第三部 現世ナンパ

第74話 実家にて

 ユウキは実家の子供部屋で目が覚めた。


「こっ、ここは……なんだ、オレの部屋か」


 小学生の頃から使っているパイプベッドから半身を起こし、室内を見回す。


 古びた勉強机に、旧型のMacbook Airが載っている。


 本棚には大量の自己啓発書が並んでおり、その隙間に謎のアニメキャラめいたフィギュアが一体、飾られている。


 まあいつも通りのオレの部屋なのだが。


 長年暮らしてきたこの部屋が、なぜか今日はやけに新鮮に感じられた。


「…………」


 ユウキは目をこすりつつ考えた。


 そもそもなぜオレは今、実家にいるのか?


「…………」


 カーテンの隙間から差し込む日差しは、朝日というよりも昼っぽかった。


 なんとなく、こんな時間まで実家のベッドでゴロゴロしている場合ではなかったような気がするのだが。


 オレには何か他に緊急でやるべきことがあった気がするのだが。


「…………」


 だが、頭がうまく回らない。


 先ほどまで見ていた夢の余韻が残っているせいだ。


 長い長いエキサイティングな夢……。


 できればもう一度、あの夢の続きを見てみたい。


 だが二度寝しようとしたユウキを筋肉痛が襲った。


「……いててて」


 あたかも柔道の大会で、自分より遥かに体格の良い選手百人ほどにもみくちゃにされ、体の内外に傷を負ったかのような痛みである。


「これはマジで痛いな……病院にでも行くか」


 そう言ってみたものの体を動かす気力がなかった。仕方なくユウキは毛布に包まって目を閉じた。


 しかし……痛くて眠れない。


「うううう……」呻き声が漏れる。


 だがベッドから起きて保険証を探して病院に行くなどという高度な活動は到底できそうになかった。それは体が元気な時であっても、無職ひきこもり対人恐怖のユウキには難しいタスクであった。


