ユウキの覚醒め

 夜の防衛戦を終えたユウキは、月光の差し込む自室でひとり『性別変更の薬』を握りしめていた。


「…………」


 ラチネッタによれば、大穴の迷宮は人の欲望を反映したアイテムを産出するとのことである。


 かつて迷宮第三層の秘薬庫に向かう道すがら、ユウキが強く投射した欲望から、このアイテムが生み出された。その余力によって、しばらくこの秘薬は迷宮内で再生産されるということなのか。


 なんにせよ、こんな薬を手元に置いておくわけにはいかない。


(この薬のせいで、オレは、オレは……!)


 ユウキはベッドから立ち上がり窓を空け、小瓶を夜の闇の中に投げ捨てようとした。


 だが思いとどまる。


(オレは……確かにこの薬のせいで想像を絶するひどい目にあった。だがそれによってこの世界は救われたんだ)


 この薬は今回も我々を救う力を持っているように思われた。


 すなわち、またこの薬の力によって自らを美女とし、その魅力によってグルジェらを懐柔して味方につける……そんな『戦略』をユウキはスキルによって得ていた。


 だから薬を捨てるわけにはいかない。


「でもなあ……そもそも色仕掛けなら、うちの陣営には魅力的な女性メンバーが揃っているじゃないか」


 女性を使って対立組織間に和をもたらすことは、平和を生み出すための人類の叡智である。


 高名な社会人類学者のレヴィ・ストロースによれば、人間社会は女性を贈与交換することによって成り立っている。我が陣営とて、そのような人類の習いを拒むことはできない。特にこの野蛮な異世界においては。


 などとユウキははるか昔に大学の講義で学んだことを思い出して、塔の仲間に色仕掛けを頼むことを肯定しようとした。


「そうだ……暗黒戦士なら、どんなに嫌な目に合っても苦痛を暗黒に変換できる」


 ゆえにムコア、ミズロフ、アトーレに色仕掛けを頼むことは合理的なことであり、非常にナイスアイデアに思えた。


「…………」


 だがどうしても感情的にそれを許すことができない。当たり前のことである。そんな汚れ仕事、仲間に頼めるわけがない。頼みたくない。


「だったら……やっぱりオレがやるしかないんだ。この手で」


 ユウキは性別変更の薬を強く握りしめた。


 一度、覚悟を固めると自信も湧いてきた。


(はっきり言って女体化したオレの魅力はヤバいからな。男なんてやつはオレがちょっと色仕掛けするだけで、すぐに味方になってくれるだろう)


 だがその一方で、夜の百人組手が始まってしまう可能性も考えられた。


 あの屈強な武術家どもに夜の百人組手を受けたら、オレはまたボロ雑巾のようになって心と体に深い傷を負い、実家で休養する必要が出てくるのではないだろうか。


 ユウキはごくっと生唾を飲み込みつつ、自らの震える両肩を抱いた。


「…………」


 まあ現実的には、平等院の残り戦力は百人を切っている。百人に代わる代わる犯されるなどということにはならないだろう。せいぜい九十人くらいに代わる代わる犯される程度で済む。


 しかも前回はオークたちが相手だったが、今回、平等院の武術家のほとんどは人間である。よって肉体の噛み合わせという点において、前回よりも遥かにスムーズに事は運ぶと思われた。


「よし、そうと決まれば善は急げだ。一丁やってみるか」


 ユウキはわななきながらも秘薬を飲もうとした。だが瓶に口をつけたところで思いとどまった。


「いや、ちょっと待てよ……この秘薬の効果は長過ぎる」


 これからも毎日、男としてナンパを続けたいわけだし、近いうちに猫人郷に行って成人式を受けるという予定もある。そのためにはあまり長時間、女体をキープしているわけにはいかない。


