3  冷たい瞳

 玉座にいたのは、目の覚めるような群青色のマントを羽織った、褐色の肌の青年だった。闇よりも濃い黒髪に、瑠璃をはめこんだ黄金の額当てが映えている。額当ての下の、紫水晶を思わせる双眸が、目じりに引かれた黒い顔料によってさらに強い印象を与える、鼻すじの通った、くっきりとした顔立ちをしていた。

 マントの下の衣服は生成色の飾り気のないものだったけれど、胸には金銀瑠璃の首飾り、腕には幾重もの腕輪、足首にまで金の装飾が光っている。装飾品の数だけなら、花嫁姿でめかしこんだティアに匹敵するほどだった。


 そんな、作り物めいた王はしかし、強調された紫水晶の瞳を凍てつかせて、冷然とティアを見おろしていた。おそろしく透きとおっているのに底の見えないそのまなざしは、思わず息を止めるほどに美しくはあったけれど、同じ人間に向けるようなものではなかった。これとくらべれば、ティアがそこらの石ころに向ける視線のほうが、ずっと温かいだろう。そんな視線に晒されたティアは、腹の底がひやりとして、指先がみるみる冷えていくのを感じた。


 永遠に続くかとも思えたその時間は、王がすっと視線をはずしたことで終わりを迎えた。


 あざやかな群青のマントをひるがえして、王が退室していく。ティアは呆然と、そのうしろ姿を見送った。


(一言も、なし?)


 ティアだって黙っていたのだからお互い様だけれど、でもそれは、花嫁のほうから口を開いてはいけないと教えられていたからだ。


(もしかして砂塵の国では、花嫁から挨拶をするのが礼儀だったの? ……いや、そんなはずないわ)


 ティアに礼儀を教えた教師は、他国のしきたりにもよく通じている人だった。ティアの前にこの砂塵の国に嫁いだ叔母様の、作法の教師も務めたと言っていたはずだ。


 驚きが過ぎると、だんだん腹が立ってきた。


(たしかにわたしは押しつけられた花嫁で、歓迎されないかもとは思ってたけど。でも、今の態度はないんじゃないの。そっちに事情があるようにわたしにだって事情があるわ、それを、なにひとつ知りもしないで)


 ひとしきり心の中で文句を言ったところで、はたと、べつの可能性が頭をかすめた。


(それとももしかして、そういう台本だったのかしら)


 砂塵の国の王がティアを――緑野の国の王女リールティアラを軽く扱うことは、本来ならば許されない。緑野の国のほうが、砂塵よりずっと大国なのだ。

 ただし、ひとつだけ例外がある。砂塵の国の王がティアに冷たく接することが「悲劇の台本」のとおりだというなら、その行いは許される。


(でもお芝居にしては、今の目は、冷たすぎなかった?)


 眉根を寄せたティアのかたわらに、一人の女がひざまずいた。砂塵の民特有の黒髪を襟足できっちりと束ね、飾り気のない生成色の衣をまとった彼女は、どこかベネトと似通った平坦な口調で告げた。


「緑野の国の王女殿下。お住まいに北の離宮を用意しております。これからご案内いたします」


 離宮、と、ティアの背後で、ここまでヴェールを捧げ持ってきた侍女が動揺したのがわかった。ティアはちらりと、城に入ってからというもの影のように沈黙しているベネトを窺い見る。こちらは、いつもどおり一部の隙もない姿のまま、眉ひとつ動かしていなかった。


 ということは、嫁いで早々離宮へ追いやられるのは砂塵の国側の勝手な冷遇ではなく、緑野の国が事前に砂塵の王宮へ渡した台本どおりの行動なのだろう。背後の侍女の動揺だって、もしかすると悲劇を演出するための芝居かもしれない。国からついてきた侍女の中にも、台本の内容を知らされている者はいる。


「……嫁いだはいいものの、夫の愛を得られない的な悲劇なのかしら」


 ティアのつぶやきに、ベネトの答えはなかった。

 首をかしげたヴェールの侍女に首を振り、ティアはひざまずいたままの女に向きなおった。


「わかったわ。案内してちょうだい」




 案内された先では、まったく手入れのされていない――好意的に見れば自然のままの、緑ばかりが生い茂っていた。場所によってはティアの背丈よりも高く伸びた植物が絡まりあい、天然の要塞と化したその奥に、ちょこんと小さな建物がある。葉っぱの間に潜むいばらにヴェールやドレスを何度も引っかけながらようやくたどりついたそこは、離宮というよりは、はるか昔に忘れ去られた空き家といった風情だった。


