第64話 目の前に雪が (ホロ視点)

 俺の小さな心臓が、激しく体中に響いている。



 目の前に、あんなに、焦がれていた、雪がいるんだ。


 ゆ、雪。


 いや、俺には使命が、ミーや、おばあさん、お嫁さんを救うと言う使命があるんだ。



 俺よ、が、我慢だ、顔を見てしまうと、声を聞いてしまうと引き寄せられてしまう。


 頑張れ俺。

 我慢だ俺よ。


 走れ、走り出すんだ。


「あれ? 井川さんの所のホロちゃんだよね? 井川さんはいないの? 車が来ると危ないよ? おいで? ほ、ホロちゃん」


 緊張していた中に雪ののんびりした優しい声が響いた。


 その声に俺は思わず顔を上げた。


「に、にゃー、にゃんなゃーお、にゃー(ゆ、雪、っていくら言っても聞こえないんだろーな。逢いたかった、逢いたかったんだ。本当に、ゆき、雪なんだよな)」


 伝わらない。

 分かっていても、言葉は飛び出す。



 雪のかすれた様な、落ち着く様な声。


 その声を聞いてしまったら駄目だった。




 雪の声に引き寄せられる様に身体が勝手に動きだしてしまった。

 気がつくと目の前には俺目線にまでしゃがみ込んだ雪。



 俺はあっという間に抱き抱えられていた。


 俺は雪に頰ずりされ、抱きしめられた。


 俺の小さな頭に数滴、滴がポタリポタリと落ちた気がした。



 天気雨か?



 俺は顔を上げ、雪を見る。

 雪は泣いていた。



「ニャン、にゃーにゃん? なっんぎゃなやあ? ニャーンニャン?(ゆ、雪、どうした? 何で泣いてるんだ? もしかして職場で虐められたのか? それとも、お腹が痛いのか? だ、大丈夫か?)」



 雪には俺の声は届いていないはずなのに、「大丈夫だよ、辰君は心配症だな」なんて、そんな柔らかい声が聞こえてきそうなほど、目を真っ赤にしたまま、雪は柔らかく笑った。



 その時、携帯電話の音が鳴り響いて、俺は雪の胸の中で、ビクッと飛び上がりそうになった。



 雪は俺を抱えたまま空いている方の手で、ズボンのポケットからスマホを取り出して開いたと思ったら、途端に慌て出した。


「もう、こんな時間だ。山岡さんを待たせちゃう。仕方ない。井川さんに、メールを打って『ホロちゃんを仕事の行きがけに見かけて預かってます』っと」



 そう、雪は呟き、俺を胸に抱えたまま、社用車らしき車に乗り込み俺の事は、助手席に置いてあった、口が開いたままのカゴのバッグの中に入れた。


 カゴの中と言っても柔らかい。

 下にはタオルを敷いてくれている様だった。


「ニャンニャーンニャンニャ(雪? ど、何処に行くんだ? 仕事に俺を連れて行くのか? 大丈夫か? 怒られてしまうんじゃないか?)」



 俺はそう声をかけるが、真剣な表情の雪。


 そうだ。



 雪は車の運転が、苦手だった。

 今は、黙っておこう。


 隙を見て逃げれば良い。


 でも、俺が逃げてしまったら雪が、幸太郎に何を言われるか分からないな。


 まあ、幸太郎も、無暗やたらに怒ったりはしないだろうけど......。


 俺は運転席で、真剣にハンドルを握っている雪を下から見上げた。


 ゆ、雪。



 俺が居なくても雪の時間は進んでいるんだな。


 あの頃のまま、止まってしまったままなのは、俺だけなんだよな......。



 俺は何だかいたたまれなくなってしまい、胸が痛かった。


 



 15分ほどして、無事に目的地には到着した様だ。


 雪は俺を胸に抱えたまま、インターフォンを押した。


 何とか仕事の時間までには到着できたみたいだが、俺を事情があって連れてきてしまった事を雪は謝っている様だった。


 


 雪、子猫も一緒に、出勤はまずいと思うぞ?

 

 しかも見た感じ、ココ、利用者さんの家だよな?


 絶対、まずいよな?


 そう思っていた俺だったが、雪と一緒に明るい部屋に通された時、一瞬、ココが何処か分からなくなった。



 何故ならそこは俺の見覚えがある場所だったからだ。



 そこは、俺が、夢で見ていた場所。


 俺を雪と一緒に部屋に通してくれた女性は、お嫁さんの麻沙子さん。




 部屋の隅っこには顎はズレてはいるが毛も少し伸びて傷は分かりにくくなっている、子猫、ミーが脅えたようにこちらを見ていた。



 ミー。



 な、なんて事だ。


 なんて偶然が。



 俺、ミーの元に来れた。



 ミー。



 怯えているミーの元に、俺はゆっくり、ゆっくりと近づいて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る