「どうするかな……秘薬の持続時間を弱められればいいんだが……誰か秘薬の専門家はいないか」


 いた。ユウキは石版でラゾナに連絡した。


「夜分遅くすまない。これからちょっとお宅に伺っていいか? 急用なんだ」


 快く承諾してもらえた。ユウキは塔の物置で手土産になりそうな魔道具を見繕うと、エクスプローラー鞄に詰めてソーラルのラゾナ宅に向かった。


 *


 よくわからない魔道具……禍々しい紋様が彫り込まれた箱を受け取ったラゾナは喜びよりも怯えを見せた。


「だ、ダメよ。こんなもの受け取るわけには行かないわ。錬金術師ゾシモスの整理箱……私の作るあらゆる秘薬が一回りレベルアップしてしまうわ」


「うちではホコリを被ってるだけだ。有効活用してもらえて何よりだ。それよりも……」


 ユウキは『性別変更の薬』をラゾナに手渡し、自らの望みを説明した。


「効果時間の短縮ですって? あら、そういうことなら簡単な仕事よ」


 ラゾナに秘薬の中身を十二個の小瓶に分けると、それらに何らかの魔法をかけた。


「はい、これでOK。効果はそのまま、作用時間だけが短くなったわよ」


「サンキュー、助かった。ところで……もう一つお願いなんだが」


「なあに? 性魔術の訓練なら昨日やったばかりだけれど……今夜もする?」


「いや、実は……化粧の仕方を教えてほしいんだ」


「別にいらないでしょ。この薬を飲んだユウキは本当に綺麗なんだから。完璧よ」


「綺麗すぎてもダメなんだ。隙……翳り……弱さ……そんな属性を化粧によって表現してほしい」


「うーん、こういうこと?」


 ラゾナはユウキを化粧台に座らせるとその頬に化粧を施していった。


「もうちょっと濃い目で頼む」


「こうかしら?」


「もっと違う色はないのか?」


「そもそもユウキはまだ男でしょ。お肌の調子も変わるんだから、女体になってもらわないとわからないわよ」


「そ、それもそうだな。それじゃ……」


 ユウキはもう一度、強く覚悟を固めると、十二本ある『性別変更の薬(効果時間小)』の一つを手に取り、その蓋を空け、腰に手を当てて中身を飲み干した。


 しばらくすると髪が伸び、肉体が骨格レベルで変わり始めた。


「やっぱり綺麗ね……すごい……」


 ラゾナはユウキの髪に触れながら呟いた。


「頼んだぞ、化粧」


「え、ええ……」


 ラゾナは顔を赤らめながら、鏡の前に座るユウキに化粧を施していった。


 *


「よし。ラゾナの化粧のおかげでかなり親しみやすくなったぞ」


 ユウキはスマホのインカメラでチラチラと自分の顔を眺めながら闇の塔に帰った。


(魅力と親しみやすさが高レベルで両立されている。こんな女が歩いていたらオレなら絶対に声をかける。まさに平等院を籠絡するための餌にふさわしい完成度だな)


 塔の七階、転送室についたユウキはそのまま塔の外の小屋に向かおうとした。


 だが途中でふと思い立ち、塔主の部屋に向かう。


「よおシオン」


「ユウキ君かい! また性別変更の秘薬を飲んだなんて……まさか!」


「察しがいいじゃないか。これから平等院に色仕掛けしてくる」


「ダメだよ、そんなことさせられないよ!」


「これがオレのスキル『戦略』が出した答えだ。血を流さないためには仕方がないんだ。とはいえ、オレも好き好んで屈強な男どもの群れに体一つで飛び込むわけじゃない。シオンお前、『魅了』の呪文を使えたよな」


「まあね。でも一定レベル以上の心の強さを持った相手には通じないよ。なんとか心に隙を作らないと」


「そこでオレの出番だ。オレはこのあと、またオーク百人にされたような事態に陥る可能性が高い。だがオレを蹂躙しているとき、奴らの心には大きな隙が生まれているはずだ。そこに最大出力で『魅了』を通せ。わかったな」


