第83話 壊れていく、俺の日常

 月曜日。

 朝礼後の、一限目が始まるまでのちょっとした空き時間。


隼太はやた君! さあ、君のテストを見せなさい!」


 隣に座る愛美あいみが、俺にそう要求してきた。

 つい先ほど、朝のホームルームの時間を使って、期末試験の全科目が返却された。

 本来であれば、各授業毎にテストが返却されるのだが、先生方が早々に一学期の成績をつけなければいけないとかいう理由で、朝のホームルーム時に一気に返却された。

 で、俺と愛美は、この期末試験で行われた全12科目の合計点数で、勝負をする約束をしていたのだ。

 ちなみに、点数が低かった方には、罰ゲームがあったりする。


「えっと、勝負に負けた罰ゲームは確か……」

「負けた方が、勝った方に恥ずかしいセリフをLINEで送る!」


 そうでした。確かそんな罰ゲームでしたね。

 俺は今一度、自分の答案用紙を眺め、点数を確認する。


「はあ……」


 俺はため息を漏らした。

 それは、自分の点数が低かったから漏れたため息ではない。

 今の俺にとって、愛美との勝負なんて、正直どうでも良かった。

 それ故の、ため息だった。

 愛美との勝負がどうでもよくなってしまうくらいには、俺のメンタルはやられていた。


「ほら、俺の答案用紙。愛美に全部渡すから、どっちが勝ちか計算しといてくれ」


 俺は手に持つ答案用紙全てを愛美に渡して、席を立つ。


「え、隼太君? どっか行くの?」


 俺が立ち上がると、愛美が首を傾げてそう訊いてくる。


「ああ、ちょっと出てくる」

「もう一限目始まっちゃうよ?」

「悪い。ちょっと具合悪いから、サボる」

「え? ええ!? 具合悪いの? 一緒に保健室行こうか?」


 具合が悪いなんてのは俺の噓っぱちなのに、愛美は親身になって心配してくれる。

 それに僅かな罪悪感を覚えつつ、


「いや、もう一限始まるんだから、愛美は教室にいろよ」


 と言って、俺は教室を後にする。

 そうして俺が向かったのは、保健室ではなく、屋上へと続く階段だった。

 最上階まで上ると、屋上へと続く扉がある。

 俺は扉のドアノブに手をかけ、ガチャガチャと揺らす。


「やっぱ、屋上は開いてねえか」


 以前ここに来た時も、この扉は開いていなかった。

 俺は扉に背中を預け、座り込む。

 正直、授業を受ける気にはなれなかった。

 というか、本当なら、学校も休みたいくらいだった。

 父さんが倒れて、それだけでも俺にとっては充分なショックだったのに。

 俺をさらに追い詰めるように、正徳まさのりから真実を告げられて。

 それを知って、俺は父さんが意識不明でいることを素直に悲しめなくなってしまった。

 家族との絆も、全部壊れてしまった気がしていた。

 信じたくないよ。

 俺や正徳が、義理の兄弟だなんてこと。

 今の父さんと俺は、血がつながっていないなんてこと。

 信じたくない。

 やがて、一限の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 俺は授業には参加せず、悶々と、これから家族とどう接すればいいのかを考えていた。

