3周囲の人々①~幼馴染の母親~(2)

「お母さんなんて、大嫌い!」


 いつものように、息子を幼稚園まで送り届けるために、美津子が息子と一緒に家を出たときのことだった。玄関を出た瞬間に、子供特有の甲高い声が聞こえてきた。何事かと思い、周りを見渡すと、声の出どころは隣の家の娘の一人からだった。


「嫌いでもいいから、幼稚園に行きましょう。ねえ、悠乃さんからも言ってやって頂戴!」


「喜咲、どうしたんだい。いつもは、お母さんと仲良く幼稚園にいくだろう。どうして今日は一緒に行きたくないんだい?」


 今日はどうやら、両親そろって娘たちを送る日のようだ。それにしても、と美津子は疑問に思う。昨日までは仲良く親子ともに幼稚園に行っていたはずだ。とはいえ、他人の家に干渉するものよくない。美津子は息子を連れて、彼らより先に幼稚園に向かうことにした。息子も隣の家の娘たちの様子が気になるのか、ちらちらと様子を見ていた。しかし、他人の家のことを気にしている時間はない。美津子は、息子に気にしないことよ、と注意した。すると、息子はおとなしく前をむいて歩き始めた。



 何が原因で嫌いになったのかはいまだにわかっていないが、それ以来、どうも、汐留家の親子は仲がぎくしゃくし始めた。なんとなく、彼らの会話や行動がぎくしゃくしているように感じた。家庭崩壊とまでとはいかないが、それでも前とは違う関係性になっていると美津子は感じていた。


 長らく原因がわからなかったが、最近ようやく、何が家族の仲をぎくしゃくさせているのかわかった。たまたま、汐留家の両親が買い物から帰ってくるところを目撃して、会話を盗み聞きしてしまったことで、判明した。



「ああ、今日は大量だったわね。やっぱりアニメグッズ専門店はちがうわあ」


「そうだね。特にBL(ビーエル)の新刊があれだけあると、心が躍るよね」


「そうそう。ああ、早く娘たちと一緒に、BL(ビーエル)の魅力を存分に語り合いたいわ。男同士の恋愛のすばらしさを伝えられる日が来るのが楽しみね」


「なかなか難しそうな夢だけどね。雲英羽さん、ちょっとは反省した方がいいと思うよ。あの事件以来、娘たちが僕たちと距離を置き始めているのはわかっているでしょう?」




 あの事件とはいったい何を指しているのだろうか。興味本位でつい、聞き耳を立ててしまった美津子は悪くない。車を駐車場に停めて、車から出てきた二人が話している内容を物陰からこっそりと聞いていた。当然、彼女たちは物陰に隠れた美津子の存在に気づいていない。


「ええ、あれは確かに私が悪いけど、どうせ早かれ遅かれ、私たちの趣味は娘たちに話すつもりだったし、話さなくても、きっとばれていたと思うから仕方ないわ。あれはトラウマレベルだっていうことはさすがに反省してるけど。まさかちょうど、娘たちが見たページが、濡れ場の最中で、男同士のエロの最高潮の場面とは思わないでしょう。普通」



 子供たちの前では、もっとライトなものを読んでおけばよかった。


 美津子はこれ以上話を聞きたくなくて、その場をこっそりと離れ、汐留家にばれないように自分の家の中に入った。




 これは大変なことを聞いてしまった。テレビやネットで聞いたことがあるが、実際にそんな趣味の人と関わったのは初めてだった。まさか、彼らみたいな人畜無害そうな、おとなしそうな人間があんな趣味を持っているとは驚きだった。


 美津子は、彼らの趣味であるBL(ボーイズラブ)については、世間で話題になっている程度にしかわからなかった。しかし、要は男同士の恋愛ものが好きということだろうということは、会話から察することはできた。そんな趣味を持っている人が近くにいることに、美津子は背筋が凍る思いだった。いくら、世間で認知されてきたとはいえ、そんな普通では思いつかないような、変な趣味の人が隣だと思うと、気味が悪い。



「荒太(あらた)、隣の汐留さん家の子供たちと仲がいいみたいだけど、これからは接触を控えた方がいいわ。彼女たちはかわいいし、頭もいいし、いい子みたいだけど、ダメ。あなたの将来に関する大事なことだから、よく覚えておくのよ」


 汐留家の彼女たちの内、どちらかは将来、息子の荒太と……。そんなことを考えていた美津子だが、両親の異常性に気付いてしまった今、それは絶対に来てほしくない未来となった。


 海藤家の隣に住んでいる汐留一家は変人の集まりだ。両親が変なことはわかったが、おそらく、その娘たちも遺伝で可笑しなことになるだろう。美津子は、なるべく関わらないようにしていこうと決意した。そして、それは息子が高校生になった今でも続いている。家族にもよく言い含めていて、今や、我が家のおきてみたいなものにまでなっていた。

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