王子が生まれなかったら。第一王子が病弱だったなら。予備としてティアは王宮に残され、こんなふうにお茶をしていた未来もあったかもしれなかった。


「緑野の王子様かぁ。おいくつ?」

「もうすぐ三つになる子と、この冬で一つになる子よ」


 へえ、とケルティは、驚いたような声を出した。


「ずいぶん歳が離れてるんだね。僕と兄様もわりと離れてると思ってたけど」

「ケルティ様はおいくつ?」

「十一。兄様とは七つ差だね」


 ケルティのその言葉ではじめてティアは、夫が御歳十八であることを知った。


「王様も、お若いのね」


 お茶を一口飲んでティアが言うと、ケルティが首をかしげた。


「父様が早くに亡くなったからね。若く見えなかった?」

「お若いとは思っていたけれど。実際にお年を聞いて、あらためてお若いと実感したの」

「でも大人でしょ。三年前から王として、周囲と渡りあっていらっしゃるもの」


 誇らしげに、ケルティが笑う。そうね、とティアはうなずいた。


「すごいと思うわ。……わたしのことはお気に召さないようだけど」


 焼き菓子の最後の一口を食べようとしていたケルティが、手を止めた。


「……なんでそう思うの?」


 ティアは、皿の上でざくざくと焼き菓子をくずしながら答えた。


「初対面は無言のうちに終わったわ。それ以来、一度もこの離宮へ訪ねてこられることもなければ、王宮へお呼びがかかるわけでもない」


 本当は、嫌われていると思う理由の大部分は、初対面のときに向けられたあの冷たい視線にあるのだけれど。さすがにそれをじつの弟君にいうのははばかられて、ティアは言葉をお茶で流しこんだ。


「王宮での王様は、どんなご様子なのかしら。わたしのこと、なにかおっしゃっている?」


 じつのところこれが聞きたくて、ティアはケルティをお茶に招いたのだ。

 けれど、じっと窺うティアに対し、ケルティは、困ったように眉を下げた。


「……ごめんね」


 つぶやくように、ケルティは言った。


「僕も、兄様とはあまりお話しできないんだ。兄様のまわりにはいつも大臣や将軍のだれかがいて、難しい顔でなにか報告しているから。おひとりのときも、執務室にこもっていらっしゃるし……基本的に、お仕事しかされてないんじゃないかな。そんなふうだから、めったなことがないかぎり、声をおかけすることができなくて」


 ティアは小さく息をのむ。さっきまでの自分の言動が、とても恥ずかしくなった。


「……ごめんなさい」


 ティアが謝ると、ケルティはきょとんとした。


「どうしてティア姫が謝るの?」

「だって、実の弟君のケルティ様でもそんなふうに気をつかっていらっしゃるのに、わたしは、王様に初対面以来一度もお会いしていないなんて、愚痴みたいなことを言ってしまったでしょう」


 ああ、とケルティが笑った。


「いいよ、そんなこと。僕のほうこそ、なんにも教えてあげられなくてごめんね」

「そんなことないわ」


 ティアがそう首を振ったのと同時に、王宮の方角から風にのって、鐘の音が流れてきた。

 いけない、とケルティが立ちあがった。


「ごめんね、もう行かなくちゃ。これから勉強の時間なんだ」

「わかったわ。つきあわせてしまってごめんなさい」


 ティアも続いて席を立つ。侍女に目で合図をし、ケルティの見送りのために、庭におりた。


 外と離宮を隔てる緑の鳥篭の前まで来たところで、ケルティが振り返った。


「――ねえ、また来てもいい?」


 ティアはぱちりとまたたいて、それから笑った。


「ええ、ぜひ」


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