第81話 俺はそれを受け入れられるのか

 夢を、見ていたんだ。

 それは、俺じゃない、誰か他の人の人生の夢、だった。

 夢の中で、別の人の人生を、体験している。

 そんな感覚だった。

 目の前で、少年と少女が、何かと、戦っている。


『行くぞ、――』

『――のためにも、頑張らなくちゃね』

『この戦いを、早く終わらせるんだ』


 なんだ? 聞き取りにくい部分があるな。

 ノイズが入ったみたいに、一部の音が聞き取れない。

 この夢は、一体なんだ?


『全てが終わったら、必ず会いに行くから』

『もうすぐ会えるよ』

『――――絶対に守る!』

『君はいまだに、私たちを恨んでいるだろうけど』

『謝るから』

『謝るためにも、負けられない!』

『このままじゃ……!』

『――負ける!』

『まずい!』

『――――――――――――――――――――――――――――――!!』



『ごめん、守れなかった』



 ………………………………え?


 ◇◇◇


「――やた! 隼太! 起きてよっ!」


 誰かの声が、聞こえる。


「隼太! 隼太!」

「――はっ!?」


 その声のおかげで、俺は目覚めた。


「……舞衣まい


 俺の体を揺すり、必死に名前を叫んでくれていたのは、舞衣だった。

 舞衣の顔は、焦りに満ちていた。

 これほどまでに不安そうな顔をする舞衣を見るのは、初めてのことだった。


「どうしたんだ? 何があった?」


 俺の身体から冷や汗が流れている。

 汗のせいで、パジャマが濡れている。

 待て。こういう時こそ、落ち着いて考えるんだ。

 まず、今日は何日だ?

 今日は七月二日。日曜日だ。

 昨日は何をしていた?

 昨日は、舞衣と正徳まさのりと一緒に、父の日のプレゼントを買いに行ったんだ。

 プレゼントは渡したか?

 いや、まだ渡していない。

 日曜日に渡そうということになっていたはずだ。

 よし、とりあえず、俺の意識はしっかりしている。

 悪夢を見ていた気がするが、それは所詮夢だ。

 どんな夢だったかさえ覚えていない。

 夢のことより、まずは舞衣のことだ。


「舞衣。そんな不安そうな顔をするな。落ち着け。俺がついてる。何があったのか、落ち着いて話すんだ」


 俺は優しく、舞衣に語り掛ける。

 そして、辺りを見回した。

 そこは、いつも通りの俺の部屋だ。何も変わった様子はない。


「どうしよう……。どうしよう隼太!」


 舞衣はついに、泣き出してしまう。

 涙がぼろぼろと溢れて、舞衣の顔を濡らしていく。


「大丈夫だ。大丈夫だから」


 俺は舞衣の背中を優しく撫でる。


「父さんと母さんは?」

「今は……いない……」

「いない? 今日は二人とも休みだろ? どこかに出かけたのか?」

「……………………」


 舞衣は口を閉ざした。


「舞衣、話してくれなきゃ、舞衣がどうして泣いているのか、わからない」


 俺がそう言うも、舞衣は泣くばかりで、何も教えてくれない。

 く……。どうすれば……。

 ――その時、俺の部屋の扉が、勢いよく開いた。


「正徳……」


 扉を開けたのは、正徳だった。

 彼の身体は汗だくで、随分と息を切らしている様子だった。


隼太はやた、今すぐ着替えろ。出かけるぞ」


 どこか深刻な表情で、正徳が告げる。


「出かける? どこへ?」


 状況のわからない俺は、そう質問する。

 正徳は、ゆっくりと、呟く。


「――病院だ」

「……病院?」


 背筋に寒気が、迸る。


「――親父が、倒れた」


 ああ、そうか。

 俺が見た悪夢は、これを予言していたのか。


 ◇◇◇


 病室に入り、真っ先に目に入ったのは、丸椅子に座り、肩を落とす母さんの姿だった。

 奥へと歩いて行くと、やがて、父さんの姿が目に入る。

 父さんは、病室のベッドで静かに眠っていた。

 心電図の音が、病室に響き渡っている。


「……急に、倒れたのか?」


 父さんを見つめながら、俺は正徳に訊く。


「意識不明の重体、だそうだ」


 沈んだ声で、正徳が呟く。

 俺の隣に立つ舞衣は、今も声を抑えて泣いている。


「病名は?」

「わからない」

「は?」

「わからないんだ」


 わからない、だと?


