第171話 フォルトゥナの水殿・ルフィーナ&フィリア編

 ユキノ達と別れたあと、プールの方へ向かった。


 プールサイドに立っているのはイザベラ執政官、彼女の視線はプールでルフィーナと遊ぶフィリアへと注がれていた。

 まるで、我が子を見守るような視線だ。それも当然か、彼女はヘルブリスに追い落とされてからずっと、フィリアの教育係だったのだから。


 同じように俺もフィリアへ視線を向ける。


 バシャバシャと両手を思いっきり使って暴れてるようにも見える。まるで、溺れてるような、そんな感じだ。


「……た、助けッ! うっぷっ! お、ねがい……」


 隣にいるルフィーナは先程からしきりに潜っては浮いてを繰り返していた。


 ルフィーナも必死そうな顔をしているし、水の中で何かが起きているのかもしれない!


 様子がおかしいと感じたロイは勢いをつけて中に飛び込んだ。水中は足が付かないほど深く、フィリアがいるであろう場所に視線を移すと、そこには驚愕の光景が広がっていた。


 水底に出来た小さなひび割れから触手のようなものが伸びていて、それがフィリアの足に絡みついている。ルフィーナは何度も潜って、息の続く限りそれを外そうと必死に触手へ手をかけていた。


 ロイも潜ってそれに近付いて行き、【シャドーポケット】からフラガラッハの短剣を取り出した。根本に近付いてそれを切り裂こうと腕を振りかぶった瞬間、触手の一部が鞭のようにしなってロイを吹き飛ばした。


「──ごぼっ!」


 口から一気に空気が抜けた。地上であれば短剣を振り抜く速度の方が勝っているはずだが、戦いの場は水中であり、こちらの不利を覆すことはできなかった。


 一端水面に顔を出して、呼吸を整える。そしてもう一度潜った。


 水中にも影は存在する、それならばと影を伸ばして触手を【シャドーウィップ】で拘束した。やはり水中では魔力伝達効率が悪いか、影の強度がいつもより弱い、急がないとすぐに引き千切られてしまう。


 繋がった影を急速に縮めて凄まじい速度で潜行した。空いた手で神剣を召喚して前に突き出す。


 いっけえええ!!


 ロイと触手とが繋がった影はやがて零となり、前に突き出した神剣は深々と触手に突き刺さった。


 紫の血を撒き散らしつつ、触手は侵入してきたひび割れから逃げていった。


 あの魔物、中等部の本で見たことがあるな。ローパーとかいう、ダンジョンに棲息する魔物だったような気がする。それがなんでここに? いや、今はそんなことよりフィリアの無事を確認するのが先か。


 水面に顔を出すと、丁度ルフィーナがフィリアを引き上げるところが見えた。すでにフィリアはぐったりしていて、顔は蒼白、かなり危険な状態であることが見て取れる。


「聖女様! 聖女様っ!」


 イザベラがフィリアの傍で必死に叫んでいる。だけどそんなことをしても事態は改善しない、こういう時にするべきことは決まっている。


 ロイはプールから急いで上がったあと、フィリアの傍らにひざまずいて呼吸を確認した。


 呼吸をしていない、こうなったら人工呼吸をするしかないか。


 気道を確保し、息が漏れないように鼻を摘み、口を覆うように密着させて息を吹き込んだ。胸が上がるのを確認すると、一旦口を離し息が自然と抜けるのを確認し、それに胸骨圧迫を加えて何度かループを繰り返す。


 途中でフィリアの反応を感じたロイはすぐに口を離した。


「──ごふっ! けほっ、けほっ!」


 水を吐き出したフィリアが咳き込みながらゆっくりと瞼を開けた。それと同時に、騒ぎを聞きつけたユキノ達が、足音を立てて駆けつけてきた。


 フィリアの息が整うまで、事の経緯をユキノ達に説明した。少しして、快復したフィリアが小さな声で口を開いた。


「ロイ……様?」


「ああ、俺だ。フィリア、大丈夫か?」


 フィリアは自らの身体を確認して、他に外傷がないことをジェスチャーで表した。


 白いワンピース型の水着、どこも破れてはおらず足首の痣以外は特に目立った外傷はなかった。


「ロイ様、助けてくださって、ありがとうございます。この御恩、どう返したらいいかわからず……」


 そう言ってフィリアはロイの胸に飛び込んだ。


 心の底から感謝をしているのがわかる。恩を返したいが、外国の人間故に位を与えるわけにもいかず、かといって褒章を与えるには審査項目が多すぎて数年後になってしまう。赤の節には帰ってしまうから、それも不適切と言える。


 そもそも、国を救った恩さえ未だに返しきれていない。自分の権力が思ったよりも無力であることを、フィリアは実感していた。


 フィリアは尚も食い下がる。ほんの少しだけ、期待も込めて。


「どうか、私にお教え下さい。私はどのような方法で恩を返せばいいのでしょうか?」


 新緑の瞳がこちらを見据える。対価を求めて助けたわけではない、先ほどもらった感謝の言葉だけで十分なんだが……。


「俺はすでにフィリアの大切なものを貰っている。だからこれ以上は望まない」


「大切なもの?」


「ああ、大切なものだ。俺が相手で満足じゃないかもしれないけど、俺はさっきアンタの唇を頂いたんだ。礼なんてそれだけで十分だ」


 自分でも内心クサすぎる台詞を吐いたと思う。だけどキスは女にとって、とても大切なものだと母さんが言っていた。イザベラの話しだと男性経験もないみたいだし、一度きりのファーストを貰ったのなら十分過ぎるだろう。


 思い当たったフィリアは、自らの頬に手を当ててかぶりを振っていた。


 とても嬉しがっているようにも見えるが、それはそれで良い気がする。


「1つ聞きたいことがある。水底にひび割れがあって、そこからローパーらしき魔物が現れていた。もしかすると、ダンジョンの出来損ない──フェイリアダンジョンがこの下にあるんじゃないのか?」


 原因を追究するためにイザベラへと話しかけた。彼女は少し伏し目がちに答える。


「正確には”あった”です。ギルドに依頼してダンジョンコアを破壊したはずなのですが、その時から生き残っている魔物がいたようですね」


 ダンジョンコアが破壊されても、すでに生み出された魔物は消滅しない。ローパーの子供は非常に小さいことから、浄化にあたっていた冒険者も見逃してしまったのだろう。


「どうやらダンジョン跡の浄化に向かった方がいいかもな。水だってローパーの血で汚れちまったし……」


「折角の休息なのに、ロイ殿……申し訳ございません」


「良いって、十分休めたしな。取り敢えず──サリナとルフィーナ、一緒に来てくれ。あとは聖女さんを王城まで送ってほしい」


 指示を受けた女性陣は頷き、それぞれ行動に移す。イザベラと聖女はロイが出立するまで感謝の言葉を口にしていた。


 そして、浄化という名の討伐を終えたロイの報告によれば、10体ほどのローパーがフォルトゥナの水殿の真下に出没していたとのこと。


 赤の節前に発覚して良かったと、イザベラは安堵の言葉を口にしていた。


Tips


ローパー・魔物 ランクD

岩石の中に棲息する魔物。隙間から触手を伸ばして小動物や弱った魔物を絞め殺し、捕食する習性がある。

生殖の際に他の岩石の隙間に卵を産み付けて数を増やすが、たまに女性の中に産み付けてしまうこともあるとのこと。

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