第82話 横浜でナンパ

 思いがけず生じた余命を生かして、ユウキは自宅と駅前を往復した。


 夕方、中学校が終わるころにはバスに乗って空奈宅にも向かった。


 昼にナンパし、夕方には空奈の整体を受ける日が続いた。


 気づくとユウキの姿勢は良くなっていた。


 丸まり気味だった背中はいつもまっすぐに伸びるようになった。骨格の歪みも矯正されたらしく、身長が数センチ伸びた。


 それにつれて空奈が言うところの『気』……目に見えない生命エネルギーの滞りも解消されてきたらしい。


「いい感じね。少しは気が全身を巡るようになってきてるわ」


 空奈はユウキに馬乗りになり、ぐいぐいと体の特定のポイントを押したり揉んだりしながらそう言った。


「確かにオレのApple Watchも、ここ数日は異常心拍の通知を出してないな……うっ」


 整体の施術を終えると空奈は謎のお茶を淹れてくれた。


「飲んでちょうだい。高麗人参茶よ」


「なんなんだそれは?」


「高麗人参は漢方では上薬に分類されていて、副作用なく自律神経を安定させ、体力を増強する効果があるとされているわ」


「なるほど……」


 ユウキはかすかに甘みのある熱い茶を啜った。


 何がどう効いているのかわからないが、日に日にユウキの心臓の動きは安定感を増していった。


 だが夜に見る夢の中では、いまだ闇の塔が崩壊しかかっていた。塔が魔物の攻撃を受けるごとに、ユウキの体にも不具合が生じた。


 夢の中で黒ローブの少年が叫んでいる。


「ユウキ君……もっと魂力をチャージしくれ! どんどん増える敵の侵攻を防ぐにはもっと魔力が必要なんだ! そのためにはどうしてもユウキ君の魂力が必要なんだよ」


 しょせん夢の登場人物のセリフであり他人事である。だが、目覚めた後にも妙に心に残った。


「魂力……たぶんナンパすれば貯まるんだろうな」


 ユウキは重い体を引きずってナンパに出かけた。しかし同じことの繰り返しばかりでは魂力チャージの効率が悪い気がした。


 ルーチンワークを安定して繰り返しつつも、ほんの少しずつその中身を変えていくことが、物事を飽きずに続けるための秘訣な気がする。


 そこで今日はちょっと趣向を変えて、違う駅に向かってみることにした。


 ホームシティから電車に十分ほど揺られる。


 するとそこは横浜だ。


 JRの改札を出た瞬間、凄まじい人混みに目が眩んだ。


 さすがホームシティよりも遥かに都会な横浜……気体分子のシミュレーションの如くに、大量の人間が地下のJR改札前を歩き回っている。


 彼らとぶつからないように地上に向かうことは、今の自分の弱った足腰には無理な仕事に思えた。


 かといってこのままホームシティに帰ることはできない。わずかでもこの横浜でナンパを前進させなければ、今夜にも闇の塔は崩壊してオレも死ぬ。


「せめて……せめてあそこまで行ってみよう」


 ユウキは這うような足取りで、改札から少し離れたところにあるかわいい少女像の前に移動した。


 両隣をガス灯に挟まれたその像の台座には金属プレートが貼り付けられており、そこには『赤い靴はいてた女の子』という像の名前と、その由来が書き込まれている。


 それによるとこの像は、野口雨情作詞、本居長世作曲の有名な童謡『赤い靴』に横浜の埠頭が歌われていることから、市民団体によって横浜駅に寄付されたものであるとのことだ。


「ふーん、なるほどね」


 像の周りには腰をかけることができる太い鉄柵が設置されていた。ユウキはそこに体重を預けて像を観察した。


 銅像であるため色はわからないが、おそらく赤いのであろうと思われる靴を履いた少女が膝を抱えて台座の上にちょこんと体育座りしている。その膝の上には、なぜか小銭が何枚か乗っていた。


「うーむ、これはお賽銭か」


 人はこのようなかわいらしい像を見ると、勝手にそこに何かしらの超自然的な力を感じ、お供物をあげたくなるようだ。


「そう言えば……オレの部屋にも謎の女性のフィギュアがあるな」


 いつ買ったのかもわからない謎のフィギュア……弾力がある妙に生々しい素材でできている。


 今は勉強机の上に飾ってあるあの人形、異世界ファンタジー風のいでたちをしているところを見るに、おそらくゲームかアニメのキャラだろう。


 エルフの名工が作ったかに思えるほどの精密性と魅力……もしかしたら相当に名のあるキャラの、高価なフィギュアなのかもしれない。


 いつ命を落とすかもしれぬハードな毎日の中で、勉強机に飾られたそのフィギュアと見つめ合うひとときこそが、ここ最近のユウキの最も心安らぐ時間だった。


 心と体に溜まっていく疲れを、いつもあのフィギュアの眼差しが癒してくれるようだった。


 今日もオレは疲れきっている。もう家に帰ってひたすらあのフィギュアと見つめ合っていたい。


 だがオレにはまだやるべきことが残されている。


 この横浜駅でやらなければいけないことがあるんだ!