「どれだけ調べても、身体には何も異常はない。健康そのものだそうだ」

「いやいや、そんなわけねえだろ! じゃあ、なんで倒れたんだよ!」


 俺は、思わず声を荒げる。


「ああ、そうだな」


 正徳はそう呟いて、拳を強く握った。


「全部、俺のせいだよ。親父が倒れたのは、俺のせいなんだ……。守れなかったんだ……」

「守れなかった?」


 正徳の言っていることが、理解できない。


「だが、まだ勝機はある。近いうちに、絶対決着をつける」

「近いうちに? おい待てよ正徳! 説明しろ!」

「説明? できるなら苦労しねえよ! 全部お前たちのためなんだ!」

「俺たちのため? 何を言ってるんだお前は! 意味わかんねえよ!」

「ああ、わかんねえだろうなぁ! お前は何も知らないんだよ! 何も知らずに、ずっと平和に生きてきたんだから!」

「だから、説明しろって言ってんだよ!」


 俺と正徳は言い争う。

 何もわからない俺。

 何も教えてくれない正徳。

 お互い、どこかイライラしていた。


「大体な、隼太! お前は本当に何も知らない! そうだ、お前は、家族の秘密すら、知らないんだ!」

「はぁ!? だから、何言ってるかわかんねえって!」


 俺は正徳の胸ぐらを掴もうとする。

 しかし、


「喧嘩ならよそでやりなさい!」


 俺と正徳の叫び声を、母さんが一蹴した。


「……こんなところで、喧嘩しないで」


 母さんの悲しげな声。

 きっと、父さんが倒れたことを、誰よりも悲しんでいるのは母さんだ。

 父さんを愛し、多くの時間を共にしてきたのは、他でもない、母さんなのだから。


「……場所を変えるぞ」

「……ああ」


 そう言って、俺と正徳は病室を後にした。


 ◇◇◇


 病院の外へ出て、俺と正徳は会話する。


「正徳、お前は俺が何も知らないって言ったな」

「ああ、言ったよ」

「それは、正徳が、俺に何かを隠してるってことでいいんだよな?」


 元々、少しおかしなヤツだとは思っていた。

 銀髪でオッドアイというのも充分変だが、それだけじゃない。

 正徳は、平然と瞬間移動を使うのだ。

 他にもおかしなことはある。

 こいつは、何故か、俺がぼっちになった理由を知っていた。

 俺は、そんなことを話していないはずなのに。

 その情報をどこから仕入れたのか、ずっと気になっていた。


「この際だ。隠してること全部話せよ、正徳」


 俺は正徳を見つめて、そう告げる。


「悪いが、全部は無理だ。特に、親父が倒れた理由に関しては無理だ」

「はぁ!? そこが一番重要じゃないのかよ!?」

「とにかく、親父が倒れた理由は言えないんだ。大丈夫だ、親父に関しては俺がなんとかする。それよりも、お前に話さなくちゃいけないことがあるんだ」


 赤と黄色に輝く彼の目が、俺を見据える。


「隼太。お前は、いつか訪れる未来のために、成長しなければならない」

「成長……?」

「そうだ。これは、お前の物語だ。お前が、主人公なんだ」


 俺の、物語……?

 そりゃあ、俺にとっては、この人生の主人公は俺自身だ。

 だが、それを正徳が口にするのは、少しおかしな気がしてならない。

 俺のそんな疑問をよそに、正徳は続ける。


「先に言おう、隼太」

「なんだ」

「お前は、遠くない未来、究極の選択を迫られることになるだろう」

「究極の選択って……なんだよ?」

「ふ。まあ、それはいずれわかることさ」

「なんだよ。教えてくれないのかよ?」

「ああ、残念だが今は言えない。そして、隼太。お前に確認しておきたいことがある」

「なんだよ?」


 こいつは、俺に何を隠している?

 意味深な言葉を並び立てて、俺に何を隠している?

 それとも、これはただの中二病の戯言で、特に意味はないのか?

