第221話 混沌大剣ダーインスレイヴ

 リンクに必要なのはキスと心臓部への接触。これにより愛情と魔力を循環させて真円の如く加速していく。


 神剣はその時に生じたエネルギーにより変化を遂げる。


 ロイの左手に在るのは、他の神剣よりも一回り小さな"蒼き剣氷剣グレイシア"────。


 ソフィアはその刀身をそっと撫でながら一歩離れ、少し悲しそうな表情でロイに問い掛けた。


「ロイ、ヘレナの……混沌の女神エリスのお腹には異形の赤ちゃんがいるわ。その元となったのは人間の胎児よ。あなたは……斬れるのかしら?」


 ほんの少しだけ、剣を握る手に迷いが生じた。


 ロイは日常の崩壊を何よりも嫌う。それを脅かす根源カイロを断つつもりで旅を続けてきた。


 アゲウスの魔術で成長を加速させられていた胎児。母体が混沌に支配されたことで成長加速に拍車がかかり、すでに臨月寸前となっている。


 胎児はすでに一度死亡しているだろう……だが、それでも元は人間だ。斬る覚悟はあるのかと、ソフィアはそう聞いている。


 今更だろ、それは……。ヘルナデスの城にいた魔人も元は人間、聖女フィリアの産んだ半人半魔の魔人も同じだ。


「ヒトは生きる上で常に取捨選択を迫られる。そしてその選択は自らの理想と現実をフィルターとしてふるいにかけられる。俺の理想は日常を守ること、現実はアレを斬らないとそれを成し得ないということ……分かり切ったことだ」


「そう、安心したわ」


 ソフィアはロイの答えに安堵したのか、それ以上なにも言わずに前へと歩き始めた。



「ロイ君!」


 アンジュが声を上げる。そろそろ限界が近いという合図だ。稼いでくれた時間を無駄にしないためにも、一気に畳み掛ける!


 剣を地面に突き刺して魔力を流す────。


 パキパキと音を立てて地面が凍結していく。地面を凍らせることだけがこの剣の能力じゃない。氷の世界を作ることがこの剣の能力だ。


 ソフィアは尚も疾走する。


『ほう、帝国の女、次はお前が相手してくれるのか。男と二人で攻めれば良いものを……望み通り、お前から消してくれるわ!』


 後退したサリナとアンジュから狙いが変わり、ソフィアへと黒き風の魔弾ディスペアが殺到する。



 ────ドゴォォォォンッ!


 ヘレナであればしないであろう邪悪な笑みを浮かべるエリス。その表情は勝利を確信している。


 だが、その笑みも次の瞬間には驚愕へと変わった。


 氷煙を突き抜ける様にソフィアが向かってくる。聖なる武器と言えど、打ち払うには難しいレベルの威力だったはず。


『何故だ。武器で払われたわけでもない、完全に直撃した筈なのに……何故無傷なんだ!』


 エリスは声を発したりはしない。頭に直接声を叩き込んでくる。


「人の頭の中で喚いてんじゃねえよ。お前、神剣と戦ったことあるんだろ? なら、そう簡単に終わらないことくらい分かれよ」


『そうか……分かったぞ! 直前であの女の前に氷を出したのだな!』


「大当たりだ。だけどもう少し警戒した方がいい、お前は俺の世界の上に立ってるんだぜ?」


 ロイがそう告げた直後、エリスの足元から鋭い氷柱が何本も突き出してきた。


『────ッ!?』


 間一髪、エリスは後方に浮遊して避けた。つつーッと頬から流れる赤い一筋の血に気付いた。


「神とはいえ、血は赤なんだな。てっきり、紫色だと思っていた」


『……我が、私が、こんな!!!!』


 エリスの前面には半透明な黒い壁が展開されている。だけどそれは一方向にしか展開できない。何故なら、俺の攻撃を正面から受けていたあの時、真横からサリナとアンジュが攻撃しても黒い壁は左右に展開されることはなかったからだ。


