第96話 俺にとって最悪な8月31日
8月31日。
今日は、夏休み最終日だ。
現在の時刻は、午後9時。
そろそろ、あの場所に向かうとするか。
そう思い立ち、俺は家の玄関で靴を履き替える。すると、
「
後ろから、
「ああ。あんたが行けって命令したんだろ」
「そうだったな」
「なあ、兄貴」
俺は正徳の方は向かずに、靴紐を結び直しながら口を開く。
「今日の事、俺は詳細を何も聞かされていないけど、あそこに行くと、何があるんだ?」
「人がいるんだ」
「人? こんな夜遅くに?」
「ああ。それは、お前の知っている人だ。お前に会うために、そこにいるはずだ」
「……なんか、不気味だな」
何せ、俺が今から向かう場所は中学校だ。
夜遅くの学校に人がいるのを想像すると、なんだか不気味だ。
「お化けじゃないから安心しろよ」
「そんな心配はしてないけど」
とはいえ、万が一お化け出たら……なんて、そんなこと考えるだけ無駄か。
「行ってこい、隼太」
「ああ、行ってくる」
そう言って、俺は最後に靴紐をキュッきつく締め、立ち上がる。
玄関の扉に手をかけて、いつもよりも少し重く感じるその扉を開いた。
「頑張れ、隼太」
扉を閉じるその瞬間、正徳のそんな呟きが聞こえてきた。
頑張れ?
一体、何を頑張れというのか。
俺には、正徳の言葉の意味がわからなかった。
◇◇◇
中学校の校門前まで来た。
校門は既に閉まっていて、校内に入ることはできない。
こんな夜遅くだ。それも仕方ないだろう。
俺は校門前に立ち尽くし、人を待つことにした。
ふと、夜空を見上げる。
星が綺麗だ。
だけど、夜に輝く星を見ようとすれば、自然と校舎が目に入る。
夜空の前にそびえ立つ校舎を見ると、中学時代の記憶が蘇ってくる。
ああ、俺はただ、星が見たいだけなのに。
美しい景色を、見ていたいだけなのに。
それを邪魔するように、過去の記憶が脳裏を過ぎる。
中学には、あまり良い思い出がないな。
親友にも、恋人にも裏切られて、一人ぼっちになって。
誰も俺を、救ってはくれなかった。
まあ、別に、救ってほしかったわけでもないけれど。
嫌でも、思い出す。
◇◇◇
俺と優希は、幼い頃から仲が良かった。
仲良くなったきっかけは、今でも覚えている。
それは、俺がまだ、5歳くらいの頃だったはずだ。
俺は、近所の公園で遊んでいる同年代の子たちを眺めていた。
その子たちは、公園で野球をやっていた。
とは言っても、本格的な野球ではない。
バットはプラスチック製のものを使っていたし、ボールは体のどこに当たっても大丈夫なように柔らかかった。ベース間の距離も短かった。
規模は小さかったけど、野球に夢中な子供たちは、皆本当に楽しそうだった。
野球を、心から楽しんでいた。
俺も彼らの遊びに、混ざりたかった。
でも、混ざれなかったんだ。
その頃の俺は、人見知りだったから。
だから、毎日のように公園で野球をする子供たちを、俺はただ眺めているだけだった。
――そんなある日。
「なあ!」
お前が、声をかけてくれたんだよな。
「お前も野球やるか?」
覚えてるか、優希?