 わからない。

 正徳という人間が、わからない。

 正徳は俺に近づいて、俺の胸に手を当てる。


「――隼太。お前は、今の彼女を愛してるか?」


 ドクン。

 俺の心臓が、高鳴る。

 正徳のその言葉が、俺の何かを焦らせる。


「愛してるに、決まってんだろ」


 俺は、自分自身の想いを告げる。

 当たり前だ。

 俺は、今の彼女を、太陽たいよう愛美あいみを、愛している。


「ふ。その気持ちを忘れるなよ。それは、とても大事なことだからな」


 正徳は穏やかに笑った。それから、


「ただ、今の彼女以上に愛する人ができたとしても、それはそれでいいだろう。なあに、今の彼女と結婚すると決まったわけじゃないんだ。選択肢はいくらでもある」

「それは、どういう意味だ?」


 俺の言葉に、正徳は不敵に笑う。


「妹を好きになる選択肢もあるってことさ」

「……冗談だろ?」


 俺はそう訊く。っていうか、冗談じゃなかったら色々問題ある気が……。


「冗談に決まってんだろ。舞衣は俺のもんだ。てめえには渡さん!」

「いや……それも冗談だよな?」

「は? 俺は舞衣を愛してるっての!」

「うん。それは家族愛だよね!?」

「ははは! 面白い冗談だっ!」

「笑えねえ冗談だよ!」


 いや、マジで。妹を恋愛的に好きになるとかありえないから!

 俺はシスコンだけど、それはあくまで家族愛だからっ!

 ……と、くだらない冗談に付き合ってる場合じゃない。

 俺は「コホン」と咳払いし、話を戻す。


「それで、究極の選択がどうとか、そういうのはいいんだよ。俺が知りたいのは、正徳が何を隠してるかってことなんだ」

「ああ、そうだったな。ま、俺には隠し事はいっぱいあるからな。全部話してたらキリがねえ。特に、俺がお前の彼女をオカズにしたことは墓場まで持っていくつもりだ」

「言っちゃったよねぇ!? 今、衝撃の事実言っちゃったよねぇ!? それはマジで知りたくなかった……。って、そのことについては後でじっくり話すとして、俺が今訊いてるのは、そういうふざけた隠し事じゃないんだよ! もっと、何か重要な隠し事をしてるだろって言ってんの!」

「いや、この隠し事って結構重要じゃない? 俺、正直罪悪感がすごいんだわ。……マジごめん、隼太」

「マジなトーンで謝るのやめろよ!? 罪悪感覚えるくらいならオカズにすんなアホ!」


 ダメだ。このままじゃ、いつまで経っても真面目な話ができない。

 なんとか軌道修正しないと。


「他にあるだろ……。頼むから、ふざけないで言ってくれ」


 俺は切実に、正徳にそう頼み込む。


「……そうだな。おふざけはここまでにしよう。さっきも言ったが、隼太、お前は遠くない未来、究極の選択をしなければならないんだ」

「ああ、言ってたな」

「そして、今のお前には、きっとどちらも選べない。お前は今、真実から目を背けている真っ最中なんだ」

「真実から、目を背けている? 俺が?」


 そんな自覚、俺自身にはないけれど。

 そもそも、真実ってなんだ?

 俺は何から、目を背けている?


「隼太、これは試練だと思ってくれていい。お前が、真実を受け入れるための試練だ。そのために、俺は――」


 その試練とやらの内容を、正徳は今、告げる。


「お前に、まずは家族の真実と向き合ってもらう」


 家族の真実と向き合う。

 正徳は、そう言ったのだ。

 それが、俺が真実を受け入れるための試練だというのだ。


「家族の真実を受け入れられないようじゃ、お前は究極の選択をする資格もない。それ以外の隠し事を知る必要もない」


 厳しい声音で、正徳は語る。


「だから隼太、まずは家族の真実と、向き合ってくれ。そして、乗り越えてくれ。大丈夫だ。お前なら乗り越えられる。大した試練じゃないさ」


 つまり正徳は、こう言いたいのだ。

 家族の真実を受け入れられるなら、別の隠し事も教えてやる、と。

 それすら受け入れられないのであれば、俺に別の隠し事を知る資格はない、と。


「舞衣は、俺の言葉のおかげでそれを受け入れることができた。隼太なら、俺の助けはいらないよな?」

「……舞衣はもう、知ってるんだな。その、俺の家族の真実とやらを」

「真実っていうほど大層なもんじゃないけどな。ちょっとした秘密さ」


 そう言って、正徳はくすっと笑う。

 そうして、彼はその真実を、口にするのだ。


「実はな、俺たちは――」


 ついにその真実が、明らかになる。

 ……受け入れてみせるさ。

 ぶっちゃけ、父さんが倒れた理由の方が気になるけれど。

 それが今言えないというのなら、仕方ない。

 まずは俺の家族の真実から、教えてもらおうじゃないか。

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