賢者タイムを回避せよ
闇の塔は崩壊を始めた。
シオンは崩れ落ちる天井に魔力を投射して叫んだ。
「う、うおおお! 止まれっ!」
瞬間、火薬によるビルの解体のように、内側に崩れ落ちようとしていた大量の煉瓦が、目に見えない力によって宙に静止した。
さらにシオンはぎりぎりと歯を食いしばると、目に見えない力を裂帛の気合と共に闇の塔の隅々にまで投射した。
「闇の塔よ、元に戻れ!」
瞬間、ビデオ映像の逆戻しのごとく、バラバラに崩壊しつつあった煉瓦は天井で固く組み合った。
シオンは口の端から流れる血を拭いながら言った。
「はあ、はあ……これで当面は大丈夫。みんな、ユウキ君を落ち着かせてくれ……」
「ユウキ、落ち着いて!」
半裸のゾンゲイルがユウキを抱きしめようとした。するとまた塔全体が振動を始めた。
「ダメです、ゾンゲイルさん、離れてください!」
アトーレがユウキをゾンゲイルから引き離そうとした。だがそれによってアトーレの胸部がユウキの背中にあたり、塔の振動は強まった。
「みんな、いたずらにユウキ君を誘惑しないで! 彼と闇の塔は繋がってるんだよ! ユウキ君の興奮が限界を超える……それはつまり、塔も限界を越えて崩壊するってことだったんだ!」
シオンはそう説明しつつ、ユウキを戦闘員から引き剥がした。
戦闘員らは自らの行いによって塔が崩壊しかけたことに気付いたのか、ベッド上で項垂れた。
シオンはユウキの手を引いた。
「ここにいたら危ない。詳しくは僕の部屋で話そう。ユウキ君、来てくれ」
「お、おお……」
だがこのまま去ってしまえばあとに問題のタネを残すことになる。
「ちょっと待ってくれ」
ユウキはシオンの手を引っ張り返して足を止めると、暗黒戦士に声をかけた。
「どうだ、アトーレ。暗黒はチャージできたか?」
「え、ええ。ゾンゲイルさんとユウキさんの愛に満ちた行為を至近から見学することで、暗黒の炎が私たちを焦がしています」
「それはよかったな」
次にユウキは項垂れてしょんぼりしている人工精霊に声をかけた。
「ゾンゲイル……これからも暗黒戦士の暗黒チャージに協力してくれるか? ただしほどほどに……」
「ユウキ!」
ゾンゲイルはパッと顔を輝かせるとベッドから飛び降りユウキに抱きつこうとした。
瞬間、シオンが防御魔法を張り、暗黒戦士らは暗黒の蛇を投射してゾンゲイルを止めようとした。
だがその前にゾンゲイルは歩を止めると、自ら引き下がった。
寂しそうな顔を浮かべてはいるが、どうやらユウキへの肉体的接触が塔を崩壊させることを学習したらしい。
シオンは防御魔法を解くとユウキを部屋の外に引っ張った。
「行こう、ユウキ君」
「あ、ああ……」
二人は闇の塔の螺旋階段を登って塔主の部屋へと向かった。
*
シオンの部屋は散らかっていた。
書庫の本が机の上や床に散らばっており、怪しげな器具が乱雑に転がっている。
ユウキは床にスペースを開けるとそこに胡座をかいた。一方のシオンはベッドに腰を下ろした。
シオンを見上げながらユウキは聞いた。
「さて……教えてくれ。塔が崩壊しかけた原因を、詳しく」
「もうある程度はわかってるよね?」
「ああ……オレの体と塔はリンクしている。そのオレが限界を超えて興奮したことで塔に異変が起きた……そうだな?」
「うん。わかってるじゃないか」
「すまん……軽はずみなことをしてしまった」
「いいんだ。むしろ暗黒戦士に暗黒をチャージし、人工精霊のストレスを軽減する良い活動だと思ったよ」
「み、見てたのか?」
「僕だって塔とリンクしてるからね。塔内での異常なエネルギーの動きがあれば、そこを注視することになるさ」
ユウキは顔を赤らめた。
「ま、まあいい。それで……オレはこれからどうしたらいいんだ?」
