第55話 俺は何かを変えたい

 月宮つきみやが敗退してしまったので、俺と黒崎くろさきは大会の会場を後にし、帰りの電車に揺られていた。


「……月宮ってモテるんだな」


 隣にいる黒崎がぼそりと呟いた。


「……だな」


 黒崎の言葉に、俺も頷く。

 今頃月宮は、2人の美女から励ましの言葉を受けていることだろう。

 月宮が試合に負けて、俺と黒崎はそのまま帰宅することを選んだ。

 しかし、愛美と姫川ひめかわさんの二人は、月宮を励ましてから帰るとか言って、まだ会場に残っている。


「惨めだな。影谷かげたに


 からかうように黒崎が言った。


「どこらへんが惨めなんだよ?」

「だってそうだろ? 仮にもお前の彼女である太陽たいようさんは、彼氏のお前よりも月宮を優先したんだから」

「別に……優先とかじゃないだろ。負けて落ち込んでる月宮を励ましたいってだけだろ」

「好きでもない人にそこまでするかねぇ、普通」

「それくらい誰でもするって」


 でも確かに、普段の愛美なら、月宮を励ますことよりも俺と一緒に帰ることを優先しそうな気がする。そんな考えは俺の思い上がりかもしれないけど。

 愛美が月宮を励ましてから帰ると言った時、俺は少しもやっとしてしまった。


「羨ましいよな、なんか」


 外の景色を眺めながら、黒崎が言う。


「月宮は僕なんかと違って、真剣に打ち込めるものがあるんだよな。それで、優勝を逃したら、ちゃんと悔しいって思えるんだから。僕はもう負けることに慣れ過ぎて、悔しいとかいう感情はあんまり感じなくなっちゃったな。そのくせ劣等感はあるんだから歪んでるよな、僕って」


 真剣に打ち込めるものがない。負けても悔しいと思えない。だけど劣等感はある。

 そういう複雑な感情が、黒崎を苦しめているのだろう。

 だから、真剣にテニスに打ち込んで、負けたらちゃんと悔しいと思える。そんな月宮が羨ましいのだろう。


「黒崎は読書が趣味なんだろ? それは、読書に真剣に向き合ってるって言えるんじゃないか?」

「どうかな。読書は好きだけど、それ以上の何かがあるわけでもないし。というより、読書は僕にとって逃避行為だからな。現実から目を背けるための逃避」

「逃避……か」

「月宮はさ、多分だけど、僕みたいに逃避しないんだよ。テニスと向き合って、優勝から目を背けない。諦めないんだ、絶対に。あの人のことは良く知らないけど、そんな気がする。そういうオーラが出てる」


 俺と黒崎はきっと、弱い人間なんだと思う。

 だから、辛いことがあったらすぐに目を背けるし、諦める。


「ベスト8でも十分すごいのに、月宮はそれで満足しない。僕だったら、ベスト8で満足してしまって、それ以上の高みに行きたいなんて思わない。だから、どこまでも上を目指し続ける月宮が、羨ましいんだ」

「羨ましいなら、黒崎も上を目指してみればいいじゃないか」

「簡単に言うなよ」


 そこで会話は途切れて、電車の走る音だけが響く。

 俺たちは、人生という名のレールの上を走っている。

 最初はみんな、同じ場所からスタートしたはずだった。

 多くの人が目的地に向かって走っている中で、俺や黒崎のような人間は、目的地もわからずに、ただなんとなくレールの上を走ってる。

 このままでいいのだろうか……と時々思う。

 何かを変えることはできないだろうか、と思う。


 そういえば今日、姫川さんは月宮に告白するんだったな。

 上手くいったのかな……。

 姫川さんは月宮に告白することで、月宮との関係性を変えようとしている。

 では……俺は?

 愛美とのニセの恋人関係に甘えて、何かを変えることを先延ばしにしていないか?

 答えを出すことを恐れてはいないか?

 俺はどうしたい? どうなりたい?

 愛美が月宮を励ましたいと言った時、俺はどうしてもやっとした?

 俺はどうして、愛美とニセの恋人関係を続けている? 嫌ならやめたいとはっきり言えばいい。どうしてそうしない?

 それは、俺が――。


 ――太陽愛美のことを、好きだからじゃないのか?


 そんな自問自答を繰り返しながら、俺は1日を終えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る