1  異端の王女

 緑野の国は、大陸一の大国である。その繁栄は、神界大戦を勝ちぬいた女神ゲンティアナの加護によっていた。

 大地を肥らせ気候を和らげ、侵入者には雷を降らせる。さまざまな場面で国を助ける女神はあるとき、「悲劇的な死を遂げた王女の魂」を、己への供物に求めた。

 緑野の王家は神界大戦の時代、女神にもっともよく仕えた功績から、大戦後、女神によって国の支配者に任じられた一族である。そんな王家が女神の要求を断るはずも、断れるはずもなかった。

 かくして王女たちが、女神のために悲劇的な死を遂げるようになってから、二百年。


 いつからか「悲劇の華」と呼ばれだした、悲劇に殉じる王女たちは、緑野の民衆の憧れだ。美しく悲劇に散ったあとで、女神の寵愛を受け、国にさらなる繁栄をもたらしてくれる、準女神的存在としてありがたがられている。当人である王女たちも、悲劇の華である自分自身に陶酔し、誇りをもって、悲劇的な死にのぞんでいた。


 ――が、なにごとにも例外は存在するものである。


 朝の光に神々しく照らされた、白亜の王宮の西の棟、東に向いて大きく張り出た窓の内に、第三王女の居室はある。

 清浄な朝日がさしこむその部屋で、緑野の国の第三王女リールティアラ、通称ティアは、窓辺の椅子に頬杖をついてぶすくれていた。


 大きな窓からは、灰色の尖塔が見える。王宮に抱かれるようにして中庭に建つその建物は、十日前に、完成した第一王女の彫像が運びこまれていった女神神殿である。寒々しい石の外壁には今、王宮の東棟の影が黒く落ちていた。

 ゆうべ日が落ちると同時に、この国の高位の神官と大臣たちが、厳然とした空気をまとってあの中に吸いこまれていった。

 そのあと、外界を遮断するかのように固く閉ざされた入り口の両脇で、篝火が一晩中赤々と闇を燃やしていた。日が昇り火が消されてもいまだ開かれない扉の奥で、なにが行われているのかティアは知っている。これから嫁ぐ王女のための、悲劇の台本の執筆だ。


 すなわち、ティアの。この先の運命を決定づけるといっても過言ではない台本が、より悲劇的になるようにとの観念のもと、ときに議論を戦わせ、ときに推敲をくりかえしながら、書きすすめられているのだった。


 緑野の国の王女は、必ず、一冊の台本とともに嫁ぐ。そして嫁ぎ先において、その台本に書かれたとおりの悲劇が、王女を襲う寸法だ。


 昔はそんな形式ばったことはしていなかったらしいが、王宮間の悲劇に対する認識不一致による問題が頻発したこと、女神が一度、とある王女の死に際して、こんなものは悲劇でないと怒った結果日照りが起きたことにかんがみ、今では、事前に悲劇の台本を作成するようになったという。できあがった台本をあらかじめ女神に奉納して問題がないことを確認したのち、供物の王女の嫁ぎ先に、その台本どおり王女に接することを求めるのだ。時代が下るにしたがって、台本が指示する内容は細部にまでわたるようになり、台本によっては、王女に対する発言までさだめられるようになっていた。


 まったく予想がつかないことというのは、怖いものなのだ。変な話だが、同じ悲劇的に死ぬのでも、異国で、場当たり的な悲劇で死ぬのと、母国の神官や大臣たちが考えぬいてすみずみまで規定した台本に沿って死ぬのとでは、王女たちにとって安心感が異なる。たとえ、主役である王女まで自分に降りかかる悲劇の内容を知っているのでは、悲劇ではなく茶番劇になってしまうとして、王女本人には台本の内容が知らされないとしても。


 ――と、ここまでが一般論である。


「……焼き討ちにしてやろうかしら」


 レースたっぷりふわふわのドレスに包まれながら物騒なつぶやきを漏らしたティアに、淡々とした声が返った。


「女神神殿は石造りですので燃えません」


 ティアは頬杖をはずして、ゆるりと声の主を見やった。


 声の主は扉のわきに、微動だにせず控えていた。眼鏡の奥の切れ長の目を、礼にのっとり伏せている彼女は、先日ティアに輿入れの決定を伝えた女である。あれから、新たな悲劇の華となるティアのお目付役として、つねにそばについていた。

 その名を、ベネトというらしい。歳はティアより七つ上、二十歳とのことだったが、もっとずっと上に見える。今日も今日とて濃紺の支給ドレスにかっちりと身を包む彼女には、あいかわらず、髪ひとすじの乱れもなかった。