「あ、すみません」


 ユウキは左を向くと無心で声を発した。

 

 すぐ左隣……『赤い靴はいてた女の子像』の鉄柵に、いつの間にか黒いスーツの女性が寄りかかっているのに気付いたのだ。


 ユウキはスーツの女性に声を無心でかけた。


「え、なんですか?」


 スーツ姿の女性は耳からiPhoneのイヤホンを外すとこちらを見た。白いコードが横浜駅の雑踏の中に揺れる。


 だが……。


「あ、あ、あ……ええと、あの……」


 いきなり知らない人にいきなり声をかけた自らの行動に驚き、ユウキは何も言えなくなってしまった。


 自分の脳内に言うべき言葉を探したが、なにも見つけられない。


 内側は空っぽだ。


 それなら外を見るしかない。


 ユウキはとっさに意識の焦点を自分の内側から外側へと切り替えた。するとすぐ近くにある『赤い靴はいてた女の子像』が目に入った。


 像を見て浮かんだ言葉を独り言のように呟く。


「かっ、かわいいよな」


「えっ、何がですか?」

 

「この像……」


「像? ああ……これですか。なんなんですか、これ」


「これは……」


 ユウキは像の台座に書かれている由来を、もう一度、ゆっくりと声に出して読んだ。


「へー、そんな由来があるんですね」


「ああ……しかも今は願い事が叶うスポットとして有名らしい」


 冗談のつもりだったが黒スーツの女性はやけに食いついてきた。


「ほ、本当ですか! 願い事が叶うって」


「も、もちろん本当だ。その証拠に見てくれ、お賽銭が乗ってるだろ」


「なるほど……つまりここにいくらか置けばいいんですね」


 スーツの女性はカバンから小銭入れを取り出すと、赤い靴はいてた女の子の膝に数枚の硬貨を置き、手を合わせた。


「面接に成功しますように。南無阿弥陀仏……」


「面接? ……就職活動か」


 目を開けた彼女はうなずいた。


「どうしても働きたい会社なんです。やっと面節までこぎつけたんです!」


 就職のことはユウキには何もわからなかった。だが彼女の瞳に若干の魂力の煌めきを感じた。


 魂力……それはユウキが最近、夢の中でよく耳にするワードである。


 それは心から望むことをするとき心の奥から溢れ出す力である。それはなんとなく就活にも有効な力に思えた。


「…………」


「お願いです。赤い靴はいてた女の子ちゃん……私の願いを叶えてください」


 就活スーツの彼女はもう一度、赤い靴はいてた女の子に向かって手を合わせた。


 ユウキも半分目を閉じ、自らの内なる空間で魂力を沸き立たせた。そしてそのエネルギーを就活スーツの女性の後ろ姿に向かって送る……そんなイメージを、心の内と外を同時に見る半眼の視界の中に形成した。


 そのイメージの中、互いの魂力はハウリングによって相互に高め合うよう感じられた。


 自他の魂力が十分に高まったのを感じたユウキは、いまだ像に向かい手を合わせて目を瞑る彼女を驚かさないよう、音を立てずに静かにその場から離れた。


 そして改札を通ってホームタウンに戻った。


 *


 魂力なる想像上のパラメータは昼間のナンパ活動によってかなり高まった。だが肉体の健康はまったく回復しなかった。


 肉体のエネルギーの流れが深い部分でいまだ狂い続けており、刻一刻と生命維持のシステムがバランスを失い崩壊していく。


「これはダメだ……悪いけど今日もあいつの世話になるか」


 夕暮れ時、半死半生の体となったユウキは空奈宅に転げ込んだ。


 学校帰りの空奈は畳に布団を敷くと、ぐいぐいとユウキの肉体の特定のスポットを押した。それによりユウキの肉体は、なんとか今日を生きながらえるだけのバランスを回復した。


