第245話 魔王の誘い
筋骨隆々な男が温泉で手を差し伸べてくる……かなりシュールな光景かもしれない。自らを魔王と名乗る男の皮膚はテカっていて、しかもピクピクと動いている。
「どうした? 我と組むのに不満でもあるのか?」
「不満というか、不安というか、そもそも僕は……」
目の前で困ってる人がいたら助ける、それくらいの善意は持ち合わせているけど、世界に関わると酷い目に遭うというのもまた事実……。このままリディアと森の奥地で自給自足をするのも良いんじゃないかって思ってたりもする。
「あなたの口ぶりからして、世界規模での活動になりそうですが、違いますか?」
「そうなるだろうな。我に協力して小さな村一つ守る程度なわけがない」
「僕は勇者であるにもかかわらず、何度も負けています。あなたの力になれるとは思えませんし、僕自身の気持ちとしては世俗に関わらることなく森の奥地で暮らしたいという気持ちがあります。その為に、戦争が起きつつある最前線から離れているわけですし……」
僕がそう答えると、魔王は不思議なものでも見るようにして僕を見つめてきた。そしてザバッと温泉から立ち上がり、僕の肩を掴んでくる。
「勇者ハルト……クリミナルを見たことはあるか?」
「はい、夕方に村の入り口で戦いましたけど」
「あれはこの先も数を増やし続けるだろう。文明レベルの高い都市から攻撃が始まり、やがてヒトが滅んだら今度はヒトを求めて僻地にまで彷徨ってくる。この世界のどこにも逃げ場はないのだ。王国を打倒し、魔人に関する研究資料と魔人のコロニーを焼き払わなければならない。勇者ハルトよ、それでも泡沫の日常に身を委ねるというのか?」
魔王の言ってることはわかる。だけど僕はレーヴァテインを失って、しかも何度も負けている。魔王は見込みがあるといってたけど、とてもじゃないが役に立てるとは思えない。
そんな僕の気持ちを見透かしたのか、魔王は強面の顔で無理矢理笑みを浮かべた。
「では、我にできる範囲でお前の望みを一つ叶えてやろう。その上で、歴代の勇者の戦い方を指南してやる。黒騎士カイロとまではいかないが、黒兜部隊の隊長くらいならいい勝負ができるようになるはずだ」
こ、この人……僕がやんわり断っているのにかなり食い下がってくる。
筋肉と背中の翼が強烈な圧力となってのしかかる。ただ、望みを叶えるという言葉に少しだけ惹かれるものがあるのもまた事実。交換条件なら、助太刀もいいかもしれない。
「魔王さん、精神系の魔術は使えますか?」
「無論、可能だが。それがお前の願いに関係あるのか?」
「はい。傷の舐めあいから続く関係だけど、とある女性のことがとても気になっています」
「ほう、その娘の精神を操ってお前に好意を抱かせればいいのか?」
「そうじゃありません。それは多分、虚しいだけだと思います。精神系魔術の中に記憶に関する魔術があったと思いますが、それで彼女の記憶を封じて欲しいんです」
僕の申し出に、魔王は首を傾げた。
仮にも、一緒に旅をしている女性の記憶を封じて欲しいだなんて、変な願いだし不思議に思うのも仕方ない。だけど、リディアはたまに過去の記憶に関する夢を見ているようで、その時は大声を上げて錯乱状態になってしまう。
ギルド職員の権限を使って貴族に会い、ダークパウダーを飲み物に盛る。相手が警戒してるときは女の武器を使ってまでガナルキンの悪行に手を貸した。
意に沿わない行為は彼女の心を傷つけていて、それが夢となって今のリディアを蝕んでいる……。
「何か事情がありそうだが……よかろう。その程度のことなら造作もないわ」
「では、よろしくお願いします」
魔王は手を差し出し、僕は彼と握手を交わした。勇者と魔王という、不思議なコンビの始まりとなった。
☆☆☆
───ガラガラガラ。
脱衣所から誰かが入ってくる音が聞こえてきた。
「ハ、ハルト~。一緒に入ってもいいかな───」
身体にタオルを巻いたリディアが硬直する。それもそうか、筋骨隆々な魔族と至近距離で向かい合い、握手を交わしているんだから。だけどリディアの位置からは握手をしているというよりは、ナニかを握り合ってるようにも見えなくもない。
「……勇者ハルト、明日村の門前で待つ」
魔王はそう言い残して空へと飛び立った。さて、この状況……どう収拾したものか。取り敢えず、僕は耳をふさぐことにした。
「きゃあああああああああああああああああっ!」
リディアの悲鳴が木霊する。耳を塞いでいても頭にキーンとくる、男には発声できない耳を劈くような音。
「ななななな、何いまの!?」
「リディア、取り敢えず落ち着いて!」
「落ち着けるわけないでしょ! あれ、魔族だよね? しかも、ハルトと! ~~~~~~~~~~っ!?」
リディアが更に混乱状態に陥り始めたので、記憶の件だけ伏せて魔王に協力するという話を説明した。勿論、握り合ってもいないし、ただ握手を交わしていたということは念入りに。
「勝手に決めてごめん」
「私は大丈夫。ハルトのジョブが勇者だって知ってから、いずれはこうなるって思ってたから。それよりもハルトは大丈夫なの? そういう先頭に立って戦ったり、嫌いでしょ?」
「嫌とか言ってられる状況じゃないみたいだし、平穏を手に入れるために……戦うよ」
「そっか、じゃあもう何も言わない。頑張ろうね、ハルト!」
そう言って、感極まったリディアが抱きついてきた。むにゅん、と生暖かい感触と共にハラリと何かが落ちた。
落ちたものは何か? 結論から言うと、リディアに説明する為に湯船から出る際に一旦腰に巻いていたタオル、そしてリディアが身体に巻いていたタオルだ。
お互いのタオルが落ちた事に気付いた僕等の頬は、徐々に朱色に染まっていった。
胸のドキドキは人生で最高潮に達する。相手にそれが伝わらないか、それが心配だ。
多分、僕とユキノの関係は幼馴染みの延長で、告白も周囲の圧力に押されてのものだった。
気持ちがそもそも追い付いてなかったのもあるし、その後の行動については単に僕がバカだったというのもある。
だけど今リディアに抱いてるこの感情は違う。心の底から愛おしいという気持ちが溢れてくる。
「リディア……温泉、入らない?」
「うん、入ろう」
僕等は恥ずかしい気持ちを抱いたまま、温泉に身を浸した。そしてどちらからというわけでもなく、手を握った。
決定的な愛の言葉はまだ言えない。今はこれが精一杯だから……。
〜ハルト編終了〜
Tips
現在のリディアの容姿
髪は茶色、1年の間にショートからセミロングに伸ばしている。
瞳はグリーン。肌は帝国人らしく白い。ガナルキンが帝国人で母親がハルモニア人の為、事実上のハーフ。
胸はサリナより小さく、極平均的。筋肉量は少なく、完全な後衛型。
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