「え、僕は……」
「お前、最近毎日俺たちのこと見てるよな! 野球、やりたいんだろ?」
「………………」
俺は、覚えてるぜ。
だって、
「――うん! やりたい!!」
ものすごく、嬉しかったから。
お前が、声をかけてくれて。
「決まりだ。名前は? 俺は優希! よろしくな!」
「僕は
俺が自己紹介すると、お前が手を差し伸べて来てさ。
俺は、戸惑いながらも、お前の手を握って。
そしたら、お前がギュッと力強く握り返してくれて。
「さあ、行こうぜ! 次は俺たちの攻撃だ!!」
俺の手を引っ張って走りながら、お前は楽しそうに言うんだ。
「攻撃?」
「バット持って、ピッチャーが投げたボールを思いっ切り打つんだよ! 最初は俺がやるから、よく見てろよ!」
「……うん!!」
最初は、俺は
あんまり上手くいかなかったりもしたけど。
段々と慣れてきて。
打てるようになってきて。
それが嬉しくて。
毎日が、楽しくなったんだ。
小学生になってからも、お前とよくつるんでたよな。
放課後の帰り道、石蹴りして遊んだり、良い感じの木の棒見つけたら拾って、伝説の勇者ごっこしたりしたのは、印象に残ってるよ。
「今ここに、伝説の勇者が誕生した!」
木の棒掲げてそんなことを言ってるお前は、傑作だったな。
「じゃんじゃじゃーん!」
俺もBGMつけてみたりなんかしてさ。
「現れたな、魔王! ついに最終決戦だぜ!」
「いきなりラスボス戦!?」
「もう家着いちゃうから仕方ないだろ! 行くぜ!」
「ちょっと待ってよ優希! 俺、まだ木の棒見つけてないって!!」
「知るかぁああ! 隙アリぃ!!」
「ぐぉおお!? バリアー!?」
「伝説の剣にバリアは効きませんー!」
「そんなぁ!?」
優希はいつも勇者で、俺がいつも魔王だったよな。
たまに俺が勇者をやったこともあったっけ。
小学校高学年になると、少しエッチなことに興味が出てきたりなんかもしてさ。
「み、見るぞ……」
「う、うん……」
優希が親から新しく買ってもらったスマホで、初めてエッチなサイトを検索したりしたよな。
「で、出た! やばい、これめっちゃエロい!!」
「う、うわああああ。って優希、なんかズボンもっこりしてるって!」
「ばっ!? バッカお前! そんなとこ見てんじゃねえよ!?」
昔は、グラビアアイドルの水着姿だけで興奮できたよな。
「おぉおおおお!? おっぱいでけぇ!」
「え、なんかこの人の水着、透けてない!?」
「うおおおお!? た、確かに!? え、え!? この人、見えそう、これ見えそう!!」
食い入るように、二人で画像を見つめていたっけ。
そんなこともあったよな。
優希。
お前と一緒にいると、楽しかったよ。
だから、これからもずっと、大人になってからもずっと、お前とつるんでいくだろうなって、心のどこかで漠然と思ってた。
でも、それは違った。
『俺と美優は、付き合うことになったんだ』
なあ、どうしてだよ。
どうして、そんなことを……?
わからないよ。
優希……俺には、わからないよ。
君がどうして、そんなことをしたのか。
なあ、優希。
◇◇◇
「くそ……」
思わず、思い出に浸ってしまった。
楽しかったあの頃の思い出に、逃避してしまった。
それもこれも、こんな場所に来てしまったからだ。
「俺は……お前を許さないぞ、優希」
お前は、俺を裏切ったんだ。
「はあ……」
深いため息が漏れた。
ああ、もうすぐ夏が終わる。
夏が終わって、秋が来る。
俺はこの夏に、何かを成し遂げられただろうか?
前に、進んでいけるのだろうか。
腕時計を見る。
時刻は、そろそろ午後10時を回る。
もうすぐ、約束の時間だ。
こんな場所に呼び出して、正徳は、一体俺にどうして欲しいのか。
ああ、中学なんて、最悪だ。
嫌な思い出しか残っていない。
早く、この場から去りたい。
「はあ……」
また、深いため息が漏れた。
「――隼太」
声が、聞こえた。
それは、女性の声だ。
しかも、聞き覚えのある声。
この、声は?
一瞬で理解した。
俺がこの声を、忘れるはずがない。
「久しぶり……だね……」
彼女の口からこぼれるか細い声は、少しだけ気まずさが帯びていた。
「――ちゃんと来てくれたんだな、隼太」
もう一人、別の声。
男の声だ。
ああ、こいつの声も、知っている。
その時、俺の脳内は疑問で満たされていた。
なんで?
どうして?
この、二人が?
今、このタイミングで?
嫌になる。
せっかくの夏休み最終日のイベントが、これかよ?
最悪だ。
最悪なイベントで、俺の夏休みは幕を閉じるんだ。
俺は、ゆっくりと声のする方へ振り向いた。
「優希……。
その場所に、立っていたのは。
俺の、もっとも嫌う二人。
俺の人生を狂わせた、最低な二人。
――新庄優希と、華咲美優だった。
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