「そもそも、神殿にはいざというときの王族の乱心から逃れるため、神官しか知らぬ隠し通路がございます」


 小さく息を吐いてから、ティアはひらひらと手を振った。


「心配しなくても、ほんとに火を放ったりはしないわよ。神官家のお嬢さん」

「それはなによりでございます。ですが――僭越ながら、神官たちが勝手に御身の悲劇を練りあげていることにお怒りなのでしたら、神殿へお出向きになればよろしいかと」


 ティアは振っていた手を止めて、じっとベネトを見つめた。

 ベネトは続ける。


「ほかならぬ主役であらせられる王女殿下じきじきのご訪問とあらば、神殿の扉は開かれます。加えて、王女殿下のご希望は、可能なかぎり台本に反映されるよう取りはからわれるはずです」


 ティアは、すうっと口角をあげた。


「わたしが死なない台本にしろという希望でも?」


 ――一拍、間があいた。


「……いえ。さすがに、それは不可能です。女神ゲンティアナがお求めなのは、悲劇的な死を遂げられた王女殿下の『魂』ですので」


 ティアは小さく笑って、窓の外へと視線を戻した。


「そうね。知ってる」


 なにせ、以前うっかり、悲劇の華になんてなりたくない、悲劇的に死ぬなんて嫌だと口をすべらせたときには、泡を食った周囲によって、悲劇の華がいかにすばらしい存在であり、そんな悲劇の華になれることがどれだけ名誉なことであるかの講義が三日三晩ぶっ通しで行われたのだ。あれはもはや洗脳の領域だった。幸か不幸か、ティアにはかからなかったわけだが。


 というか、日の光さえ届かない「講義室」の壁中に、悲劇の華となり亡くなった王女たちの肖像画が飾ってあったのがひたすら恐ろしかった記憶しかない。悲劇の華の肖像画だけあって、どれも、美しくも暗い表情に描かれている。それらの顔が燭台の明かりでいっせいにぼうっと浮かびあがって、四方からじいっと、もの言いたげに見つめてくるのだ。当時十歳だったティアにとって、なかなかの恐怖体験だった。

 そのとき以来ティアは、表立って悲劇の台本に抵抗するのはあきらめていた。

 ただしかわりに、


(台本が進んで、いざ死ぬ段階になったら逃げてやるわ)


 そう、腹の底で決めていた。


 女神が、悲劇的な死を遂げた王女の魂を求めて以降、後継ぎの王子が生まれなかったときの例外を除いて、この国の王女はすべからく悲劇的な死を遂げている。だけど、なにもすべての王女が悲劇的に死ぬ必要は――女神のための悲劇の華になる必要はないはずだと、ティアは思っていた。


(大姉様も小姉様も、悲劇の華として嫁いでいかれたんだから。大姉様にいたっては、もう立派に悲劇の華として亡くなられたんだから。わたしひとりくらい死ななくたって、大丈夫なはずよ。そもそも、王女をすべて悲劇の華として死なせたいのなら、わたしにあんなふうに、べつの生き方をちらつかせるべきじゃなかったわ)


 この国の王女として生まれ育ちながら、悲劇の華となることを厭うティアは異端だが、それには一応理由があった。ティアの場合は、生まれた瞬間からすでに悲劇の華として死ぬことが決定していて、それ以外の可能性をちらつかされたこともなかっただろう姉姫たちとは、微妙に事情が違っていたのだ。


 父王と母王妃の間には長く男の子が生まれなかったから、末姫のティアには悲劇の華として死ぬのではなく、王家を継いで血をつないでいく未来も考えられていた。将来的に王子が生まれればティアも慣例どおり悲劇の華となること、また、仮にティアが王家を継いだとしても形式的な女王であり、政は父王腹心の重臣たちが担うだろうということで、ティアに施された教育は姉姫たちのそれと大差ない、基本的には悲劇の華として死ぬためのものだったが、幼いティアは大人たちの思惑を敏感に嗅ぎ取っていた。悲劇の華には決して与えられない未来を、中途半端に夢見てしまったのだ。母のようにお母様になって、やがては祖母のようなお祖母様になって、たくさんの子や孫たちに囲まれながらおだやかに老いていく未来を。


 だけどその幼い未来予想図は、ティアが十一歳になった夏、待望の第一王子の誕生によって打ち砕かれた。


 それでも、いかに王族といえど、赤子の死亡率はばかにできない。だからまだティアの未来は、首の皮一枚でつながっていた。けれど第一王子は大きな病にかかることもなくすくすくと成長し、去年の冬、第二王子までが生まれたことで、ティアの未来は完全に断たれた。急ぎ、ティアを当初の予定どおり悲劇の華とするべく、神官たちが輿入れの話を整えはじめた。奇しくもティアは、悲劇の華となった王女たちの平均結婚年齢と同じ、十三歳になっていた。


 ティアはすっと目を細めると、挑むように、女神神殿を見すえた。


(せいぜい、すばらしく悲劇的な台本を書きあげるといいわ。途中まではその台本に従って、踊ってあげる。だけど結末は果たさせない。逃げてやるんだから)


 灰色の尖塔は春のうららかな日ざしの中、冷たく沈黙を保っていた。


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