第91話 立ち止まる俺と、動き出す妹

 翌日。

 俺は一人で遊園地に来ていた。


「一人で遊園地なんて、来るもんじゃないよな」


 本当は、この場所には愛美あいみと一緒に来たかった。しかし……、


『私たち、もう、別れるしかないのかもしれない……』


 愛美に別れを告げられ、彼女と一緒にここに来ることは、叶わない夢となってしまった。

 昨日、俺たちの恋人関係は終わった。

 俺と愛美は、別れたのだ。


「俺のせい……だよな」


 俺が、彼女にちゃんと愛を伝えられなかったから。

 彼女を不安にさせてしまったから。

 だから、彼女に限界がきてしまった。

 そういうこと、なんだと思う。


 俺は観覧車に乗り、景色を眺める。


「ああ、そうだ」


 この景色を見ると、自然と思い出す事ができた。


『俺は、太陽たいよう愛美あいみのことが好きだ。俺と、付き合ってほしい』


 俺はここで、彼女に告白をして、


『そんな作り物の好きはいらないよ! 隼太君!!』


 俺の愛美に対する恋心は、作り物だと指摘され、


『俺は……華咲はなさき美優みゆが、好きだ』


 そうして俺は、この場所で、華咲美優のことがまだ好きだという事を、自覚したんだ。

 だけど俺は、その記憶を、忘れてしまっていて。

 忘れたまま、愛美との交際を始めたんだ。

 愛美……。

 結局、君の事を一番好きだと、俺は言えなかった。

 でも、確かなことがある。


 ――俺は確かに、太陽愛美という女性が好きだった。


 だけど、俺のこの想いは、愛美には届かなかったらしい。


「なあ、兄貴……」


 俺は、正徳まさのりの顔を思い浮かべる。


「選ぶどころか、どっちも失っちまったよ……」


 究極の選択?

 なんだそれ、ふざけんな。

 現実は、ゲームみたいに甘くないんだよ。

 どちらかを選べば、どちらかが手に入るなんて、ゲームの世界だけなんだよ。

 現実は、どっちも手に入らないんだ。


 ◇◇◇


 夏休みなんてのは、特別な事をしなけりゃ、案外あっという間に過ぎてしまうものだ。

 気が付けば、何もしないまま八月になっていた。

 八月上旬の朝。

 今日は、全校登校日の日だった。

 俺が身支度を終え、そろそろ学校へ行こうかと思っていると、


隼太はやたお兄ちゃん……」


 我が妹の舞衣まいが、俺の部屋に入ってきた。


「ん……どうした舞衣……って、え!?」


 舞衣の姿を見た俺は、思わず後ろに退いた。


「お、おま、お前!」


 俺が舞衣の全身を眺めながら動揺していると、彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染める。


「もう、そんな動揺しなくてもいいじゃん!」


 顔を真っ赤にしたまま舞衣が俯く。ヤダ、うちの妹可愛い。天使だ。


「いや、だってな、お前……」


 そうして俺は、舞衣の姿に動揺したそもそもの原因を、告げる。


「――なんで、制服に着替えてるんだよ?」


 そう。何故か舞衣は、学校指定の制服に着替えていた。

 不登校であるはずの舞衣が、制服に着替えている。

 これは、俺からしてみれば事件だ。

 舞衣の制服姿を見るのなんて、随分と久しぶりだ。


「うう……。やっぱ、やめようかな……。学校行くの」


 涙目で自分の部屋に戻って行こうとする舞衣。


「待て待て待て! 舞衣の制服姿があまりに可愛いから動揺しただけだって! 早まるな!」


 俺が慌てて舞衣を呼び止めると、なんか舞衣はその場で踏みとどまってくれる。セーフ。


「か、可愛い? 変じゃない?」

「変じゃない! 毎日その制服姿でみそ汁作って欲しいくらい可愛い! マジで、毎日その姿を拝みたい!」

「いや、毎日隼太のためにみそ汁作るのは普通に嫌だけど」

「なんで!?」


 まあ、みそ汁作って欲しいなんてのは俺の冗談だが、毎日その姿を拝みたいというのは、ある意味本当だったりする。

 俺は一つ咳払いし、少し真面目なトーンに切り替える。


「こほん。確か今日は、舞衣が通ってる中学も登校日だったな。で、登校日の朝にその格好……。つまり、そういうこと、だよな?」


 俺の言葉に、舞衣は頷いて答える。


「うん……。久々に学校、行ってみようかなって。今日は、授業とかもないだろうし……」


 今まで不登校だった舞衣の、突然のこの行動。

 どういう風の吹き回しかはわからないが、舞衣が学校に行くというのであれば、それは、俺たち家族にとって良い傾向と言えるだろう。


「もう、これ以上、家族を心配させたくないからね……」

「そうか。とはいえ、久しぶりの学校だ。大丈夫そうか?」

「どう、かな……。三年生になってからは一回も学校に行ってないわけだし、不安はたくさんあるけど、でも……」


 舞衣は、その不安を力に変えるかのように、語りだす。


「家族の秘密を知って、お父さんが倒れちゃって……。それで、思ったんだよね……。このまま、私の物語が幕を閉じちゃうのは、なんだか嫌だなって……」


 もしかするとそれは、父さんが倒れ、死と隣り合わせになった父さんを、間近で見ていた舞衣だからこそ、思ったのかもしれない。


「辛くても、大変でも、今の現状を少しでも変えたい。私の今日の行動が、私の未来を明るくするのかはわからないけど、このままずっと家に閉じこもっているよりは良いのかもしれない。そう思ったの。だから――」


 だから。

 そう言って舞衣は、照れくさそうに笑うのだ。


「私は、もう一度、学校に行ってみようと思う」


 ようやくその決意をしてくれたか、と俺は思う。

 ここまで、随分と時間がかかってしまった。

 だけど、例え時間がかかっても、それは、舞衣自身の意思で決めるべきだと思ったから。

 だから俺は、今まで、舞衣の不登校については何も言わないようにしていた。

 でも、舞衣が学校に行くと決めたなら。

 俺はそれを、全力で応援したいと思う。


「大丈夫だ舞衣、お前なら。なんたってお前は、俺の妹だからな!」


 茶化すようにそう言って、俺は舞衣の頭を撫でた。


「ちょっ!? 髪崩れちゃう!」

「はは! 大丈夫だって! 舞衣はどんな髪型でも可愛い!」

「隼太にとってはそうでも、他の人からしたら違うかもしれないじゃん! ホントに私、変なとこないよね!?」

「大丈夫だ! 何も変なとこはない! いつもの可愛い舞衣だ!」

「ふふ。まあ、ならいいけど」


 安堵するように笑う舞衣を見て、俺も静かに笑う。

 舞衣。

 ようやく、君の止まっていた時間が動き出す。

 きっと、君の物語は、ここから始まるんだ。

 これから、思いがけない困難に、幾度となく直面するだろうけど。

 そんな時は、俺や正徳まさのりに頼ってでもいいから、乗り越えて欲しい。

 例え不登校でも、舞衣にはたくさんの友達がいた。

 だから、舞衣がそれでいいのなら、それも一つの正解なのだろうと思っていた。

 だけど、それでも、俺は言いたい。


「きっと、学校でしか得られない経験も、たくさんあると思うよ」

「うん!」


 もちろん、不登校の頃にしか得られない経験も、あるだろうけど。

 舞衣はもう、不登校の経験は充分に積んだ。

 だからそろそろ、終わりにしてもいいんだと思う。

 君の未来に、たくさんの希望が溢れていますように。

 俺はとして、そう祈るのだった。



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