「そのことなんだけどね」
シオンは呪文を囁くと空中にホログラムディスプレイのごときものを現した。
「このグラフを見てほしいんだ。縦軸が塔の総合的エネルギー量、横軸が今日までの時間を表しているよ」
折れ線グラフは上下に波を描きながらも、全体的には右肩上がりを示していた。
「おっ。いい感じだな。塔の総エネルギー量がどんどん増えてる」
「問題はここからだよ。叡智のクリスタルの予知能力を使って、未来がどうなるか見てみよう」
シオンの声とともにグラフに続きが描かれた。
塔のエネルギー総量はこのあともしばらくの間、右肩上がりの傾向を示していたが、まもなく右肩下がりとなり、やがて急激にゼロに近づいていった。
「おい、どうなってるんだ、これ? まさかオレのナンパに何かの障害が生じるってことか?」
「叡智のクリスタルは複合的な問題が未来に生じることを予言しているよ」
「一つ一つ教えてみろ」
「第一の問題は、ナンパのエネルギー源である君の性エネルギーの回路が、もうすぐ壊れていくってことだよ」
「な、なんでだ……?」
「あらゆるエネルギーは『流れ』を必要とするからね。流れが堰き止められれば、その流路は壊れるのが必然。何事も我慢しすぎれば壊れるということなんだね。そして性エネルギーの回路が壊れれば、君のナンパは形骸化し、魂力は貯まらなくなって塔は崩壊するよ」
ユウキの脳裏に水を溜めすぎて決壊したダムのイメージがよぎった。それはもはや水を貯めることができずダムとして無用のものと化している。ユウキは恐怖を覚え、自らの下腹部を撫でた。
「確かに……オレの性機能はいつぶっ壊れてもおかしくない。オレがこの世界に転移してから、一度たりとも性エネルギーを放出してないからな。さっきもお前に止められたからな」
「ごめんよ……だけどああするしかなかったんだよ! 塔はユウキくんの肉体と強く結びついている。ユウキくんが性エネルギーを放射すると、塔はエネルギーの奔流によって回路がずたずたに壊れて崩壊するんだよ!」
「だったらオレの性エネルギーの放出に耐えられるよう塔を改造しろ。オレの性機能を守るにはそうするしかない」
「それは僕も考えたよ。だけどその工事は難しいし、仮に成功したとしても結局、塔は力を失うことになるんだ」
「なんでだ?」
「第二の問題があるんだ。ユウキくんが性エネルギーを放出すると、それに連動して塔もエネルギーを失ってしまうんだよ」
「つまり……俺が『賢者タイム』に入ると、塔も力を失ってしまうってことか。でもそれは一時的なことだろ? しばらくすればオレも回復する」
「ははは、賢者タイム……面白い表現だね。その用語を採用するとして……ううん、君が賢者タイムに入ると間違いなくこの世は滅亡する。なぜなら賢者タイムのエネルギーの空白期間に、邪神の封印がすべて解けるからだよ」
「まじかよ。俄には信じがたいが……ここで少し話をまとめるぞ」
「うん」
「オレが性エネルギーを放出せず溜め込んでいると、いずれオレの性機能が壊れて、どれだけナンパしても魂力が溜まらなくなり、塔が崩壊して世界は滅亡する、と」
「うん」
「かといってオレが性エネルギーを放出すると、そのあとの賢者タイムにに連動して塔もエネルギーを失い、その隙に邪神の封印がすべて解けて世界は滅亡する、と。この認識で合ってるか?」
「うん。完璧だよ」
「どうするんだよこれ、詰んでるじゃないか」
「ははは……僕のせいだ。僕がもっと早い段階で君の性エネルギーを魔術的に管理していれば」
「……今からでも管理してみろよ」
ユウキは立ち上がるとシオンに近づいた。
シオンは半眼を思わせる魔術的な視線でユウキの内部を透視するように見つめながら言った。
