小屋を建てる

 朝食の席でユウキは会食恐怖を発症していた。


 スープをスプーンで掬い口元に運ぶ。その動作をテーブルを共にする皆に見られている。


 それを意識したとたん、スプーンを運ぶ手が震え始めた。


 その震えを抑えようとするほど、ユウキの食卓での動きは不自然なロボットめいたものになっていく。


 ついにユウキの震えは限界を超えて高まりスープは半ばテーブルに零れた。


(ああ……食卓で異様に緊張している俺を、皆が奇異の目で見ている。死にたい……)


 真っ青な顔で布巾を探していると、ゾンゲイルがさっとテーブルを拭きつつ耳打ちした。


「ユウキ、調子が悪いのね」


「あ、ああ」


 ゾンゲイルはしばらくどんな言葉をかけようか迷っているようだったが、最終的に軽くユウキの背を叩くと、一言だけ言い残して給仕の仕事に戻っていった。


「そんな日もある」


 そのシンプルな言葉を自身への信頼と受け取ったユウキは、いつものように各種スキルによって気持ちを立て直そうとした。


 しかし今朝の精神の不調は思いの外、根深いものようで、いくらスキルを発動しても短時間では治りそうもなかった。


「…………」


 仕方がないのでユウキは会食恐怖を発症したまま食事をとった。


 ユウキが発する異様な緊張感によって食卓の雰囲気にマイナスのデバフがかかっている。それは気のせいではなく、叡智のクリスタルによる雰囲気モニタリング機能によって明瞭にグラフ化され、ユウキの脳裏に表示されている。


 救いがあるとすれば、塔のメンバーたちの精神安定性が高まっていることである。


 ユウキが発しているデバフ効果を打ち消すほどのポジティブな雰囲気を、特に暗黒戦士たちは食卓で発していた。


 もしかしたら昨夜の寝る前のコミュニケーションが何かしら彼女らにプラスの効果をもたらしているのかもしれない。あるいは単に彼女たちの調子がいい日なのかもしれない。


 なんにせよユウキはできるだけデバフ効果を広げないようそそくさと朝食を終えると、塔の外に出て平等院キャンプに向かった。


 平等院の幹部らと話し合い、負傷者を街に送り返す手はずを整える。


「昨日のうちに馬車を迷いの森近郊の村にまで手配しておいた。森を抜けたらあとは馬車で帰ってくれ」


「ずいぶん手回しのいいことだな。だがそんなことで恩を着せようとも我らは手加減せぬぞ」


「まあいいけど……あんたら、戦えるのはもう百人もいないっていうのに、今日も組手を続けるのか?」


「笑止! 大いなる苦難こそが我らの拳を強くするのだ! 我ら真の精鋭の拳を受けてみよ」


「わかったよ。三十分後に始めるぞ」


 ユウキは組手の段取りを付けると、あとのことは戦闘員たちに任せた。


 自分はというと、ソーラルの噴水広場に向かった。ナンパを始めるために。


 だがやはり精神のコンディションがとてつもなく悪い。とてもナンパなどできそうにない。


(これは……昨夜の疲れが尾を引いているのか)


 ゾンゲイル、アトーレ、さらにその部下たちと濃密なコミュニケーションをした。さらにそのあと、夢の中のことなので記憶が不明瞭でよく思い出せないのだが、なんとなく怨霊相手に、かつて超えたことのない一線を超えてしまった気がする。