 今まで通り接することもできなくはないけど、多分、そうしてしまったら、俺たち家族の関係は、薄っぺらいものに変わってしまうだろう。

 俺は俺なりに、家族との接し方にけじめをつけなければいけないだろう。


「でも……どうすればいいんだ……」


 父さんが目覚めた時、俺はそれを、素直に喜べるのかな。

 無理だ、と思ってしまった。

 自分でも驚いている。

 俺はこんなにも、家族との血のつながりを大事にしていたんだって。

 血がつながっていないことが、どうしても受け入れられない。

 そんなことを、ずっと考えていた。

 答えなんて出ないのに、ずっと考えていた。

 その時、


「隼太君!」


 俯いていた俺の耳に、ある女性の声が届いた。

 確認するまでもない。

 声の主は、愛美だ。


「愛美……」


 俺が俯いたまま呟くと、近くでコツコツと足音が響く。

 その足音が止まったと思うと、俺の鼻孔を、甘い香りがくすぐった。

 俺の隣に、誰かが座る気配がする。


「隼太君、どうしたの?」


 その声は、俺の事を心配しているようだった。

 はあ……。なんか俺、ださいな。

 俺は顔を上げて、隣に座る愛美を見つめる。


「今、授業中じゃないのかよ?」


 愛美の質問には答えず、俺はそう訊き返す。


「授業中だよ。でも、隼太君が中々戻ってこないから、心配になっちゃって」

「サボるって言ったろ」

「具合が悪いからサボるって聞いたけど。保健室、行ってないみたいだし。具合悪いんじゃないの?」

「具合悪いってのは嘘だよ」

「なんで、そんな嘘……」

「サボりたかったから。それだけだ。わかったら、お前は俺に構わず戻れ」

「ううん。隼太君がサボるなら、私もサボるよ」

「お前、優しすぎ」


 彼女にこんなことをさせている俺は、彼氏失格だと思う。

 自分の都合で彼女にまで迷惑かけて、心配させて。ホント、ださい。

 それに、俺がサボるなら私もサボるなんて言えてしまう愛美は、ちょっと優しすぎると思う。

 それこそ、親でもそんなに優しくはないと思う。


「隼太君から優しいって言われるなんて、嬉しい」


 愛美は「えへへ」と照れたように笑った。


「普通、彼氏のためにこんなことしねえよ。サボってるヤツなんて、放っとけばいいんだよ」

「え~? 私は放っておけないな~」

「俺が嫌なんだ。俺のせいで、彼女の愛美にまで迷惑をかけるのは」

「そんな、気にしなくていいよ。私も隼太君にたくさん迷惑かけてるし。お互い様だよ」

「だから、そういうとこが優しすぎるんだって。いいからお前は、授業に戻れ」

「じゃあ、隼太君も一緒に戻ろうよ」


 そう言って、愛美は俺にニコリと微笑んだ。


「いや、俺は……ちょっと、今は」


 なんとなく、戻りたくない。

 それがどうしてなのかは、俺にもわからない。


「隼太君が戻らないなら、私も戻らない」

かたくなだな、お前も」

「っていうか、隼太君と一緒にいる方が楽しいし」

「授業サボって、彼女に迷惑かけてるような、こんなダサい俺と?」

「なぁに? 今日の隼太君、ネガティブモードなの?」

「実際、俺と一緒にいる理由なんてないだろ。元々は、ただのぼっちだし。愛美に絡まれなかったら、今もぼっちだったと思うし」

「もう、そんなに自分を卑下しないでよ~。私だからいいけど、そういうの、かまちょっぽくて嫌われるよ?」

「なら、嫌いになればいいだろ」


 どうしてなのだろう。

 そんなこと、言うつもりなんてなかったのに。

 俺はただ、家族のことに悩んでいただけで、そこに、愛美は関係ないはずなのに。

 何故か、愛美を突き放すような発言をしてしまった。


「え……」


 愛美は困惑したように、声を漏らす。


「愛美が俺に惚れた理由ってさ、俺がお前の命を救ったからだよな? そんなの、はっきり言って偶々たまたまだし、たったそれだけのことで、お前が俺にベタ惚れな理由が、俺にはよくわからない」

「偶々かもしれないけど、私はあの時、本当に救われたんだよ。だから、君に惚れたんだよ。っていうか、今さらどうしたの?」

「どう考えてもおかしい。よく考えたら、俺がモテるわけないんだよ。こんなのは絶対におかしい」


 おかしい。

 本当に、おかしい。

 話がどんどん、逸れていく。

 本当は、こんなことを言うつもり、なかったのに。


「だから、そんなに自分を卑下しないでって言ってるじゃん! 君は、私が惚れた男の子だよ? もっと自分に自信持ってよ!」

「もしもあの時、俺じゃなくて、別の誰かがお前の命を救っていたら、お前は俺じゃないそいつを好きになったんだろ!」


 俺はその場を立ち上がる。

 愛美も立ち上がり、言い合いがどんどんヒートアップしていく。


「そんなのは結果論だよ! 実際にあの時、私を救ってくれたのは君じゃん!」

「でも、愛美は、今の俺はそんなに好きじゃないんだよな? だって、ネガティブなヤツは嫌いなんだよな?」

「そんなこと言ってないじゃん。私、今の隼太君も好きだよ!」

「嘘としか思えない」

「嘘じゃない。じゃあ、今から私、隼太君の好きな所言うよ? まず、顔が好き! 超好き! イケメンだと思う!」


 愛美は必死に、俺の好きな所を叫ぶ。


「それから、優しいとこも好き! 後、私が何しても、最終的には全部許してくれるとことかも好きだし。キスしてくれるとこも好き。シスコンなとこも好きだし。私が誘惑しても、ちゃんと理性を保ってくれるとこも好き。たまに見せるおっちょこちょいなとこも好きだし。それから、それから……。とにかく、隼太君の全部が好きなの! 良いとこも悪いとこも全部! わかるでしょ?」

「じゃあ、今みたいに、ネガティブになってる俺は?」

「そこも好きだよ。誰だって、ネガティブになっちゃうことくらいあるし。私だってたまにそういう時はある。だから、そういう時も、お互い支え合っていけたらって思うよ。構ってほしい時とか、誰かに優しくされたい時とかって、誰にでもあるよね。世間はそれを、かまちょだとか、メンヘラだとかって悪く言うけど、私はそういう隼太君も受け入れられるよ」

「……だからお前は、優しすぎんだよ」

「お互い、辛いときは支え合っていこうよ? ねえ、隼太君。今何が辛いのか、私に話してよ? そうしたら、少し楽になるかもしれないよ?」


 彼女は俺に歩み寄るように、前に踏み出した。

 俺は一歩後退して、彼女から距離を取る。


「……無理だ」


 と、俺は呟いた。


「どうして?」

「お前、優しすぎんだよ。やっぱ、俺みたいなやつとは釣り合わねえよ。今の俺、すげぇダサいし。マジでカッコ悪いし。子供みたいだし。なんか俺、今のままじゃ、劣等感でどうにかなっちまいそうだ」

「そんな、ことは……」

「ほら、またそうやって。愛美は俺に歩み寄ろうとするんだ。こんなの、ダサいよ。自分がどんどん嫌になる」


 ああ、なんというか。

 家族のことで悩んでいたはずなのに、今は、愛美の優しさに押し潰されそうだ。

 こんなはずじゃ、なかったのに。


「ごめん、愛美。今の俺、ちょっとおかしいみたいだ。……ごめん!」


 そう言って、俺はその場を駆け出した。

 階段を逃げるように下っていく。


「あ、待ってよ! 隼太君!」


 そんな愛美の叫び声が聞こえるのとほぼ同時に、一限目終了のチャイムが鳴った。

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