「無理だよ……君の中に高まってる高濃度の性エネルギーは僕でも制御できない。下手に触れれば暴発してしまうよ」
ユウキは目を血走らせながらベッド上のシオンにさらに詰め寄った。
「お前今、女体化してるだろ」
「そ、そうだけど……」
「それなら一か八か、オレの性エネルギーをほんの少しだけ放出させてみろ。ほんの少しだけなら大丈夫だろ」
「む、無理だってば。どれだけ魔力で精妙にコントロールしようとしても、ユウキ君の体内の総エネルギー量は僕に制御できる量を遥かに超えて……」
「いいから」
ユウキはベッドのシオンを手で押した。
「きゃっ」シオンはベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「女体化してると声もかわいくなるんだよな」
そんなことを呟きつつ、女体化によって若干の丸みを帯びた魔術師の体にのしかかっていく。
「ダメだってば。離れてよ!」
「そもそも何もかもお前の責任なんだからな。責任取ってみせろよ」
度重なる我慢により意識を完全に肉欲に支配されたユウキは、己が性エネルギーによってはち切れそうになっているものをシオンに押し付けた。
「だ、ダメだよ……」
「いいから触ってみろよ」
「ダメだってば……おかしくなっちゃうよ、僕まで……」
シオンとユウキは塔に連結されている者同士ということで、肉体のシンクロ率が極めて高い状態にあった。それはいわば体の相性が凄まじく良いということである。
近づくだけで自分の興奮がシオンに伝播していくのが感じられた。
性エネルギーによってはち切れそうになっているものを強く押し付けると、その物理的な接触によって、マグマのごとき熱いものがシオンに流れ込んでいくのが体感として感じられた。
その流れ込む熱によってシオンの瞳から理性の光が急速に失われていく。
我慢に次ぐ我慢、寸止めに次ぐ寸止めにより、ユウキの頭も完全におかしくなっている。
もはや世界の存亡より目先の性欲の解消の方が大切だ。
世界どころかこの宇宙が破滅したとしても今このとき目の前の肉体に己が性エネルギーを余すことなくぶちまけることの方が大事だ。
「シオン……行くぞ!」
ユウキはシオンのローブを剥ぎ取ろうとした。
だがそのときだった。斜め後方から何かが勢いよくぶつかってきた。
「うぐっ」
その質量に跳ね飛ばされユウキはベッドから転げ落ちた。
頭を撫でながら振り返ったが、そこにはただ空気があるだけだった。
「な、なんだってんだ? シオンの攻撃魔法か?」
ユウキはベッドに戻ると、より強くシオンにのし掛かった。
「シオン……行くぞ! もう呪文は打つなよ」
ユウキはシオンのローブを剥ぎ取ろうとした。
だがそのときだった。また斜め後方から何かが勢いよくぶつかってきた。
「うぐっ」
ベッドから転げ落ちたユウキは背後を振り返ったが、やはりそこには何もなかった。
「し、シオン……なんかこの部屋にいるぞ」
「まさか。僕の魔術的視界には何も映ってないよ。僕の視界から隠れるだなんて、伝説レベルのアーティファクトじゃないと無理だよ」
「それならいいか。シオン……行くぞ!」
ユウキは再度ベッドに戻るとシオンのローブを剥ぎ取ろうとした。
その瞬間、斜め後方からまた何かが勢いよくぶつかってくる気配を感じた。
ユウキはタイミングを合わせて振り返ると、その不可視の質量を両手で抱きとめベッド上に組み敷いた。
「ま、参った! 降参だべ!」
「やっぱりお前か」
ユウキはベッドに組み敷いた不可視の存在の手首を手探りで掴むと、その指から指輪を引き抜いた。
瞬間、光学迷彩が解除されたかのように、ベッド上に猫人間が姿を現した。
「ラチネッタ……何してるんだよ」