「それは疲れるはずだよな」


 ユウキは噴水の縁に腰を下ろすとスキル『癒やし』を発動し、とりあえず午前は自らのコンディションを安定させることに努めた。


 正午の鐘がなる頃にはそれなりに身動きできそうな気分になってきたので、立ち上がってナンパを始めた。


 しかし昨日に引き続いて今日も誰とも会話を交わすことができない。


 昨夜、図らずも吸収してしまった怨霊の暗黒オーラが人を遠ざけているのか。あるいはユウキのナンパがスランプに陥ってしまったのか。


 どれだけ声をかけても何の手応えも感じられない。ユウキは今日のナンパを諦めかけた。


 だが脳裏に今朝のゾンゲイルの声が響いた。


『そんな日もある』


 そう……うまくいく日もあれば、うまくいかない日もある。


 コンディションは常に変わるし、得られる結果も自分には計り知れない力によってアップダウンする。


 だからユウキはそれら外部的な物事を気にするのはやめた。ただ自分を少しでも成長させることに集中した。


 より楽に声をかけ、より充実した。より意味深いコミュニケーションを他者と続ける力。そこで得た疲労を速やかに回復する力……そしてまた新たなコミュニケーションの場へと向かう力。


 そんな力を高めることにユウキは集中した。


 結果、夕暮れ時にはガーデニアなる名前の弓使いの連絡先を石版に登録することができていた。それと同時にユウキはひとつのアイデアを得た。


 闇の塔の周囲では、闇に近しい属性の者でなければ本来の力を発揮することができない。


 またおそらく、闇の塔そのものにもある程度の親和性を持つ者でなければ、闇の塔を自らの活躍の場とすることは難しいだろう。


 そのため冒険者ギルドに行ってもおいそれと戦力を増強することはできない。闇の塔に親しめる人材など、ギルドにはいないからだ。


 それでいて毎夜の敵襲の規模は一日ごとに大きくなっていく。闇の塔の魔力不足をなんとかクリアしたとしても、このままではいずれ人手が足りなくなって、魔物の波に押し切られることは目に見えている。


 だから、もしこのまま闇の塔の防衛を続けていくなら考えなければならない。


 どのようにして闇の塔で働いてくれる人手を増やしていけばいいのか。その方法を。


 そして……その答えは、実は考えるまでもなく、今、すでに自分の手に握られているのかもしれない。


「ナンパ……ナンパなのか?」


「何ひとりで呟いている?」

 

 目の前の弓使い……ふさふさした毛皮を首周りに巻いた女が怪訝そうな顔でユウキを見た。ユウキは目の前の弓使いに意識を戻した。


「いや、なんでもない。とにかくあんたは自分の部族に伝わる弓を背負って探索の旅に出てるんだったな」


「そう。世界の異変、その原因を探している。できるならそれを止めたい。長より託されたこの『破滅の弓』の一撃で」


 ガーデニアなる女の瞳の奥に、重く長い物語が横たわっているのを感じた。また彼女が背負っている弓は名前からして明らかに闇属性のもので、闇の塔によく似合うように思えた。


「つまり……ナンパをすれば、塔の仲間を見つけられるってことなのか?」


「さっきから、何をブツブツ呟いている?」


 とりあえずユウキはガーデニアと喫茶ファウンテンで甘いものを食べて連絡先を交換した。そして近いうちに連絡すると告げて今日のナンパを終えた。


 ガーデニアと別れて次の目的地に向かう。


 *


 塔で、街で、やることは無限にあった。ユウキはスマホのタスクリストをチラチラ眺めながら作業をこなしていった。


 まずはラゾナとの性魔術の訓練だ。ソーラル一等地のマンション内にあるラゾナ宅にたどり着いたユウキは、ソファに腰を下ろすと、隣に座る肉感的な赤ローブの魔術師に聞いた。