 ユウキはなすすべもなくベッドで呻き続けた。


「うう……」


 だがそのときだった。


 ドタドタドタと誰かが階段を登ってくる音が響いたかと思うと、いきなり子供部屋のドアが勢いよく開いた。


「ユウキ、帰ってきたのか!?」


 その声とともに毛布が剥ぎ取られた。


 毛布の向こうにいたのは、高校の制服にパーカーを羽織った少女だった。


「お、お前は……」


 パーカーのフードを目深に被った少女の瞳は、ワインレッドのカラーコンタクトレンズによって赤く輝いていた。


 彼女の視線に貫かれ、頭が朦朧とするのを感じながらユウキは聞いた。


「……だ、誰だっけ?」


「やれやれ、重症だぞ。自分の妹の名前も忘れたなんて」


「い、妹だと……」


「ああ、そうだぞ。私はユウキの妹だぞ」


 妹は赤い瞳でユウキを覗き込んだまま、噛んで含めるようにゆっくりと言った。


 それによりユウキもだんだん妹の存在を思い出すことができた。


「そうだった……お前は……山田エリス……オレの妹だ」


「また会えて嬉しいぞ。ユウキ」


 エリスはベッドの端に腰を下ろした。マットがたわむ。


 全身の痛みにうめきつつもユウキは聞いた。


「そ、そうだ。父さん母さんは……?」


「二人は今、旅行に出かけているんだ。ユウキが帰ってきたことは私がLINEで伝えておくから心配しなくていいぞ」


「そ、そうだ。オレは……オレは……帰ってきたんだ。帰ってきたんだ!」


「うん。それは見ればわかるぞ」


「だが……オレは……どこからどうやって帰ってきたんだ?」


「それを聞きたいのはこっちの方だぞ。数ヶ月も家を開けていたというのにいきなり帰ってきて」


「す、すまん……あいててて」


「ん? どこか怪我でもしているというのか?」


 エリスはユウキの寝巻きをめくると息を呑んだ。


「なっ……なんだこれは? 全身にひどい青あざがついてるぞ!」


「マジかよ。道理で身体中痛いわけだ……」


「少し待ってるがいい」


 エリスはドタドタと子供部屋を飛び出したかと思うと、しばらくして救急箱片手に戻ってきた。


 彼女は救急箱を枕元に置くと、ユウキを裏返してうつ伏せにした。


「エリス、お前……かなり力が強いな」


「最近、部活で体を動かしているからな。そのためだろう。少し背中に乗るぞ」


 妹がいきなり馬乗りになってきた。


「うっ……いてて」


「少し我慢するがいい。湿布を貼るぞ」


「冷たっ」


 ユウキに馬乗りになったエリスの手によって、ぺたぺたと背中に湿布が貼られていく。さらにマッサージが加えられていく。


「どうだ? 私のマッサージは」


「き、気持ちいい」


「学校の友達に癒し系の存在がいてな。癒しの技を少し彼女に教えてもらったんだ」


「…………」


「何はともあれ……お疲れ様、ユウキ。しばらくはゆっくりここで休んでいくがいい」


「あ、ああ……」


 妹はユウキを仰向けに戻すと、肩まで布団をかけてくれた。


 やがてユウキは眠りに落ちた。


 *


 悪夢を見た。


 夢の中でユウキは公園のベンチに座っていた。


 しばらくすると向こうから十二体の怨霊が歩いてきた。


 どす黒いオーラに包まれた怨霊たちはユウキに気づくと駆け寄ってきて触手を伸ばしてきた。


 どす黒い触手を払いのけながら、ユウキはスキル『暴言』を発動した。


「なんだお前ら、アトーレの暗黒鎧に宿る怨霊どもじゃないか。気持ち悪いその触手をしまえよ」


 だが怨霊たちはより強くユウキに暗黒の蛇を絡ませてきた。


「ユウキ殿! もしやと思い我ら夜の夢の中でこの公園を探してみたのだ! そしたらユウキ殿に再会できた!」


「なんだ、そんな大袈裟な。これまでに何度も夢の中で会ってるだろ」


「だが今は前とは事情が異なっておる!」


「はあ? 事情だと? なんかあったのか?」


「……やはり忘れているのであるな。何もかもシオン殿の言った通りである」


「シオン? シオンがなんだって?」


「『元の世界に戻ったユウキ君はすぐに僕たちのことを忘れてしまうよ』シオン殿はそう予言しておられた……」


「何言ってんだよ。お前らのこと忘れるわけ……いや……確かに……いろいろ思い出せないことばかりだ。そ、そうだ、あの儀式の後、オレはどうなったんだ?」


「では……我らの記憶をダイレクトにユウキ殿の心に伝えよう」


 怨霊たちから再度、暗黒の蛇が伸びてきた。


「しばし我慢して我らとコネクトされよ。情報伝達のために必要であるがゆえ」


「仕方ないな」


 ユウキは夢の中の公園のベンチで防御の構えをといた。


 ユウキが心をいくらかオープンにすると、その隙間に暗黒の蛇が入り込んできて、高密度の情報のパッケージを送り込んできた。


 *


 あの夜……『姫騎士と百人のオーク』の儀式が誰にも思いもよらぬ形で収束した夜……ユウキは半ば死にかけていた。


