第50話 日曜日まで待てないよ……。(雪視点)

 月明かりが綺麗な夜空、ベランダの目の前から見える大きな木の葉が揺れる。


「寒……。」



 思わず呟いた私は自分のアパートのベランダに置いてある洗濯機から洗濯物を取り出し籠に移す。

 それを自分の部屋の窓を開けたところに置き、少し伸びをする。


 ちょっと腰が痛いな。今日は寝る前にシップでも貼ろうかな。

 こんな時、一人の辛さが身に染みるな……。



 ベランダに洗濯機置き場があるのはやはり不便だ。

 洗濯スペースも狭すぎるから、結局、部屋干しもしないと全部干せない時もあるし。



 朝が早すぎるから、夜に洗濯機回すって言うのも結構しんどいな……。


 私は職場のロゴが胸元に小さく印刷された薄いブルーのポロシャツを干しながら今日の仕事内容の反省点などを考えていた。




*******






 私の勤めている介護施設は特別養護老人ホームとショートステイ、デイサービス、訪問介護、居宅介護支援事業所などのサービスがあり私はその中でもデイサービスの部署に所属していた。


 一つ一つのサービスを簡単に説明すると、特別養護老人ホームは一定の介護度以上の利用者が生活する施設サービス。


 ショートステイ、別名(短期入所生活介護)は30日以内である数日、施設にお泊りするサービス。


 訪問介護は、自宅に伺い、高齢者の方の身体的な援助や、一人暮らしの高齢者や家族が高齢だったりした時の高齢者本人の生活の援助。


 居宅介護支援事業所、簡単に言うと利用者の自宅に伺うケアマネさんが居る所。

 

 

 そして私の所属しているデイサービス。


 デイサービスでは、家で一人、閉じこもっている方の楽しみだったり(同じ年代の方がおられることが多いため友達が出来たりする)体操、皆で行うレクリエーションなどの活動で身体能力の向上、維持、家族負担を減らす事等を目的としている。

 また入浴サービスも行っている為、自宅で誰かの助けがないと入浴できない方などが利用されることもある。


 その日も朝の送迎が終わり利用者様の検温や、お茶を出ししている時だった。




「朝峰さん? 朝峰 雪さん?」



 私はデイサービスの生活相談員に呼ばれた。



「はい、何でしょうか?」


「急なお願いで申し訳ないんだけど、今日、訪問介護の職員に欠勤が出てね、デイはなんとか回せるから、朝峰さん行ってくれないかしら? 利用者さんにこちらの都合でキャンセルする訳には行かないし……。他のヘルパーさんもその時間だけ都合がつかなくて……」


 え、いきなりの内容に一瞬固まった私は、内容を理解するのに少しかかった。

 緊張からか手や額にじんわりと汗も出てきた。



 訪問介護は利用者様や家族様との信頼関係も大事だ。

 訪問先で何か起こった場合(事故やトラブルなど)、責任も一人で背負う事になる。


 ちょっと困った様子で返事を渋っていた私だが……。


「朝峰さんなら前にヘルパー経験もあるし、今回行ってもらう利用者さん、半年前までデイサービスで利用されていた山岡さんなのよ。朝峰さんなら癖とかも分かるでしょ? リーダーには私の方から言っておくから」


 とたたみかけるように言われ、断る隙もなくしぶしぶ了承した。

 



 山岡さん、その名前を聞き頭には可愛い笑顔の女性高齢者の顔が浮かんだ。


 


 来られていないなと、思って気になってはいたんだよね……。

 他のデイサービスに変えたのかとも思っていたけど訪問介護はウチを利用していたのね……。




 現在デイサービスを利用できていないという事は、ほかのデイサービスに行っている場合もあるけど、デイサービス自体の利用をやめていて、身体の状態が良くなっている場合もあるけど、悪くなっている可能性の方が多い。


