ユウキのテレワーク

 冒険者ギルドに向かって駆けていく戦士を見送ったユウキは、若干の気まずさを抱えながら喫茶ファウンテンに戻った。


「あれ、戻ってきたんですね」


「ああ。魔コーヒーと朝食を頼む」


 ユウキはさきほどと同じ席に座った。


 この店員と昼から図書館に行く約束をしたのだが、それまで暇であり時間を潰さねばならない。


 いや、暇などない。一刻も早くやらねばいけないこと、片付けねばいけないことが山積みだ。


 今すぐコマネズミのごとくに働いて山の如きタスクを消化していかねばならない。


 だが何から手をつければいいのか?


 あの戦士と連絡先を交換してしまったが、それをどう活かしていけばいいのか? もしや今すぐ何かのメッセージを石板で送るべきなのか? 『さっきは楽しかった。また会おう』みたいなことを。


 それ以外にも考えるべきことがある。


 数時間後にこの喫茶ファウンテンの店員さんとオレは図書館に行くことになっている。それはもしや図書館デートとでも言うべきものではないのか? だとしたらデートの準備を今すぐすべきでは?


「…………」


 だが色恋ばかりにかまけてもいられない。闇の塔の運営についても考えなくてはならない。


 また未解決のまま放置されている懸念事項……平等院なる武道家集団による闇の塔襲来イベントや、エクシーラによる星歌亭の接収の試みのその後についても確認しておきたい。


 これら無限とも思える数の心配事をどう処理すればいいのか?


「そ、そうだ……スキル『マルチタスク』再発動!」


 だが何も起こらなかった。


(どうなってるんだ? 『マルチタスク』を発動してるのに、一向に必要な作業を並行処理できないぞ)


 脳内にナビ音声が響いた。


「スキルは魔法じゃないですからね。そもそも『マルチタスク』というスキルは、さまざまなタスクを同時にこなすというより、それぞれを細かく切り替えて効率よく処理していくスキルなので」


(細かいことはいいから、とにかくオレは今何をしたらいいんだ? 気持ちばかり焦って何もできない)


「とりあえず頭の中にあるタスクをすべて書き出してみては?」


(そ、そうか、確かに……ゴチャゴチャしてる頭の中を可視化してみれば、何から手を付けるべきかわかるかもしれないな)


 ユウキはエクスプローラー鞄からMacBook Airを取り出した。


 このMacBookはエリスにもらった新品であるが、昨夜のうちに塔のWi-Fiを通じてユウキのアカウントに同期されており、多様なアプリがインストールされた状態になっている。


(前にいくつかタスク管理アプリを買ってたはずだ……ついにそれを使う時が来たか)


 ユウキは画面下部のDockのLounchpadをクリックすると、その中にあるタスク管理アプリをとりあえずすべて立ち上げ、それぞれの画面を見比べながら呟いた。


「Things……これはMacで一番売れているタスク管理アプリだな。Omni Focus……これはGTDという仕事術に完全準拠したタスク管理ができる。Task Paperはプレーンテキストをアウトライナーとして使うことができる一風変わったタスク管理アプリだ」


「へえ、そうなんですね」脳内にナビ音声の感情のこもらない声が響いた。

 

「なあ……どのアプリを使えばいいと思う?」


「とりあえず今はOS標準のものがいいのでは」


「なんだよ、つまらないな」


 だがナビ音声のいうことにも一理あった。いつも実家でユウキはこれら仕事効率化のための高機能なアプリをいじって操作を学んでは、何か偉大な仕事を成し遂げたような気になって満足を得ていた。実家ではそれでもよかった。


 しかし今は、何かを成し遂げた気分になるだけではダメなのだ。


 実際に行動を起こし、物事を前に進めていかなくてはならない。そんなときにまず頼りになるのはやはり使い慣れた標準のアプリだろう。


 それはシンプルで、大学ノートと鉛筆のように何の面白みもない。だがシンプルであるがゆえに手段と目的を混同することなく、目の前の作業に取り掛かることができる。


「……仕方がない。実直にやるか」


 ユウキはmacOSのメモを開くとそこに、今の自分が気になっていることすべてを書き出していった。


「…………」


 朝食を食べつつキーボードを叩き続けていると三十分ほどで頭の中のモヤモヤをすべて文字に書き出すことができた。


 次にユウキはmacOS標準のリマインダーを開いた。そしてさきほどメモに書き出した文章を、実行可能なタスクへと変換してリマインダーに入力していった。


 この作業によって、心の中のモヤモヤの80パーセントを具体的なタスクへと分解し可視化することができた。


 20パーセントほどは解きほぐせないモヤモヤとした心配事としてメモの上に残り続けたが、それは今は放っておくことにした。完璧を求めるのはやめて、ほどほどのところで行動を起こそう。