猫人間はユウキに組み伏せられながら叫んだ。
「ダメだべユウキさん! 一時の獣欲に身を任せたら絶対にダメだべ! そんなことしたら世界が破滅するってシオン様がおっしゃってたべ!」
「お前……いつからこの部屋にいたんだ?」
「ずっと隠れて見てたべ! 暗黒戦士の皆様方やゾンさんがユウキさんの部屋に集っているところも拝見していたべ!」
「なっ、何をしてるんだ。隠れて人のプライバシーを覗き見るだなんて、ラチネッタらしくないじゃないか!」
すると猫人間は目の端に涙を溜めてわめいた。
「ユウキさんにおらの何がわかるっていうんだが! おらは、おらは……その本性として悪なんだべ!」
シオンは乱れたローブと呼吸を整えながら言った。
「はあ、はあ……大目に見てあげなよ、ユウキ君。猫人間は、手癖は悪いし、窃視癖を持つ異常者も多いと聞くよ。つまり種族的に劣等なんだね」
「シオン、その発言は差別的すぎるぞ」
「いいや、何もかもシオン様の言う通りだべ。すでにおらの部屋には盗品がうずたかく積み上がってるべ。幸い、まだ塔の皆様方の私物には手をつけてないけれども、窃視欲は抑え難いレベルに高まってるべ」
「まじかよ」
「もうすぐ春になればこれに淫らな発情までもが加わるべ。完全なる人間失格だべ」
「た、確かに……」
瞬間、ラチネッタは顔を隠して泣き始めた。
「お、おらはもう死んだ方がましだべ! さっきはついユウキさんを止めてしまったべ。止めずに塔が崩壊するにまかせるのが正解だったべ!」
「そ、そういうことなら続きをするか……シオン、行くぞ!」
ユウキはシオンにのし掛かるとローブを剥ぎ取ろうとした。
「ダメだよ、ダメ、ダメ……」
シオンは必死に抵抗したが物理の力ではユウキに叶わなかった。
傍のラチネッタが泣きながら呟いた。
「そうだべ……今宵、何もかも終わってしまえばいいべ。このまま生きてたって、あの淫らな成人の儀式で完全なる獣に還るかと思うと、これ以上生きていてもしかたないべ……」
シオンを乱暴にまさぐりつつも、ユウキは猫人間の話に興味を惹かれた。
「完全なる獣、か……ちょっと詳しく教えてくれ、その淫らな儀式の全容を……おい、シオン、暴れるなよ」
ラチネッタはうつろな目で呟いた。
「そもそも人は完全なる獣になることは不可能だべ。殿方はひとたびエッチな行為に満足したら、そこで理性を取り戻してしまうべ。んだども、おらが猫人郷の始祖は、邪悪なる魔術によって不可能を可能にしたんだべ。殿方がどれだけエッチなことをして満足しても、そのあとも無限にエッチなことを続けられるテクノロジーを開発したんだべ」
「まじかよ。とんでもないな」
「おらが村のはずれにあり、成人の儀式の前日にのみ解放される『快楽園』……そこに実る『禁断の秘果』のジューシーな果肉に食らいついた殿方は、無限の精力を得るべ。さらに成人式の当日には、『愛のクリスタル』から強力な愛のエネルギーが放射され、儀式の祭壇に集う村の若者とゲストの心を一つにまとめ上げるべ。そのピンク色の愛の波動の中で心と体を完全解放された男女は三日三晩、不退転に上り詰める無限のスパイラルとしての肉欲の宴を続けるんだべ」
ユウキはシオンをまさぐる手を止めた。
シオンの瞳にも理性の光が輝いていた。
「シオン、聞いたか?」
「うん、聞いたよ。『快楽園』に実る『禁断の秘果』……それがあれば……!」
シオンは希望に満ちた瞳でユウキを見上げた。
ユウキはうなずいた。
「ああ。それがあればオレの賢者タイムを回避できるぞ! 賢者タイムを回避できれば、塔を維持し、この世界を守れるぞ!」
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