5それぞれの体育祭と文化祭➁~悠乃の場合~(5)

 夏休み目前の七月半ば、悠乃の隣のクラスの担任が声をかけてきた。


「汐留先生のクラスは、体育祭の準備はどうなりましたか?うちのクラスは、去年受け持ったクラスと同様に、素晴らしい盛り上がりで、一年ながら、優勝も狙えるくらいの優秀な生徒ばかりですよ!」


「そうですか。それはうらやましい限りです。ですが、私のクラスもそれなりに体育祭の準備に励んでいます」


 隣のクラスの大声は、悠乃のクラスによく聞こえていたから、体育祭の盛り上がりは良く知っている。悠乃のクラスも盛り上がりに欠けるとは言え、着々と準備を進めていた。



「本当かい?授業でクラスに入るが、全然そのように見えないが。もしかして、汐留先生のクラスは外れくじですか?」


「いえいえ、外れなんて、そんなことを口に出してはいけませんよ。どの生徒だろうが、外れはいません。では、この後、授業がありますので、失礼します」


 生徒を外れと言いきった隣のクラスの教師に腹が立ち、つい、悠乃はその場を離れてしまった。まったく、生徒が自分の思い通りにならないから、「外れ」とは、教師としてあるまじき失言だ。そんな感じの教師はどうやら他にもいるらしい。


「おや、汐留先生、ちょうどよかった。先生とは少し話し合いをしたかったのですよ」


 今度は、悠乃のクラスの副担任が声をかけてきた。


「いまから、次の授業がありますので、その後でも構いませんか?」


「そうだったね、構わないよ。少し、君のクラスの体育祭の件について、言っておきたいことがあるから、忘れないでくれよ」


 嫌な予感がした。しかし、他の教師に何を言われようが、うちのクラスに外れではない。外れか当たりかを決める権利は教師にないのだ。


 少しイライラした気分を引きずりながらも、悠乃は授業を行う教室の前にたどりつく。イライラを押さえるために、一つ深呼吸をする。


「ガラガラガラ」


 教室の扉を開けると、生徒たちが視界に映りこむ。悠乃は改めて気を引き締める。


「では、授業を始めます」


 気持ちを切り替え、悠乃はいつも通り、数学を教え始めた。





「それで、うちのクラスが何かしたのでしょうか?」


 授業が終わり、今は昼休みの時間。悠乃は、職員室に戻り、弁当を広げながら副担任に問いかける。副担任と悠乃の席は、隣同士で、副担任も弁当を広げていた。


「そうだねえ。他のクラスの先生との話でも上がったんだが、どうも、うちのクラスの生徒たちは、体育祭に対して、やる気がないようだ」


 副担任の言葉は、隣のクラスの担任と同じで、悠乃のクラスをバカにするようなものだった。どうしてこうも、体育祭に燃えないクラスは「外れ」となるのだろうか。


「お言葉ですが、生徒たちにもいろいろな考えがあります。どのクラスも一定数、体育祭にやる気がない生徒もいるのではないですか。たまたま、私のクラスが多かっただけで。それをやる気がないからダメだという権利は、先生にあるのでしょうか」



「どういう意味ですか」


 副担任は、悠乃が反論するとは思っていなかったようだ。警戒したような声で聞き返す。


「いえ、ただ、どうして体育祭に燃えなければならないのかと思っただけです。そもそも、私たちが勤務するこの高校は、進学率を重視する学校ではないですか。進学率を気にするだけではいけませんが、その進学率をもとにここに進学してきた生徒も多くいるのは事実です。だったら、その中には、一定数、体育祭に燃えない人もいると思ったのです。それらの生徒がなぜダメなのかと思っただけです」


「し、しかし、我々の高校は、進学率の他に文武両道をうたい文句にしているところもある。ただ進学率だけを騒いでいる中堅校とは、格式も伝統も違っている!」


 副主任の言葉にだんだんといら立ちがにじみ始める。そんなことを感じながらも、悠乃は正論を続ける。


「わかっていますよ。勉強だけではダメなことは承知しています。ですが、体育祭に燃えないこととは関係がありません。ですから、私のクラスは私の指示のもと、燃えないクラスなりに楽しもうと思っています。そのため……」



 副担任は、可愛い年下男子でも女子でもない。ただの中年の小太りのおじさんだったが、悠乃は耳もとでささやいた。とびきり甘い声で、まるで意中の相手を口説き落とすかのような声音で。


「なっ!そんなことができると」



「で、き、ま。す。よ!何せ、私は部活の休みをもぎ取った、自称、燃えない男ですから」


 お弁当が手つかずだが、さっさとしまって席を立つ。午後から空腹でお腹が鳴りそうだが、致し方ない。副担任と一緒に弁当を食べたくはなかった。廊下に出て、ふうとため息をつく。


「汐留先生、ええとお昼中にすいません。ちょっと授業でわからないところがあったので、質問してもいいでしょうか?」


「ああ、構わないよ。どれかな」



 職員室の廊下には長机が設置してあり、生徒たちとの交流を計れるようになっていた。悠乃は机に生徒を招いて質問に答えることにした。





「ということで、うちのクラスの夏休みの体育祭の練習日程を配布します」


 クラスの委員長が作成したプリントを配布する。結局、隣のクラスの担任や自分のクラスの副担任はそれからも、ことあるごとに悠乃のクラスをバカにしてきた。そのたびに悠乃は反論して、生徒をかばっていた。


「先生からの補足だけど、体育祭は確かに高校生活において、意味のあるイベントかもしれない、でもね、別に君たちにとって絶対の意味はない。体育祭に対して、一人一人違う考えを持っていてもいいと思う。体育祭にやる気がない人も、面倒くさい人がいてもいいんだ。でも、学校に体育祭という学校行事がある限り、やらなくてはいけない仕事みたいなものだ。社会人だって、やりたくない仕事をすることもある。そんな感じだ。とはいえ、体育祭は嫌な仕事ではない。頑張ればきっと楽しめるものになると思う。そのための練習日程がこれだ」



「先生、これだけで大丈夫なんですか?ええと、友達のクラスは、もっと毎日びっちり練習が詰まっていた気がしますが」


「ああ、大丈夫ですよ。長いだけがいいというわけではありません。これくらいの時間でしっかりと練習、準備をすればいいだけです。いかに効率よくするかにかかっています。君たちならできると僕は信じています」



 こうして、夏休みが幕を開けた。


「まじか。少しはあの先生もやるじゃん。隣のクラスみたいに練習みっちりだったら死ぬかと思ったけど、これくらいなら、遊ぶ時間も十分ある」


 汐留悠乃の働きかけが、一人の生徒の悠乃に対する態度を改めることになった。 


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