姫川真莉愛は、したたかな女の子
打ち上げは焼き肉の食べ放題で行われました。
九十分で一人三千円の出費。高校生の財力であれば、これくらいが妥当なのではないでしょうか。
辺りが暗くなってきた頃。
打ち上げを終え、私たち五人は帰宅しようと駅前へ向かっていました。
……ここからが、私――
私は
「……あ! 私、忘れ物をしてしまいました!」
私のわざとらしい演技に素早く反応したのは、
「え!? 真莉愛ちゃん忘れ物したの!? 今からでも取りに行った方がいいよ!」
愛美さんの言葉に、影谷さんも頷きます。
「……だな。取りに行った方がいい。……でも、もう暗いし、姫川さん一人で行かせるのは不安だな」
そのセリフは、私と影谷さんにとっては予定調和なものでした。
「……そうだ!
まるで今思いついたかのように、影谷さんは口にします。
「え、待ってよ隼太君! せっかくだし、みんなで一緒に戻ろうよ!」
影谷さんの言葉に、愛美さんが反論します。
「いやいや、みんなって……この五人でか?」
「そうだよ! 別に、真莉愛ちゃんと
普段の影谷さんであれば、愛美さんのその提案に賛成していたかもしれません。
ですが、今日に限ってはそういうわけにはいきません。
あの作戦を実行するためには、私と月宮さんが二人きりになる必要があるのです。
影谷さんは困ったような顔をします。しかし、こうなった時のための作戦も、私たちは
「……愛美さん。その提案はとても嬉しいのですが、私のミスに皆さんも巻き込むのは申し訳ないです」
忘れ物をした私自身がこう告げることで、愛美さんも引き下がってくれるはず……。
「そうかな? 私は全然気にしないけどなー?」
愛美さんは不満そうな顔をします。
「まあまあ、姫川さんもこう言ってるわけだし、全員で行くってのはなしにしようぜ? 愛美」
影谷さんが愛美さんをいなすようにそう言います。
「むー。そっかー」
不満そうにしながらも、愛美さんは影谷さんの言葉に頷きます。
「……とは言え、やっぱり姫川さん一人で行かせるのは不安だしな。付き添いはいた方がいいだろ。ってことで月宮、よろしくな!」
影谷さんが話を振り出しに戻します。
「……さっきから気になってたんだが、なんで影谷は俺にこだわる?」
月宮さんが当然の疑問を口にします。
「そりゃお前、姫川さんだって、俺や
影谷さんがニヤニヤしながらそう告げます。
「……影谷。お前、知ってたのか?」
「まあな」
二人の会話の意味は、恐らく説明不要でしょう。この場にいる五人の中で、唯一黒崎さんだけがキョトンとした顔をしていたので、彼だけはこの会話の意味がわかっていないようでしたが……。
「私も、月宮さんに付き添ってもらえると嬉しいです……」
頬が赤くなっているのを感じながら、私はそう呟きます。
「……そうか。わかったよ。じゃあ、俺が姫川に付き添うから、他の三人は先に帰っててくれ」
「了解。後は任せたぞ、月宮」
そうして、私たちは二手に分かれることになりました。
どうでもいい事ですけど、ここまで黒崎さんが一言も喋ってなかったですね……。
◇◇◇
しばらくの間、私と月宮さんは無言で歩き続けます。
そうやって、十分ほど歩いていたでしょうか。
私は近くの公園を指差して、月宮さんに告げます。
「少し、公園で休んでいきませんか?」
「……俺はいいけど、姫川はいいのか?」
「はい、大丈夫です」
そう言って微笑むと、月宮さんも頷いてくれました。
公園に入り、私がベンチで腰かけていると、月宮さんが自販機で飲み物を買ってきてくれました。
「カフェオレで良かったか?」
「はい、ありがとうございます」
私が月宮さんからカフェオレを受け取ると、月宮さんは私の隣に腰かけます。
二人きりの公園で、こんなにも月宮さんが近くにいると、私としてはどうしてもドキドキしてしまいます。
「六月になったとはいえ、やっぱり夜はまだ肌寒いですね」
会話を探すように、私は月宮さんに話しかけます。
「これからどんどん暑くなるさ」
「……そうですよね」
あっけなく会話が終了し、気まずさを誤魔化すように、私はカフェオレを一口飲みます。
「あの、私、月宮さんに謝らなくてはいけない事がありまして……」
唐突に、私はそう切り出します。
「なんだよ? 謝らなきゃいけない事って」
「実は私……忘れ物なんて、してないんです」
月宮さんの眉毛がぴくりと動きました。
「……そうか。なんでそんな嘘を?」
月宮さんは私が嘘をついていた事を咎めようとせず、そう訊いてきます。
「月宮さんと、二人きりになりたかったんです」