「よし……」


 ユウキはリマインダーに並んだ数十個のタスクリストから、今すぐ実行できそうなものを一つ選んで実行に移した。


 すなわち、石板を使ってのシオンへの業務連絡を始めた。


「ようシオン。オレはソーラルでナンパが一段落したところだ。塔の方では何か必要なものはないか?」


「必要なものだらけだよ。だけど、そうだね……特に建築魔術に使う魔法素材が足りないね。それがないと塔の機能のいくつかを修理できないんだ」


「よし、リストを送ってくれ」


 しばらくすると必要なもののリストが石板に送られてきた。ユウキはそのリストをMacBookに書き写しつつ聞いた。


「そういえば塔の財政状況はどうなってるんだ? この素材をソーラルで調達するにも金がかかるわけだが」


「ふふっ。僕はそういう世間的な些事には疎くてね」


「金庫を見て金を数えてこいよ」


「悪いけど僕は塔の修復のために新たな魔術を研究しなきゃならない。書庫から必要な魔術書を見つけるだけで数日はかかるんだ」


 ユウキは一瞬むっとしたが、シオンは魔術関係の仕事に集中させた方がいいと思い返した。下手にシオンに会計の仕事などやらせたらメンタルヘルスが悪化しそうだ。


「わかった。金のことは他のやつに頼む」


「うん、そうしてほしい」


 ユウキはシオンとの通話を切るとゾンゲイルに連絡した。


「よう、ゾンゲイル。今なにしてるんだ?」


「塔の周りの工事をしてるところ」


 声の背後からザッザッと砂利にスコップが突き立つ音が響いてくる。


「忙しいところ悪いが、塔の金庫を見てきてくれないか?」


「わかった。家事用ボディ、一体、向かわせる」


 しばらくして金庫を開ける音とゾンゲイルの声が石板から響いた。


「金庫、開けた」


「中にどれだけ入ってる?」


「結構お金ある」


「具体的にはどのぐらいだ?」


「金貨が……一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚……六の次って何?」


 どうやらゾンゲイルは計算が苦手のようである。


「悪い、ゾンゲイル、近くに誰かいないか?」


「もしもしユウキさん。何かおらに用だべか?」


「お、ラチネッタか。金庫の中身がどれだけあるか教えてくれ」


 ラチネッタは瞬時に正確な金額を教えてくれた。


「よし、それじゃあその金を持ってソーラルまで来てくれ。シオンの魔術素材を調達したいんだ」


「だ、ダメだべ。そんな大金をおらに持たせたら、おら、おかしくなってしまうべ。少しずつ春も近づいてる昨今、おらの欲望の歯止めは効かなくなりつつあるべ」


「わかったよ。ラチネッタはとりあえずいつも通り過ごしててくれ」


「おら、大穴の迷宮で実直に働いてくるだよ」


「大丈夫なのか? 深層からモンスターが湧いてくるようになったんだろ?」


「危険度は確かに上がってるべ。んだども冒険者さまの数も増えたし時給も上がってるべ」


 ラチネッタの能力をバイトに振り向けるのは勿体無い気がしたが、とりあえず今日のところは普通にバイトしてきてもらうことにした。


(となると……金はゾンゲイルに運んできてもらうか。いや、そもそもこの額で必要な魔術素材が買えるのか?)