「さっそく性魔術の訓練を再開したいんだが、前回はどこまで進めたんだっけ」


「モチベーションが高いわね。しばらく間が空いたから私も忘れちゃったわ。一緒に和合茶でも飲みながら復習していきましょう」


 ラゾナは茶を入れると『性魔術の奥義』なる書物をテーブルに開いた。二人はその教科書のワークを最初から一つずつやり直していった。


 一度クリアしたことのあるワークだったので、復習は速やかに進んだ。


 昨夜、怨霊相手に一線を超えたこともあって、ユウキはかつてなく力強く性魔術のワークを進めていった。


 結果、速やかに復習を終えることができた。


「それじゃ、次のページをめくるわよ。ここからは私達がまだ体験したことのない新しいワークよ」


「ああ、やってみよう」


 教科書に書かれている新たなワークは、昨夜、怨霊相手に超えた一線のわずかに手前に位置していた。


 生身の女性を相手にそのようなことをするのは初めてだったが、昨夜の夢で前もってイメージトレーニングできていたため、そんなに不安は感じなかった。


 ラゾナの方は初めてのワークに照れ、戸惑っていたようだが、どっしりと落ち着いた態度のユウキを前に、やがて安心した様子で目を閉じた。


 訓練を終えたラゾナはしばらく朦朧とした顔でソファに転がっていたが、ふいに瞳に輝きを取り戻すと叫んだ。


「魔力! 魔力よ!」


「ん? どうしたんだ?」


 ユウキはずずずと冷えた和合茶をすすった。


 窓の外から夕日が差し込んでいる。


 そろそろ次のタスクをこなすために移動しなくてはならない。


「魔力が戻ってきたのよ! まだ教科書の後半に差し掛かったばかりなのに、こんなにも魔力が!」


 ラゾナはただの飾りと化している暖炉に魔力で火を灯したかと思うと、調合室に駆け込み、そこで魔力竈や各種の器具を起動した。


 そして、このたぎる魔力を一滴も無駄にすまいとばかりに勢いよく魔力の籠もった薬……すなわち魔薬を調合していった。


「欲しい魔薬があるなら言って。今の私ならこれまでの倍は強い薬を作れるわよ!」


 ユウキは戦闘に役立ちそうな各種の魔薬を注文するとラゾナ宅を後にした。


 *


 次は向かった星歌亭で、ユウキはゾンゲイルに新曲を提供した。


 実は前々からエルフの若旦那に新曲を頼まれていたのだ。


『客の冒険者たちのステータスが一気に上るような曲を頼むよ』


 そんな無茶な頼みに答えられるとは思えない。だが、星歌亭でのゾンゲイル歌謡ショーは闇の塔の収入の大きな柱である。新曲を出せばおひねりも増えるだろう。客のステータス上昇に寄与できる可能性も、まったくないわけでもない。


