第90話 俺たちの終わり

 目覚めた。

 俺が目覚めると、空は紅く染まっていた。

 どうやら俺は、あのまま、愛美あいみの膝の上で眠ってしまったらしい。

 俺は愛美の膝から離れ、体を起こす。


「ごめん、寝てた」


 頭をぽりぽりと掻きつつ、俺は愛美に謝罪する。


「あ、起きたんだね」


 見ると、愛美はスマホをいじっていた。


「愛美は? ずっと起きてたの?」

「うん。ずっと隼太はやた君の寝顔眺めてたよ」

「そ、そうか……」

「ほら見てよ! 待ち受けにした!」


 嬉しそうに言いつつ、愛美は俺にスマホの画面を見せてくる。

 愛美のスマホには、俺の寝顔写真が表示されていた。


「うわぁ……。なんか、俺の寝顔ってだらしねえな」

「えー!? そうかなぁ!? すっごく可愛いと思うんだけど!」

「まあ、愛美がそう思うならいいけど……」

「ほら、見てみて! こんな写真も撮ったの!」


 と、愛美がスマホの画面をスワイプさせると、別の写真が表示される。

 その写真は、寝ている俺の隣に愛美も寝そべっているという構図のツーショット写真だった。


「にへへ。これ、すっごく良くない?」


 頬を緩ませながら、愛美が言う。


「……どうやら、俺が寝ている間も退屈してなかったようだな」

「うん! いろんな構図で写真撮るの、結構楽しかったよ!」

「それは良かった」


 そう言いながら、俺は部屋の時計を見る。


「……俺、どんくらい寝てた?」


 現在の時刻は、16時。

 果たして俺は、どのくらい寝ていたのだろうか。


「んー? 多分、二時間くらい?」

「結構寝てるな……」

「だねー。疲れてたんじゃない?」

「そんなつもりはないんだけどな」


 それから、しばらく無言の時間が続いた。

 俺は夕焼け空を眺めながら、ぽつりと、呟く。


「……遊園地でも行くか」

「え……」


 俺の言葉に、愛美は声にならない声を漏らした。

 俺は、彼女の顔は見ないで、空を眺め続けている。


「そんで、観覧車にでも乗ろうぜ」

「……なんで、急に?」


 彼女の苦笑いが、俺の耳をつつく。


「なんとなく、だよ」

「なんとなく……か」


 そうして俺は、ゆっくりと、愛美の顔を見る。

 愛美の顔を見て、俺は驚いた。


「――私は、遊園地には行きたくない」


 その愛美の言葉と、表情には、確かな意思が宿っていた。


「あー、今日が無理なら、明日とかでもいいけど……」

「ううん。そうじゃないよ」


 愛美は首を横に振って、答える。


「私は、今日も、明日も、隼太君とは遊園地に行きたくないんだよ」

「……どうして、そんなことを? 愛美って、遊園地とか嫌いだっけ?」


 彼女が頑なに遊園地に行きたがらない理由が、俺にはわからなかった。


「遊園地は嫌いじゃないよ。でも、隼太君とは行きたくない」

「は? なんでだよ?」

「隼太君こそ、遊園地に行きたいちゃんとした理由って、あるの?」


 目を覗き込むようにそう訊かれて、俺は黙り込んでしまう。

 確かに俺には、遊園地に行きたい明確な理由がなかった。

 ただ、なんとなくだ。

 でも、なんとなく。

 そう、なんとなくだけど……、


「大切な、気がするんだ」


 俺は呟く。


「遊園地で、観覧車に乗ることで、何かが、何かがわかる気がするんだ!」

「じゃあ、私が断言してあげるよ。それは、隼太君の勘違いだよ。遊園地に行ったって、何もわからないよ」

「そうだな……。確かに、これは俺の、ただの勘違いかもしれないな」


 自分でも、どうしてなのだろう、と思う。

 俺はどうして、こんなにも遊園地に行くことにこだわっているんだろう。

 愛美の言う通り、遊園地に行ったところで、何かがわかるはずなんてないのに。

 そもそも、俺は一体、何が知りたいんだ?

 それすら、はっきりしていない。

 頭の中に、もやがかかっている。


「夢を……見たんだ」


 気づけば俺は、語り始めていた。


「夢の中には、もう一人の俺がいて。それで、もう一人の俺が、俺に言うんだよ」


 その時の記憶は、ぼんやりとしていて。

 鮮明に思い出す事はできないけど。

 ぼんやりとした記憶を必死に呼び起こして、俺は、告げる。


「遊園地に行けって、言うんだよ」

「そんなの、ただの夢でしょ? そんな夢に従う必要なんかないよ」

「でも! 確かに愛美が言うように、これは俺の勘違いかもしれない。でも、それでも、試しに遊園地に行ってみても良くないか?」

「ダメ! 絶対ダメ!」

「なんでそんなに拒むんだよ。遊園地に親でも殺されたのか?」

「うん」

「えぇ!?」


 遊園地に親を殺されたんですか!?