 ユウキは冒険者ギルドに素材の相場を聞いてみることにした。


 冒険者ギルドの関係者といえばエクシーラだ。額に破邪のサークレットをはめたエルフを想起しながら石板を耳に当てると通話が繋がった。


「よう、エクシーラ」


「その声はユウキ……この世界に戻ってきたのね!」


「まあな。ところでちょっと聞きたいことがあるんだが」


「待って、今忙しいのよ!」ざしゅっ、ざしゅっと剣で生肉状のものを切断する音が聞こえてくる。


 ユウキは少し大声で聞いた。


「魔法素材をギルドから買いたいんだが値段の一覧を教えてくれないか」


「それどころじゃないのよ!」


 後で聞いた話だが、エクシーラは邪神の討伐中だったらしい。


 完全覚醒するとそれだけでアーケロン平原の人口の半分が虐殺されると目されている強大な邪神の一柱との数週間にわたる戦いのクライマックスが通話の向こうで繰り広げられていたらしい。


 その仕事が一段落したのか、しばらくしてユウキの石板に文字データが送られてきた。


「忙しいところすまなかったな」


「はあ、はあ、はあ……ギルドで取り扱ってる魔術素材の値段のリストを送ったわ。私の紹介だから二割引でいいわよ」


「まじかよ。助かる」


「はあ、はあ……ギルドの方も忙しいけど、塔は塔で頑張ってちょうだい」


「あ、そういえば星歌亭は……」


「接収は諦めたわ。今まで通り営業していいわよ。お互い暇になったら星歌亭で落ち合いましょ」


「そうだな。ゆっくり酒でも飲むか」


「いいえ、勘違いしないで! 別にそんなことは考えてないわ! ユウキとは仕事の話をするだけよ!」


 異様な勢いで否定されてショックを受けざるを得ない。


 だが……この女は長生きして頭がおかしくなっているだけだ、気にするなと自らに言い聞かせ、なんとかユウキは気持ちを立て直して通話を切った。


 そしてエクシーラが送ってくれたリストにざっと目を通す。これを見る限り、塔の資金では必要な魔法素材を五割程度しか買うことができないとわかった。


 資金はラチネッタが大穴で、ゾンゲイルが星歌亭で、それぞれ稼いできてくれるが、それを当てにしていたら次の大規模防衛戦までに塔の修理が間に合わない。


(こうなったら昨日の今日だが、急いで敵の残骸から金目のものを集めてソーラルで売るしかないな) 


 ユウキはさっそくゾンゲイルに、価値がありそうな敵の残骸を大八車に集めるよう頼んだ。


 さらに赤ローブの魔術師、ラゾナに連絡し、素材をより高く売る方法がないか聞いてみる。


 ラゾナとは久しぶりの会話であったが、彼女のパラレルセルフである空奈とは元の世界で親しく交流していたため、すぐに打ち解けて話すことができた。


「向こうじゃ世話になったな。おかげで元気になって戻ってこれた」


「どういたしまして。それより昨日の防衛戦は参加できなくてごめんなさい。私がいても足手まといだから、自宅で薬を作ってたのよ。必ずユウキが戻ってきて、塔を勝利に導いてくれるってわかってたからね」


「勝ったのはシオンの魔法のおかげだが……薬?」


「塔主のためにまず『魔力増強の飲み薬』を作ったわ。これは紙巻薬の十倍は強力よ。塔主レベルの魔力のキャパシティがないと命にかかわるから、ユウキは絶対に飲んだらダメよ」


「ああ、怪しい薬はこりごりだ。絶対に飲まない」


「ふふふ。次に暗黒戦士たちのために、『暗黒増幅薬』を作ってみたわ。これを飲むと心の中の欠乏感がブーストされ暗黒を効率よく貯めることができるのよ。これも一般人が飲むとその苦しさから自ら命を絶つかもしれないから絶対に飲んじゃダメよ」


「わかった。絶対に飲まない」ユウキは真剣にそう答えた。


「それで……そうそう、戦闘で得た素材を高く売れないかって話ね。リストはあるかしら?」


「ちょっと待っててくれ」


 ユウキは読み書きができて手が空いてそうな者……アトーレの部下のムコアとミズロフに連絡し、ゾンゲイルの手によって大八車に積まれつつある素材のリストを作るよう依頼した。