 だから今度は真下から攻撃してみたんだ。案の定、ソフィアに気を取られて頬に傷を負ってしまった。

 掠り傷と言えども、神にとってはこの上ない屈辱なはず。


「怒るのは良いけれど、私を無視しないで下さる?」


 白銀の槍ロンギヌスを手に、ソフィアが目前まで迫っていた。


 我に返ったエリスは対応の為に黒い壁を展開する。


 ソフィアは槍に魔力を込めて"光槍・零式ハスタブリッチェン・ゼロ"を発動した。


 通常の光槍ハスタブリッチェンは槍に魔力を込めて極光を放つスキルだが、光槍・零式ハスタブリッチェン・ゼロは違う。


 放たず、武器に付与して戦う。一撃一撃が通常の光槍ハスタブリッチェンと同等の威力。


 故に、エリスの守りに強烈な衝撃が走った。


 ────ガンッ、ピキピキ。


 エリスは思う。


 今日だけで何度驚愕させられただろうか。魔力量においてはこの世界において他の追随を許さない程に多いはずなのに、込めた魔力分だけ強固な守りのはずなのに、それなのに……壁に亀裂が生じている。


 銀髪の女は何度も何度も槍を振るっている。それも的確に脆い部分だけを狙ってくる。


 やはり、フォルトゥナの作りし愛の武器は危険だ。


 融合したてで出力が人間寄りとはいえ、神をも超えかねん。


 となれば、過去の敗北から人に興味を持ち、人を依り代としたのは失策だったか。


「これで終わりよ!」


 ────バリンッ!


 遂に、神の守りがヒトによって打ち砕かれてしまう。


 ソフィアが腰溜めに槍を構え、漆黒の神へとロンギヌスを突き出した。


『滅ぼし、やり直す。それまでは……負けられぬ! ヴォォォォォォォッ!!』


 エリスが雄叫びを上げると同時に黒いオーラが爆発した。


 その爆発により至近距離に立っていたソフィアが吹き飛んだ。突き立てた神剣はそのままに、全速力で駆け寄ってその身体を受け止める。


「ソフィア!? おい、大丈夫か!!」


「大丈夫、どこにも傷はないわ」


 ロイはホッと胸を撫で下ろした。


 黒い竜巻の中、忌々しげにロイを見下ろすエリス。その右手には真っ黒な大剣が握られていた。

 黒い天災、闇や悪といった分かりやすい黒さじゃなくて、虚無を連想させる漆黒。


 その表面はバチバチと黒く放電していて、酷く猛々しい。単純な出力でいえばカイロのカヴァーチャを超えるかもしれない。


『神威顕現……ダーインスレイヴ。貴様の持つ神剣と同じ、神の作りし武器だ』


 喉がごくりと鳴る。慢心を捨てて、神罰をヒトに与えんとするその威圧感……それまさに神威そのものだといえる。


『貴様、名をなんという?』


 答えてやる義理はないが。待ち受ける死を少しでも延ばす為に、答えるしかなかった。


「……ロイ、だ」


 名を聞き終えたエリスは黒き大剣を振り上げる。剣の周囲を渦巻く黒い竜巻が大きくなっていく。誰も彼もが逃げようとはしない、何故ならば……巻き上がる風がとても冷たくて、背筋を走る悪寒がとても酷くて、立っているのもやっとな状態だからだ。


『良いだろう。ロイ、貴様の名前……覚えておこう。世界に還れ────』


 と、エリスが言い切る前に竜巻が止んだ。


 手から大剣を落とし、それはヒュンヒュンと空を切りながら力なく地面に刺さった。

 当の本人はお腹を押さえて苦しみ始めた。


『ぐっ……はぁはぁ、うぅ……ロイ、命拾いしたな……ぐあはぁ!』


 エリスはそう言い残して空を駆け抜けて行った。


 嵐のあとの静けさとはよく言ったもので、その後、一時間くらい誰も声を発することが出来なかった。

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