「……ユウキ君……もっと自分を大切にしてほしいな」


 背後から聞こえた暗い声を無視してユウキはシオンの部屋を出ると、そのまま塔の外に向かった。


 深夜だ。


 塔の周りの草むらは、夜空の月光と、点々と建ち並ぶ小屋から漏れる窓明かりに照らされている。


 ユウキはグルジェら指導陣が寝泊まりする小屋の前に来ると、最終チェックとしてスマホのインカメラで自分を見た。


(いいぞ。とんでもない魅力だ)


 はっきりいって、闇の塔の全メンバーよりオレの方が可愛い。


 こんな魅力的なオレが雄共の巣窟に一人で入っていって大丈夫なのか。


 いいや、大丈夫なわけがない。


 かつてオークに蹂躙された記憶がまた脳裏によぎり、ユウキの呼吸は自然と荒くなり、体は小刻みに震え始めた。


 その震えを押し殺すと、ユウキは勢いよく小屋の戸を開け中に踏み込んでいった。


 *


 結果として夜の百人組手は始まらなかった。


 またグルジェらとの間に、何か建設的な対話が生まれることもなかった。


「わははは。闇の塔が女を送ってきたぞ。我らを色仕掛けで籠絡しようとは、よっぽど我らに恐れをなしていると見える」


「あのう……もう戦いはやめてください。あなたたちと闇の塔は、手を組んでWin-Winの関係になることができます」


「女よ、帰ってお前の主に伝えよ! 魔術にあぐらをかいて古きパワーバランスを維持する勢力などと我ら平等院が手を組むわけがなかろう、とな!」


「あ、あのう……いいんですか?」


「何がだ」


「私はほら……可愛いですよ。なんだったら皆さんのお好きなように……」


「女よ、我らを愚弄するか。とっとと帰ってお前の主……ユウキというあの者に伝えよ。このような汚らしい策を弄するお前の顔面に、明日こそ我らが正義の正拳を叩き込む、とな。それに女……お前にも言っておく。自らをもっと大事にせよ」

 

「…………」


 正論を聞かされたユウキは自らを恥じた。


 肩を丸めて小屋を出る。


「…………」


 だがこれで良かったのかもしれない。


 一説によれば、トラウマを持つ者は、そのトラウマの原因となった出来事を無意識的に反復しがちであるという。


 つまりオレは今、オーク百人に犯されたトラウマ体験を無意識的に反復しようとしていたのかもしれない。


 それは当然のことながら、心のバグに起因するものであり、健全な行動とはとても言うことができないものだろう。


『夜の百人組手』なるアクティビティを強引に作り出そうとした自分の女性としての心は、明らかに病んでいる。そう判断せざるを得なかった。


 意外にも平等院の奴らが常識人だったため、夜の百人組手は起こらなかったが、それはただ幸運だっただけである。


 運が悪ければ女としてのオレはまた蹂躙されまくり、それによって心の病みを拡大させてしまったことであろう。


「そうだ……とりあえず、何も起こらなくてよかったんだ」


 しかし何事もなく塔に帰ろうとするユウキは、どこか心に満たされないものを感じていた。


 それに色仕掛けは不発ということで、このまま塔に戻ったら、平等院を無血で味方につけられない。


 やっぱり女性としてのオレがいくら心を病もうと、そんなことは大局の前ではどうでもいいことなのではないか。


 今からまた小屋に取って返し、強引に夜の百人組手を始めるべきなのではないか?


「いや……現実的に考えよう。現実はエッチな漫画やビデオとは違うんだ。いくらオレが可愛くても、心に隙のありそうな化粧とファッションに身を包んでいても、そう簡単に夜の百人組手は始まらないんだ。だいたいオレが可愛いのは見た目だけで、まだまだ精神の内側から生まれる真の可愛さ、女性らしさは開発されてないんだ。オレの女性性は病んでいる上に、まるで成長していない子供のようなものなんだ」