 石板通話の向こうからゾンゲイルと暗黒戦士たちの諍いの声が聞こえてきたが、しばらくして素材のリストが送られてきた。


 ユウキはそのリストをラゾナに転送した。ラゾナは素材のうちのいくつかを、市場より高く引き受けられると請け負ってくれた。


「まじかよ、助かる」


「市場では値がつかないものもいくつかあるけど、それも私が引き取っていいかしら?」


「もちろんだ。頼む」


 ボグダン商会を始めとしてアーケロン平原のさまざまな商業組織との繋がりを持つラゾナであればこその換金力である。


「港に私が使っている倉庫があるから、そこに搬入してね」


「わかった」


 ユウキはラゾナとの通話を終えると、人員をもろもろ手配し、素材の売り買いの首尾を整えた。


 やがて図書館デートの時間が近づいてきた。


 ユウキはさらにもう一つだけタスクを処理しようとして、『癒し手』の営業チラシを見た。そのチラシの隅にはQRコードを思わせる印章が押されていた。


 その印象の隣に、『石板でお気軽にお問い合わせください』と書かれている。


(もしかしたらこの印章をと石板を組み合わせることで、このチラシの持ち主に連絡できるんじゃないのか……)


 そう推理したユウキは、チラシの印章に石板を重ねてみるなどした。しかし石板はうんともすんとも言わない。


 最終的に、チラシの印象を心に想起しながら石板を耳に当てることで、チラシの持ち主の石板に通話できるということがわかった。


「お……繋がったな。もしもし。オレはチラシを見た者だが」


「はっ、あ、ああっ、お問い合わせありがとうございます!」どこかで聞き覚えがある若い女性の声だ。


「あんた、『癒し手』なのか?」


「そ、そうです! 資格はありませんが、ゴゾムズへの祈りによって与えられた癒しの力……ソーラルでも最高レベルです!」


「まじかよ。それならちょっと仕事を頼みたいんだが、あんた、メンタル的なものを癒したり、安定させたりできるか?」


「ま、まさにそれは私の得意とするところです!」


「出張とかできるか?」


「え、ええっ、もちろん!」


「ちなみにギャラは……」


「かなり安いですよっ!」


 癒し手が提示した額は本当にかなり安かった。


「おっ、それなら頼めそうだな。とりあえず単発で癒しを頼みたい。いい感じだったら継続的にやってもらいたい。今日すぐできるか?」


「何時でもできます! 私は暇なので!」


「じゃあ今日の夕方、星歌亭に来てもらえるか?」


「絶対に行きます!」


 自称、ソーラルで一番という癒しの力と裏腹の卑屈さ……そのギャップが気になるところであるが、まあ少しでも仕事ができるならそれでいい。ユウキは通話を切った。


「さて、と……」


 もうそろそろ図書館デートの時間だ。ユウキは喫茶ファウンテンの奥の席から立ち上がりかけた。


 が、その前に一瞬、MacBookのリマインダーを見てみる。


 すると、かなりのタスクを片付けることができていることがわかった。


 単発のタスクの一つ一つに集中して処理していくことで、結果として多種多様なタスクを同時並行で片付けたに匹敵する結果が得られている。


「なるほど、これがマルチタスクってことか」


 ユウキが背伸びして呟くと脳内にナビ音声が響いた。


「このスキルはパッシブにユウキの中で稼働し続けます。仕事の効率、上がるといいですね」


 ユウキはうなずいた。そのとき図書館に行く約束をしていた店員が話しかけてきた。


「お疲れ様です。すごく集中して仕事してましたね」


「悪いな、長居して」


「いいんですよ。魔コーヒー、たくさん注文してもらいましたからね」


 言われてみると仕事中、何杯もガブガブと魔コーヒーを飲み続けていた気がする。その覚醒効果と、仕事による作業興奮によって、デートへの緊張はかなり軽減されていた。


 ユウキはMacBookを閉じて立ち上がった。


「それじゃ行くか」


「待っててください、今制服着替えてきます」


 しばらくして喫茶ファウンテンの奥から私服の店員さんが姿を現した。


「お、私服も似合ってるな」


「そうですか? ただの普段着ですよ」


 そう言いつつも彼女は嬉しそうにしていた。


 *


 図書館への道すがら、将来の夢の話になった。


「私、司書になりたいんです。本の整理なら自信があるんで」


「まじかよ。それじゃちょっと司書のバイトしないか?」


 ユウキは喫茶ファウンテンの店員を闇の塔に誘った。

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