 そういうわけで隙間時間にちょこちょこと作詞作曲しておいたものを、今、ユウキはお披露目した。


「曲名は……ドラゴンハンターだ」


 開店前の星歌亭のステージで、顔を赤らめながら若旦那とゾンゲイルに曲を説明する。


「ええと……ドラゴンを狩るために家を出て厳しい旅に出た男が、寒空の下での孤独な野営中に、かつて自分が住んでいた暖かなマイルームを思い出すという内容だ」


「ユウキらしい曲。早く歌ってみたい」


「ちょっと待ってくれ。AメロはアップテンポでBメロはしっとりと落ち着いた感じで、サビは……」


 ユウキが曲調の説明をしていると、エルフの若旦那はステージの拡声箱にiPhoneを載せて再生ボタンを押してしまった。爆音が響き渡る。


「ユウキ君がいない間、ドワーフのゴライオンに頼んで拡声箱の出力を上げてもらったんだ。どうだい、いい音だろう?」


 ユウキは若旦那に向かってうなずきつつ、ゾンゲイルに曲調の説明を続けようとしたが、爆音の中で喋ることに慣れておらず、声がかき消えてしまう。


 仕方なくユウキは歌の説明を諦め、iPhoneにメモを開きそこに歌詞を表示させ、ゾンゲイルが新曲を歌い出すのを見守った。


「あーあー、私はドラゴンハンター」


 ゾンゲイルの音程は思いっきりずれていた。だが少しずつ修正されていき、今夜の営業が始まる頃には意図したピッチに合うようになった。


 新曲がお披露目されたその夜、ゾンゲイルは通常の三倍のおひねりとチップを闇の塔に持ち帰った。


 *


 夜の防衛戦を経るごとに、塔の周りで野営している平等院の戦闘員は、怪我や精神の不調によって少しずつ遠征から脱落していった。


 まだ脱落せずしぶとく塔の周りのキャンプに残っている武術家に、ユウキはできる限り手厚く物資を支援した。さらには時間を決めて、塔の裏の野天風呂を開放した。


 それというのも平等院のおかげで闇の塔の運営が一時的とは言えぐっと楽になっているからである。どれだけお礼をしても、しすぎということはない


 毎夜の防衛戦には必ず平等院の武術家たちが巻き込まれてくれる。そのため魔物を打ち倒す難易度が大きく下がっている。


 さらに昼間の組手のおかげで塔の戦闘員の基本戦闘力が底上げされつつある。


 むろん、武術家たちはいずれ全員、戦闘不能となるだろう。だがその日はできるだけ先延ばしにしたい。


 そういうわけでユウキは武術家たちがテントよりも安らかに寝起きできるよう、塔の外に簡易住宅を建設することにした。


「シオン、建設魔法でぱっと小屋を建ててくれないか」


「そんな簡単に言われても困るよ。まずは図面がないとね」


 ユウキは塔の書庫で働いている司書、モモカに適当な図面を探すよう頼んだ。


 しばらくすると、モモカは書庫の奥から、エグゼドスが残したと思われる古い建築資料を見つだしてきた。


 モモカはページをめくりながら言った。


「これはどうですか? 見てくれは悪いですが、耐久性と必要資材のコスパに優れている小屋の図面です」


「お、さすがだな。ありがとうモモカ。シオンはさっそくこれを造ってくれ」


 六階の司令室に昇ったシオンは四方の壁に投影された外部映像を見つめながら呪文を唱えた。


「大地の精霊よ。この図面に描かれしイデアを目に見える形としてこの世に顕現させよ!」


 シオンが呪文を唱えると塔の周りの土がもこもこと盛り上がり、見る見る間に小屋となった。そこに量産型ゾンゲイルたちが大勢で細々とした家具とアメニティを運び込んでいく。


「なかなかいいじゃないか」


 ユウキはシオンの傍ら、塔の司令室から小屋を見下ろした。塔の周りに点在するその小屋は、毎夜の魔物のウェーブから塔を守る護岸壁のように見えた。


 ユウキは呟いた。


「こうなると、本格的に平等院の奴らと協力関係を結んだ方がいいのかもな。使い捨てじゃない、持続可能な戦力となってもらうために」


 すでに下級の武術家たちは、量産型ゾンゲイルに食事を与えられるごとに闇の塔への敵意を失い、骨抜きになりつつある。ゾンゲイルが『私のために戦って』といえば命を捨てて戦ってくれそうな者も多い。


 だが毎朝ユウキと顔を合わせるグルジェ師は、いまもなおこの世のあらゆる魔道具を狩るという妄執に取り憑かれており、闇の塔の各員に対しても一切心を開こうとしない。


「まったく。グルジェと残りの幹部たち……あいつらをどうやって籠絡すればいいんだ」


 夜、食堂で腕を組んで悩んでいると、ソーラルでの出稼ぎからラチネッタが戻ってきた。


「ユウキさん、今日は迷宮でこんなものを見つけてきたべ。かなり位の高い秘薬だと思うから、ユウキさんに献上するべ」


 ラチネッタはバックパックから薬液が入った瓶を取り出すと、うやうやしくユウキに手渡してきた。

 

 ユウキはその薬液の色に見覚えがあった。


「これはまさか……『性別変更の秘薬』か?」


 この薬を飲んだことで身も心もズタボロになった過去の記憶を思い出し、ユウキは過呼吸を発症した。


 だが同時に脳裏でスキル『戦略』が自動発動していた。それはこの薬の有効な活用法をユウキに明瞭に指し示していた。

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