 だからオレの性的魅力は発動せず、夜の百人組手を生み出すことはできなかったのだ。


 その女としての力不足を、ただまっすぐに認めるしかない。


 そして……足りない力は、少しずつ、地道な修行によって開発していく必要がある。


「よし……」


 スキル『地道さ』『粘り』『修行』を発動したユウキは足を止めて踵を返すと、また平等院の指導陣が集う小屋に取って返した。


「ごめんください」


「なんだ、女。まだ何か用か?」


「このまま帰っては主人に叱られてしまいます。何か少しでも武術家の皆様のお役に立てることをさせてください」


「お前にできることなど何もないぞ。帰れ帰れ」


「そうおっしゃらずに。そうだ、武術家の皆様のお疲れになった体をマッサージさせていただきます」


 ユウキは寝台でうつ伏せになっていた師範の一人に近づくと、その背に触れ、各種癒やし系スキルを発動しながら筋肉を揉みほぐしていった。


 当初、武術家たちは奉仕されることを拒んでいたが、ユウキのマッサージが筋肉の奥に凝固した疲れを確実に取り除いていくことを少しずつ感じはじめたようだ。彼らはやがて何も言わずユウキの手技に身を任せるようになった。


 最後にはグルジェの岩のような背をユウキはマッサージした。


 共感によってその肉体と繋がり、心を込めて癒やしのエネルギーを送り込みながらマッサージを続けるうちに、ユウキはグルジェの奥に『埋め込まれた闇の塊』の存在を感じた。


(なんだこれは……高濃度の闇の塊……グルジェ本人のものではない……外部から植え込まれたものか……)


 刺激しないよう、ごく軽くその闇の塊に触れていると、ユウキは現世で自らを襲ってきた暴漢たちのことを思い出した。


 脈絡なくユウキを襲ってきたあの男たちも、この闇の塊と同じエネルギーを発していた。


(そうか……この闇の塊は、闇の女神によってグルジェに埋め込まれた受信機なんだ)


 各種スキルを使って闇の塊を走査すると、確かにそれは闇のエネルギーによって地獄と繋がっているのが感じられた。


 ユウキはさらに叡智のクリスタルによってグルジェの内的システムを解析した。


 すると、地獄から闇の塊を通して送り込まれるエネルギーが、グルジェに塔への不合理な憎しみを掻き立てていることが認識できた。


(なるほど……この闇の塊によってグルジェは闇の女神にコントロールされていたんだ。現世でオレを襲った暴漢と同じように)


 となると……この闇の塊を除去することにより、グルジェを正気づかせることができそうだ。


 ユウキは光属性のスキルを総動員して、闇の塊に浄化の光をぶつけようとした。


 だがその寸前で思いとどまる。


 おそらくそのような直接的な浄化の試みは、グルジェの物理的な拒絶と攻撃をもたらすと思えた。闇の塊はグルジェと同一化しており、グルジェはそれを消滅から守ろうとするだろう。


 だからユウキは直接的に闇と対峙することは接けた。


 その代わりに、グルジェをふわっと優しいエネルギーによって包み、軟らかな波を送り込むように彼の心と体をマッサージした。


 そしてちょうどいい頃合いにグルジェから離れると静かに告げた。


「明日は他の小屋の武術家の皆様のところにお邪魔します。その旨、皆様によろしくお伝えください」


「う、うむ……」


 ユウキは長期戦を覚悟しつつグルジェたちの小屋を去った。


 長期的に自らの内なる女性性を成長させていく、そして長期的にグルジェらと友好関係を築く。


 そして長期的に、ごくさりげなく静かに……この世に戦乱を巻き起こしている元凶……人の心を狂わせ無意味な対立を生み出している元凶……闇の女神、彼女に、今、自らの持つこの軟らかな波のエネルギーを送り込むことをユウキは決意した。


 この軟らかな波……それは軟らかであるゆえに対立を生むことはない。だが無心な優しさから生まれるこのバイブレーションは、あらゆる障害を通り越えて、光と闇に浸透し、そこに調和と美と優雅さを生み出すだろう。


「…………」


 今、目覚めつつあり、地表に、そして近隣の諸世界に邪悪なる影響を及ぼしている闇の女神、彼女の住まう地獄へと、己が信じるナンパのエネルギー、柔軟な波のエネルギーを浸透させていくことを、今、目覚めつつあるユウキは静かに決意した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る