 それも無理のないことである。


 恐るべき麻薬を飲み干し、百人のオークに凌辱された上、闇の女神が支配する地獄へと生きながら飲まれかけたのだ。


 しかもそのピンチを乗り越えるため、ユウキはいくつもの人格テンプレートを、リミッターを解除して無理やり同時起動してしまったのだ。


 それによりユウキの心の安全弁は壊れ、無防備にフルオープンになった心に光と闇の魔力が大量に流れ込んだ。


 このままでは超大電流を流された豆電球のようにユウキは燃え尽きて死ぬ。


 それを防ぐには魔力がほとんど存在しない世界……ユウキの元の世界へと彼を送り返する必要がある。


 そんなシオンのアイデアによってユウキは元の世界に送還されたのだった。


 シオンは大量にチャージされていた魔力で次元の扉を開き、ゾンゲイルの協力のもとユウキを彼の子供部屋へと送り届けた。


 だが人一人を強引に異世界送りにした衝撃で次元の扉は完全に閉じた。


 暗くなった闇の塔の最上階でシオンは関係者一同に向かって呟いた。


「ふふ……これでユウキ君は助かるよ」


 関係者一同から安堵のため息が漏れる。


 しかしシオンの声は恐怖によって次第にうわずっていく。


「だけどね……ふふふっ、これで僕たちの破滅は決定したよ。闇の塔はもうすぐ崩壊するんだ」


「どうして!?」ゾンゲイルと関係者一同が質問した。


「ふふっ、それはね……闇の塔の維持にはユウキくんの魂力が必要だからだよ。ユウキ君の魂力が無ければ塔はすぐに干からびて崩壊するからね」


「ユウキならきっとなんとかしてくれる!」


「ふふっ。わかってないね。上の世界に戻ったユウキ君は下方世界のことなんてすぐに忘れてしまうんだよ!」


 *


 情報伝達を終えた触手が、名残惜しそうではあるがユウキから引き抜かれていく。


 気づくとここは夢の中の公園である。ベンチに腰を下ろしたユウキは思わず呟いた。


「まじかよ……ヤバすぎるな」


「状況を理解していただけたであろうか?」


「ああ……このままだと塔がヤバいってことはわかった。だが……とにかく、魂力を塔に送ったらいいんだな。前みたいに」


 怨霊たちはうなずいた。


「その通りである。闇の女神の尖兵を撃退するにも塔を維持するにもユウキ殿の魂力が必要である……」


 だがここで怨霊たちは湿っぽい雰囲気を発し始めた。


「しかしそれは叶わぬこと……なぜなら我らはもはや異なる世界に暮らす者同士。ユウキどののエネルギーは塔へは伝わらぬ。ゆえに我らはせめて最後に一言、夢の中で別れを言いに来たのである」


「…………」


「ユウキ殿……我らと遊んでくれたこと……我らは絶対、忘れはせぬ。たとえ我らの世界が邪悪なる女神の業火に包まれようとも……」


「そういうのはいいから……お前ら、ちょっともっかいオレにその触手を刺してみろ」


「い、いいのであるか?」


「おう」


 怨霊たちはゴクリと生唾を飲み込むと、ユウキの全身に勢いよく触手が突き立ててきた。


 瞬間、怨霊たちが長年に渡って溜め込んできた暗黒が触手を通じて流れ込んできた。


 ユウキは思わず心を閉じそうになる。


 だが……この怨霊たちとのリンクを手放すわけにはいかない。


「スキル『深呼吸』、発動……」


 さらにスキル『受け取る』を発動して心をフルオープンにし、怨霊たちから流れ込んでくる汚れたエネルギーを自らに吸収した。


 さらにスキル『愛情』を発動し、触手から流し込まれてくる暗黒に優しい気持ちを向けた。


 その愛情によって暗黒は少しずつ浄化されていき、流し込まれる量も減ってきた。


「よし、そろそろだな」


 頃合いを見てユウキは新たなスキルを発動した。


「スキル『半眼』『集中』『想像』『プレゼント』発動……今度はオレから送るぞ、受け取れ」


 ユウキは同時発動させたスキルによって、自らの中にあるきらめく力を集めると、そのエネルギーを触手を通じて逆に怨霊へと流し込んだ。


 怨霊たちから驚きの声が上がる。


「こっ、この精妙なエネルギーは……魂力であるか!」


「その通りだ。お前らに送ったその魂力を塔にチャージしろ。今はほんの少しだけだが、もっともっとたくさんの魂力を稼いできてやる」


「ユウキ殿……! いったいどのようにして魂力を集めるというのであるか!?」


「それは……」


 答える前にユウキは目が覚めた。


「…………」


 なんだか変な夢だった。


 もうよく思い出せないが、気持ちの悪い幽霊みたいな奴らと夢の中で何か大切な会話をしていた気がする。


 しかし実家の子供部屋のベッドに横になり見慣れた家具に囲まれていると、奇妙な夢の記憶はすぐに薄れていった。


 だがそれでも胸の奥で訳のわからない衝動が熱く燃えていた。


 毛布に包まりながらユウキはそっと呟いた。


「そうだ……ナンパしよう」

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