「……そう、か」
沈黙。
月宮さんは今、何を考えているのでしょうか。
「あの、月宮さん……」
ぽつりと、私は声を漏らします。
「愛美さんに、告白したんですよね?」
月宮さんは、何も答えません。
それでも、私は気にせず話しかけます。
「結果は、どうだったんですか?」
月宮さんが振られたという事は、影谷さんから聞いて知っていたけれど。
何も知らない女の子を装って、私は彼に問います。
「……振られたよ」
それから月宮さんは、渇いた笑いを浮かべます。
「ま、わかってたけどな。別にワンチャンあるかもなんて考えてたわけじゃないさ。俺自身がけじめをつけるために告白しただけ。きっぱり振られて、後は部活に集中するのみ。愛美の事は、もう諦めるさ」
「……そうですか」
いつも通りに振る舞う月宮さんを見て、私は少しだけ、胸が苦しくなってしまいました。
私にはわかるんですよ、月宮さん。
――今の言葉は全部、嘘だって。
私は、彼の手を優しく握ります。
「……月宮さん。辛いなら、泣いてもいいんですよ?」
「……え?」
月宮さんは驚いた顔で私を見ます。
「月宮さんの涙は、私が全部受け止めますから。私の胸に全てを預けて、泣いてもいいんですよ?」
「ひめ……かわ……」
月宮さんはわかりやすく顔を歪めて、今にも泣き出してしまいそうです。
「できねえよ……そんなみっともないこと……」
「でも……本当は辛いんですよね? 私には、わかりますよ?」
「ぐ……」
私はニコリと微笑みます。
「カフェオレ、奢ってくれたお礼です」
そうやって適当な理由をつけて、月宮さんが私の前で泣いてもいい口実を作ってあげます。
「すまねえ姫川……。ちょっとだけ、胸貸してくれるか?」
「はい。いいですよ」
月宮さんは私の胸に顔を埋めて、静かに泣きます。
私は月宮さんの背中を撫でながら、影谷さんの言葉を思い出していました。
『多分月宮は、愛美に振られて落ち込んでいるはずだ。いつも通りに振る舞っていても、そんなのは空元気でしかない。あいつの心は今、どうしようもなく弱ってるはずだ。それを、利用するんだ』
それが、私が影谷さんから伝授された卑怯なやり方。
月宮さんの弱った心を利用して、私に惚れさせる。
「月宮さん……辛いときは、いつでも言ってくださいね? いつだって私が、慰めてあげますから」
ひとしきり泣いた後、月宮さんは顔を上げて、私のことを見ます。
月宮さんの目は、赤く腫れていました。
「なんかさ……姫川に胸貸してもらったらさ、心の中にぽっかりと空いた何かが、埋まった気がするわ」
「……それは、良かったです」
そして、私はもう一度、月宮さんの手を優しく握ります。
「愛美さんはきっと、月宮さんよりも、影谷さんを優先するようになると思います。でも……私なら、いつだって、月宮さんの事を最優先に考えます。月宮さんに何かあったら、私が一番に駆けつけます」
「……うん」
「月宮さんが愛美さんの事を忘れられなかったとしても、私は気にしません」
「……うん」
「だから――」
月宮さんが、私の目を見る。
私も、月宮さんの目を見据える。
「私と、付き合ってくれませんか?」
それが、二度目の告白。
「……おかしいな。こんなの、おかしいよ……。俺、つい数時間前まで、愛美の事が好きだったのに……」
月宮さんは、迷いながらも、自らの想いを言葉にしてくれます。
「それでも、姫川の事を好きになっても……いいのかな?」
私は月宮さんの言葉を肯定するように、彼の頬にキスをしました。
少し恥ずかしかったけど、これも、したたかで卑怯な私の作戦だから……。
「いいですよ。私の事、好きになってください」
私の突然のキスに、月宮さんは戸惑っているようでした。
「ふふ。真剣にテニスに取り組む月宮さんもカッコよくて好きですけど、キスされて困ってる月宮さんも、可愛くて好きです」
「姫川……」
「恋が理屈じゃないって言うのなら、好きだった女の子に振られた数時間後に別の女の子の事を好きになっても問題ないって、私は思いますよ?」
「そう、かもな……」
二人きりの、夜の公園で。
私たちは、見つめ合う。
「付き合ってみるか、俺たち」
「はい! 喜んで!」
私の今日一番の笑顔に、月宮さんは苦笑いします。
「姫川って、意外と策士だな?」
「そういう女の子は嫌いですか?」
「……いや。多分、嫌いじゃねえよ」
六月二日。金曜日。
私と月宮さんは、付き合うことになりました。
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