 誰か、慣れた人が一緒に訪問して教えてくれるのなら安心して介護できるんだけど……。


 人手が足らない様なのでそういう訳にもいかないのかな……。



 私は山岡さんの家に伺うまでフェイスシートや最近の様子が書かれた連絡ノートで山岡さんの事をイメージし仕事に備えた。




 山岡さんの自宅にはデイサービスの送迎で何度も伺ったことがある為、特に問題なく家に到着する事が出来た。



 玄関の前に立ちインターホンを押そうとした時、ちょっと違和感を感じた。



 前、デイの送迎で伺った時は庭もしっかり手入れされていていたけど、現在は庭の木も電線まで届きそうだし草も庭に入れそうにないぐらい伸び放題だ。


 カーテンも前は開いていたのに今は家の中が見えない様に締め切ってある。


 今は午前11時。


 私の今日の仕事内容はパット交換をして車椅子にのせ、台所のテーブル前まで誘導し椅子に座ってもらう事。



 訪問介護で気をつけなければならないのはやりすぎちゃいけないという事。


 援助しすぎると、利用者本人の身体能力を奪ってしまう事にもなりかねない。






 パット交換……。



 今はトイレに行っていないという事?






 車椅子?



 歩いていないの?


 本当に歩けないの???






 そんなに急激に状態が落ちたというの?




 デイサービスに来ていた時は歩行器が必要だったけど歩くことが出来ていたし、何より山岡さんは何でも自分でやりたい人だった。



 私は状態が落ちてしまった山岡さんと対面する事が少し恐かった。







 緊張し身構えながらインターホンを押す。


 お嫁さんは私の事を覚えてくれていた。


 だけど、お嫁さんは随分疲れた様子が目立ち、表情も硬かった。


 以前のデイの送迎時、部屋はとても明るくて笑いが絶えないお宅というイメージだったから、本当に同じ場所とは思えなかった。


 まあ、その時もお嫁さんは静かに笑っているだけで、元気に喋っていたのは山岡さんだったんだけど……。



 山岡さんの部屋をノックする。


 前はこの時点で山岡さんの大きな返事が聞こえたり、あらかじめ準備を終えて外まで出てきてくださっていることがほとんどだったのだけど、全然反応が無い。


「山岡さん、入りますよ? 失礼します」


 そう声をかけてお部屋のドアを開けた。

 ベッドに横たわっていた山岡さんは、目は開いているものの反応はない。


 うつろに天井の方を見つめている。


「お久しぶりです。山岡さん。朝峰です。こんにちは。」



 お喋り大好きだった山岡さん。



 一瞬反応を示したような気はしたが、やはりそれも気のせいだったのかぼんやりとしているように見えた。


 私は山岡さんの様子を伺い、ゆっくりとなるべく柔らかい口調で声掛けをしながらパット交換を行なった。






*******



 硬く瞑った目に眩しい光が当たり眉間に皺が寄った私は、手で片目を隠しながらゆっくりと目を開けた。

 ピンク色のカーテンの隙間から日の光が差し込んでいた。




 昨日は疲れたな……。



 その日休みだった私はベッドでゴロゴロしながら際で一緒に寝ていた辰吉を引き寄せ抱きしめた。



「昨日はびっくりしたんだよ。介護士って嬉しい事もあるけど……辛い事も多いな……。」


「そうなのかい?」


 と私は、私と辰吉、二人分しゃべりながら、辰吉が聞いているように、そのクマのぬいぐるみの手を動かす。


「辰吉、いつも話聞いてくれてありがとう」


「いえ、いえ、僕は雪さんの味方ですから」


 一人でぬいぐるみの口調までして腹話術の様に独り言を言う。

 かなり痛い図かもしれない。



 そんなアホな事をしていた私は、携帯電話が鳴り、慌てて辰吉を放り投げスマホの画面を見た。



 びっくりした。



 職場から、連絡がある事もあるから、慌ててしまった。


 ひっくり返った辰吉が自分のオーバーオールの股の間から恨めしそうにこっちをみている。


 私は辰吉をちゃんと座らせてもう一度スマホの画面を見た。



 メールの相手は井川さんだった。




 今週の日曜日に伺って良いか聞いていたんだった。



 私はドキドキしながらメールを開いた。



井川 幸太郎さん:いいですよ。

         でもホロの調子もあるので、

         駄目な時は連絡します。



 

 えっ?


 どういうことなの?


 調子?


 具合が良くないの?





 大丈夫なの?


 私は今すぐにでも電話して状況を聞きたい衝動をぐっと抑えた。


 





 やだ……、日曜日まで待てないよ……。





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