「……ずいぶん、野性的ね」


 ぼろぼろになった花嫁衣装で、それだけつぶやいたティアのうしろで、途中で合流した、国からつれてきた侍女たちが憤りの声をあげた。


「まあ、なんてこと」

「ここが離宮ですって? なんという茶番でしょう!」

「これでは賊が忍んでいてもわからないではありませんか!」


 一人の侍女がそういったとたん、しゅるしゅる、と、侍女たちの紺色のドレスの間を胴の長い虫がすりぬけていって、侍女たちがかん高い悲鳴をあげた。

 そんな様子を見ているうちにだんだん頭が落ちついてきて、ティアはゆるりと、緑づくしの庭を見まわした。


「大きい植物が多いわね。あのあたりの葉っぱなんて、わたしの顔くらいありそう」


 それらが、緑野の国よりも鋭い日光をいっぱいに浴びて、むせかえるような緑の匂いを発している。


「砂塵の国の植物の特徴でございましょう。こちらの国には、形が大きかったり色があざやかであったりと、派手な植物が多いそうです」


 ベネトが、つねと変わらぬ調子で淡々と答える。国からつれてきた侍女たちが悲鳴まじりの騒ぎを展開している中、ベネトだけは冷然としていた。

 そうなの、とうなずいて、ティアは手を鳴らした。

 騒いでいた侍女たちがいっせいに口をつぐんで、こちらを見る。そんな彼女らに、ティアは小さく笑んでみせた。


「あなたたちをつれてきてよかったわ。あなたたちがいれば、ここもすぐに過ごしやすい宮になるでしょう。よろしくお願いね」


 庭に面して大きく開いた掃き出し窓からは、離宮の中の様子が窺えた。家具や調度品はいっさい置かれておらず、床は、風で吹きこんだらしい砂をかぶってうっすらと白くなっている。ここに住めといわれても、ふつうなら悪意しか感じられないようなありさまだ。


(でもベネトが平然としているから、これもきっと台本どおりの演出なんでしょう。ずいぶんがんばってくださったものだわ)


「殿下」


 呼ばれて、ティアは視線を戻す。そしてぱちりとまたたいた。

 侍女たちの目が燃えていた。


「御意のままに。すぐさま取りかからせていただきます」


 そこからの侍女たちの行動は早かった。離宮のすみずみまで磨きあげ、嫁入り道具として何台もの馬車で運んできた家具調度品を持ちこませては、置く場所を細かく指定していく。またたきするたびに新居が着々と完成されていくさまを、ティアはぽかんとして見守っていた。

 そんなティアの背後に、音もなくベネトがついて、ささやいた。


「――くれぐれも、お気は抜かれませぬように」


 ティアはひそかに顔をしかめる。そのまま、振り返らずに答えた。


「自分があくまでも悲劇の華であることを忘れるなっていうんでしょう。わかっているわよ」

「それはもちろんですが――わたくしは今後、台本進行の打ち合わせのため、この国の王宮へしばしば出向くことになります。つねに王女殿下のおそば近く控えていることはできません。わたくしがおそばにいないときになにか少しでも疑問を感じられるようなことが起これば、安易に台本どおりの出来事なのだろうとはお考えにならず、逐一わたくしにご連絡くださいませ」


 ティアは眉をひそめた。ベネトがいつもそばで見張っているわけではないというだけなら、ティアにとっては朗報だったが、ベネトのいやに緊迫した声音が気にかかった。まるで、少しでも気を抜けば暗殺されかねないような口ぶりだ。


「……そんなにめったなことは起きないでしょう? 敵国でもあるまいし……」


 そも、強大な緑野の王女をおいそれと害することのできる国など、この大陸には存在しない。


 けれど、ベネトの声はやわらがなかった。


「……ここの王には、よからぬ噂がございます。悲劇の罪人を受け入れ、匿っている、と」


 ティアはわずかに、目を見開いた。


 悲劇の罪人とは、悲劇の華である緑野の王女を死にいたらしめた者のことだ。王女を殺した大罪人として、皆例外なく死刑に処される。

 ――だが、じつはこの悲劇の罪人の行動も、すべて緑野が書いた悲劇の台本によってさだめられたものだ。つまり、悲劇の罪人に選ばれた時点で、その者の人生はおしまい。台本に従わなければ粛清されるし、台本に従えば処刑される。

 緑野の国は悲劇の罪人に対する罰として、死刑以外を許していない。たとえ悲劇の罪人の役目を負わされたのがよその国の王族であろうと、断固として死刑にするよう求めている。そのごり押しが通る権力を持っている。……にもかかわらず、小さな砂塵の国の王がそれを匿っているとしたら、並大抵の叛意ではあるまい。


 先ほど初対面を果たした王の、凍えるようなまなざしを思い出す。演技だったと考えるにはあまりにも、あの瞳は冷えきっていた。


(あの王様は、緑野の国も、悲劇の華も嫌いなんだわ)


 でなければ初対面のティアに、あんな視線が向けられる説明がつかない。あの視線はきっと「ティア」ではなく、「悲劇の華」に向けられたものだ。


 だけどティアにとって、一般的な悲劇の華といっしょくたにされて嫌われるというのは、とても不愉快なことだった。理不尽だとさえ思った。


(わたしにだって事情があるの。わたしがふつうの、悲劇の華的な思考をしていたなら、今ごろもっと楽に生きられてるわよ)


 だけどまさかそう噛みつくわけにはいかない。王に誤解されて嫌われようが、典型的な悲劇の華然としていなければ、今度はベネトの目が厳しくなる。悲劇の死の直前に逃げ出すためには、ベネトに警戒されることは避けなければならない。

 ティアは軽く唇を噛む。


 離宮は、もうほとんど改装されていた。


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