「嘘」

「嘘かよ!」

「でもダメ。遊園地はダメ!」

「く……」


 何を言っても遊園地に行きたがらない愛美を見ていて、俺は、一つの可能性に思い至る。


「愛美……お前、何か隠してないか?」

「え?」

「俺に何か隠してるんだろ? 俺の知らない何かを、お前は知ってるんだろ? だから、そんなにも遊園地を拒むんだ。違うか?」


 これは、俺のただの憶測だ。

 だが、愛美が何かを、それこそ、正徳まさのりが俺に隠している秘密みたいなものを彼女が知っているのだとしたら……。

 愛美がやたらと遊園地を拒む理由も、わかる気がする。


「別に……隠してないけど……」

「なら、どうしてそこまで遊園地に行きたがらない?」

「……わかった。じゃあ、行けばいいんだね?」

「ああ。俺と一緒に、遊園地へ行ってくれ」

「その代わり、遊園地に行く前に、言って欲しい言葉があるの」

「なんだよ?」


 俺が訊くと、愛美は一度ごくりと喉を鳴らして、告げる。


「――私を一番愛してるって、言ってよ」


 どうして彼女がそんな言葉を要求するのかは、わからないけど。

 それで遊園地に行ってくれるというのなら、安いもんだ。


「……わかったよ。言うよ」


 俺は愛美の目を見つめて、告げる。


「俺は、愛美のことを、一番――」


 ズキン。

 その言葉を、告げようとした瞬間。

 ああ、まただ。

 前にも、こんなことがあった気がする。

 俺の頭に、激痛が走る。


「ぐぁ……! うっ……!」


 俺は頭を抱える。

 それと同時に、呼吸も荒くなる。


「隼太君! 大丈夫!?」


 愛美が心配して、俺の身体を支えてくれる。


「……無理、しなくていいよ」


 悲しげな顔をしながら、彼女は告げる。


「無理、なんて……!」


 だんたんと頭痛が治まってきて、俺はもう一度、愛美に向き直る。


「隼太君……」


 俺は愛美の目を見つめる。そして、


「愛美。俺は、君が一番……」


 ズキン!

 そしてまた、頭痛が俺を襲う。

 頭が割れるように、痛い。


「くっそ! なんでだよ! なんで、言えないんだよ!!」


 どうしてだ。

 どうしてなんだ。

 君が一番好きだ。君を一番に愛してる。

 俺はただ、そう言いたいだけなのに。


『――本当にそうか?』


 誰かの声が、頭を過ぎる。

 それは、俺自身の声だ。


『本当に俺は、愛美が一番好きなのか?』


 ……好きに、決まってんだろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!

 好きじゃなきゃ、愛美と付き合ってなんかないんだよ!


『妥協は、していないのか?』


「じゃあ、どうすればいいんだよ!」

「隼太君?」


 目の前に愛美がいるのも構わずに、俺はそう叫んだ。

 心の中にいるもう一人の自分に対して、俺は叫ぶ。


「もしも仮に、美優みゆが一番に好きだったとして、俺はどうすればいいんだよ!? どうやって彼女に会える? 彼女に会えば、彼女とまた付き合えるのか!? 違う! そうじゃないだろ!?」


 叫べ、俺。

 想いを、言葉にするんだ。


「彼女とはもう会えないし付き合えない! だから、現状、俺が好きなのは愛美だ! それじゃあダメなのかよ!!」

「隼太君……」


 愛美が、悲しげな声を漏らした。


「愛美、俺はお前が好きだよ」


 ぽつりと、俺はそう呟く。

 刹那、床に涙がこぼれ落ちた。

 俺の涙じゃない。

 すぐに気づいた。

 それは、愛美の涙だ。


「もう……そんなの信じられないよ……」


 そのまま、愛美は床に崩れ落ちた。

 顔を両手で覆って、涙を零す。


「もう、無理だよ……。私、聞いちゃったよ……。隼太君の気持ち、聞いちゃったよ……」

「愛美……」


 俺は座り込み、彼女に寄り添おうとする。しかし、


「やめてよ……。そんな優しさ、いらないよ……」


 彼女の涙は、止まらない。


「やっぱり、やっぱり隼太君は……私が一番じゃないんだね……」

「そんな、こと……」

「じゃあ、どうして言えないの? どうして、私が一番好きだって言えないの?」

「言おうとすると、頭が、痛くなって……。だから……」

「それって、本音では、私が一番じゃないってことだよね? だから、心がそれを拒絶するんだよね? 私が一番好きだって言葉を、君の心が拒絶してるんだよね?」

「違う。違うよ」

「違わないよ……」


 愛美の涙で、床に小さな水たまりができていた。

 俺は、それを見つめることしかできない。

 彼女の涙を止めることができない。


「私は言えるもん! 隼太君が一番好きだって言えるもん! 隼太君を世界で一番愛してるよ! ほら! こんなに簡単に言えるんだよ!!」

「愛美……。俺も君が好きだ。本当なんだ」

「ヤダ。一番じゃなきゃ嫌だ……」

「一番……す……」


 激痛。

 やはり、言えない。

 どうしても、頭が痛くなる。


「うぅ……。もう、辛いよ……。隼太君と付き合えて、キスもたくさんして……幸せじゃなきゃおかしいのに……」


 彼女のその声は、悲痛に満ちている。


「辛い。隼太君を好きなのが、辛い。こんなにも辛いなら、いっそ、好きにならなければ良かった……」


 もう限界だ、とでも言うように。

 その言葉は、唐突に告げられる。


「私たち、もう、別れるしかないのかもしれない……」


 愛美が告げた、その言葉を聞いた瞬間。

 俺の全身から、力が抜けていく。

 ああ、終わった……。


 俺たちの恋人関係が、終わった。

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