「助かった。いつもありがとう」


 だが基本的な整体をユウキに施した空奈は、なぜか恥ずかしそうに、日に焼けた畳に目を伏せた。


「ユウキ……お願いがあるのよ」


「あんたは命の恩人だ。オレにできることならなんでもするぞ。中学の勉強ぐらいなら教えられる」


「あら本当? それは助かるわ。私、学校の勉強は全然ダメなのよね」


 空奈は布団を畳んで押し入れにしまうと、代わりに折り畳みテーブルを出し、その上に教科書とノートを広げた。


「わかるかしら? ここなんだけど」


「どれどれ」


 学生時代、休み時間に誰とも話すことができなかったユウキにとって、むしろ授業中こそが安らぎの時間だった。


 その安らぎタイムの中で得た数学の知識が今、ユウキの中に蘇る。


「ここは……この公式を使うんだ」


「すごいじゃない! さすがね」


「ここはこう。これはこうだ」


「わかりやすいわ。なるほどね。つまりこっちはこういうことなんでしょ?」


 一度コツを掴むと空奈はスルスルと数学問題を解けるようになっていった。


 だがあらかた宿題をやり終えたところで、なぜか空奈はまた恥ずかしそうに顔を赤らめ、日に焼けた畳に視線を落とした。


「他にもわからないところがあるのか? オレは体育以外ならだいたい教えられるぞ」


「本当? それなら英語も教えて欲しいんだけど……って、そう言うことじゃないのよ。実はどうしても言わなきゃいけないことがあって」


 空奈はささくれた畳の上でもじもじしている。


「遠慮せずなんでも言ってみてくれ」


「それなら言うわね。こんなことを言うのは本当に恥ずかしいんだけど……私、どうしてもお金が欲しいのよ。都合してもらえないかしら」


「お、お金だと?」


「ええ……」


「…………」


 空奈は命の恩人である。


 そういった観点から考えるに、空奈にお金を渡すことについてはなんの問題もない。


 だが……ここで空奈にお金を渡すのは、なんだか背徳的な感じがした。


 いいのか……。


 女子中学生に全身をマッサージされた上でお金をねだられ、そこでほいほいと小遣いを渡してしまっていいのか?


 ユウキが金と倫理について悩んでいると、空奈は手を振った。


「ち、違うのよ。もっとユウキを癒すにはね、必要なものがたくさんあるのよ!」


「そ、そうか……つまり必要経費ってことだな?」


 空奈は勢いよくうなずいた。


 言われてみれば確かに、普通に金のかかるアイテム……救心やチョコラBBハイパーや高麗人参茶などがユウキのために多量に消費されていた。


「す、すまん。すっかり甘えていた。経費のことはオレから切り出すべきだった」


 ユウキは一瞬、汚らわしいことを考えた己を恥じつつ財布を取り出した。


 幸いなことに先日、ブログの広告収入の入金があった。妹からも毎朝、小遣いをもらっている。そのため紙幣が何枚か財布に入っていた。


「これで足りるか? オレの全財産だ」


 ユウキは財布を開いてみせた。


 だが空奈は首を振った。


「ごめんなさいね。もっと必要よ。新しいアイテムが必要になのよ。ユウキの体調をもっと安定させるためにはね」


「まじかよ……」


「払えるものなら私が払いたいけど、見ての通り、お小遣いも少ないのよね……はあ……」


 空奈はため息をついて日に焼けた畳が敷かれたワンルームを見やった。


 前世紀の中頃より存在すると思われる古びたアパート、春日荘の206号室は母子二人が住むには手狭に思える。 


 だがきちんと隅々まで掃除が行き届いており、キッチンには手編みのミトンや鍋敷などが飾られている。


「オレは好きだな、この部屋。気を抜けば寝てしまいそうになる」


「あら、それならまた布団を敷くわよ。お母さんが帰ってくるまでだけ好きなだけ寝ていってちょうだい」


 お母さん、という単語を聞いたユウキは畳から立ち上がった。


「と、とりあえず今日はこれだけ渡しておく。残りはちょっと待っててくれ」


 ユウキは財布の中身を空奈に渡すと玄関に向かった。


 空奈はノートに必要経費のメモを書くと、玄関で靴を履くユウキに手渡した。


「悪いけどよろしくお願いね。分割でもなんとかなるわよ」


 *


 帰宅後、金策について悩み抜いたユウキは、最終的に、夕食の支度をする妹に頭を下げた。


「た、頼みがあるんだ」


 妹は包丁を置くと、エプロンで手を拭いながら振り返った。


「すまないが、エッチさの耐性獲得ワークの再開はまだ難しいぞ。私のメンタルが安定しないことにはな」


「いや、実は……小遣い……小遣いを増やして欲しいんだ」


「うむ……ユウキも大人だものな、いろいろと外でやりたいこともあるのだろう。私としても少ない小遣いで申し訳なく思っているぞ」


「だ、だったら……」


「だがすまない。これ以上はどうしても増やせない。もう冬だから、私のメインの収入源の畑が稼働できないんだ」


 妹はすまなそうにうつむきながら説明した。


 なんでも妹は学校の裏山でハーブを栽培しており、それを売って主な収入源としているとのことだ。


 特殊な製法によってメンタルヘルスを向上させる効果があるそのハーブは、クチコミによって徐々にカスタマーを増やしているらしい。


「そういうわけで小遣いは増やせない。だが、私にできることならなんでもしてあげるぞ。外での遊びなんかにお金を使うより、私になんでも頼んでみるといい。こう見えても私は器用なんだ……そ、そうだ、こうなったらもう夜の修行も再開しよう」


 夕食の支度の途中でエッチなビデオを再生しようとする妹を、ユウキはやんわりと押し留めた。


「…………」


 とりあえず一緒に夕食の支度をする。


 そしてキャベツの千切りを作りながら……ついにユウキは自分がすべきことを理解した。


 働くしかない。


 オレの命を明日へと繋ぎ、闇の塔を守るために。


 オレがこの手で、働くしかない。

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